偽りの晩餐
「やあ。君がミゲルかい」
すでに食卓へと食事が並び、皆が席に着き後はダニエルが帰ってくるのを待つだけの状況で、その本人が帰ってきた。
セカンドバックをソファーの上に置き、ネクタイを外しながら自分の為に用意されている席へと向かう。
もちろん、恋人である彼の席はミシェルの隣である。
「お帰り。日曜なのに家族をほったらかして仕事に行っていたダーリン」
「……人聞きの悪い事いうなよ」
割かし本気で機嫌が悪そうに告げたミシェルに、いつもの事なのかダニエルは慣れたように愛想笑いをして流した。
取り行われた日常の風景はさておき、改めてミゲルに視線を向けたダニエル。そんな彼の肩に肘を置くと、お喋りなミシェルは自慢の彼を紹介し始める。
「先に言っていた旦那のダニエルだ。法律的に言えば彼になってしまうんだけど、まあ細かい事は気にするな」
随分と雑な紹介。だが、別に取引先と食事をする訳でもないので、こんなものだろう。
「始めましてダニエル」
友好的な表情を浮かべ、先に手を差し出すミゲル。ダニエルは持ち前の人の良い笑みを浮かべ、
「よろしく、ミゲル」
と手を組んだ。
こうして並ぶと気づくことだが、ダニエルやミシェルのほうが年上で、ミゲルは少しだけ年下に思える。
さておき、その笑顔を窺うに、見知らぬ男を家に上げるという点に関して、ダニエルに抵抗はないようだ。
「さあ。挨拶も終えたことですし、早速歓迎パーティーと行きましょう!」
頬の隣で掌を組み、恋する乙女みたいなしぐさを取る雀。残念なのが、それが食べ物を早く食べたいという気持ちからくるしぐさという事だ。
きっとミゲルの事などどうでもいいのだろう。まだいただきますもしていないのに、早速食事に手を伸ばし始める雀。
彼女の故郷である中国は日本のように食事前後に挨拶は基本しないらしいが、それにしたって急ぎすぎだ。
雀は迷うことなく子羊の骨付きリブに被りつく。聞けば今日のメニューは神様に捧げるという特別なものらしいが、がっつくその姿から神様を敬う食事という意味を見出すのには無理があるように思えた。
まあアルファーノ家自体、そこまで敬虔な人間がいる訳ではないみたいだが。
「ハッハ、相変わらず良い食いっぷりだな雀ちゃんは。見ていて清々しい気持ちになるよ」
怒る所か、笑ってさえいるミシェル。雀を見る目は慈悲に溢れており、まさに我が子を見守るような優しい印象を与えてくる。
「まあ確かに食いっぷりは良いけどよ。もうちょっときれいに食べられないのかよ。女が口に食べカス付けるなんて、俺はどうかと思うぜ」
その口に食べカスを付けている雀から視線を少しだけずらすと、丸々と太った鳥がそこにいる。
パードリッジ。言葉を喋る不思議な鳥。一応は鳥類のようなので食べる物を窺ったミシェル。皆と同じで良いという要望に答え、小皿に盛った。
骨を取り除き細かくしてある羊肉。それを嘴で器用に啄ばみながら食している。
「お味はどうだい、パードリッジ」
感情の読みにくい面をしているパードリッジに、ミシェルは何となく訊いた。鳥と喋れるだなんて機会滅多にないのだから、実は少しわくわくもしている。
パードリッジは嘴をもごもごさせながら
「中々いけるぜ」
と何とも偉そうな感想を口にした。
「俺的にはもうちょっと硬めでも良かったんだけどな。柔らかい肉だとどうしても顎の力が弱まっちまう。いざって時に野生の勘が働かなくなるんだ。いやしかし慣れってのは怖いものだな。最初は人間の食べ物を身体が拒絶していたのに、今となっては逆に求めちまっている」
そして今度は野菜を啄ばむパードリッジ。もちろんそれも小皿によそったものだ。普通の梟は野菜を食べないだろうが、そういった点からも彼がいかに特殊な梟かが窺える。
「それにしても随分と口達者だな。どこで覚えたんだその言葉」
質問したのはミゲル。初めに会った時から皆が感じていた疑問だろう。アルファーノ家全員が、件の鳥へと視線を向ける。
パードリッジはまたチキンを啄ばみながら、
「どこで覚えたって、そんなの分かる訳ねーよ。あんたは言葉を喋った時の事を覚えていないだろ? それと同じさ。一応俺の母国語はイタリア語なんでね。英語や日本語をいつ覚えたのかってなら何となくは分かるけどな」
それとなく放たれた見解。
何ら特殊な事ではないとでも思っているのか、パードリッジは食事をやめてまで説明しようとはしない。彼の前にあるチキンは、刻一刻と骨だけに近づいていく。
