燻る気持ち
「そういえば皆はいつまで居るつもりなんだい。そっちの悪魔も祓えたんだろ?」
食事を終え、一息。今後どうしようかと誰もが考え始めたであろうその時、ミシェルはアテナ達の方を見据え、そう問うた。
皆と言ったのでそれは他の二人も当てはまる訳だが、面倒くさいのかそこはアテナが一人でまとめる。
「ええ。目的も達成できた事だし、近いうちに離れるつもり。あまり迷惑も掛けられないだろうし」
淡々と食後のコーヒーを飲み伏し目がちに言葉を返すアテナ。普通の人ならその素っ気無い態度に壁を感じるかもしれないがミシェルには関係ない。
なんら変わらない明るいスタンスで会話を進める。
「迷惑だなんてとんでもない。何なら気の済むまで居てくれて構わないよ。うちの旦那も君達の事は気に入ってるし。なあダニエル」
話を振られたダニエルはもちろんさ、と即答した。
「そっちが良ければの話だけどね。特に龍樹君はあまりこういう経験がないんだろう。やっぱり自分のいる国が恋しいだろうし、学校とかもあるだろうしね」
言って、龍樹の方を見るダニエル。それに釣られる形でミシェル達も彼を見る。
話の内容が分からない本人がそれに気づくと、
「え、何?」
とちょっと緊張する。
どんな形であれ、今自分の話をされているという事には気づいたようだ。
「……まあどの道証明書が届かない事には帰れないから」
ぽつりとそう言ったアテナ。
色々考えた結果、結局そこに帰結する。
「今日か明日には届くと思う。その後どうするかは本人達に聞いてみるわ」
「ああそうしてくれ。こっちはいつまでいようと全然構わないからと」
「ええ。二人には伝えておく」
二人には伝えておく。その言葉から推測するに、アテナ自身はどうあっても今日ここを離れるつもりなのだろう。
彼女は彼女で色々と忙しいようなので当然か、とミシェルは捉える。
話が纏まると、また淡々と食事を進めるアテナ。ミシェル自身会ったのは今回が初めてだが、数々の逸話は聞いている。
その半分はデマや誇張なのだろうが、秘密主義を貫く団内に置いても噂が流れる時点で彼女がどれだけ特別な存在かが窺える。
まさかその素性がこんな少女だとは思わなかったが。
だが、数あるデマや誇張がある中で他を寄せ付けない独特の雰囲気というのは頷ける。
他ではどうか知らないが、ミシェル達の前では必要な事意外は喋っていないような気がする。
いわゆる談笑だとか、下世話のような類のものを彼女の口から聞いていない。
そういった一種の騒がしいものが嫌いな人間はいるとは思うのでミシェルには何とも言えないが……
少なくとも明るい性格の彼女にはよく分からない心境なのは事実だ。
と、淡々と食事を進めるアテナを見ながらそんな事を考えている折、娘がアテナをジーっと見ている事に、ミシェルは気づいた。ミレーナは一心不乱に、何か不思議そうにその顔を見つめている。
何事かと、疑問に思う。
「どうしたんだいミレーナ?」
直接訊いてみた。それがきっかけになったのか、ミレーナはアテナの方を未だに見つめたまま、
「どうしてお姉ちゃん笑わないの?」
と訊いていた。
コーヒーを飲む手が止まるアテナ。まさかの言葉にミシェル達も動きが止まる。
しかし数秒後今の発言を理解したときには、笑いを堪える事が出来なかった。
「あっはっはっはっは、は!」
大口を開け、腹さえ抱えるミシェル。
「お、おいミシェル笑いすぎだ」
と注意を促すダニエル本人も、ちょっとだが笑っている。ここも何が起こったか分からない龍樹はおろおろし、スロースターターの雀はミシェルの大きな笑い声で寝ぼけ眼ながらびくっとした。
そして気になるアテナはというと、
ムスッとしていた。
あからさまではないが、眉を寄せ、目を瞑りながらコーヒーを啜り飲む。
「おいおい、今何て言ったんだよ」
まさかそんな内容だとは思っていない彼は、大袈裟と言ってもいいアクションが気になった。
しかしアテナがそれをそのまま伝える訳もなく、
「知らなくていいわよ、そんな事」
と彼女なりに答えを返した。
なぜか怒っている様子の彼女に目を瞬かせる龍樹。これ以上追及する訳にもいかず。押し黙ってしまう。
