謎の少年
舗装された平坦な街並み。
そこにある申し訳ない程度の雑木林に身をやったミゲルは、座り込み息を整える。
手に持つ黒光りした銃を眺める。
カッティス達から逃れた時に、絶命した人間から引き抜いた拳銃。
弾が切れていた。
となれば、現状こんなものはただの鉄の塊でしかなく、逃走には重荷にしかなるまい。
一瞬相手に突きつけるだけでカモフラージュになるのではないかと考えたが、そんなにうまくいく訳もないかと、ミゲルは銃を茂みの中に放り投げてしまう。
木々の高さはそこまで高くない。大の大人なら立ち上がれば半身は見えてしまう程だ。
ここら一帯は開拓地という事もあってか狭い歩道の他には車道しかない。それにより時間は食ってしまったが、何とか追っ手を撒いた。
しかしこうして休んでいる今も近くに迫っているのは間違いない。前述したように死角となりそうな場所はそれほどないので、ここも目に入ればすぐに奴等が来てしまうだろう。
かと言って、容易には動けない訳だが。
(……バレちまった)
カッティス達に――というのももちろんあるが、ミゲルとミシェル達にも、彼が何かしらの問題を抱えている事を示してしまった。
茂みから身体が出ないようにとしゃがみこむミゲル。
駅にはカッティス達。アルファーノ家に戻りたい所だが、それも今となっては避けた方がいいだろう。
はは、と相変わらず不利な状況に思わず笑ってしまう。
一体全体どうすればいいのだろうか。
ここから遠くへ行く方法を探すが、何分地理に詳しくなければ携帯も土地勘も無い身。今自分がどこにいるのかも分かっちゃいやしない。
こうしている今も、カッティス達の魔の手は忍び寄っているというのに。
(……今度こそミレーナは幻滅しただろうな)
不利な状況に思考がおかしくなったのか。
そんなどうでもいい事を考え始めたミゲル。
彼の脳裏には、最後に見たミシェルとミレーナの笑顔が忘れられない。勝気で面倒見の良いミシェル。純粋で無垢な心を持つミレーナ。弱気で生真面目なダニエルも、嫌いではなかった。
改めて考えると、本当に惜しい事をしてきた。
あくまでも仲介役なので命までは狙われないだろうと甘い認識をしていた。悪名高きカッサロー二に手を貸しても、頃合になれば足を洗えると簡単に考えていた。
しかしいざとなってはこの様だ。
見苦しいほどに生に縋るだけでは飽き足らず、幸せな日々を過ごしていたであろう家族を巻き添えにするという悪行。
今さら何をとミゲルは思った。
そんな事を考えるのなら初めからあの場で殺されていればよかったのだ。
それをまるで自分が良心的な人間かのように振舞うなどご都合主義もいいところ。
どんな形であれ、こうなった以上絶対に生きのびなければならないと、男は吹っ切れる。
その為にはまず、今後どうするか。
ここ三日間周辺を歩いてまわった記憶を頼りに、どうにか活路を見出そうとするミゲル。
――だったのだが。
「……?」
何か人の気配のようなものを感じた。不審に思ったミゲルは全神経をそちらへと集中させる。もしかして連中が近くに迫ってきたのだろうか。
そう考えると暢気に座ってなどいれず、慌てて立ち上がる。
こちらは丸腰。
まともな殴り合いならまだしも、相手がそんな肉弾戦を仕掛けてくるとは思えない。
静まり返る雑木林。最初に述べたと思うが、木々の高さはそこまで高くない。だから近寄ってくればすぐに分かる。
その時に備え、拳を握り締めるミゲル。今の彼に出来るのは、それしかない。
不気味な程の静寂。
神経質になった身体は、風の音ですら敏感に反応するようになっていた。
「……」
数秒ほど経った頃だろうか。
何の変化も感じられなくなったミゲルは構えを解いた。気の精だったのだろうかと思うようになったのだ。臆病になりすぎて些細な物音を誇張してしまい、それがあたかも人の反応だと勘違いしてしまったのだろう。
