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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアの闇達
162/261

元傭兵の大男

「おかしいわね」

 呟くアテナ。

 通路を歩き終えると、その先は大きな玄関ホールへと繋がっていた。

 天井には一際大きなシャンデリアがぶら下がっており、通路同様ここにも剝製や絵画が飾られている。

 まるで子供が思い描くような豪邸の作りを見るに、きっとカッサローニは絵に書いたような成金野郎なのだろう。

「何がおかしいの?」

 先程の呟きにそう問い掛けるアラン。

 アテナは辺りを見回しながら、

「静かすぎる」

 と分析していた。

 彼女達は今、宮殿にでも備わっていそうな螺旋階段の下に身を屈め潜んでいた。その広々とした空間には通路が左右四つほど繋がっており、先程悩んだ末に選ばなかった分岐点を通っても結局はここに出てきたであろう。

 何せ内部の構造が掴めないほどの豪邸。

 狙って設計をしたのかどうかは分からないが、外から内に掛けて低くなる建て方は俯瞰でもしない限りどことどこが繋がっているのかさえ分からなくなってしまう。

 さておき、アテナがおかしいと言ったのはそれが原因ではない。

 静かすぎると口にした通り、さっきまで鳴り響いていた銃声はおろか人の気配すら無かった。

 それこそまるで全員がどこかへ退避したかのように、屋敷の中は静寂に満ちている。

 

 と、辺りを眼球だけで探っていたアテナは、やがて何かに気付きハッとした。

 

 そしてすぐ傍に置いてある壺に目をやる。

「どうしたのお姉ちゃん?」

 只ならぬ反応を見せた彼女にアランも不思議そうに聞く。

 アテナはとりあえずアランの問い掛けを無視し、すっくと立ち上がると、壺へと歩み寄った。

 丸型テーブルに乗せられ、明らかに不自然な位置にあるその壺を正面から覗き込み、やがて何かを見つけたようだ。

「……そういう事か」

 してやられたと言った具合にそう溢すアテナ。

 傍にいるアランもすぐに駆け寄り何を見つけたのかを知りたがっているが、何せその壺はアテナの目の高さに位置付けられており、身長の小さなアランは跳ねたって見れっこない。

