最悪の展開
所変わって、再び工場内。
近場にあった縄を龍樹に取ってもらい、押さえ込んだカッティスを縛ったアテナ。
その女はある程度の事は何でも出来るらしく、縄の縛り方一つとっても手際がよく、見ただけで簡単に解けないというのが分かり、またしても感心するような眼でその手際を眺める龍樹。
たかだが紐の縛り方といえばそれまでだろうが、彼の年になると視野が広がっていく傾向がある。
身近にあるお手本として、アテナへのリスペクトが止まらない龍樹であった。
ぎゅう、と最後に結び目を絞り込み、気絶から目覚めるも完全に戦意を喪失した様子のエドモンドとカッティスの拘束を終えたアテナ。
その時丁度龍樹のズボンにある携帯のバイブレーションが震えた。
それはカッティス達のものではない、彼自身の携帯だ。
「あ、ダニエルさんからメールだ」
状況が状況だけに急いで開く龍樹。
正確にはSMSになるそのメールは予め設定しておいたものだ。
ブラウザを開き海外のメールアドレスに互換する方法を見た時は多少苦労したが、どうにか送受信できるようにはこじつけた。
もちろん原文ママなので、読めはしないが。
ダニエル達からメールが来たという事は結果が良好と考えるのが妥当だが、内容を知りえないうちは何とも言えない。
龍樹が無言で携帯の画面をアテナに差出すと、彼女も無言でそれを受け取る。
そして内容を読んだであろうタイミングで、
「向こうもうまくやったみたいよ」
と言った。
「ほんとか?」
つい、声が上ずってしまう龍樹。
アテナはまだ携帯の内容を読んでいるらしく、たどたどしい手つきながらもどうにか画面をスクロールしていく。
腰を低くして人差し指を上下するだけという様は、それこそお年寄りにも笑われそうなほど無様だ。
とても今しがたマフィアを鎮圧した女とは思えない。
「で、こいつらどうするんだよ」
日本語が通じないのを良いことにこいつら呼ばわりする龍樹。
マフィア達はすっかり意気消沈しており、まるで判決を待つ被告人のようだ。
形式的に大きくは違わないだろうが。
龍樹の質問に対し、アテナは決まっているじゃないかと言いたげに、
「警察に連絡を取れば、後は彼らがどうにかしてくれるでしょう。そこは表の世界の話だから、関与する気はないわ」
「え? そうなのか。でもいいのかよ。そうなればこいつらミゲルさんの事も喋るだろうぜ。となってくると、お前が聞き出したかった情報ってのが聞けなくなるんじゃないのか」
「なぜそういう発想になるのかが分からないけど……もちろんミゲルから必要な情報は聞くつもりだし、彼の要望どおりスイスまでは護送するつもりよ。その後の事はどうなろうと知った事ではないけど」
今の話を聞き、ふーん、と曖昧な反応を取る龍樹。
ようするに自分達に利益のある事しかせず、恩や人情などといった感情は一切用いる事は無く、あくまでも損得で物事を決めていくと、そういう事なのだろう。
何だかすれた人間の極限を見ているような気分になる龍樹。
表の世界との距離感とやらも、いまいち線引きが難しい。
と、顔を顰める龍樹に、アテナが言う。
「さあ、もう連中は縛ってあるし、銃だって取り上げている。段々と冷え込んできた事だし、そろそろミレーナを呼んでも大丈夫よ」
「……そうだな」
カッティス達からミレーナを奪還して早十分。
龍樹自身忘れていた訳ではなく、最初からアテナのGOサインを待っていた。
ミレーナはまだ子供だ。
本来ならこんな場面に遭遇させてはいけないほど繊細な時期であり、何がトラウマになってしまうかも分からない。
だから本当に、万が一にも安全な状況になってから連れてこようと決めていた。
この工場内には二人しかいないのは確認済み。
こうして堂々と場内の真ん中で彼らが悠長に話し込んでいられるのも、そのお陰だろう。
という訳で、入り口付近にある機材の裏に隠れているミレーナを、龍樹は呼びに行こうとした訳なのだが、
「ん?」
一歩、二歩とミレーナの元へと進んでいた龍樹の足が、そこで止まる。
原因は彼の前方にあった。