きっとそうに違いない。
「駄目だな俺も。敏感になりすぎ――」
己の弱さにため息を吐くミゲルだったが――それは決して勘違いなどではなかった。
自分が背を預けていた木の上。
そこから気配が降りてきた。
「!?」
まさかの登場に驚きつつも、反射的にミゲルは後退した。
そして降り立った一人の少年。
「お前は!?」
見知った顔というには少し違うような気もするが、全くの初見という訳でもない。
「やあお兄さん」
包帯を巻いた左腕を垂らし、気さくに喋りかけてくる少年。
それはもう一人の命の恩人であり、しかし決して味方ではないもの。
その証拠に、ポンチョの下から複数の刃物をチラつかせ彼はこう言った。
「やっと話せるね。この間はとんだ邪魔が入ったからさ。それで、突然で悪いんだけど、大人しく僕と一緒に来てくれないかな。くれないなら脚を串刺しにして連れて行くけど」
何の躊躇いも感じていない口調。
子供ながら、いや子供だからこそ、その言葉には重みがある。
「一体何者なんだお前は」
至極当然なミゲルの質問。
それに対し少年は心底面倒くさそうに言う。
「あーまたそれ。この間一緒にいたお兄ちゃんにも言ったんだけど、教えられないんだって」
「なぜ俺を狙う」
「さあ、知らない」
首を傾げ、素っ気のない態度を取る少年。
こんな馬鹿な返しがあっていいのだろうか。
ミゲルの問い掛けにまともな返事が一つもない。だが話を聞くに、命を狙われている訳ではなさそうだと判断すると、
「俺を匿うと約束してくれ。そうすればお前に付いていってやるよ」
「……何で上から目線なの? ちょームカつくんだけど」
「ならこの話は無しだ」
不機嫌な顔になった少年は、その言葉を引き金に動いた。
ポンチョの中から一本のダガーが飛び出した。咄嗟に反応を示したミゲルは横に飛ぶ事でそれをかわす。しかし放たれたダガーの軌道は彼の真横で不規則に変わった。物理法則を無視した直角の軌跡を描く鋭利な刃物は、男の肩に突き刺さった。
「な、……に!?」
短い呻きが漏れる。肉の芯を抉る様な痛覚から今にも転げ落ちそうになりながらも、何とか少年との距離を取ろうとするミゲル。
うまく動かない右腕を気にしながら、それでも背中を向ける訳にも行かず、一歩一歩後ずさりする。
駆け引き云々ではない。
ミゲルだってそれなりに闇の世界を渡り歩いてきたはずだった。
だからこそ分かる。
目の前にいるその子供は、人を傷つける事に何の逡巡も抱いていない。他人の命の重さというものを等閑視し、己の欲に従い行動する。
ここまで擦れた思想をなぜその年で抱けるのかが分からなかった。
少年はすでに次の準備に取り掛かっているようで。
両手でポンチョを広げると、小さな身体に巻きつくナイフホルダーから一本を抜き出す。大小と様々な種類を取り揃えているようだが、少年が選んだのは先程と同じダガーナイフ。
それを躊躇なく投擲しようとする。
「ま、待て。話を聞け――」
声は空虚に消えているかのように少年には届かなかった。放たれた一投は、ミゲルの健全な脚の方へと向かっていく。
「くそ!」
聞き分けのない子供に腹を立てつつ、対処に追われるミゲル。痛む身体に鞭打ちながら、先程とは反対の左側へと飛んだ。しかしダガーはまた彼を追うよう直角に曲がる。どうやら意図的に方向を定めているらしい。
予想ありきの反応だった。ミゲルは体勢を崩しながらも、手にしていたダガーでそれを弾く。
宙に浮きながらの相殺するのは流石の運動神経だったが、そこから体勢を立て直すのは手負いの人間には困難だ。
カン、とダガーが重なり合った音のすぐ後に、ミゲルが地面へ落ちる音がした。
やはり右脚が思うように動かせないのは大きなハンデだ。地面へ突っ伏してしまっても、すぐには立ち上がれない。
「へえーやるねお兄ちゃん」