「ここに黒い丸があるのが分かる」

 アテナに指さされ、目いっぱい背伸びをするアラン。そうする事でようやく見えたそれはなぜかそこだけ光っており、なるほど確かに妙だった。

「カメラのレンズよ」

「カメラ……って事は監視カメラって事?」

 純粋な見解に、ええそうよ、と答えるアテナ。

 するとどうだろう。

 ここに来るまであれほど辺りを警戒していたというのに、アテナは螺旋階段の下から出ると、堂々とそこに立ち尽くす。

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん。何してるのさ」

 これにはアランも動揺を隠せなかった。彼女が突如取った行動に未だ疑問を覚えながらも、とりあえずその後ろへと近づいた。

「いいの? そんなに堂々としちゃって」

 素朴なその質問にアテナは辺りを見渡しながら、

「ええ。もうコソコソする必要は無くなったからね」

「無くなったって……」

 彼女の返答に、しばし考えるアラン。そしてすぐに意味を理解する。先程アテナが放った発言にこそ、その答えはあった。

「もしかしてバレてるって事」

 これまで幼かった声音が、ほんの少し低くなる。

 有り得なくない見解に、真剣な表情になったアラン。

 こうしている今も見張られていると考えると背中の辺りに寒気が奔る。

 マフィアの家に女子供が入り込みそれを監視されるなど、そこだけを切り取ればまさに袋の鼠なのだから、あれほど呑気だった彼が警戒するのも無理はない。

 そしてアランの言葉に無い返答。

 明確な返答がなかったそれこそが答えだろう。

「あれだけ警戒心の強い男なのにやけにすんなり入れたのはおかしいと思ったわ。まさかとは思っていたけど、本当に隠してあったとはね」 

 ため息のようなものを吐くアテナ。

 その愚痴のような言葉を聞くに、彼女は監視カメラの存在を考慮し、なおかつ隠ぺいしているという可能性に思い至っていたようだ。

 ただ、それが分かった所で対策の施しようがなかったのだろう。

 広大な敷地に立つ間取りも分からない豪邸。

 頭数も少なく戦力不足な形勢。

 圧倒的不利なそんな状況下では、流石の彼女でも手が回せない。

 明らかになった事実へ降り立つ沈黙。

 隠れるのを止め、広々とした空間を、誰かに見られていると認識した上で堂々と歩き始めた二人は終始口を閉ざす。

 さながら戦場へ向かうかのような辛気臭い雰囲気。

 遠くは無いだろう。

 敵がわざわざ監視カメラを隠している理由は明白だ。

 防犯という観点を重視するならこれ見よがしに設置されるはず。それが成されていないとなれば、敵は問題ごとを回避したいのではなく排除したいのだろう。

 人一人この世から消し去る事の出来る権力に極度の心配症。

 心配事があれば眠れないカッサローニと言う男ならやりかねない。

「でも、何も考えていない訳じゃないんでしょ」

 エントランスを潜り抜ける手前、何か根拠があるのか不適に笑うアラン。それに対し、目前を歩く女は振り向かずに、

「まあね」

 と答えた。

 そして続けざまに、

「ここから先は私一人で行く」

 相変わらずの冷たい声。

 それにアランも耳を傾ける。

「あなたはこの屋敷から離れなさい。バレている以上一緒に行動をするのは危険。二人がいるという意識を持たせただけでも大きな成果よ。後は別れて少しでも敵の意識を分散させましょう」