その後も仏頂面のアテナ。
しかし何分感情が表れないのには違いない。
それなりの年齢の子なら答えが返ってこない時点で察せたかもしれないが、まだその辺りの気遣いを培っていないミレーナの質問は続く。
「お姉ちゃんってイタリア人?」
「ええ、そうよ」
「お家はどこ?」
「……東の方かしら」
「そうなんだ。何歳なの?」
「……」
次々に飛ぶ、きわどい質問。もちろん狙ってやっている訳ではないのだろう。
イタリア語を話せる唯一の来客者というのも加味されているのだろうが、それにしてもよく絡む。
やはり腐ってもミシェルの子。本来の彼女は、とてもお喋りなのだろう。
「ねえ、何歳なの?」
何がそんなに気になるのか興味津々なミレーナ。一度は脅しにも似た接し方をされたのだが本人はどこ吹く風。流石のアテナも、常時子供にきつく当たる事はできない様だ。
面倒くさそうな顔をしながらだが、一応は答える。
「百三十九歳よ」
アテナが口を開いた次の瞬間、大人二人が固まった。ミレーナは人間という生物の平均寿命、もとい生物理念を知らないのか、へえー凄いね、と簡単にその問題を片づける。
が、もちろんそんな簡単なものではない。
ミレーナも驚いた表情で動かなくなった二人を見るとどうしたのだろうと不思議がる。
場に沈黙が訪れていた。
ミシェル達も今度ばかりは理解が追い付かないらしく、眼を瞬かせた。とりあえず言葉の続きをと耳を傾けるが、無意識か敢えてか、当のアテナは目を瞑りコーヒーをすすり飲むだけだった。
やがてそんな違和感に気付いた龍樹が、またアテナに話し掛ける。
「どうしたんだ。皆固まってるぞ。なあ、何て言ったんだよ」
年ごろとはいえ、この少年は気になって仕方がないのだろう。場に変化が訪れるたびにいちいちその内容を知りたがる龍樹に、アテナはほんの少しばかり嫌気がさしているようだった。呆れたように目を瞑ったまま、それでも面倒くさそうに返答はする。
「別に。年齢を訊かれたから教えただけよ」
「年齢、って……」
そこで龍樹は思い起こす。日本の実家にいた時、図らずと母から聞いた彼女の高齢を。
「お前まさか本当の年齢を言ったのか」
率直に問う龍樹。アテナ本人もその異質さはもちろん分かっているようで、にも拘らず真実を述べた理由は次の様なものだ。
「必要のない嘘はつかない主義なの」
「いや気持ちは分かるけどさ。でも、聞いた側はちょっと混乱しちゃうだろ」
「そりゃ私だってあまり口外したくないわよ、面倒だもの。ただ嘘を付く必要はないじゃない。赤の他人やどこぞの異常な生物研究者ならまだしも、相手は身内のようなもの。団内には私よりも特殊な人間だっているから、ミシェル達もそこまで驚かないわよ」
「……そうは見えないんだけど」
目を見開くミシェルを見てそんな感想を持つ龍樹。ダニエルに至っては口も開いており、とても耐性があるようには思えない。
アテナのその理由に納得しつつ、いややはり納得のいかなかった。妙な事を打ち明けて波風立てるのは彼女の性分ではないはず。となればそうするために年齢を偽るというのは、必要な嘘にならないのだろうかと龍樹は考える。
そもそも口外しなくとも、秘密とか何とか言って黙っていればいい。
自分でも思いつくそれをアテナが思いつかないはずはないだろうと、龍樹も首をひねらずにはいられない。
しかし最後には、まあそこは彼女なりに何か線引きがあるのだろうと、適当に自己完結する。
「百三十九歳。へーいるんだな本当にそんな人間が」
やがて思い出したように声を出したミシェル。それに同調するようにミゲルも好機の目でアテナを見る。二人とも寡黙な彼女が嘘を吐かないと判断して、どうやら突飛なその年齢を信じたようだ。
衝撃的な発言も一度飲み込んでしまえば安心した。いつも通りの笑顔に戻ると、ミシェルはまた膝を立てコーヒーを飲み始める。
が、お母さん脚、と娘に注意を受けそれを引っ込めた。
その光景を無表情で眺めるアテナ。無言だ。否定も肯定もしない事で、彼女なりにこの話題を流そうとしているらしい。
