エピローグ・それぞれのサヨナラ
「ところでアランは?」
マフィア達が連行され、工場内を捜索する警官たちをそれとなく見ながら、龍樹は姿の見えない彼の事がふと気になった。
それに対し同じく場内の様子を見渡すアテナは、
「一緒にいたんだけどね。カッサローニ邸に残っている警官に連絡を取ってもらって子供がいないのかも聞いてもらったけど、結果はシロ。広い敷地内を隈なく探しても、どこにも見当たらないんだって」
「……大丈夫なのか?」
「恐らくわ。あまり無責任な事は言えないけれど、彼も裏の住人。姿が見えないって事は、きっとどこかへ身をやったんでしょうね」
それは何の根拠もない推測だった。
マフィアの家に連れ添っていた少年がいなくなるだなんて普通に考えれば大事件なような気がせんでもないが、不思議と龍樹はその推測を受け入れられていた。
あのアテナが平然と言ってのけたというのもある。しかしそれ以上に彼も裏世界に耐性が付き始めていたのかもしれない。
ここまで経験してきた様々な出来事が基準になってきてしまっていて、言うなれば子供が弱いという固定観念が外れ、年端もいかない少年にマフィアが圧倒されていたという事実を容認してしまっている自分が、そこにはいた。
だからこそアランが無事という考えには龍樹自身納得だし、何なら彼はどこへ行ったのだろうと具体的な事すら頭を巡り始める。
思えばアランの目的を龍樹は全くもって知らない。
突然現れてあれよあれよとここまで来ていたが不明点の多い話だ、と彼は今さら過ぎる疑問を覚える。
そしてアテナはその目的を知っているのだろうかと。
「……」
一瞬それについて訊いてみようかと思った龍樹だったが、今はやめておくことにした。
理由は視線の先にある。
アテナ同様、そちらへと目を向ける龍樹。
大事な事を忘れてしまっていたが、何も連行されるのはマフィア達だけではない。
他の連中同様悪行をした代償として、警官に肩を掴まれるミゲル。
子供であるミレーナの目を考慮してか、密告をしたせめてもの施しか、手錠は嵌められていなかった。
イタリアでは商人保護システムというものが最近導入されたらしいが、彼が行ってきた案件が案件なだけに、全くお咎めなし、ともいかないようだ。
車に乗るよう警官に指示されたミゲルは、抵抗する素振りも不服そうな顔もせず素直に従う。
その様子をある家族は傍らで見守っていた。
自分たちを騙し、娘を危険な目に合わせた犯人が捕まった。本来なら喜ぶべきであろうそれも、これまでの経緯を考えると少しばかり複雑だ。
特に傷心なのはミレーナだろう。
いくら彼女が賢しいとはいえ、今の状況はあまり呑み込めていない筈。
現に、母に肩を抱かれ戸惑いを覚える身体は幾度となく出たり引っ込んだりして、いまだにどうすればいいのか迷っている。
そんな仕草を一番近くで見ていた母親であるミシェルは、
「……行っておいで」
そう言うと、優しく娘の背中を押す。
不安なのだろう。
送り出される形になったミレーナは何度か振り返り、助けを請おうとしているようだった。
ミシェルの中でも葛藤はあった。
怖い思いをさせた男に近づけるのは母親として最低なのかもしれないし、ましてやそこから何か生まれるとも思えない。
ただ、何となくミレーナがミゲルに対して何かを言いたいのは理解できた。
それはそうだろう。
直接被害を被った人間とすれば、それが恨みであれ何であれ言いたいことはあるはず。
一母親として、ミシェルは愛する娘が後悔する道を選びたくなかったのだ。
その切実な想いが伝わったのか。
立ち止まっていたミレーナは、やがて一歩を踏み出し始めた。
相手側もそんな少女の行動には気付いていた。
警官に囲まれながらも、ちょっと待ってくれと言ってのけたミゲル。