 といかにもそれっぽく言ってのけたアテナだが、それは事実上逃げろという意味。

 行動が見透かされ先手を打たれてしまう不利な状況を引きつけている間に、アランをどこか安全圏へやりたいのだろう。

 ただ思惑はそれだけでもない。

 今しがたアテナが言ったのはあながち嘘ではなく、一応の効果は期待できる。

 敵は侵入者が二人だという事は分かっているはず。

 となれば、ここから先彼女が見つかれば後のもう一人はどこだと言う疑問を抱くのが自然だ。

 アラン自身もその点については理解しているのだろう。

 言葉の真意までには達せずとも、合理的な考えに賛同する。

「分かった」

 そう短い返事をすると、アランは言われた通りアテナとは反対方面へ歩き始めた。

 今のやり取りを見れば具体的に何をどうするのかは彼に委ねている様子のアテナ。

 これは彼女にして見れば珍しい判断だった。

 確かに身構える敵の中に飛び込むよりは安全なのかもしれないが、年端もいかない少年をマフィアの巣窟に解き放つなんて無責任な事を彼女は普段しないはず。

 にも拘わらずそれを採択したという事は、裏世界の住人である彼をそれなりに信頼をしている証なのかもしれない。

 あるいは、それほど余裕が無いという事なのだろうか。

 アランがいなくなると、それを確認したかのようなタイミングで歩みを再開させるアテナ。

 天井に届かんとするほど大きな入り口を抜けると、簡素なソファーと観葉植物が並べられるエリアが現れた。

 見た目からして恐らくは待合室。

 そして並べられた観葉植物には例のごとくカメラが仕込まれているのだろう。 

 アテナが特に何をするでもなくその場を抜けると、今度は部屋の中を遮断するドアが現れた。框式の何の変哲もないそれを引くと、その先が露わになる。

 白を基調とした部屋には待合室のものとは違ったフォーマルなソファーが二つ向かい合って置かれ、間には木製で出来た膝もと程のリビングテーブル。

 書棚には金で出来た悪趣味な時計が飾られ、粉々に砕けたガラスが地面へ散乱している。

「……」

 一部異様な光景に、眼球を巡らせるアテナ。

 ここは先程カッサローニとダニエル達がひと悶着合った場所。

 アテナは直接その場面に居合わせた訳ではないが、今の彼女を見るにある程度の経緯は感づいているのかもしれない。

 光景のみならず、静けさを纏う部屋は形容しがたい独特の不気味さがある。

 警戒心からか、アテナは足を踏み入れようとはしない。入り口付近で立ち尽くす彼女は、いまだ部屋中を眼球で探っている。


 と、次の瞬間。


 その背後に気配が生じる。

 高く振り上げられた脚はゆうに二メートルへ達し、女の小柄な体躯をすっぽり覆う。

 咄嗟に気付き、振り向くアテナ。

 振り翳された脚が勢いよく落ちてくる所だった。

 程なく地面に打ち付けられた足はダン! という耳鳴りが起こりそうなほどの音を発し、威力を示すには十分なパフォーマンスとなった。

 身をひねり避けたアテナはセオリーとして距離を取ろうとしていた。何が起こったのかを瞬時に理解し、適切な行動を取ったと言えよう。

「不意打ちとは随分ご挨拶ね」

 嫌味たっぷりに言い放ったアテナ。対して、相手は首の骨をポキポキと鳴らしながら、

「悪いな。癖になっているもので。ついつい相手の背中を見ると襲い掛かりたくなる。それに忍び込んだ奴がいうセリフじゃないだろ」

 アテナに攻撃を加えたのは身長二メートルを超える大男だった。

 リーチの長さはもちろんの事、肉付きもそれなりによく、もし街を歩いていようものなら格闘家にスカウトされるであろう、そんな恵まれた体格。

 アテナ自身、ほんの少しばかり怪訝な表情になった。

 見た目だけで大体の戦闘力が図れる彼女が目を細めたというそれが意味するのは、きっとこうだろう。

 厄介な奴が現れた。

「カッサローニはどこ」

 臆せず話し掛けるアテナ。

 男はその場に仁王立ちしながら、

「教える訳ないだろ。奴は警戒心が強い。どうしても知りたきゃ探すこったな。もちろん、俺を倒せればの話だがな」

「……それだけ分かれば充分よ」

「?」

 妙な事を呟いたアテナ。だが大男は気にしない。

 なぜなら彼はここに話し合いにきた訳ではないのだから。

 何の合図もなく、大男は動いた。

 長いリーチでその距離をあっという間に詰めると、挨拶代わりと言わんばかりに拳を放つ。

 素人ではまず繰りだせないであろう高速な殴打。

 それをこちらも挨拶代わりとばかりに、アテナは躱していく。

 開始早々すでに結構な運動量だというのに二人とも息すら上がらず、いかにレベルの高い戦闘が繰り広げられているのかが窺える。

 男の攻撃はまだまだ続く。

 バク転するアテナへと急速に距離を詰めた大男は右拳をすでに放っており、アテナが平常に戻った時には顔面へと迫っていた。

 これを並外れた反射神経がわずかに勝る。

 鼻先を掠め、なおも回避したアテナはやられっぱなしではいない。

 牽制としての右拳を放つ。不安定な態勢から放たれた拳は相変わらず力無さそうだが、速度と位置という意味では問題無い。

 しかし大男はそれを器用に躱す。

 巨体に似合わぬ機敏な動きで身を退くと、今度はそのリーチを生かし、遠心力での攻撃に打って出る。細く長い脚から繰り出される蹴りはさながらソバットという技を連想させ、当たれば只で済まないのは確実だろう。

