見え始めた活路
「という訳でミゲル。あなたには訊きたい事が色々とあるの」
街の中にある雑木林。
あそこではすぐに人が駆けつけてくると、場所を移動したアテナ達は考えた末にアルファーノ家へと舞い戻っていた。
この家から金銭を盗んだ負い目から乗り気でなかったミゲルだが、連中から身を隠す場所が他に思い当たる訳でもなく、結局は付いてきてしまった。
まだミシェル達が帰ってきていないのが幸いだ。とはいえ帰ってきたら帰ってきたで、本当の事を話さない訳にもいくまい。
アルファーノ家のリビングで、ミゲルがブローカーという素性を知っていて話が訊きたいと告げるアテナ。
他には部屋の中を物色し始める子供と、それを渋い顔で見る龍樹の姿。パードリッジは役目を終えたと思っているのか、近くの椅子で文字通り羽を休めている。
「……いいだろう」
ソファーに腰掛け束ねた手に顎を乗せるミゲルは、考えた末にそう答えた。
やけに素直な反応。どの道他に選択肢が無いので、断る訳にはいかないのだ。
「ただし条件がある」
が、一筋縄でいくほど彼も馬鹿ではないようで。
絶対的に不利な状況にも拘らず、強気の姿勢を見せるミゲル。
確固たる自信はあった。
ましてや彼はブローカーであり、こういった交渉はプロなのだ。
「俺を安全圏まで連れて行け。そうすればお前達の欲しがっている情報をくれてやる」
わざわざ場所を変えるほどの慎重さ。どの情報を欲しているのかは分からないが、彼女達にとっては相当価値のあるようだと、ミゲルは踏んでいた。
その甲斐あってか、女はなんなくそれを承諾する。
「ええ、約束するわ。必ずあなたを目的の場所へと連れて行く。だから答えて欲しいの。以前中東で大きな取引を」
「待て」
話を進め始めたアテナを、手で制したミゲル。
相手のペースに合わせてはいけない。これもブローカーである彼にとっては鉄則なのだ。
「言っただろ。質問に答えるのは俺を安全圏に送り届けてからだ。それまで一切情報に関する内容を口にはしない」
「……随分なご身分ね。何だったら力ずくで聞き出すという手もあるのよ」
「どうぞご自由に。確かに目玉を抉って足の爪でも剥がせば大抵の人間は吐くのかもしれない。でも俺は違う。例え脚を串刺しにされようが絶対に吐かないといえば吐かないのは、さっきの件で立証済みだと思うが」
さっきの件、とは、少年に脚を串刺しにされても口を割らなかった、あの場面の事だろう。
実際の所、あれはほぼ想定外の出来事だった。
まさか一度首を横に振った程度で攻撃を仕掛けてくるだなんて余程の短気でなければ考えられないし、吐くとまではいかないまでも、あの時正直、少しだけ情報をチラつかせて延命するという選択肢が脳裏に過ぎった。
まあそれすら許さない少年の急進的な行動だったがゆえの頑なだったのだが、そこに運よくアテナが現れた。
そして現在、それを利用している形だ。
「言っとくが俺は約束は守る男だ。口が堅いってのは裏を返せばそういう事だろ? 連中から俺を守りながら隣国であるスイスに護送する。下手をすれば一日で済む話だ。拷問に掛けるよりはよっぽど効率がいいと思うがな」
あえて段取りを口にする事で、相手の損得の天秤に揺さぶりを掛ける。というより、ミゲルとしても痛い目を見るのは嫌だった。
チラっと、脚に外傷を負わせた少年の方を見る。
人の家を勝手に探索している彼は窓に飾ってあったブリキの電車を手に取り眺めている。玩具に興味を持ち探るのは年相応の可愛らしい姿だが、やはり人を簡単に傷つけたという事実に何ら感傷は抱いてなさそうだった。
ミゲルとしても、便宜的に口を割ってはいないが、命を張ってまで守るような情報はただの一つも無い。
アテナ達が何を知りたいのかは知らないがそれだけは言える。ましてや先ほどのように脚を負傷させられては堪らないので、ミゲルは強気の面持ちとは裏腹に、内心ではどうか採択してくれと祈るばかりである。
ややあって、
「分かったわ」
恐らくは男を考察し、その人物の性格や耐性力を図ったであろうアテナはそう言った。