直接明かりが灯っていない薄暗い入り口付近は彼達がいる場所からも窺え、だからこそ隠れていろと伝えたのだ。
にも拘らず、ミレーナが姿を現していた。
今龍樹の居る場所からでははっきりとは窺えないが、不安げな表情を顔に湛え立っている。
危ないと言っているのに勝手に出てきたミレーナに対し本当は怒らなければならないのかもしれないが、もちろん龍樹がそんな厳格な性格である訳も無く、迎えに行こうとしていたから丁度良いや、と手招きで少女を呼ぶ。
「駄目じゃないかミレーナちゃん、勝手に出てきちゃ」
しかし、龍樹の問い掛けにミレーナは応じなかった。聞こえていないのかなと龍樹も声を更に大きくするが、少女は一向に動こうとはしない。
いや、動こうとする意思はあるのかもしれない。
ただ、まるで物事に対して踏ん切りが付かないかのように二の足を踏み、明確な一歩を踏み出そうとはしない。
これを不審に思ったのがアテナだ。
呼んでいるのに来ないという違和感か、二の足を踏んでいる様子の姿にか、はたまたそのどちらにもか、目を細め状況を分析しているようだった。
「おかしいな……聞こえてないのかな」
一方でそんな風に物事を片付けようとする龍樹。ミレーナに何かがあったとは微塵も思わない彼は、無造作に少女へと近づこうとする。
するとどうだろう。
それを見たミレーナは意を決したように眼を見開き、内に秘めていたその思いを言い放つ。
「来ちゃ駄目!!」
それだけで全てを察したのか、アテナは動いた。
イタリア語で放たれたそれに「え?」と間抜けな声を出す龍樹の背後にまで至ると、彼の襟首を掴み後方へと引き擦り込む。
理由は前方にあった。
ミレーナが叫んだ途端、彼女と入れ替わりに登場した謎の男。
スーツ姿のその男は急いたように手にしていた銃を発砲し、放たれた弾丸が先程まで龍樹がいた地面へと着弾する。
その流れは一発では留まらず、新たに現れた男達が続けざまに発砲を繰り広げた。
銃先にいる仲間など全く考慮しない掃射はカッティスやエドモンドにも注がれ、その度にうめき声のようなものが上がり、ターゲットが隠れた機材に当たった銃弾は場内に冷たい音響を奏でていく。
「迂闊だったわね」
自分を責めるようにそう呟いたアテナ。
襟を引っ張られたが為に咳き込み、突然の状況に訳が分からない龍樹と違って、彼女には連中が何者なのか理解できているようだ。
「な、何なんだよあいつら」
今だ息苦しさを感じながらも質問する龍樹に、跳弾の音に耳を澄ませている様子のアテナは、
「恐らくカッサロー二よ」
と言った。
カッサローニ? と龍樹が疑問に思うのも無理はない。
何せカッサローニがミゲルの件を知らないという前提でカッティス達は此処を選んだのだろうし、当然そうなってくればその男がここに来たというのは辻褄が合わない。
もしかしてアテナの見当違いではないだろうかと思わず疑う龍樹。
だがすぐさまそれが安直な考えだというのが証明される。
いつの間にか鳴り止んだ銃弾。
機材に隠れ身をかがめている龍樹達からはその向こう側の景色は窺えないので止んだ理由はすぐには分からなかったが、
「そこにいるんだろ!」
酒とタバコで声帯を磨り減らしたようなしゃがれ声が、二人へと問い掛ける。
思わず目を合わせる龍樹とアテナ。
流石のアテナも、この時ばかりは緊張しているように見え、それがより一層龍樹の心に負担をかける。
問い掛ける声は更に発言を続けた。
「大人しく出てくれば命だけは助けてやる! 出て来ないってんなら蜂の巣にして魚の餌にしてやる! ここにいる娘も含めてなあ」
その後も内容が聞き取れない程の大声量で怒鳴り続けるカッサローニ。
戸惑う龍樹に、応じては駄目と首を振るアテナ。
応じるも何も龍樹にはイタリア語のその内容が分からない訳だが、いずれにせよミレーナの身が心配だ。
あの距離では、ミレーナはカッサローニの手中にいるのは確実だ。
早く出て行かなければ彼女が殺されてしまうかもしれないと、龍樹は焦っているのだ。
それに関してはアテナも同感のようだ。