 これを身体を捻りながら大きく跳び上がる事でやり過ごすアテナ。そしてお返しとばかりに跳び回し蹴りを男の顔面へとヒットさせる。

 が、崩れない。

 いやアテナ自身もそれで倒せるとは思ってはいないのだろうが、それにしたって顔面へ的確に入ったというのに、男はひたとその場に立ち尽くす。

 首筋には血管が浮き出て、歯を食いしばり耐え凌ぐ男にアテナも驚いた表情を取る。

 男は長い腕を伸ばし、今まさに足蹴にしてくる女を掴もうとしていた。

 そうはいくまいと男の顔を土台に高く飛翔し、後退するアテナ。

 男はすぐに追撃する。

 アテナが地に足を着ける前にと、常人なら二歩必要であろう距離を大きな一歩で縮め、大きく振りかぶった腕を思いきり解き放つ。

 先程躱されたのを考慮し横ではなく縦。

 逆の弧を描いたそれは地に足付かぬ状態の彼女を捉えると、人形のように軽々と飛ばしていった。

 その様はまるで野獣。

 そこには格闘技の型の様なものは無く、だからこそパワフルで獰猛だ。

「――く、」

 宙を舞う最中、例のごとく宙で回転しながら力を流し、どうにか地に足をつけるアテナ。

 その力は思った以上に強いらしく、地に手から付き更に身体を捻るという、彼女にしてはやや不安定な降り立ちだった。 

 拳に挟んだ乳白色の腕は痛々しく腫れ、より一層赤みを引き立てていた。折れてはいないようだが、小刻みに震えている。

 どうやら痙攣を起こしているようだ。

 それでも痛がっている暇はない。

 男はこれまた獰猛な動きで迫っていた。脚を折り曲げ、今度は缶でも蹴るような感覚で走りながらの攻撃。

 とはいえ、不安定な態勢でなければ避けるのは容易だ。

 腕を労わりながらも横へと身をやるアテナ。それにより軌道修正という概念を捨てた攻撃は代わりにそこにあったソファーを蹴飛ばす。

 フォーマルというからには軽くは無いであろうそれが天高く舞い、大きな音を立て地面に叩きつけられると、部屋の隅にまで追いやられ横たわる。

 しかし強者同士の世界では差ほど珍しい光景ではなく、二人の攻防は恙なく続く。

 腫れた腕を庇いながら男の攻撃を避けていくアテナ。

 一見してかつての褐色の男との一戦を彷彿とさせる展開で、お得意であるカウンターも決まっていくが、大男は一向に怯む気配を見せなかった。

 腕を痛めているのが少なからず影響しているのだろうが、理由はそれだけではないだろう。

 男の戦闘力は相当なものであることには間違いない。

 それは痛みと言う感覚神経が無いのではと疑ってしまう程だった。

 カウンターを決めても決めても一向にビクともせず、並みの人間の殴打ではないので防御するという選択肢は避けた方がいいだろう。

 これには流石のアテナも表情を強張らせる。

 腕力の無い彼女にとってカウンターが利かないとなると、正直キツい。

 男の猛りは一向に収まらずむしろヒートアップしていき、部屋の中が荒れていく。

  

 その時、複数の足音が部屋中へと飛び込んできた。


「そこまでだ!」

 未だ騒がしく交戦が広げられる部屋に突如響いた怒声。

 見れば、出入り口から五人の男達が忙しく中に入ってきた。台風のように暴れ狂う中心地を囲むように陣形を取ると、それぞれが銃を構え静止を求める。

 だが止まらない。

 まるで彼らが入ってきた事すら気づいていないかのように、二人の交戦は熱を帯びていく。

 むしろその原因は我が方にあるというのは明らかだった。

 仲間が一方的に攻撃を仕掛け、女がそれを冷静に躱すという光景に戸惑う男達。

 そうしている間も部屋の中が荒れていく。

 敵を排除しようとしているのだから放っておけばいいのかもしれないと考え始めた面々だったが、頭に血の上った男の暴れっぷりを見るに、女を生きて捉えろというボスの命令を忘れているのだろうと判断する。

「ツァギール。一旦攻撃をやめ」

 一人の男が静止を求めようとした。

 しかしその時、アテナが彼の前へと身をやった。狙ったかどうかは分からない。だが結果的にアテナを攻撃しようと繰り出された蹴りは、彼女が避けることでそこにいた男の顎を下から捉える。 

 メキ、という痛々しい音がし、のけぞる男。

 すっぽ抜けた銃が勢いよく壁へと飛んでいき、その行方を他の男達が目で追う。

 蹴りを受けた男はすでに意識がないらしく、豪快に後ろへと倒れ込むと、大の字で仰向けになった。

 白目を剥き口を開けっ放しにし、ぴくりとも動かない。

 仲間を失神させたというのに、ツァギールという男は気にも留めていなかった。

 周りが見えていないのか、アテナを攻撃する過程で部屋中にある物資たちを次々に破壊していくツァギール。

 そこには捕らえるという概念は無く、ただただ壊せない事に対しての怒りしか見て取れなかった。

 暴走する男にどうすればいいのか分からず、立ち尽くす面々。その獰猛な男を取り押さえる事など、進んでやりたいことでもない。

 

 そんな彼らの腐った性根を正すかのように。

 次の瞬間、部屋中に甲高い銃声が鳴った。

 

