妙な、音
部屋の中は事務所という割には閑散としていた。
必要最低限なものしか置いていないようで、机が三つに、整理棚が二つ。
後は精々コピー機などの事務に欠かせないようなものだけで、本当に昼間稼動しているのかと疑うほど整然としている。
電気が照らすのは、そんな質素な光景だけではない。
目隠しに猿轡をされ手足を拘束。満足に動けない状態で椅子に座る少女と、それを取り巻く男達。
椅子に座り机の上に足を乗せる男は雑誌のようなものを読み、カッティスは椅子に座りながら爪を研いでいる。
二人とも少女の事など気にも留めない様子で各々の時間を過ごしていた。
「あいつらうまくやると思うか?」
雑誌を見る男がカッティスに訊く。爪を必要以上に研ぐ男はそれに答えた。
「やってもらわなきゃ困る。ミゲルを取り逃がして四日経つ。言ったはずだぞ。カッサローニも馬鹿じゃないから、そろそろ俺達の不穏な動きもバレるとな」
冗談でもなんでもなく、カッサローニの鋭さは身近にいたカッティスが一番分かっている。そしてここ最近身近にいたのも彼だった。
何かを疑うような質問や視線を感じたのは一度や二度ではない。
意識をしすぎている、というのは当然あるのだろうが。
「まあ今回は大丈夫だろ。あの男はあんたの次にやり手だ。目の前にいる的を仕留められないようなヘマはしないだろ」
「……だといいんだがな」
今しがた男が言ったように、ミゲルの暗殺を託したあの男は組織では実質的にナンバー3だと言われている。
だが全幅の信頼を寄せれるほどの実力を兼ね備えているかと問われれば、そうではない。
(やはり俺が行った方が良かったか)
今更になって後悔し始めるカッティス。
確かに、目の前の的を打ち抜くくらい造作もない程には、あの男も器量はある。
だがイレギュラーがあった際に適応できる範囲は限られているというのが、カッティスの見立てだった。
現に昼間はミゲルの暗殺に失敗しているし、先程の言動を考えてみると油断しているようにも思える。
仮にあの女が何かを企んでいるとすれば、それに対応できるかどうかが心配なのだ。
「……ん?」
とここで。
呑気に雑誌を読んでいた男が、何かに気づく。
それはこの部屋にいる少女を何気なく見た時の事だった。
「何だ、震えているぞ」
見れば、椅子に座っている少女の身体が小刻みに揺れていた。故意的ではなく自然に出ているような、明確な反応。
考えなくても分かる。
タートルにスカートという、お世辞にも厚着とはいえないミレーナ。
昼間に拉致された時のままの格好だと、今晩の気温は身体に堪える。
恐らく寒いのだろう。
「どうする? 何か着させるか」
そもそもが可笑しな質問。
そしてそれに対する返答も。
「放っておけ。いくら寒いとはいえ、死にはしないだろう。それにどうせ後少しの命なんだ。今更慈悲を与えても仕方がないだろう」
震える少女を見向きもしない。
その冷徹さには雑誌を読んでいた男も少し驚いた様子だったが、やがて鼻で笑って誤魔化した。
女子供だろうと容赦はしない。
それがマフィアというものだと、改めて気づかされる一幕だ。
男は再び雑誌に視線を戻す。放って置けというカッティスに賛同した形だ。しかし時が経つにつれ少女の震えは激しさを増していく。最初はカタカタと揺れるだけだったものが、ガタガタというより大きな音になり、いつしかうーうーという唸り声のようなものが聞こえ、必死に何かをアピールしてくる。
ついには座っている椅子から転げ落ち、地面に這いつくばった少女は芋虫のように身を捩じらせている。
これには思わず目を向ける男。
少女は相変わらずうーうーと声を出そうとしている。
「何か言いたいようだな」
自分の意志で動けばいいものを、カッティスの顔を窺う男。視線を投げられたカッティスは面倒くさそうな表情で何かを訴え掛けてくる少女を見ながら、
「……外してやれ」
許しが出て、雑誌を机に置くと、男は椅子から立ち上がる。
今だにもがく少女へと歩み寄ると、その猿轡を乱暴に外してやる。
口を塞がれているにも関わらず暴れた精か、ミレーナは息を荒げながら、恐らくは目いっぱいの声でこう言った。
「お、……おしっこに行きたい」
「……」
