少女がここへ来た理由
快晴というに相応しい天気に晒された街には人が中々におり、それなりの賑わいを見せていた。
世界的にも有名な観光地であるイタリアは平日だろうと朝方だろうと、人の数が減る事はそうそうない。
もちろん場所に偏りはあるだろうが、食事や交通手段の要所は自然と人の多い場所に集まるものだ。
そんな場所にサングラスに帽子という秘匿性の高い格好で来たミゲル。なるべく目立たないようにはしたつもりだが、春先にしては少々浮いてしまっているような気がしてならない。
おまけに辺りをちらちらと見渡すものだから、見る人が見れば間違いなく怪しい。
それを裏付けるように、
「ねえどうしたのミゲル?」
様子のおかしい男に、疑問を示すミレーナ。
これくらいの年齢の子に勘付かれるくらいだ。もっと観察力を培っているであろう大人だったらと想定すると、気が気ではない。
現に後ろにいる龍樹とアテナの視線は疑いの眼差しのようにさえ、神経が過敏になっているミゲルは感じた。
「何でもないよ。さあ行こうか」
そしらぬ顔で雑踏へと向かうミゲル。お尋ね者である身としては、小奇麗な格好をする少女はいいカモフラージュになる。
いくら頭の切れるカッサロー二でも、見ず知らずの家に居候している事は予想できど、子供のお使いに付き合っているなどとは想像すまい。
つまり、わざわざ人通りの多い危険地帯に出てきたのは、彼にも考えがあっての行動だった。
いわくつきのパスポートを使用することを踏まえると、チェックの厳しい飛行機では通らなければ最後、そのまま警察に御用となってしまう。
となれば、国際列車で国境を越えたほうが断然通りやすいはず。
以前国境を越えた時は簡素な手続きだったし、地上を進む国際列車なら飛行機に乗るよりかは有事の際に対処できる確立も上がる。
但しそれはこちらの都合であり、むしろ都合がいいからこそ狙われやすいというジレンマがあった。
そこでミゲルは資金を用意できればすぐに旅立てるよう、街を下見するためにわざわざ出向くことにしたのだ。
この辺りは流石の慎重派だった。
ミレーナと当たり障りのない会話をしながらも、周囲の状況を確認していくミゲル。
彼女を利用しているという現状はあまり好ましいものではなかったが、おかげで状況は確認できている。今のところ街には誰かを探しているような人間も、カッサロー二と繋がっていそうな危ないみてくれの人物も見当たらない。まあ現実社会のマフィアというのもそこまで馬鹿ではないのであからさまな格好をしている奴なんてのはそうそういないが、それを踏まえても、だ。
もしかするとすでに自分は忘れられ、追ってもいないのではいないだろうかと、ミゲルはほんの少し安堵する。
しかしすぐさまそんなはずはないと頭を振った。
あの執念深い男の事だ。噂によれば、死体を見るまでその人物が排除できた事を信用しないという。
きっと今頃は血眼になって探しているはず。
あまり考えすぎるのも良くないのかもしれなかったが、無警戒になって足元をすくわれるという失態を犯すのだけは避けたい所だ。
サングラスの向こう側の眼を忙しく動かしながら辺りを探るミゲル。ミレーナの話を聞きつつ、周囲に目を配り続ける。
「でもあんまり時間は掛けられないよね。今から食材を買って家に帰ってから作り出す事を考えたら、精々三時間くらいが限度だし」
時間の兼ね合いすら考えているらしいしっかり者のミレーナ。
普通三時間あれば肉に下味を付ける余裕すらあると思うのだが、この少女はどうやら相当気合の入った料理を提供するつもりらしい。
辺りに視線を巡らせていたミゲルは、少しぐらいは会話をしなければと口を開く。
「ところで何を作るかはあらかた決まっているのか?」
ミゲルの問いに対し、大体は、とミレーナは答えた。そのたどたどしい口調を聞くに、完璧に考えが固まってはいないらしい。
その推測はどうやら辺りようで。
自信なさげにミレーナはこう言った。
「こういうものは作りたいな、ってものはあるんだけど、やっぱり時間が掛かりそうなんだ。作り方を最初から分かっていたら早いんだろうけど、教えられながらだと遅くなっちゃう」
「そうか? 朝見た分だと中々手際が良い方だとは思ったが」