しかし考えても見れば凄いことだ。
というかあり得ない。
百歩譲って言語を喋れるとしても、ここまで流暢で、しかも外国語を喋れる梟だなんて。
「誰かから教わったのかい? こんな事を言えば失礼かもしれないが、ほら、梟は言語を喋らない動物じゃないか」
「ああ、まあな」
ミシェルの言葉に、なんら気にする素振りのないパードリッジ。それは自らが梟だと理解した上での対応だろう。
「ちょっと特殊だっただけだよ。それ以外俺には何とも言えない。気づけば喋れるようになっていたんだから」
「……本当かい?」
別に疑っているわけではないが、どうしても信じられないミシェルはアテナの方を見た。その視線に彼女は伏し目ながら気づいた様で、スプーンで上品にスープを飲みながら、
「さあ。私と出会った時にはすでに喋っていたから」
と素っ気無く答えた。
スープを口に含み終えると、またスプーンですくう。その様はそれ以上口を開く意思はないようだ。
相変わらず馴れ合う気配すらない。
龍樹の件といいミレーナの件といい率先して動いているというのに。
自分の事となるとてんで動こうとしないアテナを、ミシェルは不思議そうに見ていた。
「それはそうと、ミゲルは何か仕事をしているのかい?」
一方で鈍感なダニエルは、アテナの事を気遣うミシェルに気づく様子もなく、すぐに仕事の話をしようとする。
こういうところはあまり好きじゃないんだよなと頬杖をつきむくれるミシェル。まあ彼女自身、ミゲルの仕事というのは気になる事柄ではあるのだが。
言葉を受けたミゲルは、少し焦った。
会食すると決まった際に予想はしていた質問なので用意はしていたが、いざ実際に言われてみると結構焦る。
「流通関係の仕事さ。主に海外や地方に配送する品物を分けたりするんだ」
当然、ここ最近イタリアに来たばかりの彼はそんな職に付いていない。だが丸っきりのでたらめと言うわけでもない。
自分の出生国で実際に就いていた仕事。
同じ西欧圏内。若干の差異はあれど、そこまで大きな広がりはないだろう。
「へえー流通ねえ。どうだい輸出の方は。聞けばイタリアは他のヨーロッパ諸国に比べれば遅れているそうじゃないか。最近になってやっと国内のシステムも整ってきたらしいけど、追いつく事はできそうかい?」
「え、あ、ああまあ、どうなんだろうな。正直俺は与えられた仕事をこなすだけなんだ。だから詳しくは分からないよ」
たじろぐミゲル。彼は音楽関係の仕事だとミシェルからは窺っているが、今の話を聞くに、もしかして物流関係にも精通しているのではないかと少し不安になる。
仮にそうだとすれば、どこかで何らかの齟齬が現れてもおかしくはない。
「はいはい。仕事の話はそれくらいにしな。全く、油断するとすぐこれだ。今日がどんな日か分かってないのかこの男は」
出された助け舟。
ミシェルに睨まれたダニエルは、弱った様な笑顔で彼女の機嫌を損ねないようにしている。
どうやらこの家では男よりも女が強いらしいと、ミゲルは二人の関係性を探った。
「ん? どうしたんだい雀ちゃん」
と、ダニエルの性分に不満げだったミシェルは前を向きなおし目にした光景に疑問を覚える。見れば、これまで食事をがっついていた雀の動きが止まっている。その手には鳩形のパン。イースターには欠かせない食べ物の一つであるそれを難しい顔で見たまま、雀は固まっている。
その不可解な行動に疑問を覚えているのはミシェルだけではなく。
言葉の通じる龍樹は険しい表情をする雀に若干の心配を覚えながらも、どうしたんだよと問い掛けてみる。
雀はなぜか怒ったような顔をして、
「どうしたもこうしたもありませんよ。私の部族では鳥を象徴するようなものは、例えそれが発酵食品であろうと食べられないんです。名前を見れば分かるでしょ」
逆切れ、とはまた違うのだろうか。
何にしてもとばっちりなのは間違いない。
「……俺に怒られても」
どこか理不尽のような気がしてならない龍樹。
とはいえ、その理由には納得する。確かに以前、鳥を崇めているだとか何とか言っていたのを龍樹は思い出す。
しかしここはイタリアだ。
雀という言葉は日本でならまだしも、ここでそれを鳥に関連する字と見抜くのは至難な話だ。
そういえば中国人である彼女の名前がなぜ和訳なのだろうかと、今さらながら龍樹が疑問に思っていると、
「大丈夫かい?」
