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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアの闇達
163/261

着実に伸びる魔の手

 サイレンが鳴りやみ、どうにか最悪の事態は免れた工場内。

 埃かぶっていた室内は窓が開かれたことにより風が入り込み、皮肉にも今となっては清々しい空気になっている。

 その場には二人の男が神妙な面持ちで立っている。

「やっちまったな……」

 まるで人ごとの様な発言。これにはもう一人の男もイラッと来たが、今はそれで争っても仕方がない。

 男Bは先程まで少女が坐っていた場所を忌々しげに見ながら、

「まさか仲間が居たとはな……入り口にはあの男がいる。だから外には出られないとは思うんだが」

 あの男、とはここにいる彼ら以外の一人。男Aが少女の逃げる背を見たと聞き、一人は門前で、もう一人は敷地内を、現在も逃走中の少女を探し回っている。

「まずいぞ。もしこの事が知れてみろ。カッティスの奴を笑えなくなっちまう」

 自分達が置かれている境遇を考え、焦りを隠せない男B。

 それは男Aにも伝染する。何か手掛かりは無いかと周りに目を泳がせながら、

「そんな事は分かっている。だから何としても探し出すんだ。この工場は他に出口が無いはず。だから出られる訳がないんだ」

「元はと言えばお前が目を離した精だぞ。その尻拭いに何が悲しくて俺達が付き合わなくちゃならねーんだ」

「分かっているって。その事に関しては悪いと思っている。だがそれを議題に上げるのは後回しだ。お前だってボスがどういう人物かを知っているだろ。今すべきことは、あのガキを取り戻すことだ」

 心のどこかで納得し、押し黙る男B。表情は厄介な事を仕出かした者への怒りと、失敗を許さないボスに対しての恐怖に歪む。

 ない交ぜになった感情は表情だけでは飽き足らず、ついには行動になって現れる。

 おもむろに懐から銃を取り出す男B。撃鉄(ハンマー)を引くと、部屋中を未練がましく見渡す男Aに告げる。

「早く探すぞ。ボスがこの事実を知る前に、何としても娘を取り返すんだ」

 男Aも異論などあるはずもなく、小さく頷くと自らも銃を取り出す。

 あの気弱な少女が一人で抜け出すはずがない。

 だからこそほんの少し目を離しても構わないと判断した。それを踏まえると、男達が現段階で銃を取り出した意味が分かる。

 この事実が外部に漏れないよう、なりふり構ってられない男達は妙な事を仕出かしたどこかの誰かを殺すつもりなのだ。 


 そしてその肝心な龍樹達はというと。


 第二工場。

 つまりは真ん中に位置する建屋の中に身を潜ませていた。

 潜めると言っても、建屋内に点在する器材の下に屈むだけのシンプルなものだった。

 とはいえ、格納庫である第一工場とは違い、ここはその部品を作っていた場所。機械たちにはまだそこまで錆びれも見れず、行き場を無くした器材達が所狭しと鎮座している。

 それに面積も広いので、見つかるのには時間が掛かるだろう。

(……そもそも見つかっちゃダメなんだよな)