あまり嘘を付きたくないという性格であるアテナは、内心もやもやしている事だろう。
「それと、まだ聞きたいことがあるんだけど」
膝を立てていた母に向けている怪訝な表情を解き、アテナに向き合う。まだ質問する気のミレーナは、心底不思議そうに訊く。
「私が目を覚ました時、なんか風を集めていたけど、あれってどうやったの?」
状況を思い返しているのか。
目は真剣そのもので、興味津々だ。
アテナはそれだけで全てを察した事だろう。
本題はそこだった。
風を集める人間を目撃した少女。考えても見れば、興味を抱くなという方が無理なのかもしれない。
「あれはマジックのようなものよ」
対して、アテナの答えはそうだった。
そもそも女神と契約して力を借りているなどと言った所で、ミレーナが理解できるとも思えない。
そこそこ理解力のある年齢の龍樹にだって――アテナは無いと思っていたのかもしれないが――その仕組みとやらは複雑なのでまた今度と言ったぐらいだ。
突飛な年齢を教えられても例の力は教えられない。
つまりそれは彼女のいう所の、生きていく上で知らなくていい事。
もちろんミレーナは簡単には引き下がらなかったが。
「どうやってやったの?」
何の躊躇いもなく問うその眼は輝いている。
アテナも元々は厳しくなれない性格。
あくまでも必要な時にしか怒れないし、そもそも気になったことを訊いてきているだけなので怒る理由にはならない。
それでも逃げる道を確保するのは流石と言えよう。
「どうやったかは教えられないわね。だってマジックだもの」
ミレーナの質問に対して、屁理屈ともいえる答えを返したアテナ。
大人にならまず通じないだろうが、初々しい固定観念が根付いている子供には効果覿面だろう。
うぅ、と悔しそうに口を噤むミレーナ。マジックの種明かしはご法度。幼い子がサンタクロ―スやおとぎの国を信じるのと同じで、その幼い少女であるミレーナの中にもそれに似た感性が働いたのだろう。
それでも気になるものは気になるというのも、また子供というものだ。
「……どうしても駄目?」
悲しそうに訴えかけるミレーナ。それにアテナは少し答えにくそうにしながら、
「ええ、ちょっとね。お姉ちゃんの力は本来いらないものなの。ミレーナはいい子だからきっとそんなものには頼らなくても生きていける。だから知らなくてもいいのよ」
ここは冷静に対応するアテナ。それは本来人間の許容に収まるはずのない力の絶大さと怖さを知る彼女だからこその発言。
魅力的な力を扱いきれず呑まれていった愚か者たちを見てきた上での結論。
しかしそんな彼女の思慮も、子供には分かりずらい。
「そうなんだ……」
どこか納得のいかなさそうなミレーナ。何なら分からなくてもいいから説明してくれと言いだしそうな雰囲気だ。
それを感じ取ったのだろう。
「はいはい、そこまでだ」
質問を切り上げるよう、母であるミシェルが促した。少なからず裏世界という世界を知っている彼女の事。触れられたくない事情があるはずだと思い至ったのかもしれない。
「駄目だよミレーナ、あんまり困らせちゃ。お客さんなんだからもっと気を使わないと」
「……はーい」
しょんぼりと、反省の色が見えるミレーナ。お客というより、アテナ達はどちらかというと招かざる客だと認識しているのかもしれないが、わざわざそれを否定するのも野暮というものだ。
何よりも質問されないに越したことはないだろう。
ここも特に何の反応も示さず、コーヒーを優雅に飲むアテナ。ミシェルに注意されたからか、ミレーナももう質問してくる気配はない。
ようやく落ち着いたと、一息ついているのかもしれないそんな矢先だった。
「いやー、疲れた疲れた」
やかましい鳥が戻ってきたのは。
「あ、パードリッジ」
すっかり忘れていたであろう龍樹の反応。パードリッジは現れるや否やアテナの頭に乗っかった。前に聞いた話だと、ペットのようなものだと言っていたが、果たして主人の頭に乗るという行為は馬鹿にしているのではないだろうかと龍樹は考える。
「鳥さんだ」
突如現れた鳥に興味津々な様子のミレーナ。普通いきなりそれなりの大きさの鳥が家の中に入ってくれば怖がりそうなものだがその気配が全くない。案外こういうところは逞しいようだ。