「そりゃちょっとはやった事があるからだよ。全くやった事のない料理なら、絶対簡単にはいかないよ」
「なぜそこまで時間にこだわる。別に調理している途中でミシェル達が帰ってきても問題はないだろう」
「だ、駄目だよ。それじゃあさぷらいずにならないじゃない」
声を荒げそう主張したミレーナ。ミゲルを見上げるその瞳は切実な訴えを湛えていた。
それを見てミゲルは、なるほど、と一応の納得はする。
どうやら彼女にとってのサプライズの定義というのは、驚かせるというのが前提らしい。
いや、間違ってはいないのだろうが、今回に関しては別段そこにこだわる必要はないのではないかとミゲルは思う。
我が子が料理を振舞ってくれるなど素敵な話だ。きっとその親としては大変喜ばしい事なのだろうし、同時に成長したのだと感慨に浸るのであろう。
ようは日ごろ感謝している事を行動に移すという時点でミシェル達には最高のサプライズであり、例え料理が間に合わなくても失敗ということにはならないはず。
とはいえ、ミレーナの言い分も理解はできる。
誕生日プレゼントだって前もって知らされるよりも予想だにしないタイミングで出される方がインパクトは大きい。
きっと彼女は結果どうこうではなく、単純に両親を喜ばせたいだけなのだろう。
「そうか……分かったよ」
ミゲルとしても、ミレーナがそうしたいのであれば協力をするまでだ。
喜んでほしいだとかそういうものではなく。
助けてくれたお礼として。
利用させてもらっている対価として。
「だったら短時間で作れるグラタンだとか、簡単なものにすればいい。俺が育った国の郷土料理だ。グレードは落ちるのかもしれないが味は保障する」
「グラタンって……何か地味じゃない? そりゃ確かにおいしいけど、もっと驚かせたいんだけどなあ」
「だからグラタンなのにこんなにおいしいのかと驚かせてやればいい。安心しろって。言っとくが今朝作った料理なんて比較にならないくらいうまいからな。きっとあの二人も満足するさ」
「本当に? ……じゃあそうしようかな」
半信半疑といった具合に、煮えきれない感じのミレーナ。確かに大人がグラタンで驚く様子は中々に想像できないだろう。
しかし、何も面倒くさいから簡単なグラタンを勧めた訳ではない。
味には自信があるし、子供のミレーナにも教えやすい。それにグラタンならお金もそこまで掛からないし、浮いた分でデザートなどを提供すれば喜ぶのではないかとミゲルは考えたのだ。
「デザートか……いいアイデアだね」
ミゲルの提案を脳内で咀嚼すると、今度は納得したように微笑んだミレーナ。
そしてミゲルの顔を見上げると、
「凄いねミゲルは。私なんかじゃ思い付きもしないような事を思い付くんだもん。やっぱり相談して良かった」
穢れを知らない、とても純粋な笑みだった。子供というものが輝いているとは知っていたがこれほどだったとは、と考えを改めさせられるような、そんな眩しさだ。
釣られて笑みを返してしまうミゲル。
我ながら気持ちの悪い事をしていると、ちょっとした自己嫌悪を覚えた。
「それじゃあまずはグラタンに必要な材料を買わなきゃだね」
屈託のない笑みでそう言ったミレーナ。
「ああ。後は適当に家にあるもので作ればいい。せっかく貯めた金なんだ。どうせなら出来るだけ余らせて自分の為に使うのが、一番為になるに違いない」
「うん。そうする」
思った以上に良いプランを立てれているからか、鼻歌交じりに前を行く少女はご機嫌だ。
だからこそミゲルは背徳感に見舞われる。
こうして騙しているのはもちろんの事、これからまた彼女を失望させなくてはいけない。
そう思うと胸が締め付けられてしまう。
仕方がないとはいえこれが命の恩人に対する仕打ちかと、つくづく嫌になる。
本当に悪いなミレーナ。
哀愁が漂う笑みを小さな背に向けるミゲルの表情は、そう物語っているようだった。
それは他から見ても一目瞭然のようで。
ミゲル達の後方を歩く龍樹とアテナ。
欠伸をする鈍感な龍樹はさておき、その隣にいるアテナは男の些細な気持ちの変化を逃さない。
ミレーナが背を向けた瞬間に見せた、男の不安げな表情。
それを見た彼女は何かを勘繰ったのか目を細めた。