今の会話の内容も分からなかったミシェルは、雀の只ならぬ雰囲気に驚いた様子だった。お互いに言葉が通じない身。こういう場合の意思の疎通は如何せん時間が掛かる。
またアテナにでも担ってもらおうかと彼女の方を見た龍樹だったが
「この譲ちゃんの所属する部族じゃ、鳥を形取った食品はNGらしい」
仲介役を買ってくれたのはパードリッジ。
彼がミシェル達にどう説明したのかは龍樹には分からなかったが、そういえばこいつもイタリア語喋れるんだっけ、と心づく。
そして事の始終を聞いたミシェルは、
「鳥が駄目? なんだい、宗教か何かかい?」
「そんな所さ。鳥を崇めている変わった部族なんだよ。可愛そうに。こんなにおいしい食べ物を食べられないなんてな」
あてつけの様に、件のパンを啄ばみ始めたパードリッジ。野菜のみならず発酵食品まで食べれるだなんて、もう食事スタイルは丸っきりの人間よりらしい。
「そうか。全然考えが及ばなかったよ……何か悪い事をしたな」
実は食事の前、鳥類であろうパードリッジには窺っていた。だが宗教で禁じられているものがあるという点にまでは目がいかなかった。
うっかりしていたと、ミシェルは申し訳ない気持ちにさえなる。
「すぐに引っ込めようか?」
気を使うミシェル。しかし仲介役を担うパードリッジはそれを伝える前に話を進める。
「ああ、構わねーよ。食事は他にもいっぱいあるんだ。それで我慢しろって俺が言っといてやる」
「しかし……雀ちゃん。すごく残念そうな顔をしているぞ」
「大丈夫だよ。放っておけばすぐに機嫌を直すさ」
「本当に? ……でも形取ったものが駄目なら、この後のエッグチョコも駄目なのかい? 今日のメニューには卵も結構使っちゃってるし。流石に崇めているものを目の前で食べるのは可愛そうな気が……」
「考えすぎだよ。こいつの場合ただ食べれない点が不満なだけで、そんなデリケートな理由で落ち込んでんじゃないだろうから。それに甘やかすと癖になる。たまには我慢させときゃいーんだよ」
「……そんなものなのかい?」
言われて少し納得するミシェル。まさか梟に言い包められる日が来るだなんて思っても見なかったが、まあ、こういう事もあるだろうと変に捉える事にした。
「あ、そうだ。皆に大事な事を訊くのを忘れていた」
うっかりしていたと身体を竦め、突如そう切り出したミシェル。それに全員が反応を示す。ミシェルは微笑を顔に浮かべながら、
「本当は朝に聞こうと思ってすっかり忘れていたよ。実は明日、近くの公園へピクニックに行こうと思うんだが、皆の都合はどうだい? 何だか今日は忙しかったみたいだけど……」
皆の顔を見回るミシェル。特に龍樹と雀。二人には今しがた言ったミシェルの言葉が分からないのだろう、龍樹は口を開け、食べ物の件でちょっと不機嫌な雀は眉間に皺を寄せていた。
パードリッジがこれまでのように通訳をするとようやく理解できたようで、龍樹はどちらか分からない表情で、雀は答えの分かる難しい顔になり、パードリッジに是か非かを伝えている。
そして彼が受け取った二人の答えは、
「龍樹は特に用事が無いらしいが、雀は駄目なんだってよ」
という何とも微妙なものだった。
「え? 雀ちゃん来れないのかい」
てっきり二人とも来るものだと思っていたミシェル。実は食材を結構買い込んでしまった。まあ来れなければ来れないで普段の食事に回せばいいだけの話なのだが、やはり数は多い方が楽しいものだと考える手前、少し残念だなと思った。
そしてそう思っていたのは彼女だけではない。
雀の隣にいる龍樹も、何やら不思議そうな顔をして雀に話し掛けている。
「何だよ。またどっか行くのかよ」
「ええ、まあ。私も本当は行きたくて行きたくて仕方が無いんですが、絶対に外せない用事が入って発たなきゃ駄目になっちゃったんですよ。せめて後一日あれば……はあ。今私、本気でへこんでます」
「……みたいだな」
椅子に背を預け虚脱する雀。
楽しみにしていた食事を口にできず、ピクニックにもいけないとは、どこまでもツイていない奴、と同情すらする。
ましてや能天気な彼女に取ってそれらは常人が感じるものよりも大きな苦痛になってしまっているのかもしれなかった。
それにしても、雀が来ないのは龍樹としても結構な痛手だ。
なぜなら彼女が唯一気さくに会話をかわせる人物だからである。
別にアテナも取っ掛かりにくいという訳ではないが、何分談笑という肝を分かっていない。