サービスのつもりなのか、注目されているパードリッジは自分を見上げる少女に向かい、
「よう。皆が世話になってるな」
イタリア語でそう告げた。
これにはミレーナも流石にびっくりしたようで、
「……鳥が喋った」
放心状態で声を発する。目を瞬かせ、パードリッジへの興味が益々上がったのは一目瞭然だ。
彼女だけではない。隣にいるミシェルも聞き間違いかと、娘同様目を瞬かせていた。
その姿はどこか重なる。やはりこの二人は親子なんだと感じさせる一幕だ。
「これは驚いた。言葉が話せるのか」
ミシェルの一言にパードリッジは平坦な調子で答える。
「まあな。つってもそれだけの話だ。別段驚くほどのもんでもねーよ」
最早言われ慣れているという事か。
あしらう様に応対するパードリッジ。驚くほどのものでもないと言われてしまえば、返す言葉も中々なく、ミシェル達は黙り込んでしまう。
さておき、彼はイタリアに着いた時に『用事がある』とどこかに羽ばたいたのは二日前の事だ。
その用事とやらが済んだので舞い戻ったのだろうか。
「どこ行ってたんだよ」
龍樹の率直な疑問に、パードリッジはだらけた格好で、
「イギリスだよイギリス。もうちょー遠かったぜ。お陰で一日掛かっちまった。俺痩せただろ?」
「え? あ、いや、うん……」
言われてパードリッジの体型を確認する龍樹。
だらけているのでちゃんと推し量れないが、全く変わっていないと思う。
「そりゃ相当の労力を費やしたさ。途中で何度も休もうと思ったんだけどな。でも姉さんが俺を心配そうに待っている姿を想像すると、一刻も早く戻って来なきゃって思ってよお」
疲れているという割りに、その後も饒舌を続けるパードリッジ。相変わらずのお調子っぷりだ。アテナ自身も扱いは慣れているようで、事それに対していちいち反応する素振りもない。
それはそれで何だか悲しいような気もするが。
「お久しぶりですね、パードリッジさん」
ようやく目覚めてきたのか。
タイミングを見計らって、雀が挨拶をした。
二日間という期間を久しぶりと取っていいものかは個人差があるが、彼女がそう思った以上はそうなのだろう。
パードリッジはまるで親戚のおじさんのように対応する。
「ああ、久しぶりだな。皆に迷惑とか掛けなかったか?」
「やだなあ。子供じゃあるまいし」
へらへらと笑う雀。荷物を盗まれたくせによくもまあと、龍樹は内心で毒づく。
「イギリスには何しに行ってたんですか?」
「なーに。ただの伝言だよ。伝書鳩ならぬ伝書梟、ってか」
と言って、パードリッジは肢を上げた。すると足首の部分に何やら文のようなものが巻かれている。
どうやら返事をそのままもらってきたようだ。
「今時そんな古風な……何だよ。裏世界ってのは機械に弱い連中ばっかりなのか」
「違げーよ。機械なんてどこで誰が聞いてるか分かんねーだろ。だからこうやって紙に起こすのが安全なんだよ。配達だって一般を使う訳にはいかない。万が一見られたらどうすんだよ」
「……なるほど」
とはいえ、やっぱりそこまでの手間を掛けるのは要領が悪い気がする。スパイ映画なんかではその為に暗号やら何やら工夫していたようにも思うし。だからきっと、そうせざるを得ないのは機械音痴のアテナの精なのではないかと、素人の龍樹は勘ぐってしまう。
そんな風に見られているとは露知らないであろうアテナは、無言で紙を外していた。
外して、紙に目をやる。必要最低限眼球だけを動かし、内容を読んでいるようだ。
やがて読み終えたのかため息を吐いた。
紙を四つ折にしていく。
「何て書いてあったんだよ」
気になる龍樹。ため息を吐いたという事は、彼女にとって良からぬ内容が書かれていたのだろう。
だがわざわざ紙にまで書くくらいだ。
いつものように、アテナはお茶を濁したように答える。
「仕事よ。どうやらもう少しここに居させてもらわなきゃいけないみたい」
折った紙をアテナは破く。それも一度や二度ではなく、紙吹雪に近いサイズまで断裁すると、ポッケへとそれを捻じ込んだ。そういう癖があるのかなと思った龍樹だったが、やがて証拠隠滅の為の行為だと気づく。きっとその紙屑も後でどこかへとばら撒き、完全に復元不可能にさせるのだろう。
