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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアの闇達
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しばらくの景観

 イタリア中部・とある丘。

 

 やや強めの風が吹く。

 場所が場所だけに定期的に発生する山谷風は辺りの芝生を小刻みに揺らし、後方へと向かっていく。

 はるか遠くに広がるアドリア海を眺めながら、一人の少年は何やら連絡を取っていた。

「うん、平気。心配しないで。力は使っちゃったけど、ちゃんと任務は果たせたから」

 B3サイズの羊皮紙を耳に当てるアラン。幾何学模様が施された特殊なそれはある特定の人物へと通信を飛ばしていた。

 それは彼をここへ仕向けた者への報告。

「やっぱりママの言った通りだったよ。連中も追いかけていたみたい、あの武器商人のお兄ちゃんの事」

 目をキラキラと輝かせ、流石だなと感心するアラン。ミゲルを襲ったのも、アテナ達に協力したのも、全ては裏世界の動向を探るのが目的。

 だからといってそれが何を意味するのかは少年には分からない。

 自らが危険な目に遭いその内容すら知らないというのはあんまりだと思わんでもないが、当の本人は構わなかった。

 少年はただ言われた事を実行するだけ。

 彼とママと呼ぶれる人物との間には、主従関係以上の何かが在った。

 その証拠に、

「それで、次は何をすればいいの?」

 何の不満も抱いていない弾んだ声。

 思えばアランもまだ十歳。信頼する人物の言葉に懐疑を覚えず鵜呑みにするというのは、仕方のない年齢でもある。

 何より、相手側も色々と人心掌握はしている。

「傷? 大丈夫だよ、こんなのへっちゃらさ。何せ僕は男の子だからね。アケルナやコルヴスみたいに泣いたりしないよ」

 怪我は大丈夫なのかと、あまり無理はしないでおくれよと、ママと呼ばれる人物は悲しそうに問い掛けた。

 それを受け嬉しそうな顔をするアラン。

 自分は愛されている。そう思える事が、何よりも嬉しかった。

 幼い心は、こうして思ってしまうのだ。

 またこの人の為に頑張ろう。そうすればもっと愛してくれる、と。

 その表情は母を慕う優し気な少年。

 年相応の眩しく、無垢な笑み。

 ただ履き違えてはいけないのが、彼らがしている会話はただの日常会話では無いという点だ。

 電話の向こう側の人物は、アランの望み通り指示を出す。

「え、そこに行くの? でもあそこって確か情勢が不安定なんじゃ……」

 少年の表情に初めて陰りが見えた。

 当たり前だ。

 紛争地帯に向かってくれと言われて、慄かない人間などほとんどいない。

 そこに年齢だとかは関係ない。

 爆撃や略奪が日常茶飯事の場所へ赴くのは、誰だって怖いはず。

 それでも少年は最終的には首を縦に振る。

「いや、何でもないよ。そこへ向かえばいいんだね。うん、うん……ルプスとシリウス兄さんと一緒にだね。うん分かった」

 嫌われたくない一心だった。

 本心は恐怖でいっぱいなはずなのに、幼い少年はその恐怖に押し潰されず気丈に振る舞う。  

 それはかつて経験した悲惨な状況から救い出してもらった恩返しであって、二度とそうならないようにするため媚びへつらう行為でもあった。

 例え壮絶な場面に出くわそうが、それは終わりの見える期間。本当の恐怖はお先真っ暗な状況に置かれることであるという事を、少年は経験則で知っている。

「それじゃあ現地に付いたら連絡するね」

 最後も明るくそう言い放ち、通信は途絶えた。羊皮紙に描かれていた魔法文様が、ただの落書きに成り下がる。ポンチョの中から抜き出したダガ―でそれを九等分に切り分ける。細かく裁断された羊皮紙は風に乗り飛び去っていき、イタリアの空へと舞い上がっていく。

 丘の上から穏やかな街並みを眺めるアラン。

 きっとこれから数か月は倒壊した建物や血だらけの人間達を見る羽目になるだろう。だから今のうちに出来るだけ平和を目に焼き付けて置きたかった。

 ただの気休めなのは分かっている。

 出国前にそんなことをすれば生に対して妙な執着だって芽生えてしまうかもしれない。

 それでも少年は見ていたかった。

 この世に命を授かってから早十年。

 世界の現状を知り、人間の愚かさを知り、個の無力さを知った。

 そんな救いようのない世界でも、こんなに綺麗だと感慨に浸りたかった。

 どうせ生まれてきたのなら楽しい思いをたくさんしようと、残虐な思考に偏在する無垢な心は語り掛ける。

 彼らにとってはこれが当たり前。

 風呂に入りふかふかの布団で寝るなんてのは最高の贅沢であり、何でもない当たり前のことが全て新鮮に思える。

 負傷した腕を動かすアラン。

 今回の件など比べ物にならない闇へと足を踏み入れる少年は、自分で貼った頬の絆創膏を指で撫でながら回顧にふける。

「あのお姉ちゃん、また会えるかな」

 ふと見上げたイタリアの空は、どこまでも青かった。

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