彼女としても得たいのはあくまでも情報。彼を所定の場所に送り届けるだけでそれが手に入るのならそうした方が早いと判断したのだろう。
「そうか。そうと決まれば早速動いてくれ」
声を弾ませたいのを抑え、努めて平静を取り繕うミゲル。
いやアテナが分かったと言葉を発した途端に返事をしたのでもしかしたら虚勢だとバレてしまったかもしれないが、この際重要なのはそこではない。
イタリアのギャングから狙われ逃れるという単体ではかなり厳しい条件でも、得体の知れない、それでも色々と敏腕であろう組織が護衛してくれるとなれば、下手な警察官よりも心強い。
おまけに情報という材料はまだ手の内にある。
良い風向きになってきたと、ミゲルの強硬な態度にも拍車が掛かる。
「こうしている今も俺を狙っている連中の魔の手が迫っているんだ。俺が死ねば、あんたらも困るはず――で、どうするんだ。具体的にはどれほどの時間が必要なんだ。俺は何かする事はあるのか?」
あまり身勝手な事ばかりなのは気がひけたのか、そう切り出すミゲル。
それに先ほどから色々と考えてはいるのだが、どうしてもここまでして知りたい情報が何なのかが本人には分かっていなかった。
所詮彼はブローカー。顧客の情報は知れど、その者がどういう人物でどれほどの組織なのかは、概要しか分からない。
「無いわ」
ミゲルの言葉に対し。
顔色一つ変えないアテナはそう言った。
「二時間ほどであなたをスイスへ護送する手はずは整うと思う。強いて言うなら、それまでただジッと待っていて。妙な動きをされて、連中に使命を全うされても困るから」
二時間。それを長いと取るか短いと取るか、いや安全な家の中で時を過ごすことを考えれば取るに足らない問題なのだが、ミゲルには一つ気になる事があった。
「お前達は俺が誰に狙われているのか知っているのか?」
方眉を上げるミゲル。
そんな彼に対し、アテナは即答で答えた。
「カッサロー二でしょ」
おかしなことを訊くな、とでも言わんばかりの素早い回答。
しかしミゲルが驚くのも無理はないだろう。
少なくとも彼はこの街のマフィアである男に狙われているとは口外していない。
にも拘らず、女の口からはその名前が飛び出た――だけでは飽き足らず、なぜかミゲル本人が知らないであろう事実も口にし始める。
「正確にはカッサローニの下の人間。あなたを殺し損ねた連中ね」
「……どういう意味だ?」
「その様子じゃやっぱり知らないみたいね。カッサローニの頭の中では、あなたはすでにこの世から抹殺された事になっている」
女の言葉に驚きを隠せないミゲル。
数秒ほど呆ける様な間を開け、具体的にそれが何を意味するのかが鮮明になっていく。
「それじゃあ駅で人数が少なかったのも……」
「カッサローニの目に入ってしまうと厄介なことになってしまうから、決まった人数でしか動けないんでしょうね」
突きつけられたまさかの事実に、喜ぶべきなのだろうが、動揺は隠せない。
どうりで見つかるのが遅かった訳だ。
となると動いているのはあの日現場にいた生き残り三人と、死体を土葬する予定だった場所にいた一人で計四人。
丁度駅にいた数とぴったりだ。
「何てこった……そうと分かっていればもっと早く動いていたのに」
解き放たれた杞憂に、ため息を吐くミゲル。気が抜けたのかソファーに背を預け、意味もなく天を仰ぐ。
慎重にいき過ぎた後悔か気づかなかった愚かさか。
色々と遅すぎた男に圧し掛かる、どうしようもない虚無感。
「それにしてもなぜそんな事が分かった」
再び上体を起こし、前のめりになって訊く。
渦中の人間が知らない情報を知っているという事で薄れてしまっているが、そもそもカッサローニに狙われているという情報はどこから得たのか、ミゲルは気になって仕方ない。
興味津々の彼に対し、アテナはなんとなく答えてくれた。
「色々と情報網があってね」
大雑把な物言い。そこはもしかすれば秘密主義の要する部類かと思い至るミゲル。となれば、知っておくべきだろうと判断する。
何せ身を委ねる存在。出来るだけクリアにして置かなければ、余計に厄介ごとが増えてしまう可能性だってある。
「何だその情報網とは?」