 これには男達はもちろん、交戦を繰り広げていたアテナとツァギールもそちらを向く。

 荒れ果てた部屋に伸びる男。冷静になれば異様ともいえるポイントはいくつかあるが、場にいる者達は皆そろってある一点を見ていた。

 煙を口から吐く銃を持つ男。

 高く掲げられたそれは天井を打ち抜き、威嚇としての役割を十分担った。

 その者は銃口をアテナへと落とすと、まるで親の仇でも討つかのような剣呑な目つきを彼女に向けていた。

「やはり現れたな」

 低い声で問い掛けるカッティス。

 彼の後ろにも何人かの男が見て取れる。

 そこにはダニエルとロニーの姿もある。

 一度は逃げ出したが、やはり捕まってしまったようだ。

 ダニエルは殴られたのか顔が腫れており、表情が慣れていない痛みに悲鳴を上げていた。ロニーは子供だからひとまずは免除されたのか、いつかの傷以外は見受けられなかった。

 男達に銃を構えられ、二人は震えあがってしまっている。

 それはそうだろう。

 彼らに銃を向ける者も含み、ここにいるのは皆一癖ありそうな本物達。

 端から敷地内にいた連中と、戻ってきた連中が集約していた。

 これにより十数人の男達が侵入者である女を取り囲むという状況が出来上がってしまっていた。

「ミゲルはどこにいる?」

 二人を人質に、カッティスは問い掛ける。

 対して、アテナは珍しく肩で息をしていた。ツァギールから受けた一撃の名残か腕をしきりに気にし、しかし質問には一向に答えようとはしない。

 その態度が気にくわなかったのか、カッティスは再び引き金を引いた。

 銃声を上げ射出された弾はアテナの足元近くへ着弾し、赤い絨毯を焦がす。

 それでも、威嚇のつもりだったのだろうが差ほど効果は無い。

 弾が当たらないと何か確信があったのか、アテナは相変わらず無表情で動こうとすらしなかった。

 その程度の脅しでは百戦錬磨のこの女は怯まない。

 引き金を引いて効果があった事を強いて上げるなら、彼の言葉に対し返答をするようになった事ぐらいだ。

「さあ、どこかしらね」

 未だ腕を気にしながら答えるアテナ。 

「とりあえず言えるのは、ここにはいないという事と、そこにいる二人も知らないという事。彼は私達にとっても貴重な情報源。個人的に隔離させてもらっている」

「……情報源だと?」

 その発言に、只ならぬものを感じたカッティス。それは彼、いや彼達が一番恐れている事だ。

「その情報ってのは何だ?」

「さあ、何かしらね。自慢の手料理のレシピを教えてもらうというどうでもいいものかもしれないし、あなたが危惧をしている組織の情報かもしれない」

 煮えない切れない態度を取るアテナに、目を細めるカッティス。

 いずれにせよそれは脅しだった。

 ここで自分たちに危害を加えればその情報源が手に入らないという、明らかな暗喩。 

「それより、私は話をしに来たの。なのにこの歓迎は少しばかり失礼じゃないかしら」

 強面の男達に囲まれた状況に眼を走らせそう言ってのけたアテナ。カッティスはほざくなと言わんばかりに鼻を鳴らし、

「勝手に来ておいてふざけるな。話ならもう済んだはずだ。今晩特定の場所で取引をするとな。それをお前は自ら破っている訳であって、道理的にこちらの質問に答えるのが先じゃないのか」

 会話の最中も、アテナに向けた銃を下ろそうとはしない。たかだか女一人とはいえ、全身全霊を掛けて構えなければ、その者は危険だと判断しての行動だった。

「お前がどこの誰に雇われているのかは知らないが、大人しくミゲルを明け渡せ。そうすれば今回の件は無かった事にしてやる。ボスは本気で娘を解放するつもりだ。俺達だってこんな面倒な事は御免なんだよ」

「……随分と切羽詰まっているようね」

 カッティスを考察し、何かを悟った様子のアテナ。

「そもそも私がすでに彼から情報を引き出している可能性と言うのをあなた達は考慮しているのかしら」

「あの男もそこまで馬鹿じゃないからな。自分にどれだけの価値があるのかを分かっている。つまりそれを餌にお前たちも踊らされていると予想するが……どうだ。割かし遠くは無いと思うが」

