木の上からの景色
「客?」
豪邸でくつろぐカッサローニに、部下である男はそう伝えた。
部下はそうですと答えてから、
「タバッキーのガキがいつものようにシガーを配達しにきたんですが、会わせたい男がいるそうで」
昼間だというのに赤ワインを煽るカッサローニ。高血圧で医者にも止められているのだが、この男がそれに従うはずもない。
それに昔から上戸なカッサローニ。
アルコールで勘が鈍ることもそうそうない。
知り合いの知り合いとはいえ、謎の客人に警戒心を募らせる。
あれこれと記憶を辿りあらゆる可能性を視野にいれるが、はっきり言って心当たりがあり過ぎて無駄なことは立証済みだ。
致し方なくとりあえず話の続きを聞いてみる。
カッサローニはグラスを傾けながら、
「要件は何だ?」
「はい。何でやらその男それなりの商人のようで、質の良いシガーをぜひ紹介したいとの事ですが」
「何? 本当か」
一気にテンションが上がるカッサローニ。酒と煙草と女は男を破滅させるとはイタリアの諺だが、それは残虐な彼のような男でも当て嵌まるようだ。
もちろん、警戒心を丸っきり解いた訳ではあるまいが。
その証拠にカッサローニは部下にこう命じる。
「入念にボディーチェックをしろ。後そいつが本当に商人かどうかの証拠も提示させろ。それが確認できたらここに通せ」
ボスである彼の言葉に、分かりましたと返事をする部下である男。
身を翻すと、玄関口で待機している二人の元へと向かう。
「……来たわ」
カッサローニ邸から少し離れた場所にある木の上からその様子を観察するアテナは、そう呟いた。
覗き込む双眼鏡が映し出すのは門前で佇むダニエル達。彼らは家の中から現れた男に門ボディチェックを受けている様子だった。
どうやら審査は通ったようで。
しばらくするとダニエルとロニーは、家の中へと通されていく。
それを確認するとアテナは双眼鏡から眼を離した。
「とりあえず第一関門は突破だな」
アテナの傍らに鉤爪を付けるパートリッジが言った。
彼としては本来なら主人であるアテナの頭上に乗りたいところだったが、離れているとはいえ妙な感覚は与えてはいけないと今は控えている。
アテナは双眼鏡を隣に座る少年に渡す。
受け取りはしたものの、少年は全くもって関心を示さない様子でいつの日か負傷した右腕を気にしていた。
「良かったね、うまくいって」
適当な調子でそう言うアラン。
「でも大丈夫なの? あの人何か頼りなさそうだったけど」
その疑問にアテナは誰もいなくなった門前を眺めながら、
「普通に振る舞っている分に関しては問題ないはず。ボディーチェックをするくらい警戒はしているみたいだけど、中に招き入れたという事は少なくとも嘘だとは感じていないでしょうから」
「あえて招き入れたのかもしれないよ」
「ええ。だから普通に振る舞っている分には問題が無いの。いくら警戒心が強い男とはいえ、怪しいというのが理由だけで人を殺すだなんて、そんな野蛮な事はしないでしょうから」
「ふーん。そんなものなんだね」
「おまけにこれで可能性が高くなったわ」
まるで図ったかのような子供の反応を見せるアランの耳に、アテナの言葉が入ってくる。意識を右腕からそちらに移すと、女の口からはこんな発言が飛び出す。
「ミレーナはやはりあの家にはいない」
「……どうして?」
素朴な疑問を提示するアラン。
この辺りはやはり子供だった。なぜそんな結論に結び付いたのかおよそ見当の付かない様子の彼に対し、アテナは答える。
「家に見られたくないものがある時は誰も招き入れないものよ。あれだけ警戒心の強い男ならなおさら。それに約束の時間まで五時間近く間隔を開けた。周囲の目を避ける為なのはもちろんなのでしょうけど、色々と夜の準備に取り掛かる為の意味合いも含まれているはず。にもかかわらず呑気に買い物をしようだなんて、恐らく指定してきた場所にすら奴は来ないつもりでしょうね」
確かに、買い物なら日にちをずらしても出来るだろうし、シガーがよほど好きと言えばそれまでかもしれないが、ミゲルから聞いたカッサローニの逸話を考えればその線は薄いだろう。
超が付くほど警戒心が強い男。
わざわざ自分の身を危険に晒す環境下で人を招き入れるような真似はしないだろう、という訳だ。
「大したものだね」
手にした双眼鏡を覗き込みながら、感心した様子のアラン。別段裏家業どうこうではなく、少し考えれば辿り着く見解であるのだが、それはまだ純粋な心が少なからず残っているアランにはとても新鮮に感じられた。
勉強になるなあと、素直に感心する。
「それはそうと、よく協力してくれる気になったわね」
今度はアテナが疑問を提示する番だった。それはミレーナ救出作戦に利益が無いにも拘わらず力を添えてくれた動機は何なのかという質問。
アランが受けた命はもっと他にあったはずだ。
ようするに、目的であるミゲルは今ミシェルの家に身を隠していて、誰の庇護も受けない絶好のチャンスの状況で、なぜここにいるのかが不思議なのだろう。
