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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアの闇達
152/261

奪還への幕開け

 過ぎ去っていく街並み。

 最早見慣れたイタリアの街がサイドガラス越しに見え、年端のいかない少女が命の危機に晒されているというのに世間は相変わらず平和だ。

 物憂げな表情で車から外の景色を眺めている龍樹。

 青い外装の乗用車に乗っているのは運転手を除けば彼一人。

 向かう先は空港。

 日本に帰国する為ミレーナの件で打ち合わせを済ませたアテナ達に別れを告げた龍樹は、その際道に迷わないようにとタクシーを呼んでもらった。

 足手まといになった手前当然のように断ろうとしたが実のところあまり道を覚えていないし、何よりもミシェルの押し通すような掛け合いに負けてしまった。

 自分の娘が攫われているのに気丈なものだと思うと同時に、これ以上迷惑を掛けてほしくないと思ったのではないかと、今の龍樹はネガティブなことを考えてしまう。

 こんな時に何だがと持たされたおみやげ片手にタクシーに乗る様はまるで近所に出かける軽装スタイルであり、とても一万キロ近く離れた島国へ帰る恰好とは思えない。 

 下手をすれば入国審査で引っかかるんじゃないかとここに来て心配になる龍樹だったが、まあ、悪い事をしている訳ではないしどうにかなるだろうと持ち前の短絡思考で楽観視する。

 あれこれ考えているうちに空港までの道のりは中ほどまで来ていたようで。

 それを示すように、先程から何度か空を飛行機が轟音をまき散らしながら降下していくのが確認できている。

 きっとあそこが空港なのだろう。

 となると、到着するのは後十分ほどであると推測できる。

 この辺りになると、帰る前に何かやり残した事がないかを考え始めてしまう。

 イタリアに来た一番の目的である悪魔祓いは完全に執り行えた。

 望み薄とはいえ荷物はともかく、盗まれた財布はもう返ってこない事が確定した。

 日本へ帰るために必要なパスポートや金銭は家を出る前に確認した。

 お世話になったミシェル達には、ちゃんとお礼を言った。

(……いやいや)

 全然出来てないじゃないかと、人知れず龍樹は首を振る。

 思い返してみると、やり残したというより、諦めたというべきものが大半を占めているような気がした。

 そう感じると龍樹は余計に自分が嫌になった。

 身体も重くなったようで、気分も落ち込んでいる。

 今回ばかりは流石の短絡的思考でも処理できない問題だ。

 これはさっきも思った事だし、だからこそ今彼はこうして日本に帰る決断をしており、この期に及んでもまだそんな事を考える時点で怒りと同時に虚しさが腹の底から湧き上がってきていた。

 再三言うようだが、結局一介の少年にはどうすることも出来ない事なのだ。

 一時期はこんな自分にも出来ることはあるはずだと熱を帯びていた場面もあった。加勢は出来なくても邪魔にはならないだろうと、そう思い上がっていた。

 蓋を開けてみれば託されたミレーナから目を離し、結果奪われてしまう始末。

 天国から地獄に突き落とすという、最悪の形で。

(……もうやめよう)

 相変わらずの物憂げな表情で、そう自分に言い聞かす龍樹。

 ポジティブな事を考えられないのはもちろんだが、あまりネガティブになりすぎるのも良くはないと判断した。

 それは世間的にどうこうという意味ではなく、処世術として、現実的な解釈として、少なくともイタリアという国から飛び立つまではミレーナの件を深く考えないのが得策だろう。

 飛行機に乗り込んでしまえば、引き返す道を無くしてしまえば、例えどんな感情を抱こうとそれは後悔に代わるだけ。 

 自分に出来ることがあるはずだとか、そんな馬鹿げた事を思ってしまったところでどうこう出来ない状況を作ってしまえば、結果的にそれがミレーナ救出作戦の一番の手助けになるのかもしれない。

