潜伏の辛抱
鉄工場の中は二階構想だ。
一階には所狭しと機材が置かれていて、熱を逃がす為や大きめの資材を入れる為か天井は高くなっている。
先ほどまで照らされていた明かりはすでに消されていて、外から漏れる月の光と携帯を頼りに、龍樹とアテナは一階にある機材の死角に身を寄せていた。
「これからどうするんだよ」
ひそひそ声で、すぐ前にいるアテナに訊く龍樹。
元の声が小さいアテナは気持ち絞ったような声量で、
「とりあえず、目的のミレーナの居場所は知れた。敵の数も大体は分かったし、後は時が来るのを待つだけね」
この場所にいるのが見つかってはいけないので、二人は身を屈めていた。当然ながらここに来るまでに使った携帯の光も今は切ってある。
アテナは二階にある明かりの付いた部屋を見上げていた。恐らくは事務所になっているのであろう、回廊にある唯一の部屋。
あそこにミレーナを連れた二人が入っていくのを、龍樹達は見届けていた。
龍樹はそこまでの経路を目で探ってみる。
彼らがいる場所から三十メートルぐらいだろうか。
工場の隅っこに階段があった。きっとあそこから上っていくのだろうと、大雑把に判断する。
「それじゃあ今からあの部屋に殴りこみを掛けるんだな」
龍樹の言葉に。
ちゃんと話を聞きなさい、とまるで出来の悪い生徒を叱る担任のような態度を取るアテナ。
彼女はいまだ二階の部屋を注視しながら、
「今妙な動きをすれば、カッティスが仲間に連絡をいれるかもしれない。そうなればミシェルの命が危ない」
そうだった、と龍樹は先ほどのミシェル達のやりとりを思い返す。
実はあの時、二人はすでに工場内に居た。スポットライトは限定的だったので身を隠すには丁度良く、ミシェル達の会話が聞き取れる距離ぐらいまでには近づけていた。
広い工場内は声が響くというのも、幸いして。
「じゃ後一時間くらいここで待機するのかよ」
今の話だとそういう事になる。
暗闇でお互いの顔は見えないが、嫌な顔をする龍樹。
恐らく今夜の気温は一桁近くは下がっている。
一応は厚着だが、なるべく動けるようにと完全防寒ではないし、何よりも動かずに一時間ずっとこのままというのは流石にきついだろう。
にも拘らず、明らかに薄着のアテナは平坦な調子で、
「そうね。正確には一時間半、もしくはそれ以上だけど」
「……耐えられる自信がないんですけど」
「だから言ったじゃない、あなたは帰りなさいって。せっかくパスポートも再発行されたのに」
「そりゃ……そうなのかもしれないけど」
言葉に詰まる龍樹。
確かに、アテナからはそう言われていた。
少年に襲われるミゲルを助けた後アルファーノ家に戻る道中で、危険だから日本に帰りなさいと。
しかし、そんな事は出来る訳がなかった。
短い期間とはいえ、世話になった間柄。その人達が困っているのに放って置くなど、人として駄目だと龍樹は思った。
何よりも彼がここにいるのにはもう一つの理由がある。
それはアテナのあの件が関わっているのだが。
「まあここまで来た以上、後戻りは出来ない。精々危ない目に合わないよう、努力なさい」
短い激励――かどうかはともかく、呆れているのは声で分かった。
確かにその通りだろう。妙な物音を立てたり、郊外に位置する事を考えれば、この工場から出るのは危険だ。
恩を作りたくないというアテナもその辺りはシビアな考えを持っているらしく、形式的に自分の意思で付いてきた龍樹を甘やかすつもりは毛頭ないのだろう。
「……さぶ」
とはいえ身体は正直だ。
極力音を殺して鼻水を啜る龍樹。
今夜は本当に寒波と言ってもいいほど寒く、面積が広い精もあるのか気温もどんどん下がっていく。
このままでは風を引いてしまうと、身体を動かしたくなる龍樹。
「なあアテナ。ちょっとだけ立ち上がっていいか。もう寒くてたまらな――」
一応の断りを入れようとした龍樹、だったが。
そんな彼にアテナは駄目、と強めに言い放った。
マジか、と絶句する龍樹。逆にこの女はなんでミニスカートにトップスという格好で身震い一つしないのだろうかと不思議に思う。
何にしても、駄目といわれれば立ち上がる訳にもいかない。
これから一時間以上このままの状態で乗り過ごすのかと、本気で凍死の可能性が頭を過ぎる龍樹だったが――アテナが駄目と言ったのは、何も万が一があったらという訳ではない。
いや正確に言えばそうなのかもしれないが、とにかく、今回に限っては絶対に駄目だと言い切れる事情がある。
隠れている機材へと更に身を寄せ、龍樹にも同じ動作を取るよう促すアテナ。
こっそりと顔を出し、工場の入り口を見ているであろうアテナはこう言った。
「カッティスが戻ってきた」
その言葉を受け、龍樹も覗き込んでみる。
そこには外から中に入ってくる人影があった。手にした懐中電灯が持ち主である男の顔を照らす。
カッティスだ。
寒さから腕をこすり合わせているのか妙な動きをしながら、男は二階に繋がる階段へと身を寄せていく。
階段前まで至ると、足元を照らしながらそれを上っていった。カツカツという足音が、静寂に包まれた工場内を木霊する。
「……ミシェルさん達もう行ったのかな?」
階段の中ほどに差し掛かったカッティスを見ながら龍樹が小声で訊く。アテナも彼同様階段を上る男を見ながら、
「どうやらそうみたい。さっき表に出て行ったのは三人だった。という事は、ミシェルと一緒に居るのはカッティス以外の人間二人ね」
「二人か……大丈夫かな。あの二人も随分いかつい人相していたぞ」
「まあ躊躇いもなく人を殺すくらいには、経験を積んでいるでしょうね」
さらりと自分の見解らしきものを述べたアテナ。
龍樹はそんな彼女の背中を意味深そうに見て今しがたの言葉の真意を読み取ろうとするも、結局分からず、黙ってその件を脇に置く事にした。
今注視すべきは他にある。
カッティスは階段を上り終えると、やはり例の部屋へと入っていった。
明かりが灯り、恐らくはミレーナが居るであろう部屋。
脳裏に浮かぶ、先ほど目の当たりにした目隠しをされ猿轡をされている少女の姿。
小さな子にあそこまでするだなんて、やはりこの連中は狂っていると思う龍樹。
一刻も早く助けてやりたいが、それは先程アテナが言ったミシェルの件が弊害になってしまっている。
可愛そうだが我慢してもらうしかない。
歯がゆい思いなのは彼だけではないだろう。
今すぐ飛び込みたいであろうアテナや、娘の身を案じながらマフィア達の案内役をさせられるミシェルに比べれば、自分なんて、と何も出来ない龍樹は己を諫める。
こうしている今も気温はどんどんと下がっていき、時刻は間もなく二十時を迎える。
皆がんばっているのに、寒いだなんて言ってられないなと気を引き締める龍樹。
姿は見えぬどそこにいるであろう少女の方を見据えながら、もう少しの辛抱だからなと心の中で訴え掛け、時が来るのをひたすら待つ。




