男を変えたある理由
「パオリーノ・ヴァンニ。ジャンマルコ・ヴィッロージ。ドミツァーノ・カッティス――お前達を未成年略奪、違法行為ほう助、その他五つの疑いで逮捕する」
薄暗闇の工場内。
突撃してきた特殊部隊に銃を突きつけられる中、三人は抵抗する素振りも見せずお縄についた。
いったい何が起こったというのか。
三人の顔は傷だらけで、服はボロボロ。まるで嵐の中を歩いてきたかのような有様で、その意識も憔悴しきっている。
今も手錠を取り出すと自分で手を差し出す始末。
銃撃戦も辞さない姿勢だった手前あまりの呆気なさに拍子抜けする警部補だが、何も起きないのならそれに越したことは無い。
すでに逮捕しているカッサローニ同様、三人も署へ連行するために立たせて外へと向かわせる。
「大丈夫?」
地面で胡坐をかく龍樹にアテナが問い掛けた。
ああ、何とか、と龍樹は答えた。しかし瞼が腫れ鼻血を出している様は、傍から見てもとてもじゃないが大丈夫そうには見えない。
現に今彼は胡坐をかいているのは立ち上がる気力が無いからなのだが、それを知ってか知らずかアテナは、
「そう」
といつもながら澄ました反応を返した。
それでも一応は心配しているらしく、屈んで龍樹へと視線を合わせると、
「ちょっと見せてみなさい」
瞼を触り、傷の具合を確かめる。
きっと彼女が世間で言う所の胸開きファッションを着こなしていたのであればさぞかし壮観だったのだろうが、残念ながらその服装は鼠一匹の侵入も許しそうにないタイトなトップスだ。
それでも目前に降り立つ二つの膨らみは少年には刺激が強く、おまけにぶら下がるツインテールはとても甘美な匂いを放っていた。
こんな時に何を考えているんだ俺はと赤くなった顔を振りたいが動けず、せめて視線だけでも逸らそうとしたところで、
「どうやらただの打撲のようね」
嬉し恥ずかし、アテナの診察は終了した。
なにわともあれ、彼女にそう言われると妙な安心感がある。マフィアの手から逃れられたという事も含め、ホッと一息つく龍樹。
それも束の間。
「それで、なぜこんな無茶な事をしたの」
アテナの審問が始まった。
これまで平坦だった目が細まり、彼女にしてはやけに人間味のある表情になった。
返答のしようによってはタダではおかない。
そう思わせる程、彼女の目は真剣だ。
その迫力に思わず委縮してしまう龍樹。これといったうまい言葉が見つからず少しどもってしまうが、それでもどうにか最低限の返答はする。
「その、何て言うんだ……後悔だけはしたくなかったからさ」
アテナの威圧から目を逸らし、短くそう告げた龍樹。これまで彼が体験してきた葛藤や経緯を知らないものが聞けば何の事か分からないはず。
しかしその言葉を聞いたアテナは拗ねたように顔を逸らす龍樹を見ながら、
「……そう」
妙な間を開け、ぽつりと呟いた。
いくら要領の良い彼女でも、自分が居ない場所で起こる事柄など理解できる訳もない。
それでも一応の納得を示したのは、やはり結果を求める彼女のような人間ならではだろう。
それとも。
この返答こそが、いつの日か言った信頼の証なのだろうか。
とりあえず龍樹が無事なのを確認できたアテナは振り向く。
視線の先には人質に取られていた娘を目いっぱい抱きしめる親子の姿。
ミシェルはミレーナの小さな身体を抱きしめ、それに応えるようにミレーナも力を込める。ダニエルは二人を覆う様に腕を回し、そこからは絶対に離したくないという決意の様なものが見て取れた。
周りでは警官が話を訊くタイミングを窺っており、その輪の中にはミゲルもいる。彼も少女が無事であることの安心感と自分がしたことに対しての不安を表情に浮かべ、家族の時間を見守っている。
「なぜ自首する気になったの」
ミゲルの元へ近づきアテナが言った。
野暮な質問を受けたミゲルはすかしたように笑う。
「自分でもよく分からない。まさか警察へ会いに行く日が来るだなんてな」
全く我ながら馬鹿な事をしたよ。
その割に晴れ晴れとした顔をする男は、そう言った。
「せっかく逃げ出す道を見つけたってのに、これじゃ連中をポンコツ呼ばわりできないな」
あれほど自分本位な行動を取った人間が、なぜ自らを差し出すことで他人を救ったのか。
すでに答えは出ていた。
確かにミゲルの中には罪滅ぼしという認識もある。だがそれ以上に、彼はただ単純に少女を救いたかった。
荒んだ世界に身を置いてきた身の上、周りは自分を守るので精いっぱい。
その環境に感化され、ミゲル自身そうなった部分もある。
結局世界は自分を中心に回っていて、それ以外のものは全て敵。例え肉親であろうと恋人であろうと、その限りではなかった。
常人ならまず至らないであろうその考えに至ってしまっていた彼も、言ってみれば波乱万丈な人生を送ってきたのだろう。
だが人間という生き物は根本的な部分では同じで、収まるべきところに収まる習性を持っているはず。
生理や睡眠や土地柄と同じで、生物学的にはそれが当然だ。
だから、潜在的に人の愛情に飢えていたミゲルが突飛と言い張るそれも、言ってみれば当然の流れ。
ミレーナの羨望の眼差しに心地よさを感じ、ミシェルの優しさに恋心を感じ、ダニエルの人の良さに親交を覚えた結果。
きっと彼はここにきてようやく気付いたのだろう。
世の中には自分よりも大切なものが存在するという事に。
「全部話すよ」
悩みが無くなり、清々しい顔をした男はそう口にした。
「どこで何も売りさばいたのか相手は誰だったのか。俺に言える事は何でも答える。もちろん、嘘偽り無くな」
アテナに向けられたその眼は、本当に別人だった。
陰りがあった瞳は透き通り、つり上がっていた目尻は垂れ下がり、たった一つの出来事でこれほど人は変わるものなのかと驚きさえ覚える。
これまでとは明らかに違うミゲルの印象。
彼を見据えるアテナ。
その表情は相変わらず平坦で、何を考えているのかは分からない。
そんな顔にもやがて変化が訪れる。
内心で何を思ったのか。
今まさに人として一皮むけた男に対し、果たしてその地点をすでに通過済みなのかどうか分からない女は淡く笑むと、
「ありがとう」
彼の成長を心の底から祝うかのように、そう言った。