 かれこれずっと、不意に考えを巡らせれば自分の都合の良い方へ持っていこうとする。

 しかし決してそれがポジティブ思考などと言う好ましいものではないと、龍樹は自分で気づいていた。

 あまりに不利な状況に、現実逃避し始めている。

 どちらかというとネガティブ志向の強い龍樹。だからこそその変化を敏感に感じ取れるし、また気持ち悪いと一種の嫌悪感すら覚える。

 それでも逃げ出さないのは、傍にいる少女のお陰だろう。

 いや、この場合は彼女の精とでもいうべきか。

 とにかく、この子だけは絶対に守らなければいけないと龍樹は再三決意する。

 例え自分がどんな目に合おうと、抜け出させた以上その責任は取らなければならない。

 となれば、当面の目標は建屋から出る事だ。

 まさかこれだけの敷地に出入り口が一つしかないとは夢にも思っていない龍樹は、とりあえず裏手にならあるだろうと根拠のない判断をする。

 サイレンが鳴りやみ、防壁に遮断されているのか外からは何も聞こえない。

 だからといって、ここでじっとしていても仕方がないだろう。

 意を決して動こうと決意した龍樹。

 幸いにもこの建屋内は死角が結構ある。例え抜け出そうとする過程でマフィア達が入ってきても、隠れる事は出来るだろう。

 見つかりやすいか見つかりにくいかは別にして。

 と、そこで入り口付近のドアが開かれた。

 引き戸式のそれがゆっくりと開かれていき、薄暗い建屋内に光が差し込む。

 これにより丁度動き始めた龍樹達は静止を余儀なくされる。

 建屋内に入ってきたのは一人の男。

 扉を開けてすぐに何か異変が無いかを目で探ると、満を持して中へと入り込み、扉を閉めた。

 それから銃を構え、歩みだす男。再び薄暗くなった空間は目を凝らさなければ目視できない状態で、だからこそ龍樹も気配で男との位置を図る事しかできない。

 ただ幸いにも距離感を掴むのには苦労しなかった。

 原因は男の声。死角が多く、薄暗闇の中から見つけるのは困難と思ったのか、男は大声で何かを言い始めた。

「敷地内は完全に封鎖した。どうせ逃げられやしないんだ。大人しく出て来い!」

 場に緊張が奔る。

 息すら殺し、龍樹達は時が経つのを待つ。

 当然ながら男が叫んでいる言葉は龍樹には分からない。だが大声を出すたびに力強く目をつむり震えるミレーナを見れば、内容はある程度予想できる。

 しまいには耳を塞いでしまったミレーナ。きっとマフィアは良心に訴えかけるような卑劣で過激な事を口にし始めたのだろう。

 静寂な空間に木霊する男の大声。

 妙な物音を立てればすぐに気づかれてしまうが、少なくとも建屋内を流して見るような適当な事はしないはず。

 だからこのままここにいる訳にはいかない。男が何かを発言するたびに少しづつ移動し、物音を忍ばせる。

 この方法を用いて、男が一度確認した場所へ移動する龍樹達。

 途中から男は何も発言しなくなったので動けなくなってしまったが、どうにか新たな死角を見つけ、そこに身を伏せる。

 器材の下に潜り込み、男がいなくなるまでの間息を潜める。

 その最中様々な不安が頭を過った。

 男が同じ場所を見回らない保証などないし、仮にそうなって見つかった場合どんな目に合うのだろう

 そして例えやり過ごせたとしても、どうやって外に出るかが未だに未定。

 それにアテナ達の方はどうなってしまったのだろうかなど、龍樹の心配の種は尽きない。

 しばらくすると、一つ目の心配事は解消された。

 男は建屋内を流す様に一度だけ探すと、それで建屋内を後にした。

 その暗愚にホッと息を吐く龍樹。

 ただ、やっぱりいつまでもこうはしていられない。

 しばらくの間は大丈夫かもしれないが、敷地内で見つけることが出来なければ、いずれもう一度ここに至るだろう。

 短時間ならまだしも、一度見たから絶対にいないと結論付ける程、敵も愚かではないはず。

 だからと言ってすぐに動き出すのも危険な訳であり、どうするべきかとジレンマを抱える龍樹。 

 とりあえず、隣で相変わらず耳を塞ぎ込んでいるミレーナにもう大丈夫だとジャスチャーする。危機が過ぎ去ったことを理解すると耳を塞いでいた手を放し、それでもミレーナは浮かない表情のままだ。

 どうにかして安心させてあげたいが、今の龍樹にその術は無い。

(さて、どうやってここから抜け出すかな)

