ネゴシエーション
イタリア西部・沿岸にある倉庫 午後七時
辺りは人通りも少なく、なおかつ第三者には入り込まれない。
それは色々と使い勝手を良くさせる為に買い取った所有地。
今は廃墟になってしまったが、かつては鉄工所として稼動しており、電気は通したままになっているし、当然のように防音も万全だ。
しかし、まさか取り逃がした人間をおびき寄せる使い方をするとは思っても見なかった事だろう。
吹き抜け構造の二階で、近場にあったドラム缶に腰を落とすカッティス。潔癖症の彼は直接ドラム缶にお尻をつけない様バンダナのような物を敷き、黙々と爪を研いでいた。
娘の命運を握っている以上無いとは思うが、仮に相手が警察を呼んでいてもすぐに逃げられる為の位置取りだ。
ここの所有者はカッサローニではなく別の人間になっている。例に漏れず、面倒なことは知らないというふざけたスタンスを貫く男ならではの関係性だ。
まあそのお陰でこうして動けているのだがなと、カッティスは内心で皮肉る。
「ミゲルの奴来ると思うか?」
吹き抜けから下を見る男がカッティスに訊く。
「もしあの女がミゲルとの連絡手段があるとしたら、な」
爪を研ぎながらそう答えたカッティス。仮に来なければまずい事になるというのに、何とも悠長なものだと男は思った。
その切迫感の無さに、男は振り返って、
「無ければどうする。もちろんその時の事も考えているんだろうな」
苛立ちにも似た焦りをカッティスにぶつける男。
当然、ミゲルが来なければ彼だって危険な目に合ってしまう。なのに肝心の参謀者は呑気に身だしなみを整える始末。
男が不満そうな顔をするのも無理はない。
対し、男の言葉にカッティスは爪のカスを息で飛ばしながら、
「考えてはいるさ。だがうまくいくとは限らない。出来れば使いたくない策である事には間違いないな」
「出来れば使いたくないって……大丈夫かよ。やけに落ち着いているように、俺には見えるんだが」
「焦ったって何も変わらないからな。こう見えて色々と頭は巡らせている。ミゲルの野郎が来れば全ては丸く収まるんだ。なら、それを祈るってのも一つの手だと思わないか」
「……」
その発言に、長年連れ添ってきた男は不安を覚える。
カッティスという男は放任主義であるカッサローニと違い、考えなくてもいい事を考える慎重派だ。
なので、その男がこうやって言葉を濁すのは珍しいことではないので、あからさまに駄目な案件ではないようだと、いつもなら軽く受け流していた。
問題は最後だ。
カッティスという男は慎重過ぎるが故に、非科学的な事は冗談でも口にしない人間だ。
少し考えすぎなのかもしれないが、それでもやはり、長年近くで彼を見ていた男としては、違和感を禁じえない。
仮にそうだと仮定すれば、今のカッティスの落ち着きも説明がつく。
心身ともにかなり疲弊しているのだろう。
カッサローニの右腕として、常に帯同もしていた。その間も隙を見てはミゲル追跡班ともコンタクトを取り、恐らくここ最近はまともに寝ていないはず。
きっとこの件が収束を迎えるまで休む気はないであろうミゲルに男は不憫さを覚えると同時に、そんな心労状態で立てた策が本当に大丈夫だろうかと不安になってくる。
「……来たか」
何かを呟いたカッティス。ついにおかしくなってしまったのではないかと刹那心配になる男だったが、やがて聞こえてきた足音。
その正体を確認する為、吹き抜けから下を覗き込む。
カッティスも立ち上がり彼同様吹き抜けへと足を運ぶ。
所定の位置におびき寄せる為、あえて明るくしてある吹き抜けの真下。
スポットライトに照らされたそこに現れた見覚えのある――女だった。
紙を束ねポロシャツにジーパン。
武器を隠し持っていないのは確かだが、昼過ぎに娘を攫われた女が機嫌の良い顔をする訳も無く、現れるや否や二階の回廊から見下ろすカッティス達を睨み付ける。
「ミゲルはどうした?」
こちらも負けじと、高圧的な視線を投げ下ろす。
目的の男がいない事に苛立ちを覚えるカッティス。やはり連絡がつかないのだろうかと焦る彼に対し、女――ミシェルはこう答えた。
「別の場所にいる」
今だカッティスを鋭い眼で見ながら、力強く放たれた言葉。
それには吹き抜けから見下ろす二人も眉を顰める。
「俺はここに奴を呼べと言ったはずだが」
今まで以上に剣のある声音だった。前のめりになり、女に言葉を投げかけるカッティス。いつ拳銃を抜き出してもおかしくない状況に、隣にいる男にも緊張が走る。