アテナ自身その辺りのリスクは覚悟していただろうし、本来なら仲間に連絡を取って協力を仰ぎたいはずだ。
しかし利益重視で動く団内の人間を呼べば確実にミレーナを後回しにされる。
前提として、そうでなければならない。
きっと彼女の頭の中にはそういった下心があるのだろう。
だからアランが力を貸してくれると言った時、彼女は驚いたように目を瞬かせたのだった。
「もしかして今頃ミゲルの元へ他の仲間が向かっているとか?」
「しないよそんな事」
疑うのはお互いさまと言ったところか。
勘ぐるような視線を当ててくるアテナを、少年はあざ笑うかのように対処する。双眼鏡を覗き込んだままその疑い深さに不憫そうな顔をして、
「僕がそんな事をする子供に見える? お姉ちゃん美人だからさ。何だか助けたくなっちゃったんだ」
「……」
気障な事を言い出す子供に、本当かよと言いたげな視線を当てるアテナ。
いくら幼いとはいえ、アランもれっきとした裏世界の住人。
十歳と言えばそれなりに物事の裁量が分かる年ごろでもあるし、悪知恵が働く時でもある。
いずれにせよ普通の子供として扱うのはお門違いなのは間違いないだろう。
視線に気づいたのか。
アランはそこだけ意味ありげに笑いながら、
「まあ全く腹積もりが無いって言えば嘘になるけどね。借りは作っておいた方がいいじゃない。ましてや職業柄同じ畑っぽいしさ。今後何かあった時の為、ってやつだよ」
どこまでが本当で、どこまでか嘘なのか。
真意は分からないが、何にせよ今は助かる。
彼女の性格上どこまで無茶をさせる気なのかは分からないが、契約者であるアランの力は十分な戦力になりうる。
今後の予定はこうだ。
まずダニエル達がカッサローニの所まで辿り着きそれなりに偽の商談を続けた辺りで、アテナ達が敷地内に侵入する。本来なら気づかれずに侵入するのがベストなのだが、カッサローニの性格上セキュリティが甘いなんてことはあり得ないだろう。
だからそこを逆手に取り、あえて侵入したという事を示す事で他の連中を引き付ける。
そしてその数を減らしたところでダニエル達がうまく逃げ出せば、後は懐にまで飛び込んだカッサローニの元へと向かう。
そうして奴を人質に取れれば、絶対的不利な今の状況に一筋の光が差し込む。
とはいえ、相手の懐にわざわざ飛び込むという行為はリスクが高い事には変わりない。
むしろそこまでして初めて可能性が見いだせる時点で、今回の作戦がいかに望み薄かが窺える。
一度失敗したからには相手も万全の対策を打ってくるはず。戦力が足りればそれなりに手段はあったのかもしれないが、少なくともマフィアと真っ向から交戦するのは流石の裏世界の住人と言えど自殺行為というものだ。
それに全く算段が無い訳ではない。
「カッサローニは自分の身が一番可愛いと考えている。となれば、あの男を本気で追い詰めればミレーナを解放するかもしれない」
警戒心が強いというのはそれだけ臆病者だという事。自分の身に危機が及んだ状況で信念を貫くという殊勝な心がけを、あの男が持っているとは到底思えないと、そういう事なのだろう。
「言い分は分かるよ」
太い枝に座りながら足をぶらぶらさせ、とりあえずは納得した様子のアラン。
「でも、そんなにうまくいくかな?」
率直な疑問。それはきっとアテナ自身も思っていることだろう。だからこそこう言ったはず。
「いかないでしょうね」
正面を見据えたまま、何なら自信ありげに、そんな弱音にも似たセリフを吐くアテナ。
いや彼女の場合はただ実直に状況を述べているだけであり、そこには一切の感情移入はないだろう。
傍にいる少年は思わず双眼鏡から目を離した。
また意外な答えを口走ったアテナの横顔を見て、その美しい碧眼には何が見えているのだろうかと子供心をざわつかせる。
門前の方を見ているアテナ。先程双眼鏡を使っていたという点から推測するに、それは現場を確認している訳ではなく、きっと彼女なりにあれこれ思考を巡らせている最中なのだろう。
「まあ、僕は構わないけどね」
手にした双眼鏡を首からぶら下げ、今にも欠伸をしそうな緩い雰囲気を醸し出すアラン。
何が構わないんだと言いたげなアテナの視線に対し、
「僕は言われた事を実行するだけだよ。会って間もないけど、何か安心感があるからさ、お姉ちゃん」
図ったような無邪気な笑みをアテナに向けるアラン。
借りを作るのが嫌いなアテナの事。しかもこんな幼い子供に満面の笑みで言われた日には、彼女でなくとも後ろめたさは感じるだろう。
裏があると勘ぐっているのか、ただ単に負い目を感じているのか。
無表情ながらもアランを横目で見るアテナ。
無言を貫き再び双眼鏡を覗き込み始めた少年はそんな視線に気づいていない。
しばらくすると、こちらも前を向きなおしたアテナ。門前にはすでに人の姿は見えず、外側から得られる情報はここいらが限界だろう。
前方を見据える碧眼。
その心は何を思う。