消え入りそうな声で何を言うのかと思いきや、とカッティスは思った。
まあこの寒さなら催すのも当然か、と適当に物事を考える。
「そこでしろ」
至極当たり前のように、カッティスはそう言った。
それ以上の言葉は無かった。問題は解決したと言わんばかりに前を向きなおすと、男はまた爪を研ぎ始める。
まさかの一言に、ショックを受けた様子のミレーナ。
こんな所で尿をたすだなんて、彼女の頭には片隅にも無かった。
しかし嫌だと言ってのける勇気も出ず、今にも泣き出しそうな顔で股をもじもじさせる。
「おいおい。いくらなんでも可愛そう過ぎやしないか」
見かねたのか半笑いでそう言った男。へらへらとしたままカッティスへと向き合い、
「トイレぐらい行かせてやれよ。どうせ逃げられやしないんだ。あと少しの命だってあんたも言っただろ。最後ぐらい、楽にさせてやらないか」
などと、偽善とも呼べぬ提案をした男に、何とも呑気なものだとカッティスは内心で毒づく。
そしてそれに対しての見解を述べる。
「そいつから目を離して見失ったらどうする。何の利益にもならないなら無駄な行動は慎むべきだ」
「そりゃ言い分は分かるが……俺が付いていても駄目なのか」
「駄目だ。もし奴が警察に相談していればどうなる。一人で動き回るのはあまりにも危険だ。それが例え敷地内でもな」
徹底した警戒心で構えるカッティス。これまでそれで失敗をした経験があるのだろう。でなければ人間、ここまで過敏に物事を考えられない。
「……う……う、う」
ふいに聞こえた呻き声。
寒さに耐えかねたのか、男達に対する恐怖か、それとも行けない事への諦めか。
話し合う男達の片隅で、堪え切れなくなったミレーナはついに漏らしてしまう。
その異変に気づいた男は少女を侮蔑の目で見て、
「あーあ。やっちまったか……ったく。寒いからいいものを、夏なら最悪だったぜ。で、あんたはこれも放っておけって言うんだろ」
もちろんこの工場内に子供用の着替えなんてものは無いだろう。そして用意してやれだなんてその男が間違っても言うはずだがなかった。
地面で大人しくなっている少女を無表情で見ながらカッティスは、
「ああ」
と短く返事をした。
「ただ場所は移させてやれ。いくら自分がした尿だからって、浸りっぱなしじゃ気持ち悪いだろう。おまけにこの寒さだと冷たくなってしまう。俺達に利益は無いが、損だって無い。少なからず惨めだとは思っているんだ。それぐらいの施しなら与えてやれ」
言っていることが矛盾しているようだが、ようは自分達に被害が被らなければカッティスは何をしようと気にしないのだ。
とはいえそこは結局他人と思っているのだろう。
自ら動こうとはせず、爪を研ぎなおすカッティス。
彼の片隅では男がミレーナを助け起こしている。手足を拘束されている状態の彼女は一人では立てないのだ。
そして椅子に座り直させると、男はやる事はやったと言わんばかりに席に戻る。
猿轡を再びされる事は無かったが、拘束を解く気はないようだ。
ふぅ、と。
爪を研ぎ終えたのか、一息吐くカッティス。
机の上に置いてある携帯をちらりと見やる。
ミゲル暗殺組みが出てからもうすぐ三十分になる。仲間には念を入れて十分置きと話したが、そろそろ一報を入れてもらいたいところだった。
それとも何か不都合があったのだろうかと心配になるカッティス。
だがこちらから連絡を入れようかと思った、まさにその時。
ようやく携帯の着信音が鳴った。
「状況はどうだ?」
ワンコールで素早く電話に出ると、開口一番そう訊くカッティス。電話の向こう側の人物の声音も、待ち構えていたのだろうかと皮肉げだった。
『異常なしだよ。渋滞も無くとりあえずは順調に進んでいる。そっちは?』
「こちらも特に異常は無い。引き続き女の自宅に向かってくれ。何かあればすぐに連絡」
『ミレーナは無事なんだろうな』
電話の向こう側から、そんな声が聞こえてきた。
掠れそうな声の出所は恐らく携帯を持つ男の隣にいる人物。
娘を心配するあまり、運転しながら口を挟んできたのだろう。
電話の向こう側から黙ってろ、という声が漏れる。
『悪い。今脅しておいた。この女、いまいち自分の立場ってものが分かっていないようだ』
「……構わないさ」