感心した声。その褒美とでも言わんばかりに、少年がすぐに次の一手を投じる事はなかった。
もちろん見逃してなどくれないのだろうが。
バサ、と、再びポンチョをマントのように広げると、今度は両手でそれぞれ一本づつ手に取るのが見えた。
寝転がっているというこの上ない不利な状況では二本だなんてとても捌ききれない。
まずいと必死にもがき、その場から離れようとするミゲル。ただでさえまともに動かない身体で慌てるものだから、一度は立ち上がったものの、脚をもつれさせ転倒してしまった。
――死ね。
生かして連れて行くと入っていたが、顔面蒼白のミゲルが少年を見た時、口はそう動いたように見えた。
小さな雑木林とはいえ、人が出入りしている様子もない。例えしていようと、こんな特殊な状況で何が出来るとも思わない。
つまりは詰み。
このまま俺はあの凶器でズタボロにされどうなってしまうのだろうかと、あれこれミゲルが考える間に、少年は両の手からダガーを射出した。
最早軌道を変える必要もない。
数秒の時差を伴い迫る脅威。
あの衝撃が時間を置いて二度伝わるのかと、その痛みに歯を食いしばる準備をするミゲルだったが――切っ先が彼に届く事はなかった。
ダガーが彼に迫ったその手前。
風のごとく現れた女が、二本の凶器を薙ぎ払う。
どうやったのかは分からない。
ミゲルの目前に現れたかと思うと、女は両手で空間を捏ねる様な動作をした。するとダガーは見えない何かにぶつかり、推進力を失った。
複雑な事をいとも簡単にやってのけた女は言う。
「やめなさい」
まるで子供を叱るかのような口調。
状況的には、現にそうなのだが。
女のか細い声を聞き取れたかどうかは分からないが、突如現れた邪魔者に驚いた後、少年は不機嫌そうな顔をしていた。
子供がむくれるといえば聞こえはいいが、多数の刃物を何の気兼ねもなく人に向けるような人間に癒しを覚える訳にはいかない。
一体いくつ持っているのか。
ポンチョの中から新たな刃物を取り出すと、少年はそれを女へと放った。
だが動じない。
女は再び放たれたダガーを、また弾き捌いた。
改めてみてもどうなっていたのかは分からないが、何やら空間を捻っている印象を受け、あれでは軌道の変化も何も無いだろう。
少年にもそれは理解できたようだ。これまでに無く真剣な面持ちになると、今度はダガーと違い、長めな針のような物をポンチョの中から複数取り出す。それを無造作に投げ、女の出方を窺う。
同じ事だった。
今までより大きな動作を取り範囲を広げる事で、十本近く放たれた針の群は全滅する。
不毛を覚えたのか舌打ちした少年。
分が悪いと一旦身を退こうとするが、爆発的な脚力で迫った女の方が早かった。
うわ、と子供らしい声を漏らす少年の目前にまで迫り、
「臆病な子ね」
女は語り掛けた。
「直接人に危害は加えられないのかしら」
挑発のような言葉。
これにカッとなった少年は顔を強張らせながらもポンチョの中からナイフを取り出し、それを女へと振り上げた。
扱い慣れている素早い動き。得意げに掲げたナイフを再び振り下ろすその動作は見事だったが、女はこれを軽く横に避けてさらに脚を掛ける。
うわ、という驚きの声を発し、それだけで簡単に転んでしまった少年。転がった反動で、ポンチョの中にあった刃物がいくつか落ちた。
上体を起こし、痛ってぇ~と打ち付けた腰を摩る少年。
女はそんな彼を無表情で眺めている。
「何なんだよ一体。どうして僕の邪魔をするのさ」
逆ギレ、とは少し違うのだろうが、妙に納得のいかない少年。女に対しての怖さと言うよりも、うまくいかない事に対しての不満の方が大きいようだ。
ごねる少年に対し、逆にこの状況で冷静すぎる女は問い掛ける。
「どこの差し金かしら。場合によっては拘束しなければいけないのだけれど」
