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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアの闇達
135/261

空に昇る銃声

「おい! ミラノ行きの切符をくれ」


 前衛的な内観になど眼もくれず駅の窓口に駆け込むと、開口一番ミゲルはそう声を張り上げた。順番待ちをしていた列を押しのけての割り込みなので、並んでいた他の連中は並べだなんだと騒ぎ立てている。

 しかしミゲルはそれ所ではない。何せ命を狙われているのだ。律儀に順番など待っていられない。

 駅員と思しき男性はキョトンとしながらも、マナーの悪い客に受け答える。

「お並びください。順番がくれば応対いたしますので」

「時間がないんだ。頼む」

「でしたらあちらの機械で番号札をお取りください。こちらよりも割りかし早く手続きが出来るかと」

「少しじゃ駄目なんだ。すぐに出発する鉄道はないのか」

「と言われましても。ミラノ行きは先ほど出たばかり。次の電車も一時間ほど遅延が発生しておりまして――」

 懇切丁寧に対応する駅員の言葉だったが、この時ミゲルの耳にその声は届いていなかった。

 駅の正面玄関を見る。

 カッサロー二の一味が丁度中に入って来た所だった。数は二人。スーツ姿にいかつい面をした男達は、忙しく辺りを見回している。

 きっとミゲルを探しているのだろう。

「おい兄ちゃん。忙しいのか知らねーが、次は俺の晩なんだ。今すぐそこを退きな」

 後ろの男も不満を本格的にぶつけ始めたが、やはりミゲルの耳には入ってこない。

 ――駄目だ、見つかる。

 本能的にそう判断すると、切符を後回しに、ミゲルはとりあえずその場から逃げ出すことにした。

「いたぞ、あそこだ」

 丁度その頃、二人はミゲルを見つけた。カッティス達と分かれた二人組み。電話が掛かってきて駅の中に奴が逃げたと聞き、急いで戻ってきたのだ。

 そして、見つけた。

 自分達が一度は取り逃がした男。それによりびくつきながら生活をしなければならなくなった元凶の男。

 逃がしてはならない。

 二人は以心伝心でそう会話したかのように、全速力で標的を追いかけ始めた。

 ミゲルは別の通用口から外に出る。 

 開閉式の扉を出ると、すぐに階段が現れた。二十メートルはあろうかという長さを誇るそれを段飛ばしで降りていくと、これといったあてもなくとりあえず走る。

 多分、正規じゃない場所も通ったと思う。

 自分がどこをどう走ったのかも分からない状況だが、気づけば駅から離れ、街中を駆け抜けていた。

 すれ違う人々は皆何事かと彼を見て驚き、道を開けていく。

 そこからも分かるように、彼は今必死だった。

 この辺りははっきり言って土地勘が無いので下手に裏路地へと逃げ込めない。入り込んだ先が行き止まり、なんて事になった日にはそこが死に場所になってしまう。

 曲がり角を曲がる。

 運悪くそこには買い物帰りのお婆さんが歩いていて、速度を緩められなかったミゲルは思わずぶつかってしまう。

 お婆さんは手にしていた買い物袋を放してしまい盛大に中のものを地面へとぶちまけ、ぶつかった衝撃で地面にへたり込んでしまう。

 そこに丁度追って二人組みが現れた。

 もちろん、周りに寄り添われ助けられるお婆さんに眼もくれない。地面に落ちたオレンジを踏みにじりながら、ミゲルの追走に全力を注ぐ。

 しかし男達は焦っていた。

 距離は少しずつだが開いてしまっている。それが示すのは相手の方が足が速いという事だ。このままではいずれ見失ってしまう。そうなれば次に見つかる頃にはカッサロー二に殺され自分達はもうこの世にいないかもしれない。

 だから男達にとっては、何としてもここで捉えなければならないのだ。

 その焦りから、大胆な行動を取る。

「くそが」

 腰に携えていた小型銃を引き抜くと、男は立ち止まってそれを構えた。そしてろくに標準も合わせず引き金に指をかけると――発砲した。

 辺り一帯に響いた甲高い音と薬莢の匂い。 

 だが男の賭けも実らず、弾丸は標的の近くにあったポストを打ち抜き、その場一帯から悲鳴が上がった。

 形振り構っていられなかった。カッティスに言われたように、手段を選ばなくなってきた男達。人の目など気にせず、銃を次々と発砲していく。

 しかし弾丸は中々標的には当たらず。関係のない屋台や雑貨などに、次々と孔が空いていった。

 市場は最早パニック状態。銃を発砲した彼らが道を通ると怯えながら人々が開けていく。

 都合はいいのかもしれないが、だからと言って距離が縮まる気配がない。

 逃走の上策として、ミゲルは現れる曲がり角を手あたり次第曲がっていく。

 それにより連中は彼の姿が定期的に見えなくなってしまう。

 恐らくもう少しでカッティスの方とも合流できるはず。それまで捉えられなくても、見失わないようにしなければ。

 走る速度を上げ、どうにか食らいつこうとする男達。

 だが曲がった所で、反射的に身体は引き返した。直後、今しがた自分の顔があったであろう位置の壁が銃声の後に抉り取られた。

 間一髪のタイミングに、奥手になってしまう男達。だが彼らだってそれなりの修羅場を潜り抜けてきた面々。壁から腕を出し威嚇の意味をこめて銃を発砲すると、体勢を低くし必要最低限の動作で壁から顔を出し、様子を窺う。