マフィア二人と同乗して、なお強気な姿勢。よほど娘の事が気掛かりなのだろう、とカッティスは推測する。
なら、それを使わない手はあるまい。
「女に伝えておけ。もしミゲルを殺すのに失敗すれば、娘も殺す。身を案じるのなら俺達に素直に従え、と」
『分かった、伝えておく――それじゃまた近くになれば連絡する。あんたは組織のガンが無くなった時に備えてパーティーの準備でもしておいてくれ』
「呑気な事を言ってんじゃねえ。絶対に気を抜くなよ。失敗すれば俺達の命も無いと思え」
念押しに一言そう告げると、了解、と面倒くさそうな声の後、通話が途切れた。
やはりいまいち緊張感に欠けていると不安になるカッティスだったが、ひとまずは順調なようだと判断する。
「連中、何だって?」
雑誌を読みながら質問する男。こいつも能天気なものだと嫌悪の視線を当てるカッティスだったが、視線を向けられた本人はそれに気づいていない。
「まあ……とりあえずは問題ない。とはいえまだミゲルは生きているんだ。間違っても気を抜くな。こうしている今も、誰かが俺達の事を監視している可能性があるんだからな」
「ああ、分かっているよ。いつでも戦闘が出来るよう銃に弾だって込めてある。一見してそうは見えないかもしれないが、緊張感は持って」
いる、という言葉尻を男が放つ前に、カッティス達のいる部屋の外から、カコン、と何かが地面に落ちる甲高い音が鳴り響いた。
話の手前、過敏に反応する二人。
「何だ、今の音?」
雑誌を開きっぱなしの男は、机の上に置いてある銃へと手を伸ばし、音源であろうドアの外に視線を移しているカッティスを頼るように見る。
「……侵入者か?」
「いや……断言は出来ない」
そう言うと、カッティスは手元の携帯電話を見た。
今しがた掛かってきた仲間からの連絡では、女が不審な行動を取ったという知らせはない。
もう一度電話をして訊こうかと思ったが、連中に妙な不安感を与えれば仕事に影響を及ぼさないとも限らない。
だが気にはなってしまう。
もしかすれば懸念していた裏方かもしれないし、あるいは警察に相談したのかもしれない。
たった一つの音だが、それだけで感性豊かな人間はあれこれと考えをめぐらせてしまう。
おどおどしながら「おい、どうする」と聞いてきた男とは対照的に、神妙な面持ちで冷静に考えるカッティス。
果たして、彼が選んだ選択肢とは、
「放っておけ」
投げやりのような口調だった。その言葉を聞いて唖然とする仲間の男に対し、カッティスはまた爪の手入れを始めながら、
「どうせ猫か何かだろう。今日は風も強いしな。いずれにせようろたえる事じゃない。天下のカッサローニファミリーの一員だろ。もっとドンと構えろよ」
安直とも言いがたいその発言。おまけに身なりを整えながらともなれば能天気と言っても差し支えないだろう。
しかし、男はそれだけで安心できた。
「そ、そうだな。運は俺達に味方している。もっとポジティブに考えなきゃな」
見習うように、また雑誌を読み始めた男。
上司の言葉とはいえ、こうも簡単に言い包められるとはいかがなものかと懐疑を抱かざるをえないが、これがカッティスにおける仲間からの信頼。
あの偏屈者のカッサローニを影から支えてきた敏腕に対する評価。
問題を問題にさせず、決して慌てず、よりよいものを選択する。
カッティスという男はそれが出来る男だった。
たった一つの音をたった一つの音して捉え、自分の心持ちを騙せる器用さ。
皮肉にもそれは他力の精神を貫くカッサローニの影響は少なからずあり、カッティス本人もそれは自覚をしている。
再び雑誌を読み始めた男を見て少しくらい緊張感を持たせた方が良かったかと心配になるが、まあ不安を抱えさせるよりはマシかと思い改める。
現に頭数の少ない今、一人が取り乱れるのは戦力としては大いに影響があるだろう。
それを取り除いたのだから、やはりカッティスという男は優秀といえよう。
爪を整え、平常心。
これもまた彼なりのルーティーンのようなもので、心を落ち着かせているのだ。
だからどんなイレギュラーにも動じず、冷静に対処が出来る。
とはいえもちろん。
先程の物音を決して蔑ろにはせず、他の可能性の事は、頭の片隅で考えてはいるが。