 今彼が思いついている案は二つ。

 一つはここにミレーナを隠しておき、自分一人で外に繋がる道を探る案。もう一つはこれまで同様二人で動くことだ。

 しかし互いにメリットデメリットが存在する。

 前者のメリットと言えば、何といっても動きやすくなる事だろう。

 幼いミレーナを連れて移動するというのは神経も使うし、何よりも見つかった際に逃げ切れる気がしない。龍樹一人なら幾分か見つかる可能性が低くなる、という訳だ。

 ただし、もちろんそこにはある危険が存在する。

 それは仮に隠れているミレーナが見つかった場合だ。

 逃げ出した罰としてどんな目に合うか分からないし、下手をすれば殺されてしまうかもしれない。そうなった場合龍樹が飛び出たところで、どうこう出来る訳もない。

 後者のメリットと言えば、その場で道が開ければ逃げ出せるという事だ。

 一緒に動けばわざわざ戻る必要もなく、その場その場で行動に移せる。ただし、そこには前述したデメリットが付き纏うが。

 そんな訳で、どうすればいいのか分からず、本気で悩む龍樹。

 頭を抱え低く唸りながら、しばらくの間葛藤を繰り広げる。

 やがて彼の中で結論が出た。

 悩んだ割には結論に自信を持っており、そこにはいくつかの要素があった。

 ミレーナを一人にしてまた不安を覚えさせるのは気が引けた。それでまたマフィアに見つかったともなれば、彼女を今度こそ奈落の底へ叩き落してしまう。

 そんな事は絶対に出来なかった。

 例え危うかろうと傍からは絶対離れるわけにはいかない。

 論理をないがしろにして、感情だけで動く。

 アテナが聞けば怒るだろうなと半ば的外れな事を考えつつ、龍樹はミレーナの手を引き、動き始めた。

 男が居なくなったとはいえ慎重な足取りで、眠っている機械達の合間を縫うような形で奥へと進んでいき、ひとまずは建屋内を探索する。

 

 建屋の奥に進んでいくと、やがて壁に行き着いた。

 辺りを見渡し、出入り口のようなものがないかを探る龍樹。

 しかし残念ながら周囲にそれらしきものはなく、精々見られるのは手の届かないほどの場所にひび割れた窓があるくらいだ。

 そんな空間だからか昼間とはいえやけに薄暗く、近くにいるミレーナにも影が掛かり、その表情はより一層不安げに見える。

 今の状況を考えれば、それは龍樹自身にも言える事だったが。

(やっぱり外に出なきゃいけないか)

 およそ届きそうもない上方の窓を見ながら一人考える龍樹。

 勢いよく建屋内に入ったのはいいが、よくよく考えるまでもなく、ここから脱出できたところでまだ広大な敷地内という問題が残っている。

 それをクリアしなければ状況は好転しないだろうし、むしろ死角の少なさを考えれば見つかる危険性は高くなってしまう。

 龍樹が二の足を踏む原因もそこだ。

 本当は建屋内を探った所で何も出てこないのは頭のどこかで分かっている。ここを出て外壁を越えなければ解決しないというのは、誰にだって理解できる話だ。

 ただ、タイミングがいつなのかが分からない。

 サイレンが鳴りやんだ今なのか、それとも敵が痺れを切らし何かしらのアクションを起こすのを待った方がいいのか、もしかするとすでにベストタイミングを逃しているのかもしれない。

 いずれにせよその辺りの善し悪しが、素人の龍樹には判断しかねていた。

 まあいいか、どうせ自分にはそんな事できやしないし――とこれまでなら諦めていたかもしれない。

 しかし今に至ってはその逃げの戦略は取れない。

 イタリアに来てからの二日間、正確には日本を離れそこに至るまでの間に様々な経験をした龍樹。

 己を見つめ直す機会もあり、年相応の感受性の高さというものが始めっているのかもしれない。

 そうでないにしても、幼い少女を危険な身に晒されるのを理解した上で抜け出させ、今はこうして暗闇に紛れているという状況を考えれば逃げ出すことなど出来やしない。

 流されるまま状態で付いてきてくれているミレーナには申し訳ないと思う龍樹。ひょっとしたら何か助かる手立てがあるのではないかと期待を持っていたであろう事は、初めのあの表情を見れば間違いない。

