焦りが生み出すものとは
「いたか?」
薄暗い工場内に声が木霊する。
三つある建屋のうち真ん中に位置するその場所で、男Bは苛立ちを隠せない様子だった。
しかし別の建屋を見に行き戻ってきた男の顔は相変わらず浮かない。
「駄目だ。建屋内を隈なく探したんだが見つからなかった。もしかするとすでに外に出ちまっているのかもな」
三つある建屋は全て捜索済みで、今しがた男が向かっていた場所が最後だった。
前述したように建屋内は隈なく捜索した。
古びれた器材の下やロッカーの中。挙句には机の引き出しにも何か手掛かりがないかと開けてみたものだ。
だがそのどれにも逃げた二人を探し出す手掛かりはなく、八方塞がり。ただし、外に出たというのは考えにくい。
そう判断できるほどの材料はあるものの、ならなぜ見つからないというジレンマがあるのもまた事実。
うまく事が運ばないもどかしさから、男Bは足元のバケツに当たった。理不尽な暴力を受けたバケツは悲鳴でも上げているかのように音を鳴らしながら地面を転がっていき、やがて静止した。
懐に仕舞い込んである携帯が鳴ったのはその時だった。
嫌な予感がしつつ、とりあえず画面を確認する男。そこに現れる名前を見ると、顔が蒼白になった。
携帯の画面に表示されたイタリア語はこう綴られている。
ドン・カッサローニ
「ボスからだ」
震える声でそう述べた男B。それを聞いた男Aも、引きつった表情をする。都合が悪いので、出来る事なら電話には出たくない。しかし過去にそうした際、カッサロー二はひどく激高した。そのペナルティとしてある男は鉄砲玉にされたのはそう遠い話でもなかった。
男Bの脳裏にもその件があり、だからこそ迷った挙句に電話を取ってしまったのだろう。
「こちらカール。どうしましたか」
なるべく平常心を取り繕って対応する男B――カール。男Aも声一つ漏らさず、固唾を呑んでその成り行きを見守っている。
『どうしたじゃねえ。娘はどうしている』
相変わらずの横暴な態度。しかしそれ以上に気になる部分があった。いきなり口にされた娘という単語に思わず唾を呑むカール。それでもどうにか平常心を取り繕い、電話に応対する。
「何かあったんですか」
とりあえずそれが知りたかった。
切迫している様子なのは声を聞いた感じで分かる。
ここで考えられるのは例の侵入者の件だが、まさかあれだけの人員を割いて食い止められなかったのだろうかとにわかに信じがたかった。
だがその懐疑もやがて打ち砕かれる。
興奮しているのか息を切らすカッサローニは焦った様子でこう言った。
『侵入者がとんでもない奴だった。まともにやりあってもこっちに勝目はねえ』
「とんでもない奴って……一体何者なんですか」
『そんなの俺が知る訳ないだろ。いいから娘はどうなっている!』
よほどいっぱいいっぱいなのか苛立つカッサローニに圧倒されつつも、カ―ルは本格的にやばいと思った。
ただでさえ激高しているカッサローニ。
その状況で逃げられましただなんて口にすればどうなるか分かったものではない。
「いますよ。今は別の部屋にいますが」
眼は泳ぎ額からは汗が出始めた。
現場にいれば一発で怪しまれてしまうような外面ながら、嘘は言っていないとカールは自分に言い聞かす。門前に人を置いている以上高い外壁を誇るこの工場は抜け出せないだろう。それを踏まえると、娘は敷地内にいる可能性が高い。
『ああ? いるのは分かっているんだよ』
しかし妙な部分で頭の切れるカッサローニ。言葉の端に垣間見えた妙な言い方に引っ掛かりを覚えたようだ。
『俺が訊いているのは扱いがどうかだ。最悪娘は明け渡すかもしれん。その時の為に丁重に扱っていたという事を示せ。じゃねーとあの女が納得しないかもしれない』
「はあ……分かりました」
部下ながら聞いて呆れる動機だった。
マフィアの親玉が自分の身可愛さに早々と人質を明け渡すなど聞いたことが無い。
やはりこの男は自分の事しか考えていないのだなとカールは痛感する。
それにしても統制の取れたマフィアが束になっても勝てない相手。しかも聞けば大人数ではなく、ましてや女だというのだから更に困惑する。
理解しがたい現実に、本来なら少し頭を冷やしたいところ。
だが相手方はそういう訳にもいかないのだろう。
『やばい! あいつが来たかもしれない』
突如電話の向こう側からそんな声がした。そして走り出したのかがさごそという慌ただしい物音。
『とにかくその場所を教える事になるかもしれん。だが状況によっちゃ色々変わるかもしれないからとりあえず逃げ出す準備もしておけ。どちらにせよ娘から目は離すなよ!』
一方的にそう告げると、電話が切れた。プチ、という回線が途切れる音がした後、電話の画面は元へと戻った。
それを受けようやく忘れかけていた問題を思い出す。
肝心の娘を見失ってしまっているという、重大な問題を。
「ボスか?」
男Aの問い掛けに、ああ、と答えたカール。
「まずい事になった」
カールは今しがたの電話の内容を伝えた。それを聞いた男Aは彼同様顔面蒼白になる。そして動揺を隠せない様子で、
「どうするんだよ。このままじゃすぐ娘がいない事がバレちまう。そうなった場合どんな目に合わされるか分かったものじゃない」
やはり男Aの思う所も同じのようだ。