本来なら問答無用で引っ張られていくのだろうが、マフィア達を逮捕できる情報を提供した彼に警官たちも情状酌量し、その願いを聞き入れた。
やがて会話ができる距離にまで接近した二人。
ミレーナは少なからず怒っているらしく、俯くその表情には険しさが張り付いていた。
それを見て本当に悪い事をしたと胸がチクチクするミゲル。
きっとその可愛らしい口からは自分を罵倒する言葉が飛び出すのだろうと、覚悟を決めていた。
「悪いなミレーナ、怖い思いをさせて。だが安心してくれ。俺はもう金輪際ミレーナの前には現れないから」
「出てきたらまた遊ぼう」
被せ気味に放たれたまさかの言葉に、面食らったミゲル。瞼を瞬かせ、何が起こったのかを頭の中で整理する。
「……怒っていないのか? 俺の精で危ない目にあった事を」
「怒ってるよ。すっごく怖かったんだから」
怒りを露わにし、ミゲルを睨みつけるミレーナ。
だがすぐにその表情も萎み、
「でも、……もういいよ、終わった事なんだし」
口を尖らせ、やはり全てを許そうとはしないミレーナ。
それでもミゲルにとっては十分すぎるだろう。
仮に自分が彼女の立場なら顔すら見たくないと考えるはずだと、男は感慨に浸る。
「その変わりちゃんといい人になって出てきたら、お料理を教える事」
それが彼を許す交換条件らしい。
人の命を扱わない何とも可愛らしい交換条件に、思わずミゲルは笑ってしまう。
「なんで笑うの?」
心底不思議そうに問いかけるミレーナ。
どうやら少女は真剣にそんなもので天秤に掛かったと思っているらしく、だとすればこちらも真剣に取り合わねばとミゲルは思う。
「ああ、分かった。いい人は無理かもしれないが、ちゃんとまっとうな人間になって出てきたら教えにいくよ」
「……いい人になれないってどういう事?」
言葉の真意が分からずに眉を寄せる少女の髪をくしゃっと掴み、またなとミゲルはそう言った。
時間も時間らしく、警官たちに連れられ男はパトカーへと向かっていく。
車に乗り込む前にミゲルはもう一度だけ振り返った。
それはミシェルとダニエルに対してのアクション。
本当にすまなかったと言葉ではなく眼で訴え掛け、大人な二人は不服そうな顔をしつつも手を上げて許した。
本当に優しい家族だな。
いつか自分もああいう家庭を気付きたいと、ミゲルは堅い座席で左右をむさくるしい男に囲まれる状況で思った。
日が落ち始めた空間に響き始めたサイレン音。
こうして心から更生しようと誓った男は、その第一歩として署へと連行されたのだった。
そして後日。
ミレーナ誘拐事件が解決した時間帯も時間帯だったのでもう一泊した龍樹は、今度こそ空港にいた。
例にもれずイタリアの空は晴天。
聞けばここ最近は異常気象で全く雨が降っていないらしく、国としては結構深刻な問題らしいが日本人の龍樹はそんな事知ったこっちゃない。
「忘れ物は無いかい?」
明るい笑顔でそう確認を取るミシェル。
アテナづてにそれを聞いた龍樹は、大丈夫、と答えた。
ちなみに今彼が持っている荷物はキャリーバック一つだ。
残念ながら盗まれたものではなく、手ぶらでは何だとミシェルが用意してくれたもの。中には手土産がぎっしりと詰まっており、実はこれでも量を減らしてもらった方なのだ。
「すまないね。本当は旦那も来るべきなんだろうが、例のごとく仕事馬鹿でさ。それでも本当に寂しがっていたよ。あいつ、君の事は気に入っていたから」
「そりゃ何よりだ。俺もダニエルさんとミシェルさんの絡みは面白かったからな。これからも末永くお幸せに」
「ああ。私達家族の愛は永久に不滅さ」
二カッ、と満面の笑みを浮かべるミシェル。今日の彼女はいつになくご機嫌だ。服装も胸元がやけに強調されたトップスにショートパンツというセクシーな着こなし。そりゃ暑いからという気持ちは分かるが、流石にサングラスはやり過ぎだと思う。