(考えろ、考えるんだ)

 龍樹は自分にそう言い聞かす。こんがらがった紐を一つ一つ解いてくのをイメージしながら打開策を探っていく。

 やはりこのまま無鉄砲で外に出るのは危険なように思えた。

 敷地内はそれなりに広大だ。見つかれば逃げ出すのは困難だろうし、だからといって真っ向から対峙するのはもってのほかだ。

 その後もあれこれと考えはするものの、どれも実行へ移すにはほど遠いものばかり。

 弱気を見せちゃいけないと先程誓ったばかりなのに、思わず渋い顔で天を仰いでしまう龍樹。傍にいるミレーナが心配そうに見ているが、それに気づく余裕は今の彼には無い。

 ついには頭を掻き出してしまう始末。

 何せ命の危機が関わってくる案件。

 マフィア達の目を掻い潜り囚われの少女を救出するというミッションは、日常生活を過ごしてきた少年の心に予想以上の負担を掛けている。


 とその時。

 がさごそ、と音がした。 


 静寂に突如響いた物音にびくつく龍樹。

 一瞬、連中が気づかないうちに迫ってきているのかもしれないと考え、思わず身構える。

 一方で、ミレーナは音の正体を知っていた。

 その一部始終を見ていた彼女は身構える龍樹を尻目に、音源の方へと駆け寄っていく。

「お、おいミレーナ」

 思わず掠れ声で叫ぶ龍樹。当のミレーナはというと、なぜかしゃがみ込み、腕を上下させている。それから大丈夫とでも言いたげに振り返ると、龍樹もようやく音の原因を理解する。

 猫だった。

 先程工場の周りをうろついていた、恐らくは野良であろう猫が、ミレーナに顎を摩られ気持ちよさそうな顔をしている。

「何だお前か……」

 強張っていた緊張を解き、ひとまずホッとする龍樹。それからすぐさまある疑問が脳裏をよぎる。

「あれ? この猫、どうやってここに入ってきたんだ?」

 率直な疑問が口から洩れる。

 当然ながら日本語のそれにミレーナが答えられる訳もない。

 しかし問題は無かった。

 なぜなら彼女はその一部始終を見ており、また同じ疑問を抱いているのか、猫を撫でながらある一点を見つめている。

 それは古びれたダクトだった。

 高さにして三メートルほどだろうか。

 よく見れば先端から微かに光が漏れている。

 何せ稼働しなくなって数年が経過した工場。そこかしこにあるものが錆びついていて、年代を感じさせる。

(もしかして出口があるかもと思ったんだけど……あれじゃあな)

 工場ダクトという事もあってか直径はミレーナくらいなら通れそうな大きさだった。高さも何かを土台にすれば届かない距離ではなさそうだが、抜けた先の状況が分からない以上それは危険だ。いくら三メートルほどとはいえ、頭から落ちればか弱い身体は無事では済まないだろう。

 何より外に出れたところでそこはやはり敷地内。

 抜本的な解決にはならない。

 という訳で、仕切り直し。

 また思考を巡らせていく龍樹。

 途中で話題が逸れたからと言って事態が好転する訳もなく、考えれば考える程追い込まれていく。

 力のないミレーナはそんな彼を見て更に不安を覚え悲しそうな顔をし、自分の精ではないかとこの期に及んで彼を慮る。

 その足元で猫は寝転がり欠伸をしていた。

 龍樹は呑気なものだなと半ば八つ当たり気味に猫を見る。そこにこれまで助けてもらったという感謝の念は全く無い。

 刻々と時が進んでいく。

 こうしている今も、段々とマフィア達の魔の手は、彼らへと迫っている。

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