人質となる娘の監視役を任され全うできなかった。
普通の仕事なら怒鳴りつけられたり異動で済むかもしれないが、マフィアの場合はそうもいかない。
唯一の拠り所はカッサローニ自身が追い込まれいっぱいいっぱいな所だが、だからといって大丈夫という問題ではない。
ヒットマンや同じ穴のムジナと言った具合の、そこかしこに妙な人脈を持つカッサローニ。
ツァギールの様な男との繋がりも、一つや二つではないだろう。
「探すしかないだろ」
半ば吹っ切れたようにそう述べたカール。
「もしかすると見落としている場所があるかもしれない。もう一度探すぞ。どの道俺達に残された手段はそれしかないんだ」
カールのどこか気弱な発言に、もう一人の男も同意するしかなかった。
前述したように人質となる少女がこの敷地内にいる可能性は高い。となれば考えるまでもなくもう一度探すというその案が一番有効だろう。
そうと決まれば早速行動に移り始める。
何せ余裕が無い二人。
暗黙の了解で確認を取ると、足早に場を後にし、もう一度敷地内を探し始める。
再び静寂になっていく空間。
男達の足音は出口へと向かっていき、段々と小さくなっていく。
そのすぐ傍に二人が居たとも知らずに。
(……もう行ったかな)
狭い空間で息を殺す龍樹。
気配が無くなったのを感じると、ダクトの隙間から覗き見る。
隙間は十五センチほどしかないので全体は見えないが、少なくとも先程までいた場所に連中の姿は無かった。
もう諦めてくれていればいいのになと考える龍樹だったが、彼自身その線が薄いのは分かっている。
先程見た鬼のような形相。
あれはやるべき事をやったから諦めるという感じのものではない。
なので、できる事ならここを動かず助けが来るのを待ちたいところだった。
そうすればアテナがどうにかしてここを見つけ出し、事態を収束してくれるかもしれないと考えたのだ。
とはいえ、いつまでもここにいる訳にはいかなかった。
原因は二人を見れば分かる。
直径六十センチという狭隘なダクトに寿司詰め状態の龍樹とミレーナは中々の汗をかいていた。
ご存知の通りダクトは熱を逃がしにくい。従来のものは末端ぐらいしか気体の出口は無く、それも申し訳程度なのは彼らを見れば分かる。
龍樹はともかく、ミレーナの身体は耐性が無かった。
等間隔で吐く鼻息は明らかに荒い。
一見して気丈に見えるが、尋常じゃない汗を素知らぬ顔で拭うその表情は迷惑を掛けてはいけないと我慢しているのだろう。
これ以上無理が集れば取り返しのつかない事になってしまう可能性だってゼロではなかった。
早く何とかせねばと焦る龍樹。
このままだといずれ見つかってしまい、二人そろってどんな目に合わされるか分かったものではない。
「ここでジッとしてるんだよ」
不思議と彼は落ち着いていた。
ジェスチャーでそれとなく示すと、龍樹は意を決しダクトから身を乗り出した。それを見たミレーナは不安いっぱいに地面へ脚をつけた龍樹を見下ろすが、賢しい彼女は言われた通りその場を動かない。
言いたい事は伝わったようだと確認すると、とりあえず器材の死角へと龍樹は忍び足で向かう。
(……どうやらいないみたいだな)
器材から頭を出し覗き見た龍樹はそう判断した。辺り一帯をぐるっと見回しても、その気配はない。
(外に出たのか?)
適当に考えつつも、自身も建屋の出口へと近づいていく。
もちろん警戒は怠らない。万が一にも隠れているという可能性を考慮しながら、窓から差し込む明かりだけを頼りにほの暗い建屋内を進んでいく。
その後何のトラブルもなく出入り口へと辿り着いた。ここまでで龍樹が確信を得れた状況というのは、少なくともこの建屋内に連中はいないという事だ。
それだけで気が緩むのだから、彼もまた純粋な一般人だという事が窺える。
出入り口を出る前に窓から外の様子を探り誰もいないのを確認してから、龍樹は戦地へ赴くような気持ちで外へと足を踏み出した。
そこでも慎重に周りを探る。
近くに気配が無いのを確認すると、姿勢を低くしながら建屋を這うような足取りで遠回りに進む龍樹。
その動作を繰り返していると、いつのまにか出入り口となる門近くにまで迫っていた。
流石に門付近になれば連中の姿があるだろうと龍樹は思っていたのだが、実際見てみると誰もいなかった。
こうなれば一気呵成。
不審に思いつつも、これを僥倖と捉えた龍樹。二回ほど辺りを見回し連中はいないという確証を今一度得ると、駆け出した。
周囲を確認し、姿が見えない。
となれば当然の行動だったのかもしれない。
しかしこの時彼は焦ってしまった。
一般人なら無理もないのかもしれなかった。
この場合は助かりたいという気持ちが勝ってしまうのが常というものだ。
そもそも若い心はそうする以外に術というものを知らない。
だから気付けなかったのだ。
少し考えれば思いつく、その可能性を。
一心不乱に走り、出入り口である門まで至った龍樹。鍵の閉まった鉄門扉に、脱獄犯よろしく足を掛けよじ登ろうとする。
「動くな」
低く、唸るような声だった。
同時に、龍樹の後頭部に堅い何かが当る。
反射的に手を上げ、振り返る龍樹。
どこに隠れていたのか。
そこには銃を構えスーツ姿の、見張り役をしているはずの男がいつのまにか立っていた。




