優しき少女
「おいしい! やっぱりミゲルはお料理上手だね」
着替えを終え食卓に集まり、ミゲルが手早く作った料理に期待を膨らませそれを口に運ぶと、ミレーナはややオーバーなリアクションでその味を絶賛した。
これだけ喜んでもらえれば作り手も冥利に尽きるというものだろう。
いまだに食事を美味しそうに進める少女の微笑ましい笑顔を見ながら、ミゲルの心もほんの少し癒される。
ちなみに食事を口にしているのは彼女だけではない。
隣には龍樹やアテナ、パードリッジと、ミレーナが降りてくる頃にはすでに皆身支度を終えていた。
それによりミゲルの物色は中断を余儀なくされ、目的のものも見つからないままだ。
もぐもぐと、こちらもミゲルの料理に舌鼓を打つ龍樹。食べた際に一応の感想として親指を立てたので、ミゲルは軽く手を上げる事で応対した。
それはどちらかというと照れ隠しではなく、料理というものにあまりこだわりを持ってはいないのだろう。
イタリアに来て六日。
別段短い期間なのでホームシックになっている訳ではないが、野菜や魚といった日本食も恋しくなってきていた龍樹。
悪魔祓いが思った以上に早く終わって空いた休日もそろそろ帳尻が合い、明日には日本へと帰ろうと思っているところだ。
アルファーノ家の面々と別れるのは寂しいが、これもまたいい経験だろう。
最後に何かできることはないだろうかと、一丁前な事を考えなくもない。
「明日には出来るかな、パスポート」
何気なく訊く。
隣で食事を淡々と進めているアテナはこれまた淡々とした声で、
「流石に出来るんじゃない。専門じゃないから、そこは何とも言えないけど」
食事の手を止めず、伏し目がちな目はそちらを見向きもしない。その隣ではパードリッジが小皿に盛られた骨付きリブを貪っている
相変わらず素っ気無い奴だと龍樹は感じたが、そもそもパスポートとは無縁であるところのアテナ。
それに冷たい反応も今さら何とも思わない。
「あーあ。そうなったらお前ともお別れか」
ふと漏れた本音。少し残念そうな声音は、聞く人が聞けば勘違いする人もいるかもしれない。いや勘違いというよりも、この場合はやはり本音になるのだろう。
日本にも一期一会という言葉があるが、今こうして食事を共にしている人物と今後一生会えなくなるかもしれないというのは、考えるまでもなく寂しいものだ。
「ありがとな。色々と迷惑かけちまったけど、本当に助かったよ。お前がいなきゃ今頃どうなっていた事か」
「何言っているのよ。謝るのはこちらの方。私があなたの家に行かなければ、そもそもこんな状況に陥らなかったのでしょうし」
「そりゃまあ……そうかもしれないけど」
忘れていた。彼女が結局ここまでしてくれたのも、自分が引き起こした出来事に対しての清算でしかないのだった。
確かにアテナが龍樹の家に来なければ悪魔に取り憑かれるだなんて事態には陥らなかったのかもしれない。
しかし近場で燻っていたという点を考えると、巻き込まれなった可能性もゼロではないだろう。
そのまま何事もなかったのかもしれないし、もっと悲惨な事になっていたかもしれないし、あるいは別の展開が用意されたかもしれない。
むしろ龍樹が経験したのは一番最悪なケースだったのかもしれないが、不思議と彼にその感覚はない。
遠路はるばるイタリアでこうして食事を食べるという経験も出来たし、それなりに刺激のある出来事も体験できた。
つまり結果論としては、そこまでマイナスになっているイメージが龍樹にはなかった。
例えそれがアテナによって引き起こされ、妙な手間を掛けさせたと彼女は思っているのだろうが、当事者の身としてはよくやったよというのが本音だ。
人生ってのは何も無難に過ごした奴が幸せって訳じゃないんだぜ、と最早当たり前の事を、隣にいる女の横顔へ語りかける龍樹。
まあこんな事アテナに直接言っても、無表情で適当に流されるだけなのだろうが。
「いや、本当に感謝しているよ。お前は自分の精だって思ってるかもしれないけど、俺も貴重な経験できたからさ。だから礼は言わせてくれよ。まあ言われたって、そんなに嬉しくはないんだろうけどさ」
龍樹のその言葉を受け、珍しくアテナは反応を示した。
彼の方をちらりと見やる。鈍感な男はそういったしぐさを汲み取れず、こんな時に限って食事を進めている。
何を言っているんだこいつはと思ったのかもしれないし、礼儀正しい奴だと思ったのかもしれない。
やはりその表情から彼女の心情を汲み取るのは困難を極める。
しかし何かしらの感情を抱いたのは間違いないだろう。
やがて正面を向き直すと、アテナはこう言った。
「まだ早いでしょうに。どうせなら明日別れる時に言いなさい」
「……だな」
納得する龍樹。最もな事を言った彼女を見る。食事を粛々と進める様は実に絵になっており、見た目は同じ年に見えるのにえらく上品に見える。
まあ実際彼女は年上なのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
「ミゲル! おかわり!」
はしゃぐミレーナはすっかりミゲルに懐き、今となっては父親よりも好いているのではないだろうか。
何だかダニエルが不憫でならないが、それもまた仕方がない事。
そんな風にどうでもいい事を考えながら。
龍樹も食事を進めていった。
食事を食べ終えると片付けに入る。
