彼女の思惑
「え? ミゲルさんがブローカー?」
ミシェル達とお別れ会がてら食事をして、再発行されたパスポートを手に、さあいよいよ日本へ戻るために空港へと向かう道中、見送り人であるところのアテナの口からは、そんな唐突な言葉が放たれた。
ミシェルからイタリアのお土産だと奮発してくれた荷物を両手に抱え難しい顔をする少年にアテナは続ける。
「ええ。それも相当大きな取引を受け持つ、業界ではそれなりに有名な男よ。もちろん通り名だけで、彼がそうだと知るのはほんのごく一部の人間だけだけど」
そんな危ない人間である事を知っていながら、これまでそしらぬフリをして過ごせたのは彼女が特異な人間だからこそだろう。
一般的な者がその事実を耳にすれば、ほぼ間違いなく警察か家を追い出すかのどちらかだ。
しかし、一般的であろうところの龍樹の表情は以前渋いままだった。
突飛ないアテナの言葉を聞いても表情はさほど変わらず、つまり反応が薄い。
なぜなら、
「ぶろーかーって何?」
平和な世界を生きる彼には、あまり触れる機会がないからだ。
そんな事も知らないの、と言いたげな間を空けるアテナだが、そもそもその単語イコールという訳ではない。
とはいえ、ブローカーという言葉自体は決してスラングではないのだが。
「ブローカーというのは、日本語で言えば……仲介人、であってるかしら。とにかく、売買の間を取り持つ人間の事」
「ああ、そういえばどっかで聞いた事があるな。思い出した思い出した――で、ミゲルは何を仲介しているんだよ」
そっち系の話だとは夢にも思っていないような調子の龍樹に対し、兵器よ、とアテナは平然と告げた。
え? と予想だにしない答えに思わず立ち止まる龍樹。
彼に付き合う気は無いのか、アテナは立ち止まらずに続ける。
「まあ武器商人自体は結局のところ仲介人だから、そのバックに大きな後ろ盾があるのがほとんどなんだけど」
「ちょ、ちょっと待てよ」
走ってアテナに追いつき、どうにか話に付いていこうとする龍樹。せっかくもらったワインやチョコレートの入った手提げ袋が、乱暴に揺れる。
「じゃ何か。ミゲルは武器を仕入れて、誰かにそれを売ってるって事か」
「そうよ。敵味方関係なく、依頼があれば要望のものを仕入れ、売りさばく。最近は武器の流用や大量生産で随分厳しいみたいだけど」
「そう……なのか」
人当たりが良く、他人の為に自分が傷つけられるのも辞さないあの男がそんな仕事をしているとは信じがたかった。
いまいち理解が追いついていない龍樹は少し動揺する。
瞬きの回数が増え、結局のところミゲルが武器商人というのが何を意味するのかがよく分からないが、単純にショックを受けた。
それを感じ取ったのだろう。
難しい顔をする彼を横目で見ながら、アテナは気を揉む為かこんな言葉を口にする。
「まあその行為自体はそこまで問題じゃないんだけどね。さっきも言ったけど、武器商人ってのはあくまでも仲介人。本当の脅威は、バックにいるであろう組織や国の存在」
「問題じゃないって……」
まるで正規の仕事かのごとく語るアテナに、不信感は否めない龍樹。
「ただ厄介なのは彼が取引をした相手よ。正確には、したかもしれない、だけど――まあそんな訳で。あなたも直接あの男と接しているから何かおかしな点はなかったか気になったんだけど、その様子じゃなさそうね」
「いや無いけどさあ……」
驚きつつも、一応は回想してみる龍樹。しかし思い当たるふしは無かった。
そうこうしているうちにも、二人はどんどんと空港へと近づいていく。
アテナは相変わらず意に介すことじゃないと示したげに歩を止める様子はなく、落ち着いて物事を考えたい龍樹の気を煩わせる。
「でもよお……お前それ。ミシェルさん達には伝えているのかよ」
恐る恐る訊ねる龍樹。アテナはここだけなぜかため息を吐き、
「伝えている訳ないでしょ」
と言った。
それは考えればわかるでしょ、という呆れより、そんな事をいちいち口にさせないで、という疲れからきていそうだった。
そうとは察せず、鈍感な龍樹は彼女に質問を続ける。前を行くアテナの隣に走りこんで、
「なんで伝えないんだよ。もしも、って事があるだろ。あの人達だって馬鹿じゃないんだ。ミゲルさんの情報が欲しいってんなら、それなりに協力も仰げただろ」
「知るというのは関わるという事。いつの日か言ったわよね。出来ることなら穏便に済ませたいの。ミゲルが彼女達の元を去るのはもちろん、一番の理想は彼がこちらに協力的な姿勢になる事。何せやっと辿り着いた足掛かり。慎重にいってやり過ぎる事はない」
「……そうなの」
何やら不穏な空気を感じ取る龍樹。適当な反応をしながらアテナの様子を窺うが、やはり彼女はいつもの彼女で、その表構えからは図れない。
「悪かったわね。こんな妙な話をして」
彼の視線に気づいたのか、前を見据えながらそう謝ったアテナ。
「本当はあなたにも黙っておきたかったんだけれど、どうしても情報が欲しくてね。何せようやく辿り着いたのだから。これを逃せばもう一度最初からやり直さなければいけないと言っても、言い過ぎではないくらいにね」
空を見上げ、口少なな彼女がそんな事を言う。ミゲルは、いや、戦場で血を流させる武器を仲介するというあの男は、このまま野放しにしておく訳にはいかないであろう事は龍樹にも分かる。
そして彼女たちが事それに関して引き起こされる目的以外の問題で動いたりしない事も。
話は戻るが、先ほどのアテナの発言、確かにモヤモヤはするが、彼女が謝る必要は無いと龍樹は思う。
つまりこれは本音と建前。
彼女が謝ったのは妙な事を口にしたからではなく、
「今の話は忘れて頂戴」
それを聞いて少年が抱く心情を、汲み取れないからだ。
鼻息を吐く龍樹。流石にこれだけの付き合いになってくると、彼にも聞き訳というものが出て来るものだ。
「はいはい分かってますよ。俺には関係ないってんだろ。今聞いた話はきれいさっぱり忘れて、大人しく日本へと帰るよ」
最後になるであろうイタリアの空を眺めながら放たれた、ほんの少しばかりの抵抗。
それを横目で見ながらアテナは、
「いい子ね」
と言った。
まるで子供を褒めるような口調。実際問題、裏世界を百年近く生きてきた彼女にとっては、かれこれ十数年何事も無く平和に過ごしてきた彼は赤子に毛が生えたようなもの。
危なっかしくて見ていられないような、そんな存在と認識している事だろう。
「さあ、後半分は切ったわよ。荷物は重たいでしょうけど、がんばって」
ガイドさんのように状況説明をするアテナ。自分が子ども扱いされているとは全く気づかない様子の龍樹は、重たい荷物を両手に携え、えんやこらと足を進めていく。