なめられない様に、眼で威圧を掛けるミゲル。しかしアテナが動じる訳もなく、しかし彼の気持ちを汲み取りそれなりには考慮してくれたようだった。
「カッティスは街のごろつき達にあなたを探すよう依頼をかけている。そのごろつきの中の一人に情報を売ってもらったのよ」
「ごろつき?」
「ええ。ブローカーであるあなたがイタリアに来ているのは知っていた。その情報収集であなたの名前が出てくるのに時間は掛からなかったわ。時期的には新鮮味があったでしょうから、当然といえば当然なのだけれどね」
「なるほど。やけに用事の多い女だと思っていたが、まさかそんな事情があったとはな……いや待て。そもそもなぜ俺がブローカーだと知っている。その情報は誰から聞いた」
「それは今回の件とは関係ないから答えられない。あなたはスイスに行ければいいのよね。誰が情報を漏らしたかはともかく、それで道が拓けているのだから良いのでは?」
暗く、冷静な声。
だが確かにその通りだ。
カッサローニにミゲルがカッサローニに狙われている件と彼がブローカである事を知っている人物の件は、この際全く関係ない。
「そうだな」
ぐうの音も出ないのでため息を吐き、納得をしたミゲル。
再びソファーに背を預けた彼はかなり疲れていた。
やっと活路が見出せた。
その安心感から、少しばかり気を抜いてしまっているようだ。
「あ、こら。ジュース勝手に飲むなよ」
先ほどの神妙な話し合いなどどこ吹く風。そんな声が、キッチンの方からした。そちらに目を配ると、最早ミゲルの件はアテナに委ねているのか、先ほどからあちこちと動き回っている少年に龍樹が怒鳴っていた。だが日本語の分からない少年は彼の顔をチラチラ見るだけで手にしたパックのジュースを離さない。
「おいアテナ。何か言ってやってくれよ。この子人の家の冷蔵庫開けて勝手にジュース飲んでんだぜ。注意しなきゃ駄目だろ」
「まあ……いいんじゃない。ジュースくらい」
「よくねーよ。ほら、お兄ちゃんに渡しな。内緒にしておいてやるから――痛て、噛むなって」
礼儀の厳しさに関しては母譲りな龍樹は気になって仕方ないようだが、日本語も通じない少年からすれば無理やりジュースを取られたのだから、彼の手に噛み付く。
そんな光景をぼんやりと見ながら、ミゲルは情報を整理しようとしていた。
手はずが整うまで後二時間とアテナは言った。
正直、彼にとっては丁度良かった。
いつカッティス達がここを突き止めやってくるか分からない恐怖から、ここ最近は寝不足だった。
眼がとろけていくミゲル。
思えばくすねた金もまだ返していなかった。騙していた事も告げていない。これから先が本当の正念場になってくるだろう。
つまり、ここからの二時間はそれに耐えるだけの準備に充てなければならない。
幸いにもボディーガードはいる。
それもそこらの屈強な男よりもずっと頼りになりそうな、女と子供。
抽象すると妙な言い回しだが、真実なのだから仕方がない。
スイスに行く手はずが整うまでの二時間、ミゲルはぐっすり眠ろうと考えた。
久々のしっかりとした睡眠。これから始まる正念場に備える休息。
未だ何かを言い合うアテナ達がぼやけていき、ミゲルは人知れずまどろみの中に落ちていく。
段々と暗がりが広がっていき、やっとこさ開けた活路に思いをはせながら――
「大変だ!」
アルファーノ家の玄関が乱暴に開かれ、そこから怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。
これには一同何事かと驚き、慌てて声のした方へと向かう。
そこには子供が成人女性に肩を貸すという奇妙な光景が広がっていた。
息を荒げ、それでも冷静にしっかりとした瞳で駆け寄ってきた一同を見る子供はロニーだった。
そして俯き足腰に力が入らないのか虚脱したようにへたり込む成人女性は――ミシェルだった。
「……どうしたの一体」
あまりに展開が読めず、それでもどうにか問い掛けるアテナ。
その言葉に対し、放心状態でとても口を開けそうにないミシェルに代わり、ロニーははっきりとした口調でこう答えた。
「ミレーナが攫われた」




