最悪なタイミング
行き交う人々を鋭い眼光で観察しながら、標的である男を捜す。
なるべく全体を見渡せるようにと階段の上にいる訳だが、スーツ姿の男が腕を組み苛立ち気味で立っている描写は間違いなく声が掛けにくい雰囲気を醸し出す。
未だに目の前を通っていく人間をつぶさに見ていくカッティス。
カッサロー二から親戚の集まりで席を外せと言われていた。あの男は家族や親類を何よりも大事にする男で、事それに関してはマフィアの関係者を付き添わせない徹底振りだ。
これまでいくつもの家族の命を奪った癖に、自分は至極全うな幸せの時間を享受するらしい。
全く持って吐き気を催す話ではあるが、今のカッティスにとっては好都合だった。
少なくとも今日の夜までは自由な時間がある。その間に何としてもミゲルを見つけ出し始末をしなければ、そろそろ危ない。
このままどこかで身を潜めていればいいが、カッティスの脳裏にはどうしてもタレコミの件が過ぎってしまう。
ミゲルがこれまでの悪行を洗いざらい吐いてしまうとファミリーは窮地に立たされるだろう。
別にカッサロー二がどうなろうと知ったことではない。むしろボスの座を狙いはじめていたカッティスにとっては願っても無い話だ。
真の問題は他のファミリーに飛び火するという事だ。
イタリアンマフィアは縦はもちろんの事、横の繋がりも非常に厳しい。カッサロー二が捕まった所でその波及を畏れ彼らが動かないとも限らず、そうなればこれまで行ってきた所業が全部水の泡になる。
へつらいたくない男にへつらい、やっとこさアンダーボスにまで上り詰めたのだ。
たかだが一人の人間を取り逃がしたくらいで、その地位から落ちたくは無い。
という訳で、カッティスは血眼になってミゲルを探すが、状況が芳しくないのは前述の通り。
(……やはりいないか)
かれこれ一時間。ここなら来ると思ったが、標的の男は現れなかった。ミゲルを取り逃がしてからすでに三日経っている。これだけの時間があればそれなりに資金を集め国外に逃亡だって出来てしまう。
そうなっていては、大々的に動けない今の状況では見つけ出すのが不可能になってしまう。
だからといってカッサロー二にこの件を伝える訳にはいかず、まさに打つ手が見つからない。
どうすればこの状況を打開できるか。
焦りという感情が、いつもは静寂な思考の邪魔をする。
「カッティスさん」
その時、近くから声がした。
より範囲を広げ辺りを探しにいっていた仲間だ。額に水滴のような汗を搔き浮かない顔をする男。
表情から彼が何を言いたいのかを理解しながらも、カッティスは一応訊いて見る。
「どうだ、いたか?」
「いや、駄目だ。街の方も探したが見つかりやしない。やはりもう近くにはいないんじゃ」
「だからといって放って置く訳にはいかないだろ。カッサロー二は勘が鋭い男だ。そろそろ俺たちの不穏な動きに気づいてもおかしくない」
カッティスは腕を捲くると、高級な腕時計の時刻を見て、
「時間的にも後三時間……もう一度だけ探すんだ。今の俺たちに出来るのはそれしかない」
半ば諦めている様子だった。いつもは雄弁に語る声にも覇気がなく、ボスの付き添いという板ばさみか表情には疲れも現れている。
恐らくこの三日間はまともに寝ていないのだろう。
時間的にも体力的にもそろそろ限界。
最後の力を振り絞り、男達は全力で標的を探す。
カッティス達が動き始めた。
階段前に集まっていた連中は移動するのか一斉に動き始める。二人二組に別れ、一組は階段をそのまま下り、もう一組は――ミゲルの進行方面へと向かってきた。
顔を見られればまずいので直接見れないのが難儀だった。距離感も掴めず、気持ち的にはすぐそこに連中がいるのではないかと錯覚してしまう。しかしここで走り出すのも逆に怪しいだろう。横合いから迫る二人に、心臓が高鳴る。
運が悪いことに、こちらへと向かってくるうちの一人はカッティスだった。やつれてなお賢しそうな眼は行き交う人々をぎょろぎょろと見回し、異常がないかを探っている。
今彼らが歩く通路はしばらく平行を辿り、それはしばらくこの状況が続くのを意味する。
そもそももう一組の連中はどこにいったのだろうかと、ミゲルはふと疑問を覚えた。階段を下ったという事は、少なくとも駅の中を通り、ともすれば反対口から出る可能性が高い。
だとすればまずい。
大きく回り込み中に入ろうと考えてた矢先という最悪のタイミング。