イタリア人はやはり陽気、という事なのだろうか。
そんな渇水被害とは一見して無縁なはっちゃけっぷりのミシェルがここにいるのは、日本へと帰国する龍樹を見送るためだ。
「色々とありがとうございます」
頭を下げ、感謝を露わにする龍樹。正直あまり慣れていないので動作は若干ぎこちないが、こういうのは気持ちが大事なので良しとしよう。
龍樹の言葉を、またアテナがミシェルに伝える。それを受けたミシェルはサングラスを額まで押し上げ、
「何言ってるんだい。礼を言うのはこっちの方さ。ミレーナの件、本当に感謝している。君がいなければどうなっていた事か」
「いや、あれはその何というか……たまたまで」
ミシェルの言葉に、恥ずかしくなる龍樹。誰かに感謝されるのが慣れていない彼の事。どう反応を示せばいいのかが、いまいち分からない。
そんな彼の心境を見透かしたのだろう。
「いいんじゃない素直に受け取っておけば」
ミシェルに伝える前に、龍樹の言葉をアテナは処理した。
これにはほんの少しばかり驚く龍樹。
アテナはどこか遠いところを見ながら、
「謙遜する必要はないわよ。ミレーナを救い出せたのは、本当にあなたのお陰なんだから」
と不器用ながらも彼を褒め称えた。
その身に余る言葉に、少しばかり複雑な気持ちになる龍樹。
何せ一度は救い出せそうになったあの場面、間違いなく自分が目を離してしまった事により悲劇は起きた。
それを場に居なかったミシェルはともかく、アテナは知っているはず。
にも拘らずそんな事を言うのだから、龍樹としても戸惑ってしまう。
いや、でも待てよと少年は考える。
そもそも自分が悪魔に憑かれなければアテナはイタリアには来なかった訳で、でもそうなってくればミレーナは悪魔に憑依されたままで、果たしてミゲルとアルファーノ家は出会わなかったのかどうかと言えばそんな事は無かった訳で――などと、妙な事を考え始めた龍樹だったが、
「……そうだな」
やがてめんどくさくなったのか、そう言葉を返した。
ミシェルの感謝を素直に受け取ることにしたのだ。
確かに彼がここに来なければミレーナが危険な目に合う事は無かったのかもしれないし、事態はもっと深刻になっていたかもしれない。
しかし、そんなものはこの際関係ないのだろう。
過ぎ去った事をあれこれ考えるのはそれこそ皮算用でしかなく、そもそもそんな世界があったのかどうかも分からない。
結局のところ無かったことをある事にはできないし。
あった事を無かったことにも出来ないのだ。
「じゃあまたな、我が息子よ!」
ミシェルのテンションもいよいよマックスのようだ。
感極まったのか、一際大きな声を上げると、熱い抱擁。
セクシーな格好で、それもこんな公の場でそんな事をしてくるのだから、龍樹もたじたじだ。
何よりも身体に押し付けられる柔らかい感触が思春期の少年にとっては毒でしかない。
「ちょっとお母さん。お兄ちゃん嫌がってるから」
ここで救いの手を差し伸べてくれたのはしっかり者のミレーナ。剣呑な表情で親に切言すると、ようやくミシェルは顔を真っ赤にする龍樹から身を引いた。
「ミレーナちゃんもありがとな。嫌な事がいっぱいあって大変だっただろうけど、これからも元気に過ごすんだよ」
「うん、お兄ちゃんも。機会があったらまた遊びに来てよ」
にっこり笑顔で、随分大人びた事を言うミレーナ。もしこれから先の人生でイタリアに来るような事があれば本当に会いに行くのも悪くないのかもしれないと、龍樹は思った。
そうこうしているうちに、もうすぐフライトの時間。
電車など他の交通機関と違い国をまたぐ飛行機は手続きに時間が掛かるので、そろそろ動き出さなければならない。