台所に食器を持っていき洗うのはミゲルとミレーナで、何もしないのは申し訳ないので机の上を雑巾で拭く係りは龍樹とアテナ。
作業は役割を分担したおかげで素早く終え、皆は綺麗になったテーブルへと再び腰を落とす。
今後の予定を話し合う為だ。
「お買い物いこうよ」
すっかりミゲルや龍樹達に心を開いたミレーナは、明るい笑顔でそう提案した。
買い物? と首をひねるミゲルに、妙な事を言い出した彼女をジッと見つめるアテナ。言葉の分からない龍樹は別の意味で目をしばたかせている。
「買い物って、一体何を買うんだ」
問いかけるミゲル。それに対しミレーナはしっかりと受け答えする。
「晩御飯の材料。ママにはいつも作ってもらってばかりだから、今日はミレーナが作ってあげたいなって思って」
外に出るための準備なのか、櫛で髪を整えながら平坦に言うミレーナ。
しかしながらその提案を鵜呑みにする訳にはいかない。
ミゲルは至極言いにくそうにしながらも、
「そりゃ何とも立派な話だが……生憎と俺は金を持っていない。ミシェルから少しばかり貰ってはいるが、それは昼飯代だ。とても贅沢できる金額じゃないぞ」
「分かってるよそんなの」
想定済みだと言わんばかりに、ミレーナの笑みは崩れない。年の割りにしっかりとした考えを持つ少女は、皆の疑問を解消しようと言葉を続けた。
「ミレーナもお金持ってるんだ。小さい頃からお手伝いしてずっと貯めてきたから皆の分も買えると思う。そりゃ凄く高い食材は無理だろうけど」
何と心温まる話であろう。不覚にも少しばかり感動してしまうミゲル。今の六歳児というのはここまで他人を思いやれるのかと、思わず自分の幼少期と比較してしまう。
「そうか。分かったよ」
笑みがこぼれるミゲル。こんな時に金が無いだなんて発想しか出てこない自分が憎かった。この子は本当に優しい子なんだろうなとしみじみ感じる。
出来ることなら金額以上のものでも買ってあげたいぐらいなのだが、生憎と今は手持ちが全く無い。銀行にあった金さえ引き落とせていればと、自責の念は思わぬ形で再燃する。
「偉いなミレーナは。きっとミシェルやダニエルも喜ぶに違いない。何だったら昼飯代の浮いた分も使うといい。もともとバイト代として貰うつもりだったんだが、ミレーナが使った方がずっと有効的だ」
「うん、ありがとう……えっと、それでなんだけど、ミゲルにお願いがあるんだ」
先ほどまでとは打って変わり突然歯切れが悪そうにするミレーナを、ミゲルは不思議そうな顔で見た。
どうしたのだろうか。
ミゲルのその思いが言葉に変換される前に、ミレーナはこう言った。
「もし嫌だったらいいんだけど、お料理教えてくれないかなって、って思って」
断られるかもしれないという不安が混じったような、か細い声だった。
その表情も若干の緊張感を纏いミゲルの返事を待っている。
もちろん、彼がその申し入れを断る理由が無い。
何だそんなことかと鼻で笑ったミゲルは、お安い御用だと言わんばかりに返答した。
「ああいいぜ。何が作りたいんだ? イタリア料理、スイス料理、何だったら中華だっていける。ミレーナは料理の才能があるからな。きっと何でも作れちゃうさ」
「ほ、本当に! ありがとう」
不安から開放された笑顔。両手を束ね、嬉しさを露にするミレーナ。その様を見るに本当に断られてしまうのではないかという可能性を感じていたらしい。
ここまでしてもらっていてそんな訳が無いのにとミゲルは思ったが、まあこの年頃というのはそこらの損得勘定のようなものはまだ養えていないのかもしれない。
行き場の無くなった男に対してどれだけの事をしてくれているのか、きっと彼女は分かっていないのだろう。
ともあれ、これで当面の予定は決まった。話をアテナ伝に聞いた龍樹も異論はないし、そもそも皆ミレーナの意見を尊重しようとは思っていたことだろう。
「いい子だよなミレーナちゃん。自分で貯めたお金を他人の為に使うなんてさ」
微笑みながら、年上のお兄ちゃんとしての言葉を放つ龍樹。
それにはアテナも同感のようで、
「そうね。ここまで出来た子は中々いないんじゃない」
彼女にしては珍しい賞賛。
本当に思っているのかと感じるような無表情なのは気になるが、ミレーナを見ながら話す姿勢はお世辞ではないだろう。
相手が子供だろうと贔屓しない性格なのはニーナの件で分かっている。
その彼女が人を褒めたのだから、やっぱりミレーナは年の割にはしっかりしているのだろうと、龍樹は判断する。
「優しすぎて心配だわ。挫折した時に立ち直れるかしら」
「……お前って結構捻くれてるよな」
いや、そこまで想定しているという時点で、面倒見がいいというべきか。
それに挫折ならもう味わっていると思う。
少女は大切な愛犬を失ってしまったのだから。
「まあ思ったよりも物分りのいい子だから、とりあえずは大丈夫でしょう」
「ああ。そりゃもうこれだけ元気そうにしてるんだ。大したもんだよな。ニーナの事、忘れている訳じゃないだろうに」
「問題は時期がいつになるか、か」
「そうね」
「? 何言ってんだお前ら」
よく分からない事を言ったパードリッジに、それに同意したアテナ。そんな二人に首をかしげる龍樹だったが、質問に対する応えはない。
腹がいっぱいになったのか机の上で横になるパードリッジに、頬杖をつき雑用を押し付けられた子供のごとく面倒くさそうな態度を取るアテナ。
一見して何の変哲もない朝が、今日も始まった。