直接の面識が無いとはいえ、この三日間脳裏に焼き付けた人物を見過ごしてくれるだろうかという疑問がふと浮かぶ。
そう考えると急に怖くなった。そのプレッシャーに耐えかねたミゲルは別の方法を考えはじめる。
その結果、男は立ち止まった。
歩道から駅の方を眺めるような格好をしてやり過ごそうと考えたのだ。
そうすると眼の端で見た具体的なカッティスとの距離が分かった。隣にいる男とはこれといった会話もせず、通夜帰りのように雰囲気もどんよりとしている。
カッティス達はもうすぐ傍を通り抜ける。
妙な動きをすればバレてしまうというのに、思わず帽子を目深く被るミゲル。
緊張の一瞬。
ホームに向かうミゲルと、ホームから離れるカッティス。
二人はほんの数メートルの距離を交錯し――通り抜けた。
振り向きたい衝動に駆られながらも、ミゲルはどうにか堪える。
そして五秒ほどの時が経過すると、よし、と内心でガッツポーズをする。
この時間で声を掛けてこなければ大丈夫。やり過ごせたのだ。今目前にいた男が標的の者と認知せず、そして怪しむ様子も無く、距離は段々と離れていく。
カッティスは変装したミゲルに、気づいていない。
「おーいミゲル」
心臓が口から飛び出そうになった。思わず立ち止まってしまうミゲル。こんな時に名前を呼ばれるだなんて、これまた最悪のタイミングだった。
声の主はこちらへと向かってくる。
今彼がどんな心境でいるのか、全く知らない笑顔を浮かべながら。
「……」
「どうした? 何か忘れ物か」
急に後方を振り返ったカッティスに、隣にいた男が訊く。
「いや……今誰かミゲルと言ったような気がしたんだが」
気の精か、単なる空耳か。
いずれにせよ確認をしなければ。
カッティスは広場の人間をもう一度眺めてみる。キャリーバッグを手にパンフレットを見ている旅行客。スーツを着て商談の話でもしていそうなビジネスマンに地元の住民。
後精々いるのは、女性子供と会話をしている家族連れの男ぐらいのものだ。
(……違ったか)
どうやら疲労もピークにきているらしい、とカッティスは思った。こうあればいいという願望の精か周りの音からミゲルという単語を作り上げてしまったようだと。
隣にいた男もミゲルという単語には敏感な反応を示していた。
「なんだ、どうした。ミゲルの奴がいたのか」
興奮気味に話す男。そんな彼に対し、だといいんだがなと内心愚痴りながらカッティスは、
「いや、俺の勘違いだ。気にするな」
と前を向きなおし、ミゲルの捜索を再開した。
「見てミゲル。かわいいでしょ。さっき買ってもらったんだ」
パープル柄のハットを自慢げに見せてくるミレーナ。リボンをあしらったシンプルな帽子は可愛らしい彼女に似合っていて、見ていて微笑ましいものがある。
もちろん、今のミゲルはそれどころではないのだが。
「あ、ああ。似合ってるじゃないか」
言葉少なに相槌を打ち、カッティスの方をちらりと見やる。連中は背中を向け遠ざかろうとしていた。
どうやらバレなかったようだ、とミゲルは安堵の息を吐く。
「えらく気に入ってしまってな」
皮肉げに笑うミシェル。
「今日は風が強いから飛ばされるぞと言ったんだが聞かなくて。あんたや旦那にも見せてやりたいって言ってさ」
「そ、そうか。それは良かった」
意識が他所に向きすぎておかしな返しになってしまっている。しかし自分の命を狙う人間が視界の中にいる男は気づく余裕すらない。
そわそわして落ち着きが無く、視線も泳いでしまっている彼にミシェルも眉を寄せ始めていた。
そもそもなぜ眼鏡などを掛けているのか。不審な点は芋づる式に掘り起こされていき、やがて要約された言葉となる。
「ところでミゲル。こんな所で何をやっているんだ」
ミシェルは調子が悪いと聞かされていた。だから今日一日は家で安静にしていると。
にも拘らず、目前にいる。
それに眼鏡やコートはどこかで見た事があるものばかりだ。
確かこれはダニエルの服だったはず。そこに気づいたミシェルは、次に彼がなぜその服を着ているのかを推測しようとする。
顔はだんだんと険しくなっていくのは、直感的に悪い予感が働いているからなのだろう。
その時だった。
「うわ!」
何の因果か、一際強い風が辺り一帯を駆け抜けた。こんな時に吹くだなんて全く持ってツイていない。周りに不意打ちを食らわせた強風は、ミレーナの帽子も飛ばしてしまう。
「待てー!」
