マフィアの本領
ロニーに連れられ、心神喪失なミシェルが家に戻ってくる、その三十分前。
買い物を追え帰宅しようとする親子の姿がそこにはあった。
「何でいなくなったんだろうね、ミゲル」
声を掛けたが逃げた男に、ミレーナは少々傷ついた様子だった。もっとよく帽子を見てもらいたかったのにと、不満げに口を尖らせる。
それを傍らで見る母親は愛想笑いのようなものを浮かべていた。
「きっと忙しかったんだよ。どうせ帰ったらまた会えるんだ。その時に見せたやればいいさ」
と軽く言ったものの、やはり大人であるミシェルはその件をないがしろには出来なかった。
街で会って急にいなくなったかと思えば、明らかに品の悪そうな男達が彼を追っていった。
何かあったのだろうか、では済まされない。
意外に思うかもしれないが、彼女は他人の秘密毎には極力関わらないタイプ。なのでこれが友人やただの顔見知りだったのなら後で本人に聞ければいいかぐらいにしか思わなかったのだろうが、今回のケースは流石にそういう訳にもいかない。
何せミゲルは現在、同じ屋根の下で生活をしているのだから。
「ねえ、どうしたのママ?」
娘の言葉に、ハッとする。どうやら考えを巡らせすぎて表情にそれが出てしまっていたようだ。
ミシェルは再び娘に優しい笑顔を見せ、
「何でもないよ――もしかしたらミゲルの奴。ミレーナの帽子姿が可愛くて、照れて逃げたのかもな」
「えー……そうかなあ」
頬を搔き、まんざらでもなさそうなミレーナ。ミゲルの事は気がかりだが、少なくとも子供にまでそれを悟らせてはならない。
娘に適当な愛想笑いを振りまきながら。
ここでようやく、彼女に追い出されたという話は嘘ではないかと疑い始めるミシェル。
これは大人の問題だと考えていた。とにかく本人に会ってみない事には分からない。もし家に戻っていたのなら、ミレーナを別室にやり、すぐさま先ほどの件を問いただす。
――先ほどの連中は何者だったんだ、と。
「さあ、早く帰ろう。夕飯の支度に間に合わなくなってしまう」
「え? でもまだ三時過ぎだよ。いつもなら今頃買い物しに」
「もしかしたら買い忘れた食材があるかもしれないんだ。それが冷蔵庫に入っていなければお母さんまた買いに行かなくちゃならない。だから早く帰ってそれを確認しないと」
自然と早足になるミシェルに、あ、待ってよ、と何とか付いて行くミレーナ。
実はこの時、ミシェルは嫌な予感がしていた。
ミゲルに関しての件ではない。
今彼女達はビルとビルの間の通路を通っているのだが――誰もいなかった。
確かにこの辺りは閑静といえば閑静なのだが、人っ子一人いないだなんて事はそうそうありえる事ではない。
ましてや今は昼過ぎ。いつしか娘の手をひき考えすぎかと現実逃避したくなるミシェルだったが――考えすぎなどではなかった。
「い、痛いよママ。一体どうしたの?」
また飛ばないように帽子を押さえながらのミレーナがそう言うと、ミシェルの動きが止まった。
速度を緩めるならまだしも、全く足を前に出さなくなった母親に疑問を覚えるミレーナ。
ミシェルの顔を見上げる。その顔は何か衝撃な出来事に遭遇したかのように驚いており、子供ながらも只事ではないと思わせるには十分だった。
「ママ?」
娘の問い掛けに返事もなく。
自然とミレーナは母親の視線を追うために、前を向いた。
するとどうだろう。
そこには一人の男が立っていた。
特に店もない人の往来を担うだけのうら寂しい通路に、スーツ姿の男が立っていた。
その脇には古ぼけた場にはおよそ場違いな黒の高級車が止まっている。
エンジンは掛かっていた。今目の前にいるスーツの男とは全く関係のない人間なら良いのだろうが、そんな訳はないだろう。
「あれ? さっきの人じゃない」
事の重大さが分かっていないミレーナは暢気にそんな事を言った。
――せめてこの子だけでも。
最愛の娘を守りたいという感情で、ミシェルは頭がいっぱいになっていた。
「ミレーナ。こっちへ」
再び娘の手を掴み、来た道を引き返そうとするミシェル。強引に引っ張られたことにより痛いと訴えかけるミレーナだったが、その動きもすぐに止まった。
気づくのが遅かった。
反対側に身を翻してみれば、そちらからも背の高いスーツ姿の男が二人、ミシェル達の元へと近づいていく。
偶然ではないだろう。
人っ子一人いない周辺と、前後を挟まれた境遇。