それを感じ取っているのかいないかはいざ知れず、ミシェルは話を続ける。
「あんたも知っているとは思うが、あの男は最低な奴さ。今まで私達に嘘を吐いていたし、人の家の金銭は盗むし、正直もう付き合ってられないと感じていてな」
「おい、何を言って」
これ以上カッティスを刺激すれば危険と判断して、彼の隣にいた男は全く関係のなさそうな話をしだした女の喋りを中断させようと口を挟む。
しかし、あろう事かそれはカッティス本人に手で制された。
なぜ止める、と思った男だったが、静かに耳を傾けている様子のカッティスを見て、冷静になっているという事に気づく。
一見して関連性は無いと思われたが先を聞いてみよう。
きっとそういう事なのだろう。
現に、その予想は当たっていた。
「今ミゲルは私の家にいる」
彼らの標的である男の居場所を喋ったミシェル。しかしそれが具体的に何を意味するのか。頭の切れるカッティスでも流石に分からなかったようで、
「どういう事だ?」
とストレートに訊いた。
鉄に沿岸という条件も重なり、工場内はかなり冷え込んでいる。吐く息は段々と白さを増していき、これから本格的な寒さになるのを眼に見える形で表していく。
「どうも何もないさ。言っただろ。奴にはもううんざりしているんだ。あんな男の命とうちの娘の命、天秤に掛けるまでも無い。ただ、性根は腐っているからな。娘が攫われたから助けに行ってくれと言った所で、逃げ出すに決まっている」
嫌悪感丸出しで、件の男の事をボロカスに言うミシェル。てっきり仲が良いと思っていたカッティスは、意外そうな顔をしていた。
そして笑う。
隣の男が今度こそ本当におかしくなったのではないかと戸惑いを覚える程カッティスは豪快に背を仰け反らせると、盛大に声を上げる。
彼ら以外存在しない鉄工場には、笑い声がよく響く。
「なるほど。そういう関係か」
不協和音が大好物なのか、ひどく嬉しそうな顔をするカッティス。もちろん打ち解けるだなんて事は間違っても起きないが、カッティスの表情は幾分か緩いものになった。
「あの男も色々とやらかしているらしいな。これだから女関係は気をつけなきゃいけない」
声量の小さなそれはミシェルには聞こえない。無論聞かせるつもりで言っているのではなく、単なる独り言のようなものだ。
カッティスは未だ下世話な話の余韻に浸りながら、
「で、肝心なお前の家はどこにある? まさか教えられないだとか言い出すんじゃないだろうな」
有り得なくは無いその問い掛けに、まさか、とあざ笑うミシェル。
「ただし条件がある」
しかし一変して険しい表情に戻ると、ミシェルは堂々とそう言ってのけた。
「……何だ。その条件とは」
こちらも真剣な顔に戻ったカッティス。
警戒しあう両者。傍から見て断然有利なのはカッティス達だが、ミシェルの力強い眼差しからは決してそうとは言い切れない。
しばらくして、ミシェルはその条件とやらを口にする。
「娘に合わせて欲しい」
懇願にも似たそれに対しカッティスは、
「駄目だ」
と即座に答えた。
まるで予知していたかのような素早い反応。
男は続けざまにこう言い放つ。
「というより、娘はここにはいない。悪いがあんたの事を俺達は何も知らないからな。そのまま警察を連れてくる可能性だってあったし、はっきり言ってしまえばここにミゲルを連れてきた時点で開放する気はなかった」
「……ミゲルを殺すまで、か」
「理解が早くて助かるよ。まだ目標が達成できていないのにみすみす取引材料を手放すなんてどうかしている」
「うちの娘は材料なんかじゃないぞ」
「失敬。つい口が過ぎた――とにかく、だ。ミゲルを亡き者にしない間は、娘に会わせる訳にはいかない。だが安心しろ。手荒な真似だけはしていない」
高圧的な物言い。
予想通り、カッティスは自分達の方が立場が上だと認識していた。
現にそうなのかもしれない。人数的にも相手の方が多いし、何よりも工場を貸しきるというそんじょそこらの一般人には到底真似できないような手の内を持っている。
それでも、ミシェルが怯む事は無かった。
「なら私も場所は教えられないな」
「……何だと?」
やけに強気でくる女に対し、不信感を露にするカッティス。
「状況を理解していないようだな。その気になればお前の家を調べるなんて造作も無い。もしそうなればお前が娘をその手で抱ける日はもう来ない。もう一度言うぞ。ミゲルがいると言うお前の家はどこにある」