子供用で、しかも帽子のつばが曲がっている構造。飛ばされた帽子は勢いよく地面を転がっていき――あろう事かカッティスの足元に当たる事で静止する。
足に何かが当たった感覚を覚え、振り返るカッティス。じろりと足元に一瞥くれると、次に近寄ってきたミレーナへと視線は移った。
全力で走ったのか、少女は息を切らしながら、
「ごめんなさい。風で帽子が飛ばされちゃって」
申し訳なさそうな顔をしながら、謝るミレーナ。
男はそんな彼女を鋭い眼で見ていた。謝罪に対しての反応も無く、もしかしたら怒っているのではないだろうかと、ミレーナの顔も強張る。
しかし数秒後、男は硬かった表情を少し緩め、
「構わないさ。それより悪かったな、大事な帽子を俺の足が踏んづけちまって。今日は風が強いから、しっかり被ってな」
帽子を拾い上げ付着した誇りを払うと、少女の頭に被せてやる。そこに丁度母親がやってきた。
「すみません。うちの娘が――こら、だから言っただろ。風邪の強い日は被っちゃ駄目なんだって」
粗相をした娘を叱る母親。
しかし反省はせど、被らないという選択肢はないようだ。
無言で申し訳なさそうに親であるミシェルを見上げると、ミレーナは帽子のつばを両手で押し込み更にしっかりと被り、改善したと示す。
「ありがとう。これでもう飛ばないと思うんで」
未だに両側のつばを両手で押さえながら、眩しい笑顔をカッティスに向けるミレーナ。カッティスはそれに軽く手を上げて答える。
そして親子はもう一度カッティスに礼を言うと、軽快に踵を返し、元居た場所へと戻っていく。
「子供には優しいんだな」
同僚の男が意外そうに言う。
「ああ。子供は可愛いものだ。純粋で従順な、汚れた大人には無いものを持っているからな」
言いながらカッティスは服の内ポケットからハンカチを取り出すと、まるでばい菌が付着したかのように靴を磨き始める。光沢を帯びた黒靴は更に磨きが掛かり、チラチラと黒光りしていた。
やがて満足がいったのか、ハンカチを内ポケットに仕舞い直すと、
「さあ、行くぞ。こんな所でモタモタしている暇は無い。早くミゲルの野郎を見つけて、抹殺しないと――」
ふと、何かが引っかかった。前を向きなおしたカッティスは、もう一度振り返ってそれを確認する。
帽子が飛び駆け寄ってきた親子連れ。
なぜそこに父親の姿が無かったのか。
普段であれば気に掛ける事でもないのかもしれない。父親が謝らなければならないと言う法律は無いし、無愛想な父親なら母親が対処していると考えるのかもしれないし、何より親子で買い物していて、その男は赤の他人なのかもしれない。
だが些細な変化に敏感になってしまっているカッティスの脳内には先程の空耳じみた声がずっと反響していて、その事実がどうしても気になってしまう。
それによくよく考えれば親子に赤の他人というのも、またおかしな組み合わせだ。
そして予感は的中する。
「あれ? ミゲルがいない」
立ち止まり辺りを見渡す母子。
どうやら探しているようだ。いなくなった男の姿を。
彼女たちがミゲルという単語を発したのは距離的にもカッティス達には聞こえない。それでもこの時点で男は確信を持っていた。
カッティスは母子たち以上に、辺りを見渡す。キョロキョロと首を痛めてしまうのではないかと思うくらい激しく動き、標的を探そうとする。
その動きに只ならぬ雰囲気を感じ取ったもう一人の男。
「何だ、どうした」
未だ忙しなく動き回るカッティスに、動揺を覚える。
当の本人はその言葉に反応を示さない。聞こえていない訳ではないが、今は他に優先すべき事柄がある。カッティスは全神経を集中させ、人混みの中から一人の人間を探し出す。
そして見つけた。
駅の中へと繋がる階段を上り終え、状況を確認する為かこちらを振り返るミゲルと――眼が合った。
「いたぞ、あそこだ!」
大きな声を上げ、仲間にそう告げる。ミゲルの方を指で示したカッティスの行動で、仲間の男はすぐさま全てを察した。
初速から全力で走り出すと、人々の合間を縫い標的を追い掛ける。
「俺だ。ミゲルの野郎を見つけた」
携帯電話に向かって声を荒げるカッティス。万が一に備え色々と準備は施さなくてはならない。
ついさっきまで絶望に打ちひしがれていた面々に差し込んだわずかな光を取り逃がす訳にはいかない。
急展開を見せた状況。
何が起こったのか全く分からないミシェル達は眼をパチパチさせながら、突如走り出した男達の背を眺めていた。




