少年の憂鬱
「くそ、やっぱり出ないか」
工場の敷地内。
建屋から少し離れどうにか電話が出来る場所にまで身を寄せた龍樹は、身を伏せるためしゃがみ込むと、何やらイタリア語らしきガイダンスが流れるスマートフォンに悪態をついていた。
ダニエルが電話に出ない。
出たところで龍樹はイタリア語が喋れないし、またダニエルも日本語が喋れないので今傍にミレーナが居るという現状を伝えるこ事は出来ない訳だが、それでも何かしらの用事があるという事は伝わるはずだ。
運が良ければ傍にアテナがいる可能性もあり、龍樹自身それを期待した訳だが、結果はお察しの通りだ。
これ以上コーリングしても仕方がないと、龍樹は通話を切るボタンを押す。
それから何かしらの痕跡を残そうと日本語ながらメールを打ち込みダニエルの携帯へと送信を終えると、ポッケにスマートフォンを仕舞い込んだ。
ダニエルが読めなくても、内容はアテナが見れば分かるはず。
そもそもの問題としてアテナが携帯を持っていればいいのにと思って仕方がない龍樹だったが、今はそれをとやかく言っても仕方がない。
やるべき事を終えると、龍樹は今後の動きを考える。
本来なら警察に相談した方がいいのかもしれない。
しかし今の彼の状況では、そうするにはいくつか乗り越えなければならない壁がある。
言葉はもちろんの事、事の経緯や現在の状況をどう説明していいのかも分からない。
それに大本の問題としてこの付近に交番があるのかさえ分からない。
今彼の頭の中で浮かぶ一番怖い展開が、ミレーナを見失ってしまうという事だ。
警察を呼びに行っている隙に連中が動き始めたら、結局は元の木阿弥、追跡が難しくなってしまう。
今回の話を聞いたとき龍樹が思い浮かべた作戦として、夜連中が現れた所を警察に一網打尽にしてもらえればと考えたが、自分が思い浮かぶような事をアテナ達が思い浮かばない訳がないだろうし、またマフィア達も考えが及ばないはずもないとその考えを棄却した。
となってくると、今自分に出来るのはミレーナのいる場所から眼を離さない事だと龍樹は結論付ける。
(って事は……当分ここにいなきゃいけないってことか)
とりあえず連絡が付くまで、ミレーナから離れてはいけない。
そう考えると龍樹は憂鬱な気分になった。
何せ相手は正真正銘のマフィアだ。見つかればその時点で殺されたっておかしくないし、ましてや今はアテナの様な腕利きが傍にいない。
全てを自分で考えて行動しなければならない訳であり、果たして出来るだろうかという不安に駆られるのは最早仕方あるまい。
だがやるしかないと龍樹は思った。
ミレーナが駆られている恐怖に比べればこんなものは大した事がないと思うし、ダニエルや、あの小さなロニーさえも頑張っているのだからと、己を戒める。
よし、と小さく呟くと、龍樹は立ち上がった。
景気づけに頬でも叩こうかと思ったが、ひねくれている性格は柄じゃないしなと遠慮する。
何より妙な音を立てて誰かに聞かれれば事だ。
動き出す前に、まず何をすべきか頭の中で道筋を立てる。
一番いいのはこのままミレーナと逃げ出すことだ。
先程見た光景では、幸いにも彼女は拘束されていなかった。
もちろんだからと言って大の大人を出し抜く脚力をミレーナが持っている訳はないだろうし、アテナのように銃を持った相手を倒せるほどの力量を龍樹が兼ね備えている事もない。
なら、導き出された答えは一つ。
どうにかして連中の目を掻い潜り、ミレーナを連れ出す。
追いかけられる状況を作りだされる前に外へと抜け出し、そのまま行方をくらます。
そうすれば簡単には捕らえられないだろうし、その間に何かしらの連絡が取れるはずだ。
アテナ達に何も無い事を前提に考えればの話だが。
(いや、ネガティブに考えるのはよそう)
また悪い癖が出てしまっていると反省する龍樹。
仮にも向こうには想像を絶するような状況を何度も潜り抜けてきた女がいるのだ。
もう一人の少年だって裏世界の住人という話は彼も聞かされている。
しぐさや言動を見たところとてもそういう風に龍樹は思えなかったが、あのアテナが協力してもらうというのだから相応の力は備わっているのだろうと分析する。
とまあ、彼自身他人の心配をしている場合ではない。
こういった局面は初めての龍樹。
ぶっつけ本番どころか、誰かに手解きを受けた事すらない。
唯一の拠り所は似たような境遇を最近経験している事だ。
こんな事なら他人任せではなくもっとちゃんと吸収しておけば良かったとほんの少しばかり後悔する。
(えーと確か昨日の夜アテナが先にやっていた事は……)
彼女の一連の動きをどうにか思い出して、手探りでやっていくしかない。
幸いにも出来事からそこまで時間は空いていなかったし、極度の緊張感により当時は随分と神経が研ぎ澄まされていたという事もあり、記憶力の悪い龍樹でも鮮明に思い出す事が出来た。