恐らく入り口に何かしらの小細工をして、一時的に誰も入れなくしたのだろう。
流石に只事ではないと感じたのか、ミシェルの手を強く握り身を寄せるミレーナ。大丈夫だからと、何の根拠のない言葉を吐くミシェルも、彼女を強く抱き寄せる。
そして。
屈強な男達に母子が囲まれるという、警官が聞けば慌てて駆けつけるような場面が出来上がった。
逃げ道を探すがそれらしき場所はない。そもそもここは街への通用口。いつから付けられていたのか分からないが、恐らくこれも連中が狙っていたのだろう。
「何か用かな?」
警戒心むき出しで放たれたミシェルの言葉に、男達は答えない。ただジッと立ちすくみ、笑うでも怒るでもなく、しかしなぶる様に身を寄せ合う母子を眺めている。
いくら気が強いとはいえ、ミシェルも女だ。
本当は身体が震えて仕方がなかったが、ミレーナを守らなければならない手前、ここで竦む訳にはいかない。
もし乱暴をしようとしてきたら大声を出して噛み付いてやるつもりだったし、金品を取られそうになればそれを素直に差出し、とにかくこの場は丸く治める。
そう考え、男達の次の一手に備えるミシェルだったが――男達は相変わらず動かない。
不審そうに眉を曲げるミシェル。
一体彼らの目的は何か。おおよその見当は付いたが、どう動くのかが全く読めない。
「……何だ。用がないなら、道を開けて」
用が無い。思っても見れば、そんなはずはない、おかしな言葉だ。
「ミゲルはどこにいる?」
出てきた人物の名に驚かず、やはりかと、ミシェルは内心で思っていた。それでもそれを口にする訳にはいかない。
「ミゲル? ミゲルなら――」
と純粋なミレーナが妙な事を口走ろうとしたので、ミシェルその口を急いで手で塞いだ。
そして険しい顔つきで、
「知らないね。誰だいそれは。そんな事より、あんたらの目的は何だい。こんな人気のないところで女二人を囲んで。みっともないったらありゃしないよ」
建前上はそれが理由で怒っている風だが、実際はもちろん違う。口を塞がれたミレーナもいつもと違う母親を見て只ならぬものを感じ、目をぱちぱちとさせ不安を覚える。
男達は当然のようにミシェルの威圧には怯まない調子で、
「とぼけたって無駄だ。もうネタは上がっている。大人しく本当の事を言った方がいいぞ。じゃないとお前の大切なものが失われてしまう」
何を訳の分からない事を、と眉を潜めるミシェル。
しかし次の瞬間、突然近くに人の気配がした。それと同時に――愛する我が子が、強引に連れて行かれそうになる。
後方に居た男達がいつの間にか擦り寄って、ミレーナを奪おうとする。
何をする! と当然のように声を荒げるミシェルに、嫌だ! と声を張るミレーナ。火事場の馬鹿力というべきか、ミシェルが屈強な男二人から子供をすぐに離さなかったのは驚きと言えよう。
しかし。
必死にしがみついてくるミレーナをもう少しで引き戻せると思った――まさにその時。
電撃のようなものが、ミシェルの身体全体を迸った。突然の衝撃に意識が飛びそうになり、瞬間身体が硬直し、膝を付いてしまう。
「ママ!」
娘の声が遠くなっていく。次に意識が戻った時には、地面へと倒れこんでいた。
「……ミ、ミレーナ」
声が出ず、身体が思うように動かない。
くらくらする視界には、黒いスタンガンを手にした男と、口を塞がれながら、それでも必死に抵抗を試みる娘の姿が映った。
「ミゲルに伝えろ」
近くでした男の声。怒りにも似たドスの利くそれは、続けざまにこう言った。
「前回中東に流したブツの時に使った場所へ来い。来なければこの娘を殺す」
意識を朦朧とさせるミシェルのズボンに一枚の紙を忍ばせる。
必要な事をやり終えると、入り口の足止めにも限界があるのか、カッティスは早々に現場を後にする。
待て、というミシェルの弱々しい声にも振り向かず、車に乗り込む一同。
すでにミレーナは体力を使いきってしまったのか大人しくなってしまい、男達に車へ押し込まれていった。
抵抗した際に脱げたのか昼間に買ってあげた帽子がヒラヒラと舞い、ミシェルの前に落ちる。
もう一度我が子の名前を呼ぶが、その声はバルブを上げるエンジン音に掻き消されてしまう。
やがて砂埃を上げながら、発進した車。
意識はあるのに動けないというジレンマの中。
こうして幼い少女は、どこかへと連れ去られてしまった。