そういう意味ではやはり龍樹としては雀に来てほしかったが、用事とあらば仕方がない。
更に詳しく聞けば今日のようにどこかへ出かけるのではなく本当にこの国から去るらしいので、龍樹としてはさみしい思いがしないでもない。
ただ、なぜかアテナとは違い雀とはまたいずれ会えるような気がした。理由は彼女の天真爛漫、明け透けな性格によるものだ。
それを裏付けるかのように、龍樹が悪魔祓いの件に付いてきてくれた礼を一応述べると、
「はい。また日本に出向いた時はお邪魔しますね。その時はちゃんと前もって連絡しますんで、とびきりの馳走ともてなしを」
といつも同様余計な一言を付け加える。
「ああ。今度は遭難するなよ。自分の家に向かっていた人間が行き倒れだなんて、後味が悪すぎるからな」
あながち本気で言った龍樹に対し、笑顔で元気よくはい、と返事する雀。
アホキャラにはよくある話で、威勢だけはいいんだよな、と龍樹は温かい目で彼女を眺める。
「あ、でもスリの件はどうしよう」
その件をうっかり忘れていた。アテナは明日駄目になってしまったが、だからといって何もしないのはどうなのだろうと日本生まれの龍樹は思う。現金やカードを盗まれたというのに、ピクニックになど言っている場合なのかと不安になってくる。
しかし、アテナは何ら意に介さないような調子で、
「いいじゃない、それはまた後で。そもそも言ったでしょ、返ってくる可能性は低いって。ここいらじゃ盗まれて被害届を出す人間の方が少ないわよ。ミシェル本人も来てほしいみたいだし、居候させてもらってるんだからピクニックぐらい付き合ってあげたら」
「そう? まあお前がそういうのなら」
今度はスープにパンを浸し、それを口にするアテナ。本当に勝手な思い込みだが、彼女は食事は栄養摂取の為だけに取っていると思っていた龍樹はこれにほんの少しばかり驚く。そして彼女の趣向を変えた食べ方を見てそれなりに食事を楽しむ事を知っているようだと、結構失礼だった見方を正す。
今の一連のやりとりを何となく見ていたミシェルは、取り立て自分が知らなくても良いと判断したのか、話を進めていた。
「ミゲルはどうだい?」
二人は分かったとして、次は彼だ。見たところ傷もそう深くなさそうだし、ピクニックなんてものは最低限歩ければ問題ないので、それが原因で来れないという事はないだろう。
当のミゲルは少し悩んでいる。
本心としては明日は逃走の根回しをしたいところだろう。その為にこの家に身を隠し、手立てを整えるのが得策な気がしてならないが、家の者が全員出払うのでは流石にまずい。一瞬傷の具合が悪いと言おうか考えたが、馬鹿な事に自分で大したことがないと告げてしまっている。
喧嘩している架空の彼女に見つかるのが怖いというのも、何だかここに居る事と矛盾しているように思えた。
悩んだあげく、ミゲルが出した答えはこうだった。
「朝は少しやりたい事があって席を外すが、昼間以降なら大丈夫だ」
朝に手助けをしてくれそうな連中に連絡をして、すぐに動けるようならそのままミシェル達の前から去り、駄目なら彼女達の機嫌を取る。
親密になっておけば色々とやりやすくもなるからだ。
ミゲルの返答に、そんな腹黒い考えがあるとは全く思っていないであろうミシェルは屈託のない笑顔で、
「じゃあOKだな」
そう言った。
と、これを聞いたダニエルは渋い表情をする。渋いというよりも、顎をさすり、何だかバツが悪そうな感じだ。
彼氏のそんな仕草を見逃さなかったミシェル。
「どうしたんだい。まさか他の男が居るのが気に食わないとか、そんな小さな事を言い出すんじゃないだろな」
本当にそうならこの男も可愛い男だと思う反面、やはり失礼にあたるので正してほしいとも思う。
しかしダニエルが困り顔なのはそれが原因ではない。
ミシェルとミレーナの顔を窺い、切り出しにくそうにしながらも、ダニエルは何とかその原因を口にする。
「実は明日も仕事が入っちゃってさ。本当に悪いんだけど、ピクニックにはいけないんだ」
悪いと言いながらも、思い切りが良かったダニエルのイントネーション。どもったところでしょうがない。きっとそうやって割り切ったのだろう。
いや、慣れているのだ。仕事人間であるダニエルが家族よりも仕事を優先したのは今日に始まった事ではない。つまり、これからミシェル達がどんな反応を取るかを理解している。