明らかに怒り心頭のカッティスは、女に銃を向けた。もちろんハッタリのつもりだが、その剣幕を見れば誰だってこれ以上刺激するのは危険だと分かるはずだ。
それでもミシェルが態度を変える事は無かった。彼女には突きつけられた拳銃の引き金を引かれない自信があり、また強気に出ても勝算があると思っていたからだ。
なぜなら、
「カッサローニに連絡をとってもいいのかい?」
彼女達には、相手を怯ませる武器があった。
発せられた言葉に、カッティス達の顔が一気に曇る。
動揺を隠せずあたふたし始めた男に、なぜ女の口からその名前が出たのかを考えるカッティス。
色々と推測は浮かぶが、どれも今いちピンと来なかった。
(まさかミゲルか? ……くそ、カッサローニの目を欺いていると気づかれていたのか)
一番有り得るのはミゲルが女に話したという線だが、なぜミゲルがそこに直目したのかが分からなかった。
困惑する彼らを他所に、ミシェルは更に追い討ちをかける。
ズボンの後ろポケットから携帯を取り出し、それを見せ付けるように高く掲げると、
「ここに奴の番号が入っている。それが一体何を意味するのか。言わなくても分かるよな」
「……ハッタリだ」
「おいおい。腐っても私はミゲルと知り合いだぞ。あの男が番号を知らない訳無いだろ」
不適な笑みを浮かべそう言ったミシェル。
やはり出所はミゲルだったかと、カッティスはその忌々しさに歯噛みする。
だが今は気にしてもしょうがない。
こうなってしまった以上、カッティスも根を詰めていく。
「奴は俺達がカッサローニの目に触れられたくないという事情を知っているのか」
「もちろんさ。だから私も番号を聞けた。まさかこんな使い道にされるとは思っても見なかっただろうがな」
ミゲルが現在彼女の家にいるのはほとぼりが冷めるまで匿っている為。そして取引材料としてカッサローニの番号を聞き出し、こうして交渉に来ている。
淡々とした口調で、ミシェルはそう述べた。
「奴としてもカッサローニに死なれたと思っているのならそっちの方が好都合だからな。問題はミゲルが存命しているのを知るあんた等という訳だ。その話を聞いた時、私はすぐにある方法を思いついたんだ。今回の件に置ける一番の問題点、ミゲルが未来永劫カッサローニの前に現れなければいい、と」
「それは出来ないな。なぜなら奴を野放しにしていれば生じる問題が他にもある。残念だが奴を殺すというのはいかなる事情があろうと崩れない大前提だ」
「分かっているさ。だからこうして取引を持ちかけているんだろ」
ようするに、ミゲルにはその線で話を進めると伝え、それでは納得しないだろうと踏んだミシェルは娘を助ける為に彼を売ったと、そういう事になるのだろう。
「……中々頭の回る女のようだな」
「あんたに褒められたって嬉しくないよ。さあ、分かったら娘に合わせな。大方この施設内にいるんだろ? 動ける人数だって多くは無いんだ。他の場所に監禁するだなんて、要領が悪すぎる」
「……」
あまりに的確なその読みに、つい押し黙ってしまうカッティス。日常を謳歌してきた人間には中々分かりえない事情というものを、女はある程度認識している。
「娘を連れて来い」
観念したのか。
隣にいる男に、カッティスはそう命令した。
男は疑問を覚え顔を顰めながら、
「いいのか? 相手の言いなりになれば付け上げるぞ」
「仕方が無いさ。まさかあそこまで肝っ玉の据わった人間だとは思っても見なかった。ああいう人間はある程度の餌を撒かないと取引には応じないんだよ」
これまでいくつもの闇と交渉をしてきた人間だからこその言葉。まんまと嵌められた事もあった。しめしめと騙くらかした事もあった。
それら全ての経験を糧にカッティスが判断したのなら、男に逆らう権限は無い。
「分かった」
言われた通り、動き出す男。
ミシェルの読み通り、ミレーナはこの工場内にいた。
本来なら人質は別の場所で監禁するものだが、先ほど指摘されたように人数の問題と場所の問題からその方法は放棄せざるを得なかった。
何よりも大きかったのは、相手が一般人だからと油断していたのだ。
それにしてもとカッティスは考える。
どうにも今回の話には違和感が多すぎる。そもそもミゲルがここの場所を教えたと女は言うが、果たして簡単に売り渡してしまうような人間を、あの男がそこまで信頼をよせるだろうか。
何よりも気になるのは立ち振る舞い。
ミゲルとの関係性を知らなかったとはいえ、意図も簡単に娘を強奪された女が、今は堂々と構え、あげくには娘を引っ張り出されてしまう始末にカッティスも驚きを隠せない。