 流石は組織のナンバー2と言った所か。上の人間の指示にしか従えないポンコツな連中と違い、それなりに自分の考えと言うものを持っている。

 これにはアテナも黙り込んでいた。見透かされていたかとでも感じているのか歯を食いしばり、カッティスを恨めしそうに見る。

「ええそうね。あなたの言う通り、ミゲルからはまだ何の情報も引き出せてはいない。ただ、だからと言って彼を明け渡す理由にはならないわ」

「そりゃそうだ。だが冷静に考えろ。こっちには娘の他にも人質がいて、引き金を引けばすぐにでも絶命させることが出来る。それにだ」

 そこでカッティスは意味深に笑う。その切れ長な目はアテナを見据えていた。

 正確には、彼女がしきりに気にするある部位を。

「その腕、ひょっとして折れているんじゃないのか」

 頬を吊り上げ、確信を持った様子のカッティス。

 それはそうだろう。

 アテナの右腕はかなり腫れており、紫に変色していた。折れていないにしても、まともに動かせないのは明らかだ。

 アテナは答えない。

 何せ表情は無なのでそこから推し量る事は出来ないが、ただ、保護するように握りしめていた腕に力を込める挙措を、カッティスも見逃さなかった。

「図星のようだな」

 判明した事実に、内心でホッとする。この場にいる者で直接対峙し、その危険性を知るのはカッティスだけだ。

 他の者も今しがたのツァギールとのやりとりで只者ではないと感じてはいるようだが、いまいちピンと来ていないはず。

 何にしても、これで万が一にもどちらが優勢かがはっきりした。

 中には構えた銃を下ろす者も出ており、カッティス自身、それを咎める様子もない。

「もう少し痛めつけてやれ」

 冷たい表情になり、残酷な事を言ってのけたカッティス。

 直後、いつのまにか迫っていた気配に、アテナは気付かなかったようだ。

 これまで同様大きな一歩でアテナに迫ると、ツァギールは持ち前の動物的な動きで攻撃を仕掛ける。

 不意だったからか、腕が支障をきたしているからなのか。

 威力抜群の攻撃を二度三度躱した所で、再びその強打がアテナを襲った。

 腕を挟み緩和したものの、人形のように飛んで行ったアテナ。

 地面を滑りながら、それでもなんとか態勢を立て直そうとするが、起きた時にはすでに相手が迫っており、回避するので精いっぱい。

 蹴りと殴打をいくつかもらってしまい、そのたびに呻きと血が飛び散り、大男が華奢な女を一方的に暴行するというのは見ている方がいたたまれない

 やはり腕の痛みが思った以上にあるのか、思う様に動けない様子のアテナ。結局最後に強烈な蹴りをもらった所で、地面に膝をつき、起き上がらなくなってしまう。

「アテナさん!」

 声を張るダニエル。それは今まさに彼女に迫らんとする脅威を知らせる為の警鐘。

 膝をつき俯く彼女の前に、体長二メートルを誇る大男が仁王立ちした。男は岩のような拳を高く振り上げ、まるで瓦割のようなスタンスを取っている。

 アテナもそこでようやく顔を上げ、迫った脅威に気付いたようだ。

 だが動こうとはしなかった。

 息を荒げ、諦めたかのように目の前の男を見上げる様はまるでらしくなく、彼女を知る者が見ればこんな状況に追い詰められた事実に衝撃を覚えるはずだ。

 振り上げられた拳に、全く動こうとしないアテナ。腕をはさみどうにか緩和していたこれまでと違い、まともに食らえば、華奢な身体の保証は出来ない。

「それぐらいでいいだろう」

 ふいに待ったが掛かった。

 もう十分だと判断し、その行為を止めさせたカッティス。

 理由は極めて単純だ。

「殺すんじゃない。話せるようにはしておけ」

「……俺はお前に雇われている訳ではないが?」

「なら金をくれてやる元傭兵よ。平和ボケしたこの世界に人を殴る事しかできないお前を必要とする人間がどれほどいる? とにかくこれはボスの意志でもある。そんな華奢な女がお前の本気の一撃を食らえばどうなるか分かるだろ。分かったらとっとと下がるんだ」

 乱暴な、しかし的確なカッティスの物言いに押し黙ってしまうツァギール。何か反論したいようだったが、脳みその方は優秀ではないのは事実らしく、これといったものが思いつかなかったのだろう。

 不本意そうに振りかざした拳を収め、撤退する。

 これにより難を逃れた女。

 俯き息を荒げるアテナに銃を構えつつ、歩み寄るカッティス。

 目前にまで迫ると、見下すような視線を彼女に当てる。

 それでも顔を上げないアテナ。その気配に気づいていない訳ではないだろうが、それほどにダメージがあるのだろうか。

 仕方なくカッティスはツインテールの方房を掴み、強引に顔を上げさせる。あう、と痛々しそうな呻きを漏らし上がった頬に、銃を突き付ける事も忘れない。

「流石のお前でもあの男には勝てなかったようだな」

 得意げに語り始めたカッティス。それはツァギールなる者の略歴だ。

「あいつは元傭兵でな。それも武器を持たずに戦場に赴くという正真正銘の奇人だ。あの手で何人もの人間を殺してきた。命があるだけでも感謝する事だな」

 そう言い終えると、髪を掴んでいた手を乱暴に離す。

 カクンと虚脱し、再び俯くアテナ。動悸は幾分か落ち着いたようだが、未だに吐く息は弱々しく、しばらく動ける気配は無い。

「連れていけ。俺は逃げたもう一人を追い掛ける」

 カッティスのそれを合図にアテナの元へ歩み寄った二人の男。脇に入り彼女を抱え上げると、ダニエル共々別の場所へと移動させる。


◆ ◇


 そうしてアテナ達が連れて来られたのは、一際豪勢な部屋だった。

 二階にあるそこは地面にペルシャ絨毯が敷かれ、ガラスケースには高級腕時計や鉱物、更にはヒュミドールといった、明らかにその男の趣味を体現したかのような模様になっている。

