帰ってきた女
次の日の朝。
朝食はトーストだった。
「はい、どうぞ」
皿に乗る焼きたてのトーストを、ミシェルは龍樹へと差し出した。
こんがり焼かれた生地にはガーリックが塗られていて食欲が刺激された。目前に置かれたそれをぼんやりと龍樹は眺めてみる。
そしてこれを食べる資格が自分にはあるのだろうかと熟考する。
昨日の夜、鉄工場からアルファーノ家に戻ってきた龍樹。
近くのタクシー乗り場から、アテナの言った通りの手順でタクシーを選び、携帯で場所を見せながらどうにか辿り着いた。
途中わざと遠回りをしているような、支払いでほんの少しボラれていたような気がしないでもなかったが、まあそこは許容の範囲内だろう。
当時はそんな事よりもミレーナの件をどう説明すればいいのかで頭がいっぱいでもあった。
口下手云々、龍樹はイタリア語を喋れないのだから。
「どうしたんだい。おなか減っているんだろ。食べなよ」
優しい笑顔で語り掛けるミシェル。
昨日もそうだった。
突然家に一人で帰ってきて肩を落としている龍樹を見ると、ミシェルは何かを察したのかとりあえず家の中へと招きいれてくれた。
それから他にいたダニエル達にも何かを伝えると、皆が皆ミシェル同様優しく接してくれた。
本当は一緒に帰ってくるはずだった自分の娘がどうなったのかも知らされていないにも拘らずそれだけの振る舞いを出来る。
流石に和気藹々(わきあいあい)とはしていなかったが、何というのだろう、大人の優しさのようなものを、龍樹は感じていた。
パンを一口かじると、ふいに隣を見る龍樹。
ポンチョを着ている子供が気兼ねなくパンを頬ばっている。ミレーナを知らない彼に取ってはいまいちピンと来ない今回の件だが、それにしたって気楽なもんだと思わなくも無い。
だが少年のその姿を見て、龍樹は別の捉え方をしていた。
この家には現在彼ら以外にも人がいる。
昨日ミゲルを抹殺しに来て、返り討ちにあった二人組み。
食事をしているダイニングルームに繋がるリビングで彼らは後ろ手で手錠を繋がれ、座り込んでいる。
二人を拘束する際にも、きっとこの少年は一役買ったのだろうと龍樹は思っていた。
だからこうして堂々といられるのだろうし、そして事それについて誰も何も言わないのだろうと。
実際少年の貢献度は甚大であり、彼がいなければ拘束がうまくいったかも定かではない。
それに比べ龍樹はというと、目立った活躍はおろか、起こる出来事にいちいち反応し、あげくにはせっかく取り戻したミレーナも奪われてしまう失態。
足手まといここに極まるといった感じで、あまつさえこうして食事を出してもらいにこやかに語りかけられるのも、出来損ないの自分に気を使っているのだろうと感じる龍樹。
ここでこれを食べなければそれとなく罪滅ぼしになるような気もしたが、昨日の夜から何も食べていない腹はこんな時にも正直で、気づけば出されたパンを口に運んでいた龍樹。
食べる度に己の無力さを噛み締めているような感覚に陥っていき、もう冗談でもなんでもなく自分が嫌になる。
と、
まるで日常にぽっかりと穴が開いたような雰囲気の場に、ガチャ、という音が響いた。
音は玄関から聞こえて来た。
その音にいち早く反応したのはミシェルだった。
今しがた龍樹に気を使っていた彼女は、彼そっちのけでリビングのドアへ目をやり、祈るような気持ちで発せられる足音に耳を済ませる。
そして開かれる、ダイニングテーブルの扉。
そこから現れたのは――アテナだった。
昨日鉄工場に置いていき危険な連中と恐らくはたった一人で交戦したであろう女が、いつものように無表情で、皆が集まる部屋へと入ってきた。
全力で逃げなさいとは彼女自身が言った言葉だが、とはいえ先に帰った手前、本音を言うとあまり顔を合わせたくない龍樹。
だが無事でよかったと、内心で喜び、胸を撫で下ろす。
「どうなったんだ、アテナ!」
血相を変え、ミシェルは彼女へと走り寄る。
やはりここまで感情を押さえ込んでいたようで、その迫りようときたらパパラッチが出待ちをしていた大物に出くわしたかのような反応だ。
「ミレーナは、ミレーナは生きているのか」
「カッティスの奴は仕留めたのか」
ミシェルほどではないが、ダニエルとミゲルもアテナへと詰め寄る。
切迫した様子で、皆が皆一斉に自分の意見を述べるものだから、アテナは戸惑っているのか眼だけでそれぞれの顔を見ている。
そして一言。
「順を追って説明するわ。私自身、色々と落ち着いて整理したい部分もあるから」
疲れ切ったように放たれたその言葉に、一同はとりあえず席へと着席する。