 逃げる事が得策だなんておかしな話だが、致し方あるまいと龍樹は鼻で笑う。

 何せ自分は無力なのだからと、現実から目を逸らす様に一度だけ目を瞑る。

「……そろそろかな」

 ぼんやりと外を眺めながら、ぽつりと呟く龍樹。

 距離はまだあるが、前方を見ればそれらしき建物が確認できる。

 もうすぐイタリアともお別れだ。

 アテナには世話になった。

 アルファーノ家の人々も良くしてくれたし、悪魔祓いを執り行ってくれた神父には感謝してもしきれない。 

 もう会う事はないのかもしれないがイタリアで会った様々な人物はきっと生涯忘れる事の出来ない存在になっただろう。

 色々あったが、楽しいこともあったイタリア滞在。

 最後がこんな形で幕を終えなければそれなりに有意義な旅になったのかもしれないが、それも世知辛い現実というものなのかもしれない。

 ミシェルはどうなったのか後日連絡をしてくれるという。

 あのアテナがいるから大丈夫だとは思うが、相手が相手なだけに、正直成功率は全く見当が付かない。

 そこで願う。

 結局のところ力のない者がこの場で出来る事は限られてくる訳で、それぐらいなら邪魔にならないだろうと皮肉な事を考えた結果として、合掌する龍樹。

 普段はあまりこういう事はしないのだが、親が聖職者であるがゆえに全く信仰していない訳ではない。

 むしろその辺りの信仰具合は宗教離れした現代日本の中では強い部類に入る訳で、今までしてこなかったのはどちらかというと恥ずかしさから来るものだ。

 しかしここは異国の地。

 例えどんな恥ずかしい事をやらかそうと、それが日本に広まるほど彼は有名な男ではない。

 そう言った事情も相まり、龍樹は恥じらう事無く合掌した。

 どうか皆が無事に日常へ戻れますようにと心の底からどこにいるのかも分からない神様に懇願し、罪滅ぼしをする。

 無力で無知な人間が出来ることは、それくらいしかないのだ。 

(……さて)

 合掌を解き、再び外を眺める龍樹。

 今は信号待ちをしているようで車は動いていなかった。

 場所によるようだがイタリアの道路は車線が無い場所が多く、その精か道が広く感じられる。

 今が丁度昼時だからか車の交通量も少なく、お陰で移動がスムーズだ。

 そろそろ降りる準備をしておいた方が良さそうだと、龍樹は傍らに置いてあった上着に手を伸ばし始める。

 その時、信号待ちをしている彼らの隣に一台の車が滑り込むような形で止まった。

 黒い高級車のそれは龍樹達と同じく信号待ちをしており、運転席に座る男はいかにもその筋の人間だと言わんばかりの強面でハンドルを握りこの隙にと煙草に火をつけ始めている。