 部屋の奥にあるプレジデントデスク。そしてチェアに腰を掛け、短い脚を偉そうに机の上へ乗せるカッサローニは部下達に連れられてきた侵入者達を睨みつける。

「小賢しい真似しやがって。まさかマフィアの家に自ら飛び込んでくるとはなあ」

忌々しげに呟かれた言葉には、ほんの少しの称賛が混じっていた。そこから窺い知れるのは、カッサローニの頭にその考えは無かったという事だ。

 それほど自分の地位に絶対的な自信を持っており、また敵の行動力を侮っていたのだろう。

 ちなみに現在部屋にいるのはアテナ達の他にカッサローニとその部下にツァギールと言う男。 

 もう一人を追いかけるという言葉を残したカッティスを含め残りの人間は、その宣言を実行に移している。

 部屋にいるのは現状で八人。それなりにいる数が入っても十分に収まるところからも、いかにこの部屋の面積が広いかが窺える。

「ミゲルはどこにいる?」

 カッサローニが早速問い掛ける。

 それでもアテナは答えない。最早彼女が主犯なのは分かっている。現にカッサローニは、他の二人には目もくれていない。

 しばらく待っても、質問に対しての返答は無かった。

 これにはカッサローニも渋い表情をし、やがて顎をくいっと動かし、部下に何かを指示する。

 直後、アテナの横合いに見覚えのある気配が発生する。

 また動物的な軌道で襲い掛かる脅威。大きく振り被ったツァギールの拳がアテナを捉える。

 やはり腕を挟んでもさほど意味はなさず、華奢な身体が人形のように飛んでいく。

 声にならぬ声を漏らし、驚愕するダニエルとロニー。

 地面を転がり起き上がれなくなったアテナを見てすぐにでも駆け寄りたかったが、マフィアに銃を突きつけられている現状では出来る訳もなかった。

「もう一度聞くぞ。ミゲルはどこにいる」

 答えなければ痛い目に合う。明確な言葉は無けれど、そう言っているのは明らかだ。

 地面に手を付き、ヨロヨロと立ち上がろうとするアテナ。律儀にも彼女が立ち上がるまでの間カッサローニ達は何もしなかった。

 ただし、それは決して善意から来るものではない。

 ただ単に答えるかどうかを判断する為の間であり、何もしなかったのはその結果に過ぎない。 

 そして肝心の成果と言えば

「……」

 アテナは、何も答えなかった。立ち上がり負傷したであろう肘部分を押さえ、なお光を失わぬ碧眼はこの期に及んでカッサローニを捉えている。

「……どうしても答える気は無い、ってか」

 頬杖を突き、面倒くさそうな表情を取るカッサローニ。しかし彼がこの程度でめげる訳もなく、何よりこう言った場面には幾度となく遭遇しており、だからこそどうすれば効率がいいのかも理解している。

「殺(ヤ)れ」

 低くそう命じると、部下たちは銃の安全装置(セーフティ)を解除した。カチャ、という引き金を引く音が、ダニエル達の胃へと重く圧し掛かる。

「分かったわ!」

 目を見開き、声を荒げたアテナ。

 自分ならまだしも、ダニエル達が狙われるのは都合が悪かったのだろう。

 その表情には焦りのようなものが見て取られ、そこにいつもの余裕は無い。

 彼女の言葉に、表情には出さずともしてやったりのカッサローニ。はやる気持ちを抑えつつ、冷静に対処する。

「やっと話す気になったか。で、ミゲルはどこにいる。まさか分からないだなんて言い出すんじゃないだろな」

 有り得なくはないその答えに睨みを利かすカッサローニ。かくしてアテナはそんな気は毛頭ないと言いたげに、

「いいえ……ただ、その前にいくつか確認しておきたいことがあるの」

「何?」

 まさかの要求に、眉を顰めるカッサローニ。

「この期に及んで逆に質問だと? お前たちは今命の危機に瀕しているんだぞ。それなのに質問するとは」

「ええもちろん、立場は理解している。ただ、必要最低限の事は聞いておかなければならない。まずミレーナは本当に無事なのかという事。ここにいないのなら、一体彼女はどこにいるのかしら」

「別の場所さ。こんな事もあろうかとな。言っておくが昨日の場所とは違う。ここいらは俺の庭と言ったはずだ。隠れ蓑なんていくらでもある。だからお前らがどう足掻いたところで娘を取り戻すことは不可能だ。ミゲルを差し出す以外はな」