「しがない情報屋だよ。お金をもらったんだ。だからお兄さんに訊きたいことを訊けば帰るつもりだったのに」
パンパン、と汚れた膝もとを払う少年。しかし次の瞬間、素早く顔を上げた少年は、いつの間にか手にしているナイフをアテナの腹へと突き刺そうとした。
目線的にその部位が狙いやすかったのだろう。
ナイフは何の負荷もなく一直線に進んだが、これを読んでいたのかアテナは少年の手首を掴みそれを制した。
刃の切っ先は彼女の腹部数センチ手前で止まり、今も押し迫らんと葛藤を繰り広げている。
こうなっても一向に殺意の消えない少年。なので、仕方なくアテナはその腕を捻り地面へと叩き伏せる。
小さな身体はいとも簡単にひっくり返り、少年はまた腰を打ち付けた。
くそ! と本性を露わにした彼は即座に立ち上がろうとするが、腕を取られ組み伏せられた状況から脱せない。
「まだやる気?」
億劫そうに問い掛けるアテナ。
その後も足をばたつかせたりうめき声を上げたりと抵抗を続ける少年だったが、どうやら歴然たる力の差を悟ったようで。
「あーもう分かったよ! 諦めればいいんでしょ諦めれば」
不服そうにそう言うと、目を瞑り力むのを止めた。
頬を膨らませる少年に、あからさまではないものの呆れた様子のアテナ。
二人が織り成す、第三者からすれば展開が読めない会話。
これには渦中の人物であるはずのミゲルもぽかんとする。
見知らぬ少年に命を狙われ、突如現れた女に助けられる。
というより、彼はその女を知っている。
アルファーノ家にいた時に顔を合わせている、いわば居候仲間。
半ば混乱しながらも、確か名前はアテナだったような、とミゲルは登場時から見覚えのあった金髪碧眼の女を定着付けた。
彼女の頭に、どこからともなくやってきた例の喋る梟が乗る。
そしてそこへまた新たな人間がやってきた。
ぜえぜえと息を切らしながら現れた少年。
両手に荷物を抱え走ってきたのか額には汗が結露のように浮き出て、見ているこっちが暑くなってしまう。
他の二人と違い、少年の顔には疑問が浮かんでいる。
いまだ息が整わないながらも地面に寝転がっているミゲルを見ると、お互いは不思議そうな表情を面合わせた。
「あれ? 何やってんすかミゲルさん」
もちろん日本語で放たれたそれに、ミゲルが返事をする訳が無い。
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「見失っただと?」
電話の向こう側の言葉に、思わず耳を疑いたくなる。
高級車に乗り入り、仲間からの朗報に備えていた男は頭を抱えていた。
電話の向こう側の人物は続ける。
『ああ。あの野郎銃を持っていやがって、迂闊に近寄れなかったんだ。おまけに街で派手に騒いじまった。これ以上やっちまうと別の容疑でしょっぴかれちまう』
不利になるような事ばかりすらすらと述べる男に、流石のカッティスも苛立ちを隠せない。カッサロー二なら間違いなく殺している。いやカッサロー二でなくとも、今目前にいれば銃で打ち抜きたいところだと、男は内心思いながら、
「まあいい。こうなりゃ最後の手段だ」
電話を一方的に切ると、今度は別の人間に電話を掛けるカッティス。
相手は三コールほどで出た。
「俺だ。奴等が失敗した」
電話の相手は先ほど連れ添っていたもう一人の男。こうなった時の為に別件で動いてもらっていたのだ。
「だからこれからあいつらも連れてそっちへ向かう。場所を教えてくれ」
車のエンジンを掛け、カッティスはハンドルを握る。ぺダルを軽く踏むと六百四十九馬力を有するエンジンが大きく嘶き、傍にいた現地の人々は一瞬で彼がそっち系の人間だと気づく。
電話の相手から場所を聞きだし、分かったと電話を切るカッティス。
出来れば取りたくなかった手段。
形振りかまってられない男は制限速度を遥かに超えるスピードで、現地へ向かう。