「おー怖いねえ。マフィアさんのお出ましか」

 運転手がイタリア語で何かを言った。

 当然の事ながら龍樹は内容が分からず、特に反応を見せなかった。

 が、車を運転する男の顔をよく見た瞬間、身体全体に戦慄が奔った。

 思わず二度見する龍樹。

 見覚えのある顔だった。

 頬の擦り傷が何とも痛々しいそれは、昨日の夜に見たマフィアの男。

 後部座席には三人の人間が乗っていた。

 龍樹から見て一番手前になる右側にはサングラスを掛けたスキンヘッドの男が。一番奥の左側にはこれと言った特徴が見つからないが風格漂う恰好をした若い男が坐っていた。

 龍樹が目を見張ったのは、そんな二人の真ん中にいる少女だった。

 間違いなくそれはミレーナだった。

 一度は助かったと思いぬか喜びさせられ、再び誘拐されてしまった哀れな少女。

 ミレーナは疲れ切った顔で俯き、龍樹に気づかない。

 薄汚れた服は最後に彼女に会った時のままであり、それだけでどんな扱いを受けているのかが計り知れる。

 叫びそうになるのを我慢したというより、驚いて声が出なかった。

 反射的に息を止めるという無意味な行動をとってしまう龍樹。

 どうすればいいのかが分からず、しばらくの間口を開けっ放しにしてしまう。

 そうこうしているうちに、信号が青に変わった。

 隣の車はもちろんの事、周りの車達も進み始め、それと同時に龍樹の思考も再び稼働し始める。

 車のスピードは向こうの方が若干早い。

 進む方角は今のところ同じだが、目的地は同じではないだろう。

「あの車を追って!」

 反射的に飛び出た日本語。

 運転手は突如血相を変え背後から声を張り上げてきた客に驚きながら、

「何なんだよ一体?」

 と少し怒り気味に言葉を返す。

 そういえば日本語は通じないんだったと冷静になる龍樹。

 だが最早一刻の猶予も許さない。

 どうにかしてこの要望を伝えなければと、龍樹は無い頭をフル稼働させる。

 前方を走るミレーナを乗せた車を指さし、

「エアポートノーノー。フロントカーゴーゴー」

 相変わらずひどいものだというのは、本人も理解している。

 しかしこれしか方法が無かった。十八番である拙すぎる英語に身振り手振りを交え、必死に伝えようとする龍樹。

 その甲斐あってか、初めは何を言っているのかさっぱりと言った感じの運転手だったが、やがて彼が何を言おうとしているのかを理解したようだ。

 前の車に指をさし、

「あの車を追えって言ってるんだな」

 理解できた事に満面の笑みを交え、龍樹に確認する。

「イエス」

 やっと伝わった、ととりあえず安堵する龍樹。

 しかし問題はここからだった。

 確かに龍樹の言いたい事は伝わった。

 流石にあの車に誘拐された知り合いが乗っているところまでは見抜けなかっただろうが、追いかけてほしいという要望は運転手も理解できたはずだ。

 だからと言って、物事が円滑に進むとは限らない。

「それは無理だ」

 龍樹にも伝わるようにか、ノーというポピュラーな英語で運転手はそう言った。

 その意味を即座に理解した龍樹は焦りを隠さない調子で抗議する。

「な、何でだよ。あんたはタクシー運転手だろ。客の行きたい所に連れて行ってくれよ」

 ほんの少しばかり理不尽な事を言ってしまうのは仕方がない。

 動揺しながら必死に訴え掛ける龍樹。

 ここで自分が見失えばもうミレーナは救えなくなってしまうと、この時なぜか龍樹はそう感じていた。

 余計なことをしないとさっき誓ったばかりなのに。

 己の無力さを悟ったばかりなのに。

 その後もしつこく食い下がる龍樹。

「……あのよお」

 変な客を乗せちまった。

 表情でそれを表す運転手は、とりあえず当初の目的地である空港を目指しながら、

「何言ってるのか分からないが、厄介ごとはごめんだね。この国じゃマフィアに逆らっちゃ生きていけないんだよ。どうしても追いかけたきゃここで降りるんだな」

 ハンドルを握る手の片方を上げ、そういうこったと動きで伝える運転手。

 どうにかしてその考えを改めさせる方法はないだろうかと頭を巡らせる龍樹。

 だがすぐには思いつかなかった。

 言葉も伝わらず、運転手は心変わりする気など毛頭ない様子。

 あれこれ考えているうちに、前を走るミレーナを乗せた車が右折のウィンカーを点滅させた。

 一方で龍樹が乗る車の正規ルートは直進。

 このままでは確実に見失ってしまう。

 いよいよ決断を迫られてきた。

 動揺を隠せない龍樹。

 目の焦点が泳ぎつつ意識は前方の車に固定され、絶対に逃がしたくないという強い気持ちが身体を前のめりにさせる。

 この時、彼の頭はある方法を導き出した。

 言葉が通じない相手の心が変わるかもしれないという、その方法を。 

 とはいえそれは良策とは言えない。 

 他にこれといった方法が思い浮かばない際に取られる苦肉の策。

 出来る事なら取りたくはない、リスクの高い大博打。

「あーあ。曲がっちまったな」

 全く持って残念そうでない運転手。

 前方を走っていた車は丁度右折をし始め、姿が見えなくなっていく。

 とそこで、後部座席から腕が伸びてきた。

 運転手は当然何事かと視線をそちらへと向ける。

 あえて目の前に突き付けられるように位置取る拳には、何かが握られていた。

 手にされたそれが何なのか、運転手はすぐに理解する。

 龍樹が差し出したもの。

 それは彼が持ち得るありったけの紙幣であり、金額にしてイタリアから日本へ帰れるほどの大金だ。

「これで頼む」

 言葉は伝わらない。しかし龍樹が取った行動が意味するものは、運転手にも分かっているはず。

 目の前に現れた札束に迷っている様子の運転手。

 そんな彼に札束を差し出す以外に龍樹が出来ることは、精々気持ちで押し込むぐらいなものだ。

 言葉が分かろうが分からまいが関係ない。真剣そのものの顔をする龍樹は、いまだに葛藤を繰り広げている運転手にこう伝える。

「やっぱり逃げるのは嫌なんだ。出来るか出来ないか分からないけど、もう後悔だけはしたくない」




 一方、龍樹が大きな決断を下したその頃。

 所変わってカッサローニの豪邸でも、展開は動き始めていた。

 カッサローニの住む豪邸のベルが鳴らされると、中から現れたスーツ姿の男がその対応を請け負う。

「いつもご苦労だな。ほら、料金だ」

 手にした札を来訪者である子供に支払い、見返りとして注文しておいたシガーを受け取る。

 子供は受け取った金額が正しいかを数え終えると満面の商業スマイルで、

「いえいえ。こちらこそありがとうございます」

 先程の労いの言葉にそう返した。

 シガーを渡し、料金を受け取る。

 いつもならここで終わりなのだが、ここでスーツ姿の男はいつも配達をしに来る少年の隣に立っている見慣れない男に目をやる。

 眼鏡を掛けたその男はとても人が良さそうな笑みを浮かべながら先程からずっと佇んでいる。

 気味の悪い男だが付き添いか何かだろうかと、スーツ姿の男は適当に考える。

 しかし特に言及する気もないらしく、それじゃあまたなと小さな配達員に別れを告げようとする。

「あ、待って!」

 すかさず呼び止めた少年。

 スーツ姿の男は中に戻ろうとした足を止めると、再び少年の方へと向き直る。

「何だ? まだ用があるのか」

 スーツ姿の男の疑問に、少年はどこか焦ったように早口で言う。

「この人とカッサローニさんを会わせてあげたいんだ」

 少年のその言葉を受けると、隣にいたにこやかな男は軽く会釈をした。

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