案の定、言葉を聞いた瞬間、ミシェルは思考が停止したかのように固まった。目を数回瞬かせた後、忘れていたかのように怒りが表情に現れ始める。
「そんな。昨日は行けるって言ったじゃないか」
客人の前だという事を忘れ、声を荒げるミシェル。気の弱いダニエルは完全に圧され気味で、
「ああ、本当にごめん。今日になって急に入っちゃったんだよ。僕も出来る事なら断りたかったんだけど、皆用事があるらしくて」
「それを言うならあんたもあるじゃないか。明日はイースター祭なんだ。どの家庭も用事があるのは当たり前だろ。このお人よし!」
「そう言われても……ほら、僕の会社外資系だし」
「だから真面目かっての。そうやっていつも他人のツケを回されてるじゃないか」
「いや、でも僕だけが出勤する訳じゃないんだよ。だから、ね。仕方が無い事ではあるんだよ」
「仕方が無い事って……」
チラッと、ミレーナの方を見る。彼女は家族とピクニックに出掛ける事を楽しみにしていた。パパの作ったお弁当が食べてみたい。一緒に手伝ってあげるとさえ言っていた。
これまでの彼女なら、楽しみの一つが無くなったと知り、ふてくされるのがセオリーだった。
しかし今は違った。
ミシェルが心配そうに視線を向けたその先には、苦笑いする娘の姿があった。
ミレーナは五歳とは思えない落ち着いた様子で父親の肩を持つ。
「しょうがないよ。お仕事だもん」
言い終えると、苦笑いを解き、食事を再開させる。平坦な表情。父親が一緒に行けないという事に関して本当に何も思ってないような態度だ。
色々あって成長したミレーナ。
大人の事情というものも、ようやく理解できるようになったという事か。
それが良いことなのか悪いことなのかはよく分からない。
何にしても、寂しい思いになるのは間違いなかった。
「……ミレーナ」
沈痛な面持ちのダニエル。自ら行けないと言っておいて勝手なものだが、これが親離れというものなのかと初めての子育てに苦戦する。
「ダニエル」
胸にぽっかりと穴が開いたような気分の男の耳に、彼女の声が入ってきた。そちらを振り向く。ミシェルは神妙な面持ちで彼の方を見ていた。そして小声で皆に聞こえないよう、ダニエルへ告げる。
「確かに仕事だから仕方の無い事かもしれない。私やミレーナもそれであんたを嫌いになる事はないだろうし、ましてや養ってくれているんだなと感謝さえしている。でも、最近ちょっと多すぎやしないか? 私はともかく、ミレーナはやっと一人で立ち上がろうとしているんだ。そんな大事な時期に傍にいてやらないでどうする」
「……すまない」
ミシェルの正論に、最早謝る事しか出来ないダニエル。
確かに我が娘は今が大事な時期なのかもしれない。自分では家族を第一優先でやってきているつもりだった。
しかし愛する者の言葉を聞き改めて自分を見つめ直してみると、存外そうではなかったのかもしれないと気持ちが沈む。
だからといって仕事を休めないし、変わりに与えられるものも無い。
様々な重圧が罪悪感となって、ダニエルの心に重く圧し掛かっていく。
「……はあ。まあ、この話はここまでにしよう」
ひどく落ち込んだ様子のダニエルを見て、逆に悪い気になったのだろう。
溜め息を吐き、強引に楽しい話題へと戻そうとするミシェル。客人の前だという事を、彼女は思い出したらしい。
気を取り直すと、ミシェルはなるたけ笑顔に戻る。彼女自身ダニエルと出掛けるのが久しぶりで楽しみだったという事もあり幾分かぎこちなくなってはしまうものの、そこまで違和感があるようなものでも無い。
ミシェルはおどけた顔をしながら、
「あーあ。それじゃあダニエルには後日この落とし前をつけてもらうとして……アテナはどうなんだい? ピクニック。参加出来るのかい」
最後の人物、というか難関であろうアテナ。見た感じだとそういった催しには協力的ではなさそうな彼女。しかしこれまでの言動を見たところそこまで人付き合いが苦手と感じなかったミシェル。アテナがピクニックに行く可能性も、全くのゼロではないと踏んでいたのだが、
「ごめんなさい。私はパス」
彼女の答えは、大方の予想通りのものだった。
食事の手を止めずに放たれたそれは本当に申し訳ないと思っているのか疑問になる動作だ。
しかし、ミシェルは思い返す。
初めに会った時の居候させてほしいと改めて話をしていた際の彼女は礼儀正しいというか、相手に対して敬意を払っていたように思える。