下に立っている女の表情は、昼間と同じ人間とは思えないほどの変わりようだった。
心強い後ろ盾を得た時のような自信に満ちた顔つき。
それこそ、まるで裏方で誰かが助力しているかのように。
「連れてきたぞ」
五分もしないうちに。
同じ施設内で拘束していた少女を、男達が連れてきた。
目隠しをされ猿轡。後ろ手に縛られ完全に身動きが取れなくなっている少女は、震えていた。
「ミレーナ!」
思わず声を張り上げたミシェル。聞き慣れたその声は随分とひさしぶりに思えたが、少女は一瞬で自分の母親のものだと気づく。
「……マ”……マ”?」
暗闇の中聴覚が捉えた愛する者の声。
「マ”マ”、マ”マ”!!」
うまく喋れないながらも、必死に訴え掛けるミレーナ。堪えきれなくなり前に乗り出すが、男達に力ずくで引き返されてしまう。
「ミレーナ!!」
叫び声にも似た声を上げると、迎えにいく為か大きく一歩を踏み出したミシェル。
「おっと動くな」
しかし連中がそれを許す訳が無い。
妙な真似をしようとしたミシェルではなく、すぐ傍で捕らえられているミレーナに銃を突きつけたカッティス。
どうすればその者に取って効果的なのか。
それを彼は熟知している。
現に、頭に血が上り、反射的に動いてしまったミシェルはすぐに足を止めた。
女はこれまで以上に剣呑な眼差しで、
「手荒な真似はしていないんじゃなかったのかい」
「これでも随分と丁重に扱っているつもりだがな。俺達をそこら辺の素人と同じに思わない方がいい。早く娘を助けたいのなら、さっさと家まで案内しろ」
相変わらずミレーナに銃を突きつけ、苛立ちを露にするカッティス。ミシェルとしても、これ以上男を刺激するのは良くないと感じた。
「……分かった」
とりあえず娘は生きている。それを確認できたので、話しを進める。
「それじゃあ家に案内する。裏に車を止めてある。道案内をするから、後ろを付いて来てくれ」
と、提案したミシェル。しかし疑い深いカッティスは警戒心をむき出しにし、
「駄目だ」
とその案を否決した。
「お前の車に俺達の仲間を乗せろ。そうすれば道案内だなんて面倒くさい事をする必要が無くなる」
「……マフィアと一緒の車に乗れというのか」
「怖いか? それとも他の理由があったか。何にせよ車内で妙な事をしないよう、監視役として同乗する。悪いな。何せ人手が足りなくて」
カッティスの指示に、バツの悪そうな顔をするミシェル。だがここでこれ以上ごねても男が譲るという選択をする事はないだろう。
「いいだろう」
指示を飲んだミシェル。一時間近くをギャングと一緒にドライブするだなんて恐怖以外の何物でもなかったが、これも愛する娘を救う為。
素直に従わなければ、その分ミレーナが苦しむだけだ。
「それじゃあ車を回してくる。全員は乗れないからな。行く人間を決めて、表で待っていろ」
不安を誤魔化す様に強気でそう言ったミシェル。踵を返すと、車を回す為に足を進め始めた。
その様をカッティス達は吹き抜けから見下ろしながら、
「どうする? あんたが行って直接手を下すか」
「いや……俺はここに残る」
男の問い掛けに受け答えしながら、あれこれと脳内で考えるカッティス。
後ろでは仲間の二人が暴れ疲れてぐったりとしたミレーナを掴んでいる。
「ミゲルを始末するのはお前とジミーを連れて行け。俺とエドモンドはここに残って娘を見張っている。女が何か妙な真似をしたらすぐに知らせろ。その時は状況に合わせて動く準備はしておく」
「一緒に来た方がいいんじゃないのか。只でさえ少ない人数なんだ。別れるのは危険だと思うんだが」
「だからと言ってもしも奴が何かを企んでいたらどうする。一番怖いのは全員が行動不能になる事だ。俺の買い被りかもしれないが、あの女はまだ何かを隠している」
すでに誰もいなくなった吹き抜けからの景色。
スポットライトが照らす鉄工場の地面は白く濁っていて、誰もいないのにそこだけ明るい場は不気味さを醸し出す。
「今度こそミゲルを殺せ」
そう言って身を翻したカッティス。後方にいた男二人に娘を元の場所に戻すよう指示し、自らも動く為かカツカツというテンポの良い足音を空間に響かせながら準備に取り掛かる。
そして最後に。
背中越しで呆ける男に、カッティスはこう言葉を投げかける。
「ご丁寧に死に場所まで用意してくれているんだ。今度は姿を見次第引き金を引け。そしてミゲルを始末した後――女も殺せ」