 自慢げに語るカッサロー二。本当は数えるほどしかないが、多少の誇張はあれど、それは全くの嘘ではない。

 実業家としての顔も持つ彼の事。

 その気になれば事業と題して新たな場所を確保する事だって出来てしまう。

「こう見えて俺は慈悲深い」

 話を続けるカッサローニ。

「本来なら取引を反故にされてもおかしくないが、今回だけは見逃してやる。大人しくあの男を差し出せ。そうすれば娘は解放し、金輪際お前たちに関わらないと約束しよう」

 柔和な姿勢を取るカッサローニ。

 先に裏切りを働いたというのに、それを許すと男は言った。 

 確かに願ってもない条件だ。

 あまつさえ命を狙われ、持病すら発作した。にも拘らず大目に見るなど、彼を知る者からしてみれば破格の待遇だ。

 それが本当ならの話だが。

 当然カッサローニにそんな気は毛頭なかった。

 ミゲルを殺し、証拠を隠滅すれば、次はそれを知る人間、つまりはミゲルと接触したダニエル達を排除する。

 極度の警戒心を持つ彼はそれが何であろうと容赦はしない。自分の身を脅かす存在は、何人たりとも放っては置けない。

 最後に娘と合わせてやり、一緒に葬る。

 そんな残酷な事すら本気で慈悲と言ってのける程、その男の性根は腐ってしまっている。

「分かったわ」

 しばらくの間黙り込んでいたアテナがそこで口を開く。

「で、どうすればいいのかしら。ミゲルをここまで連れて来るのか、それとも直接場所まで案内するのか」

 アテナの質問に対し、奴がいる場所を教えろ、と即座に言ったカッサローニ。その目は未だ警戒心が宿っており、信用していないのは間違いない。

「どうせまた何か企んでいるんだろう。妙な真似をしないよう、お前はここに残ってもらう。具体的な場所を教えろ。そこに部下を向かわせる」

 性根は腐っていても、流石はマフィアを束ねるだけの器ではあった。この辺りの運びは手慣れたものだ。実際にアテナと連中を一緒に向かわせればきっと反抗はするだろうし、かといってカッサローニが直接向かえば何が待ち受けているか分からない。

 あくまで自分の身を重点的に置いた場合の考えとしては、それが最適だろう。

 力のある存在を傍に置くのは避けたいところだろうが、敵は怪我を追っている。いざとなればツァギールが抑え込めばいいと考えを巡らせていくカッサローニ。

 そして相手はそれを飲むという選択肢しか取れない立場。

「……分かったわ」

 渋々と言った間を開け、そう返事をしたアテナ。その反応を見たところ納得はしていないようで、やはり彼女なりに何か考えがあったのだろう。

 この場から離れることが出来ればやりようはいくらでもあるが、それをカッサローニが許さない。

 男は部下に指で何かを合図する。

 カッサローニの指示を受け、一人の部下がダニエルに銃を向ける。

 突然の行動に戸惑うダニエル。見えない恐怖に心臓を鷲掴みにされている気分に思わず唾を飲み、ただ立ち尽くすことしかできない。

 突如として構えられた銃。

 アテナを睨みつけるカッサローニは、その行動の意味を口にする。

「それじゃ住所を教えてもらおうか。何度も言うようだが妙な事は考えるな。今から聞く住所に部下が向かって何かしらの差異が生じれば一人ずつ殺す。いいか、これが最後の、本当に最後のチャンスだ。もしまた妙な真似しやがったらその時点でそいつらだけでなく娘も殺す。これはハッタリでも何でもない。俺はやると言えばやるんだ。それを肝に念じておけ」

 悪の親玉に相応しい言葉。ただしそれはハッタリでもなんでもないのは事実だった。他人の命を軽視する彼にとっては、その人生を奪うという事に躊躇うよりも、どうせ出来やしないとナメられる方が嫌なのだ。

 アテナ自身それには気付いている様子だった。

 だからこそダニエル達に銃を向けられた瞬間焦ったのだろうし、ミレーナが無事に解放されないと踏んでいるのだろう。

 やがてミゲルが居るという場所を口頭で述べたアテナ。

 それをカッサローニの部下たちが早速調べ始め、現在も精査中だ。

 言い終えたアテナはその後特に言葉を発さず、持ち前の無表情でダニエル達を眺めた。

 ミゲルの居場所を教えたそれは果たして策があっての言動か、それとも彼女自身どうしようもなくやぶれかぶれなのか。

 現状を見れば後者の確立が高いが、果たして本当にそうなのか。

 これまで同様無表情を貫く彼女の事。

 その真相は、結果が出るまで分からない。

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