無表情ながらもその長い沈黙が全てを物語る。
それは今まで龍樹が見たことの無い、アテナの切羽詰った状況。
「お、おい大丈夫かよ。お前が黙り込むなんて絶対やばいじゃないか。そもそもあいつは何て言ってんだよ」
「……大人しく出てくれば命は助ける。出てこなければミレーナを含め私達を殺すといっているわ」
いつものように改変してではなく、正直に伝えたアテナ。
それだけ追い込まれているという事なのだろうか。
とにかく良策は浮かんでいない様子だ。
こうしている今も刻一刻と状況は動いてしまっている。
もちろん、悪い方向へと。
「もうこうなりゃいちかばちか出て行ったほうがいいんじゃねーのか」
いてもたってもいられず、そう提案してみる龍樹。
身勝手なのは彼自身承知だが、アテナがこんな状態では絶対に逃げられないと思った。
正確な数は分からないが、銃の発砲音から推測するに五人はいるだろうと龍樹は推測していた。
となれば、抵抗して死ぬよりも、いちかばちか相手の言う事を信じてみようと、一般的な龍樹の思考はそう判断したのだ。
それに対してのアテナの答えはこうだ。
「馬鹿言わないで」
端から俎上に上げるまでもないと言いたげな、アテナの言い様。
「命を粗末にしちゃ駄目よ。死ねば何も出来なくなってしまう。いちかばちかだなんて簡単な選択は、もっと真剣に考えてから」
「……お、おお。そうだな」
どこか剣のあった言葉に、困惑しながらも返事をする龍樹。
確かにご尤もな意見ではあるが、暴力が横行しているであろう裏世界に身を置く彼女に言われれば説得力が無い。
それでもそう言わずにはいられなかったのは、これまで彼女が経験してきた経験が下地になっているのだろう。
「でも、じゃどうするんだよ」
これまで同様、すぐに結論を迫る龍樹。
しかし時間が無いのは事実。
こうしている今も機材の向こう側にいるカッサローニ達の動きは止まることはないだろうし、早くしなければミレーナの身が危ない。
かくして、龍樹を見ながらしばらく熟考した様子のアテナは、
「……一旦退くしかないわね」
極めて不本意そうに、そう言い放った。
これには龍樹も素直に納得できない。
驚いたように息を呑んでから、険しい表情で意見を述べる。
「退くって、ミレーナちゃんはどうなるんだよ。まさか見殺しにするってのか」
「そうは言っていないでしょ。一度退くと言ったの。今はあまりにも分が悪い。戻って態勢を立て直さなきゃ勝負にならないわ」
「……ミレーナちゃんは置いて、か」
恐る恐る訊いた龍樹に、そうなるわね、と歯切れが悪そうに答えたアテナ。
「説明するからよく聞きなさい。あそこにあるドラム山の向こう側に換気用の窓がある。今から私が奴らを退き付ける間に、あなたはそこから外へと逃げなさい。多分ここからだと奴らからは死角だろうから気づかれる心配は無いはず」
再び立ち上がったアテナを見上げる龍樹。文句は言わせないと言わんばかりの行動だ。だがそれだけで丸め込まれるほど、彼も自我を持っていない訳ではない。
「そんなのって……」
あまり困らせてはいけない。
龍樹自身それは分かっている事だったが、渋らずにはいられなかった。
想いだけではどうにもならないという事を知っているアテナからすれば、不服そうに立ち上がろうとしない龍樹はまるで駄々を捏ねる子供のように感じているのかもしれない。
「なら聞くけど、他に方法はある? 無いんだったらさっさと動いて頂戴。時間も限られているし、あまりもたもたしていられない。色々と不満はあるだろうけど、これが私が導き出した最良の選択なの」
アテナの語気がどこか荒いのは、それなりに苛立ちが募っているからなのだろうか。
冷徹なのは龍樹も知った所であったが、今まではどこか人情味があったように思えていた。
しかし今目前に立つ女からはそういったものは感じられず、あるのは合理的に物事を推し進めようとする無情の思考。
小を捨てて大に就くそれにふてくされながらも従うしかなく、やっぱりこいつは論理的にしか物事を考えられないんだとほんの少しばかり軽蔑しながら、渋々立ち上がる龍樹。