「それじゃあ、もう行くよ」
キャリーバックを手に取り、出発の準備をする。アテナから訳してもらう前でもそれに気づいたミシェルは軽く手を上げ、ミレーナもそれに習った。
この数日間世話になった身としては本当に名残惜しいが、これも一期一会。
それにまた会えるかもしれないという想いからか、不思議と悲しさの様なものは無い。
ダニエルさんにもよろしく言っといて。
そんな言葉を最後に、龍樹はミシェル達と別れたのだった。
「良い人たちだったよな」
空港のロビー。チケットを買い搭乗時刻まで時間を潰さなければいけない龍樹は、そこに並べられた椅子の一つに背を預け、ぽつりと呟いた。
それに対しての返事は無い。
目前にはなぜか立っているアテナ。
いつも通りの伏し目がちな表情で、相変わらず何を考えているのか分からない。
どうせ一緒にいるなら座ればいいのにと思う龍樹だったが、そういえばこの女は今後どうするのだろうかとふと気になる。
その疑問をぶつけたところ。
「これからまた他の国に発つつもりよ」
と答えた。
やはり具体的な内容は口にしないアテナ。
龍樹としてももう慣れた。
今ならどんな事を言われようと驚かない自信がある。
「相変わらず忙しい奴だな。ミゲルさんの件でも色々とあったってのに、休みとか取らせてもらえないのか」
「面白い冗談ね。言ったでしょ、私たちのは仕事じゃなくて使命。世界とやらが一秒たりとも止まってはくれない限り、こなさなければならない仕事なんていくらでもあるわよ」
会社ではなく、世界ときた。
相変わらずスケールの大きな話だなと龍樹は感服しつつ、ほんの少し違和感の様なものを覚える。
先程から何やらアテナが忙しないのだ。
いや、彼女の事を知らない人間が傍から見れば何の事は無い立ち振る舞いなのだろうか、少なからず同じ時を過ごした龍樹から見ればそれは一目瞭然だ。
そもそも坐っている人間の目前に立つという行為自体が彼女に取ってはおかしい。
勝手な予想になるが、人と接するのを極力嫌うアテナは基本的には視界の端にいたようなと龍樹は思い返す。
こうやって目前に立たれるのは、思ってもみれば久しぶりだ。
日本で色々と言おうか言わまいか悩んでいた時と、路地裏で威圧を掛けられた時以来で――
「なんだよ。何か言いたいことがあるのかよ」
直感でそう感じ取った龍樹。
彼としても、そこまで重要な何かがあるとは思っていない。
現に、今も足を延ばし気だるそうにしながら、アテナの返答を待っている。
それに対してアテナは、すぐには答えなかった。
明らかにおかしな回数瞼を瞬かせると、なぜか天井を見上げる。
まるで生物の背骨のように交錯する骨組みに張りぼてのように纏わりつく布かどうかも分からない素材は、この空港ならではの光景だ。
彼女に釣られ、その視線を追ってみる龍樹。
だが天井には特に目を惹くものは無い。
「ねえ龍樹」
ふいに名を呼ばれた龍樹は、思わず視線を戻す。
目前で立つアテナは、今度はひたと龍樹を見据えていた。
その碧眼は只ならぬ何かを宿している。
褐色の男と対峙していた時とも、マフィアと対峙した時とも違う、何かを迷っているような、彼女にしては自身の無さげな揺るぎ。
それに思わず身構えてしまう龍樹。
「な、何だよ」
ヨーロッパの要衝の一つという事もあってか騒がしい空港。
そんな中でも龍樹が彼女のか細い声を聴きとれたのは、その内容があまりに衝撃的だったからかもしれない。
「お父さんに会ってみたい?」
予想だにしない質問。
今しがた何を聞いても驚かないと思ったばかりだが、流石にそれは反則だ。
おっかなびっくりする龍樹。
質問に対しての答えは決まっているはずなのに、なぜかすぐに返事をする事は出来なかった。