アテナがまず最初にやっていた事。
それは敵の数や場所の確認だ。
どこに誰が何人いて、どうすればミレーナの場所までたどり着けるかの道筋を頭の中で組み立てる。
内容自体はそこまで難しいものではないので、龍樹にだってある程度の組み立ては出来た。
まず敷地内に止まっていた車は二台。どちらもセダンで、席が全て埋まったと考えれば十人近くは乗れる計算だ。
ただし、龍樹が建屋内を覗き込んだ時に見受けられた人数は三人。おまけにカッティスが一人で乗っていたのを目撃しているので、少なくとも四人は消える。
となれば最低で六人という計算になるが、あのセダンに屈強な男が五人も乗るとは直感的に有り得ないだろうと判断する。
あながち悪くない予想を立てた龍樹は今隠れている物陰から顔を出し、三つあるうち、一番右にある建屋を覗き見る。
ちなみにミレーナがいる建屋は一番左側に位置しており、今彼は敷地の片隅で自生している草木の中に忍んでいる。
そこから確認できた情報としては、右、真ん中の建屋とどちらもシャッターが開かれておらず、左の建屋のように車が駐められている様子もない。
何人いるのかは分からないが、どうやらここにいる人間は皆左の建屋に集中しているようだ。
いくら三つあるとはいえ本来の使われ方をされていないのだから、考えてもみれば当たり前な事なのかもしれなかったが。
いずれにせよ、
(あの二つの工場になら入れるってことか)
そう結論付けた龍樹。さらに言えば、左の建屋にさえ気を付ければ、敷地内を自由に動ける可能性が高いという見方が出来る。
もちろんそれなりに注意を払わなければならないが、外に見回りが回っていない現状、必要最低限気にしていればいいのかもしれない。
そして龍樹は、次にどうすべきかを考える。
というより思い起こす。
敵の数が知れていないのが不安だが、そこまで多くないだろうし、一か所に集まっているのであれば問題は無いだろうととりあえずは考えないようにする。
大体の居場所が分かった後に、アテナが取った行動。
それは別の場所で何かしらのアクションを起こし、敵の意識をそちらへ逸らす事。
単純にして効果覿面な常套手段。そして特にこれといった特殊な技術を要さないという、まさに今の龍樹にぴったりな作戦だった。
「よし……やるぞ」
決意を固める龍樹。
表情を引き締め、無意識に意味もなく拳を握りしめた。
ミレーナを連れ出すだけの簡単なお仕事じゃないかと楽観的にさえ考え始める。もしここで彼女を救えば今までのしくじりも許せるのではないかと半ば身勝手な見解に辿り着く。
醜くてもよかった。
憐れんでもらっても構わない。
とにかく今避けたいのは気持ちが折れるという事だ。
自分は出来ると己を鼓舞した龍樹は、いざ参らんと、力強く一歩を踏み出した。
――と意気込んだのはいいものの。
やはり気になってしまい、つい一左の建屋の中を覗き込んでしまう龍樹。
そして衝撃の事実を知る羽目になる。
建屋の中の様子を全体的に窺える窓にまで辿り着いた龍樹は、目の当たりにした現実に渋い表情をする。
埃かぶった窓越しに見えるバスケットコートの様なただっぴろい空間には、スーツ姿を来たいかつい人間が何人か立っていた。
その数、ざっと確認できただけで八。
ミレーナを見張っている人間も入れると更に増えるというのだから勘弁してほしい。
多くて六人ぐらいだと思っていた龍樹。
それがまさかの満員御礼。
あの二台の車以外にも、どこかに移動手段があったという事なのだろうか。
いや、今はそんな事はどうでもいいと、龍樹はその問題を一旦脇に置く。
こうなってくると事情が変わってくる。
他の二つの建屋に連中を誘き出そうと思ったのだが、単純な計算としてこれでは全員を誘き出すのは不可能に近い。
(マジかよ……)
ショックを隠し切れず、その場にしゃがみ込んでしまう龍樹。予想を上回る分の悪さに、強張った頬の筋肉を揉みほぐす動作を取ってしまう。
かといってへこたれていても仕方がない。
数が多いからと言って諦めようとは思わないし、頭の中では次の作戦をすでに練ろうとしている。
しかしながら、そうそう簡単に思いつくはずもない。
アテナ辺りならこの場合次々出てくるのだろうが、愚鈍云々、日常を生きる普通の人間が戦略じみた考えをすぐに導き出せる訳がないと悩む龍樹。
普段使われない脳みそはショート寸前で、冗談でも何でもなく熱がでそうだった。
あれこれと案は浮かべど、どれも実用性に欠け、失敗が許されない今回に置いてはあまりにも博打性が高すぎて実行に移す訳にはいかない。
それでもミレーナを助けたいという衝動に追い詰められ、ついには頭を抱え小さく唸りだした少年。
健闘むなしく、時間だけが過ぎていく。