アテナはそれを見向きもせず、彼にこう告げる。
「携帯を使えばミシェルの家まで帰れるでしょ。少し歩いた場所に駅がある。そこからタクシーが出ているから、ミシェルに貰ったお金で乗りなさい。いいわね。絶対に乗り場から出ている正規のものに乗るようにするのよ。見分け方としてはドア部分に認可番号があるもの。イタリアの白タクは日本と違って厄介だから間違っても乗車しないように。若い日本人なんて連中の恰好の獲物なんだから」
などと、マフィアに狙われているこの状況では随分と的外れなアドバイスを送るアテナ。
それは間違いなく異国の地で色々と仕出かした少年を思っての言葉なのだが、当の本人は呑気な事を、と生意気な捉え方をしていた。
「分かったよ。その辺の危機意識はこの国で嫌と言うほど培われたからな」
ミレーナを置いていくという案に未だ納得のいかない龍樹は、些細な抵抗でやっつけ気味にアテナの話を聞く。
しかし少し冷静になって考えてみれば、我がままなのは自分の方なのかもしれないと気づく。
ミレーナを置いていきたくないのはアテナも同じだろう。
だからこそ時間を割いてどうすべきかを考えたのだろうし、言葉にも慎重さがあった。
ここにきて反省する龍樹。
考え抜いた末に苦渋の決断を下したアテナに対し代替案を示す訳でもなく反対するだなんてと、都合のいいことばかり考える自分を責める。
だが、どうしてもさっき触れた小さな身体の体温が忘れられなかった。
これでは助かったと思った瞬間に溢れ出たあの感情を裏切る事になってしまう。
そう思ってしまった龍樹の胸に、罪悪感のようなものが押し寄せてくる。
――そもそも自分があの時ミレーナの傍から離れなければ、
「俺に何か出きる事は無いか?」
何だか前にも発した覚えのある言葉。
そしてそれに対し返ってきた答えにも。
「無いわ」
一瞬の躊躇いも無く放たれた言葉。
龍樹の気持ちを察したのか、アテナは軽く息を吐いて、
「強いて言うなら、あなたは全力で逃げてくれればいい。それが今できる私への手助け」
「……分かった」
ひっそりと肩を落とす龍樹。
それってつまり邪魔って事だろと内心で呟く。
程なく、カッサローニによる発砲が再開された。空気を目いっぱい溜めた袋を爆発させたような音がして、放たれた銃弾が機材を叩く。
予想できないタイミングに、びくつく二人。
「行きなさい」
その後も放たれる無数の発砲音の中、アテナは龍樹にそう言った。
もどかしいながらも龍樹は頷きで返すと、言われたとおりに出口となる窓へと向かう。
彼が背を向け走り出すと、その背後からはアテナの張り声が聞こえてくる。イタリア語で放たれるそれはカッサローニに何かを言っているのだろうと龍樹は推測する。
アテナの言った通り、ドラム山の裏手に回ると、人一人は十分通り抜けられるであろう大きさの窓があった。
鍵のようなものは無く、よく見れば埋め込み式のガラスだったが、脆そうなフロートガラスなのでちょっとした硬いものをぶつければ簡単に割れるだろう。
幸いにもここは鉄工場が廃墟となった建物。
足元を見ればガラスを割る為にいくつかの目ぼしいものが転がっていた。
そこには鉄パイプもあり、決して力のあるとはいえない龍樹からすればこれ以上ないほどのうってつけだ。
鉄パイプで窓を割り外に出る。
未だ聞こえる銃声の音では、割った際に発生した音など微々たるものだろう。
平均的な身長の問題なのか窓がある位置は若干高めで出にくかったが、どうにか乗り越え、外へと身をやった。
色彩を奪うほどの薄暗闇の中、シルエットでどうにか窺える道を龍樹は走り抜ける。
やがて工場がはるか後方に見えるほどにまで遠ざかり、ここまでくれば安心だろうとひとまず胸をなで下ろす。
だがその最中もずっと罪悪感が彼を襲っていた。
女子供を置いて逃げるだなんて最低な男だなと、自分の力の無さに今度こそ泣きそうになる龍樹。
海も近いということもあり冷たいイタリアの風がその心憂いに拍車を掛け、冷え切った少年の身体を容赦なく叩いた。