「全く、あの男は私を何だと思っているのよ」
アテナが珍しく愚痴をこぼす。イタリア語だったのでその言葉は龍樹には分からないが、声のトーンで何となく不機嫌なのは分かった。
「まだ見ぬ団長さんかい?」
同情するように問い掛けるミシェル。
アテナはちびちび飲んでいたコーヒーをついに飲み干しながら、
「ええ、また仕事。申し訳ないけど、もう少しだけいさせてほしい」
「何だい改まって。良いに決まってるじゃないか。それにしても大変だね出来る人間は」
心の底からそう思うミシェル。とはいえ彼女自身もアテナがどんな活動をしているのかはよく分かっていない。同胞であれ秘密主義。それが裏世界での鉄則にもなっている。
それ故に想像が膨らみ、大変だねという言葉にもつい力が入ってしまう。
一方で複雑な心境を抱く者もいる。
居心地が悪そうな顔をする龍樹。その視線はしきりにアテナの表情を気にしているようだ。
今になって気づいたが、この三日間、更に言えば日本からの四日間、彼女は自分の休みを割いてまで協力してくれたのだろう。飛行機にあんな方法で乗り込んだのももしかしたら、というかきっと、いわゆる『業務』に関係がないが為に取らざるを得なかった行為なはず。
考えれば考えるほど悪い気がしてきた。
その気持ちは思わず言葉として変換される。
「悪いな。貴重な休みを俺の精で」
申し訳なさそうに謝る龍樹。
言葉を受け取ると、アテナは彼の方を横目で見た。相変わらず何を考えているのかは分からない無表情だが、少しではあるものの瞼を瞬かせた。
今の発言に驚きを覚え、どうやら様子を探っている様だ。
やがて視線を外すと、礼には及ばないといった感じで、
「まあ、どの道こっちには用事があったから」
あなたの件はついでよと言いたげなアテナの反応。
確かに仕事がある以上彼女はどの道イタリアには来なければならなかったのかもしれない。
しかし論点はそこではないだろう。
どんな形であれ骨身を削ってくれたのだ。
彼女が受け取ろうが受けとるまいが、お詫びをするのは当然だ。
「それで、やっぱりまた危ない橋を渡る感じのやつか?」
これまでのやりとりで、内容を教えてくれないのは流石の彼でも理解できる。
だから大雑把な聞き方で概要だけでも知ろうとする龍樹。
思惑が叶ってか、アテナは何のことなく話してくれた。
「今度のはどちらかというと聞き取り調査のようなものね。それに他の仲間だっている」
「仲間って……ミシェルさん達みたいな人か?」
日本語が聞き取れないのを言い事に、さらっと質問をする龍樹。別段聞かれた所で問題はないだろうが、その辺りはデリケートな裏世界。
「違う」
アテナは何のことなく答えてくれた。
「団内にも専属機関というものはあってね。実践と拠点。大義を果たす為に私達は身を挺し、その手助けをミシェル達はしてくれているの」
「利用してるって事?」
「……あなたってもしかして懐疑派?」
龍樹の発言に、妙な間を空けるアテナ。当然のようにそんなもの彼は知らない。
「何それ?」
「頭では理解しているのに、それが果たして正しいかどうか自分で疑問を抱いている人間の事」
「? いや頭では理解してないよ。だからお前に聞いてんだろ」
何気ない一言に、真剣に答える龍樹。もう分かっているとは思うが、結構な天然である彼の事。まともに相手をすれば疲れるのは間違いない。
アテナもそう感じとったのか、事それに関しては脇に置くとした。
「まあ……結果的には利用している事になるのかもね。でもそれはお互い様。自分達では成せない事を助力という形で成そうとしている。もしくは方針に惹かれたかどうかは人それぞれだけど、少なくとも自分の利になると判断した。だから団にも入団したんでしょうし」
「ふーん。そうなんだ」
適当な感じで相槌を打つ龍樹。自分から訊いておきながらこの反応。別に悪気がある訳ではない。子供が疑問に思った事を大人に訊くのと同じで、言うなれば遅れてやってきた好奇心。