もしかしたらだが、今しがたの素っ気無い動作は、自分が居ても居なくても同じだと思っている気持ちから来るものなのかもしれないと、ついつい勘ぐってしまう。
自分が居なくても一緒なので本当は謝らなくていいが建前上は謝っておこう。アテナはそう思っているのではないか。
そんな事は無いのに、とは口にせず、それは残念だとこちらも建前の言葉を返すと、ミシェルはパードリッジにも一応は聞いてみる。
何やら毛繕いのようなものをしていたパードリッジはミシェルの方へと視線を移し、
「あん? ああ、ピクニックね。悪いが俺もパスだ。姉さんと同じで、明日も用事があってな。時間が空けば覗きに行くよ」
「ふーんそうか」
残念そうに口を尖らせるミシェル。思った以上に人数が集まらないので不満なのは一目瞭然だ。
(……ん? ちょっと待ってくれよ)
とここで、龍樹が重大な事に気付く。
よくよく考えてみれば、雀もアテナもパードリッジもいないとなれば、一体誰が通訳をしてくれるというのだろう。
自分以外の人間同士のみ意思の疎通が出来るという点をふまえると、明日は皆が目の前で楽しんでいるのにずーと黙り込んでいるという拷問のような状況が生まれないとも限らないという事に、遅ればせながら気付いた。
何も話さず、時たま起こる笑いに愛想を振りまくというそれはそれでミシェル達にも気を使わせてしまうだろうし、となれば明日は家にいさせて貰おうかという選択肢がここにきて現れる。
ミシェル達が分からない日本語なのを言いことに、その旨を堂々とアテナに伝える龍樹。どうやらコミュニケーションという概念が少々欠落してしまっているアテナに取ってその考えは無かったらしく、最初は不思議そうに聞いていた。だが理解力のある彼女は龍樹の要領を得ない話を纏めると、
「パードリッジを置いていくわ」
彼の悩みをそう言って解決したアテナ。つまり日本語とイタリア語を話せるパードリッジを置いていくことにより、通訳を担ってもらうという事。
「それで言葉の壁はどうにかなるでしょ」
伏目で食事を進めながらという相変わらずクールな感じのアテナ。
ただしこれには件の鳥が納得していないようだった。
「おいおい駄目だぜ姉さん」
看過できないと言った具合のパードリッジ。よく考えろと言いたげに羽を広げ、訴えかける。アテナの使いとしては彼女の役に立つというのが最優先であり使命。なので、重要な案件を取り扱っている現状、通訳をするためにピクニックに行っている場合ではないのだ。
「別に今回はいなくていいわよ。他の仲間もいる事だし」
諫めてくる使いに対し、そう説明するアテナ。彼女はスプーンで掬ったスープを口に持って行ってから、
「イギリスは遠かったでしょ。きっと身体も疲れているでしょうから、あなたもゆっくり休みなさい」
スープを口に含み、堪能する。うまいのかまずいのか傍からは分からない無反応で口元をハンカチで拭うアテナは、パードリッジをそう労う。
言葉を受けた鳥はというと、先程まで抵抗していたのが幻かのような速さで、感慨に浸っているようだった。
「姐さん、そこまで俺の事を……」
突如として回れ右をして、主人に背を向けるパードリッジ。羽を毛づくろいするかのように顔へと持っていき、ズズ、と鼻を啜るような音がした。もしかして感激してい泣いているのかと、龍樹は冷めた目でパードリッジの背中を眺める。
「分かったぜ姐さん」
しみじみが一転、勢いよく振り返ったパードリッジ。心配してくれたのがとても嬉しかったのか、進んでピクニックの計画に口出しし始める。乗り気になったのは良い事なのかもしれないが、単純というか純粋というか、今も無駄に明るいなと龍樹は内心で毒づく
「よし、それじゃ決まりだな」
これで参加人数は決まった。
ミシェルは頭の中でおさらいをする。
(龍樹君にミゲル、ミレーナにパードリッジ、そして自分。……ピクニックへ出掛けるのはこの四人と一羽か)
朝用事があるというミゲルに考慮し、お弁当作りは朝して、昼ぐらいには近くの公園に着く予定だ。
しかしそこまで考えた所で、いや、待てよとミシェルは渋い表情をする。
ダニエルが仕事という事は、やはり朝に一度弁当を作らなければならない。
仕事バカの彼が昼間に公園へと足を運び一緒に昼食をとるという器用な真似をする気もしないので、結局明日は二度弁当を作らなければならない。