 すでにそこにミゲルの姿は無い。

 すぐに追いかけようとはするが、まさか銃を持っているとは思わなかったので、心がひるんでしまっている。

 自然と追走もこれまで以上に慎重になってしまい、その距離はどんどんと開いていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「何の音だ?」 

 アテナと肩を並べ、空港へと向かう道中。

 近くで発砲音のようなものがした。単発だったのでタイヤがパンクしたのかな、と龍樹は適当に考える。

 そしてそれは彼だけではないようで、謎の音に一瞬動作が止まったものの、辺りの人々はそこまで気にする様子は無く、また本来取ろうとしていた動きに戻る。

 そんな中今の音に関心を示す女が一人。

「……」

 足を止め、音のしたであろう方角をじっと見つめるアテナ。

 それに龍樹も訝しむ。 

「どうしたんだ?」 

 その問い掛けにも答えは無く、アテナは未だに件の方角を眺めている。彼女にはあの音が何の音なのか分かっているようだった。その上でもっと奥深いところを考えているような、そんな印象。

 一体全体どうしたのだろう。一度はした質問を、龍樹がもう一度口にしようとしたその時、空から何かが飛んできた。

「姐さん!」

 まるで地面を這う餌を捕獲するかのような速度でパードリッジが降下してきた。体格にそぐわない俊敏な動きで現れた彼は、即座に気付き伸ばされたアテナの腕へと降り立った。

「大きな動きがあった! 場所はここから南へ五百メートルほどだ」

 止まるや否や、捲し立てるようにそう述べたパードリッジ。その慌てぶりは傍にいる龍樹を見向きしないほどで、もしかすれば本当に気づいていないのかもしれない。

 一方のアテナは、恐らく自分が仕向けていたであろう使いの言葉を受けると、

「ごめんなさい龍樹」

 ぽつりと、今にも消え入りそうな雨のような声。

「え、何?」

 言葉の内容が聞こえなかった龍樹はもう一度訊き返す。アテナの関心はすでに他にあるようで、その後の発言時には彼女すら龍樹を見なかった。

「急用が出来て、空港までは送れない。もう近いと思うから、後はお願い」

「後はお願い、って……」

 まさかの言葉に、思考が追いつかない龍樹。キョトンとする彼を他所に、アテナとパードリッジは動き始めてしまう。

 風を切る様にパードリッジが先頭に立ち、アテナはあんなにだるそうに歩いていた脚を早め、飛ぶようなスピードで音のした方角へと走っていく。

「あ、おい、待てよ!」

 堪らず呼びかけるが、アテナが静止する事は無い。荷物を両手に抱え身動きを取るにも一苦労な龍樹をほったらかして、女は段々と遠のいていった。 

 呆然とする龍樹。どうしたらいいのかが分からず、思わず口を開けっ放しにしてしまう。

 その時、遠いところからまた発砲音がした。

 今度は一発ではない。銃撃戦でも繰り広げられているのか、パンパンパンと、乾いた音が空へと立て続けに昇っていく。

 謎の音源に、思わず身を萎めてしまう龍樹。

 別に空港へ辿り着けない訳ではない。

 場所は本当に近いらしく、先ほどから上空を飛行機がいくつも降下してはある場所へと集まっていく。

 アテナとしても、いくらイタリア語が喋れない龍樹でも流石にそれで気づくと判断したので、ここで彼と別れる事にしたのだろう。

 現に龍樹もそれを理解し、ここから後二十分も掛からないうちに空港へは辿り着けるはず。

 しかし手続きはどうする。自慢ではないが、彼の順応性の無さは折り紙つきだ。携帯の翻訳機能だってどこまで使えるか分からないし、もし空港に日本語を通訳してくれる人間がいなければ、ちゃんと目的の便に乗れる自信が無い。 

「あーもう!」

 粗末な扱いにあんまりだと唸る龍樹。とはいえせっかく貰ったおみやげを置いていく訳にもいかず、脇に抱えることで走るのに多少なりとも便宜を図る。 

 そして遠のいていくアテナの背を必死に追いかけ始めた。

 妙な音がする現場へと近づくという行為に対しての恐怖は、不思議と無かった。それはもしかしたら少なからず知り合えた仲に対しての不満だったのかもしれない。

 空港でちゃんとした便に乗れない云々。

 こんな別れ方は、彼としても嫌なのだ。

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