何も知らず日常を謳歌してきた彼にとっては、彼女の様な人間が行き会った体験が気になって仕方がない。
「話が逸れたわね」
アテナは淡々と話を続ける。
「とにかく、ミシェル達にはこうやって居場所を提供してもらったりするのがほとんど。彼女は音楽業界に繋がりがあるからそれ関連の情報が欲しければ調べてもらったりする事はあるけど、基本的にはそれだけ。あなたが想像しているような血なまぐさい現場には出向かないわ」
「そっか……じゃ危ない橋を渡ったりする事はないんだ」
そう推測して安心する龍樹。考えてもみれば当然だろう。愛し合う夫婦に可愛い子供。こんな幸せを絵に描いたような家族が、いつかの褐色の男みたいな奴がいる場所に自ら向かうだなんて全くもって馬鹿げている。
しかし、どうやらそんなに簡単なものではないようで、
「それも違う」
釘を刺すように、アテナは言った。
「言ったでしょ。身を挺し、手助けをしてくれていると。ようは協力者なのよ。正義というものはとかく難しくてね。悪にも悪の正義がある。そんな彼らからしてみれば私達の正義は悪でしかない。現に作戦が失敗して巻き添えを食らった団員だって少なくない」
放たれるおぞましい言葉達。確かにそうだ。悪であれ何であれ敵が駐在している場所は報復の対象になるのは当然。
言うなれば今この時誰かが襲ってきてもおかしくないのだ。
そう思うと怖くなってきた龍樹。目の前に広がる日常が、よりその恐怖に拍車を掛ける。
「じゃ俺らもその可能性があったって事?」
「……今さら気づいたの?」
驚いたようなアテナの反応。鈍感ここに極まりといったところか。そう考えてみると、この女はとんだ疫病神かもしれないと龍樹のこれまでの評価が一気に裏返る。
「まあ、そうならないように色々努力するけどね」
別に気を揉もうとした訳ではないのだろうが。
フォカッチャをつまみながらのアテナは、何とも呑気にそんな事を言う。
「戻る際には後をつけられていないかを確認するし、例えつけられていなくても入る時は慎重に入る。今回のように狙われる心配のない案件なら別だけど」
「ああ……」
なるほどと龍樹は合点がいく。
確かに日本で彼女に会う時はほとんどが唐突だった。三日とはいえ、考えても見れば彼女がまともに玄関を跨いだ描写を見た事が無いのも、不思議といえば不思議だと今更ながら思う。
「他にも見張り役を置いたり、必要なら新天地を探したり――出来る範囲ではあるけど、仲間である以上それぐらいは配慮するつもり」
「ふーん……」
色々と考える龍樹。そういえば雀も最初に会った時は見張るだのどうのこうの言っていたような気がする。
結局お間抜けというかおっちょこちょいな彼女がどのようにして失敗したのかは、前回のお話を確認してほしい。
「ああ、それね」
いつもながら起伏の無いトーン。
だが何かを確認するかのように、アテナは眼球を動かした。視線の先には喋るパードリッジに興味津々なミレーナと、それを説明しているのか、優しいお姉さん顔の雀。
パードリッジは相変わらずで、今も雀の肩に羽を置いて偉そうに喋っているようだ。
「気をつけなさい」
「んあ?」
突如放たれた謎の言葉に、龍樹も間抜けな声を出す。
「何がだよ」
当然のような問いかけに対しアテナは、
「あの子も裏世界の住人。その腹に何を隠し持っているか分からないわよ」
二つ目のフォカッチャを口にしながら、そんな意味深な発言をした。
↓ ◆ ↓ ◆
「本当にいいのかい?」
午後三時。自宅の玄関ドアに鍵を差し込んだ状態のミシェルは、アテナに向かって再度確認する。それは別段彼女に対しての言葉という訳ではない。
「いいみたいよ」
後方にいる龍樹に意識を向けつつそう言ったアテナ。
どこか納得がいってなさそうだ。きっと彼女もミシェル同様の心配をしているのだろう。
「一応確認はしたし。それでも本人がそうしたいっていうのなら、私がどうこう言うべきではないでしょうから」
「そうか。じゃ仕方ないか」
と言って、鍵を閉めるミシェル。ちゃんと施錠出来たかドアを引っ張り確認する。
何の事は無い。