正直あまり料理を作るのが好きではないミシェル。
一緒にピクニックへ行けば全てが効率よく回るというのに、と不満を禁じ得ない。
そう考えると腹の底から怒りが込み上がってきた。
ミシェルは険しい表情でダニエルの方を見る。すでに許しを貰ったとでも思っているのか、ダニエルはいつもの人の良さそうな笑みを浮かべている。
「どうしたんだい?」
そして放たれた暢気な一言。
どうしたのではない。この男は一体家族をどう思っているのかと、ミシェルの怒りも最高潮に達する。
ミレーナの方を何気なく見る。先ほどは随分と大人びた事を言い、今も平然とした顔をしている。彼女もダニエルと一緒に行けるのを楽しみにしていたのは間違いない。それでいてその立ち振る舞い。つまり裏を返せば、駄々をこねて負担になってはいけないと考えているのかもしれなかった。
子供にそんな気を使わせる父親。
いてもたってもいれず、もう一度ダニエルの方を見るミシェル。当の本人は考えが及んでいない訳ではないのかもしれないが、相変わらずムカつく笑みを浮かべていた。
段々と腹が立ってきて、ついには彼を睨み付けてしまうミシェル。睨まれたダニエルは只ならぬ気配を察知し、
「な、なんだい」
とたじろぐ。
確かに仕事で来れないのは仕方が無い。だから、それで彼女が怒るのもまた仕方が無い事なのだ。
そう自分の中でこじつけると、思わずミシェルは、真意はどうあれ、現実的に仕事を優先した彼氏の脛を中々の力で蹴飛ばした。
「あ痛て!」
ガタ、と揺れる机。
見えない死角でのやり取りに、一同は眉を顰めるのであった。
◆ ↓ ◆ ↓
イタリア・高級中華料理店。
龍が描かれた屏風に、天井にはガラスが涙を流しているかのような印象を受けるイタリア製のシャンデリア。その下のターンテーブルには所狭しと本場の料理が並べられており、まさに誂えたかのような瀟洒な空間。
豪奢な内装に高級料理。
スーツに身をまとい夕食をとるカッサロー二はご満悦だ。
手にした赤ワインは見る見るうちに減っていく。
パーティールームを貸切にしている部屋にはカッサロー二の他に男が四人。さらに出口の外には二人が立ち構え、どれも護衛としては十分といえる体つきをしている。
彼らは皆立っており、豪勢な料理を独り占めしているカッサロー二が当たり前だと言わんばかりに不満一つ漏らさず、その表情も固い。
「ボス。そろそろワインは控えたほうが」
「固い事を言うな兄弟」
側近であるカッティスの提言にも、カッサロー二はおどけて答える。
例えアンダーボスとしての地位を気付いている男でさえ席に座ることを許さない。このあたりもまた、カッサローニの主従関係の厳格さが窺える。
忠告されたにも関わらず、一向に飲酒を止める気のないカッサローニは、更にグラスにワインを注ぎ込んだ。
ボトルの中で勢いよく跳ねるワインは、もちろん一般人が当たり前に飲める代物ではない。
「今日は気分がいいんだ。新しいビジネスはうまくいきそうだし、邪魔者は排除できたし」
ワインが回り、頬も赤みを帯びているカッサローニ。店内の中華料理風のBGMに合わせ鼻歌を鳴らす様は、とても朝あれだけ怒り狂い部下を一人殺した男とは思えない。
「ほら、お前も飲め」
グラスに新しく淹れたワインを、すぐ傍にいるカッティスに差し出すカッサローニ。はっきり言って潔癖症のカッティスには抵抗があったのだが、組織のボスが部下に杯を差し出すなんて滅多にない事だ。
もちろん断りなど出来やしない。
嫌な顔ひとつせず、グラスを手に取るカッティス。そして一気に飲み干す。グラスの中にあったワインは数秒で空になり、これにはカッサローニも大喜びで、
「おお、良い飲みっぷりじゃないか!」
目元に憎たらしい皺を作り、やけに興奮していた。
しかし護衛中に酒を飲ませるとは随分とご機嫌だなとカッティスは思った。カッサローニは慎重な男だ。この程度の量で判断力が鈍ることはそこまでないだろうが、まさか自分の生存確率を下げてまで他に何かを与えるなど余程な事がない限りあり得ない。
だからこそ、今のカッティスにはその厚意が重く圧し掛かる。
原因は取り逃がしたミゲル。
カッサローニにはすでに殺害したと伝えてある。何か証拠を見せろと言われた時は流石に焦ったが、想定していなかった訳ではないので対処は出来た。
激しく抵抗したが頭を打ち抜いたと。
負傷した足はその際に負ったものだと。
死体はすでに焼き払ったと。
嘘だらけの報告だったが、幸いにも機嫌が良いカッサローニがそこに拘泥する事は無かった。
信頼されていると言えば聞こえはいいが、基本的に面倒な事は押し付ける性格の男。
本人曰く、それが俺のやり方だと、常日頃口癖にように言っている。
まあそのお陰で誤魔化せているんだがなと、何やら複雑な心境になるカッティスだった。
ジャジャジャー、と、勢いの良い水の音。
手洗いに行くと言い席を外し、カッティスは洗面所にやってきた。よほど嫌だったのか蛇口を捻り水を出すと、ありったけを口に含み、念入れに口をゆすぐ。
こんな事をしていると知られただけでどんな処遇を受けるかも分からないが、嫌なものは嫌なのだ。
目の前にあるガラスを覗き込む。頬の赤みは少しだけ膨らんでいて、今もズキズキと疼いている。ズボンで隠している脚の傷も含め、カッサローニにはミゲルの抵抗にあったと伝えてある。何せ疑い深い男なので嘘がバレるのではないかと心配になったが、報告にあがった際にはすでに少しデキあがっていたいたのが功を奏したのか、特に言及されることは無かった。
ともあれ、彼が此処にやってきたのには他に理由がある。
蛇口を閉めると、カッティスはズボンから携帯を取り出す。周りに誰かいないかを確認した上で、特定の連絡先へと掛ける。
相手はすぐに出た。
「そっちの様子はどうなっている?」
内容が内容だけに、なるべく小声で話すカッティス。電話の向こうには沈黙があった。それだけで首尾よく言っていないことが窺える。
予想通り、その声は沈んでいた。
『駄目だ。足取りが全く分からない。そもそも動ける人間が少なすぎる。仮にもナンバー2なんだ。もう少しどうにか出来ないのか?』
「お前もボスの集権的な統治は知っているだろう。アンダーボスなんて最早肩書きのようなものだ。それに万が一裏切られてみろ。すぐにでも人生とおさらばだ」
声を荒げたくても荒げられず、身振り手振りが大きくなるカッティス。意味もなく場を動き回るのは追い込まれた人間のするしぐさ。トイレに行くといった手前、そう長くも話せない。
「奴は今金を持っていない。だからそう遠くにはいけないはずだ。もう一度だけ探してくれ。一番厄介なのは近くに奴がいるという事だ。あの男も馬鹿じゃないだろうが、人間切羽詰れば何を仕出かすか分からない」
『……どういう意味だ?』
「警察に垂れ込むかもしれない。最近じゃここらにも証人保護プログラムってのが導入されたって噂だ。もし俺がミゲルの立場なら間違いなくそれを利用する」
これ以上時間を引き延ばすのは返って怪しまれてしまう。そう判断したカッティスは要点だけを述べそろそろ戻らねばと動き始める。
「とにかく探すんだ。今出来る事はそれしかない。俺も他の方法を探ってみる。何かあれば逐一連絡してくれ。多少ならボスの動きを逸らす事も出来る」
『分かった。念のために奴が住んでいたアパートをもう一度探ってみる。また何かあれば連絡する』
ああ、と言うと、カッティスは通話を切り、ポッケへとそれをねじ込む。トイレのドアを開け廊下を進む。この間もずっとイライラしっぱなしだった。その表情は他人が声を掛けられないほど強張っており、これではいけないと平常心を取り繕う。
そして居心地がいいとは決していえない場へと戻ってきた。
裕福な家庭に育ったカッサローニは食事の作法とやらが変に正しく、今も紙エプロンをした状態で油淋鶏を頬張っていた。
「随分と遅かったな」
口をもごもごさせながらそう言ったカッサローニ。カッティスはドキっとしながらも、
「え、ええ。すみません。少し腹の調子が悪くて」
「……そうか」
一瞬妙な間を空け、また食事を再開させたカッティス。何とか誤魔化せたようだと内心でホッとするカッティス。
それもつかの間、
「カッティス」
油淋鶏を口に運び、再び彼の方を見たカッサローニの眼は何やら優しげだ。だからこそその本質を知る人間には不気味に見える。
まるで近所のおじいちゃんのような笑い皺を浮かべると、カッサローニは側近として信頼している男にこう告げる。
「何か悩みがあれば相談してくれよ。お前にはよく働いてもらっている。俺に出来ることなら手を貸してやるから」
「……ありがとうございます」
本来なら有り難いお言葉に対しても、今は苦笑いしか出来ない。
なぜならその優しさが、今のカッティスに取って何よりもの悩みなのだから。