ダニエルは仕事で、ミシェルとミレーナは病院へ行くので家が空く。その間余所者の人間が家に居る訳にはいかないと、龍樹が言い始めたのだ。
別に心構えとしては普通の事だろうし、騒ぐ必要もないはずだ。
ただ重要なのはここが日本ではないという事。
十七歳の人間が街をうろつくなど大して危険でもないと思われがちだが、ろくに言語も話せないひ弱な日本人。
狙うものがいれば狙われるほど、イタリアの治安も安全ではない。
「保護者としては気が気じゃないだろ。何だったら一緒に連れて行ってあげればいいじゃないか」
「流石にそこまで面倒は見きれないわよ。それにいくら安全な案件とはいえ、それは私達に取って。表の世界に裏の情報が漏洩する可能性も万が一無いとも言い切れないし」
「だよな」
アテナに歩み寄ると、ミシェルは今閉めたドアの鍵を渡す。それを反射的に受け取ったであろうアテナ。その真意はと、ミシェルの瞳を見つめる。
「合鍵だよ。念のため龍樹君に渡しておいてくれ。やること無くなったらいつでも勝手に出入りしていいからって」
「ええ、伝えておくわ」
ミシェルはミレーナに歩み寄り、頭を撫でた。前述の通り、これから彼女達は昨日の件により病院へとお出かけだ。
「よーしミレーナ。今から病院に行って痛い注射打ってもらおうな」
などと満面の笑みで自分の娘を怖がらせるミシェル。これが彼女なりの接し方なのだろうが、当の本人は堪ったものではない。それでも顔を強張らせるものの弱音は吐かないあたりは、ニーナとの約束で強くなった証なのだろう。
それからじゃあまた後でといいながら手を振り、ミシェル達は病院へと向かっていった。
そして家の間にある歩道で、三人は立っている。
ちなみにパードリッジはまたお使いだ。
「良かったよな、ミレーナちゃん元気になって」
仲睦まじく遠のいていく背を眺めながら、微笑む龍樹。
だが一変して表情に不安の色が浮かぶ。
「でも……ミシェルさんも体調大丈夫なのかな。昨日洗面台に駆け込んだりしてたけど」
ミレーナに問いただしている時に、ミシェルは吐き気を催していた。正常な状態ならまず起こらない生理現象。
何分弱音を吐かないであろう彼女の事。今のだってから元気じゃないとは言い切れまい。
「身篭っているからね、彼女」
心配そうな龍樹の気を揉んだのだろう。アテナは平然とそう言った。
「え? そうなの」
もちろんそんな事を微塵も知らなかった龍樹は驚きだ。なぜ起こってしまうのか具体的な理由は無知な彼には分からないが、昨日の台所駆け込み事件の真相。ようはつわりだったのだろう。
何てオチだ、と実は結構心労していた龍樹も気が抜ける。
一方、相変わらず呑気なのが雀だ。
おかめさんのような笑顔で、彼女は言う。
「へーおめでたじゃないですか。今日は奮発しましょうよ。サプライズってやつですよ。龍樹さんお金いくら持っているんですか?」
「……お前は俺を破綻させる気か」
お祭り脳を持つ雀はすぐにそういう催しを思いつく。
いや、彼女の場合は自分がしたい事のきっかけを常に探しているだけなのかもしれない。
だから祭り事が好きというより、娯楽が好きなのだろう。
そんな彼女に残念なお知らせが入る。
「ああ、ダニエルには内緒よ」
勝手に盛り上がっていた雀と、それに不満を持っていた龍樹に、アテナはそう告げた。
瞼を瞬かせる二人。
妙な催しが開催されないのは良い事だが、身篭った事自体めでたいというのは間違いない。
豪勢にとはいかないまでも、ささやかなお祝いぐらいならしても良いと思うのだが。
そう言いたげな龍樹の視線を感じ取ったのか、アテナは持ち前の無表情でこう付け加える。
「本人がまだ黙っていて欲しいんだって。心臓病を抱えちゃってるじゃない。ダニエルは絶対反対するから中絶が出来なくなるなるまで告げるつもりはないらしいわ」
「そりゃまた大胆な……いつぞやの内緒話はそれか」
「ええ。ああ見えて彼女、結構な小心者みたい。夫婦何だから相談した方が良いと私は思うって言ったけどね。正直恋愛や絆なんていう類のもの、聞く相手が間違っているとは思うけど」
「まあ、仲が相当良くないとしない話ではあるよな」
「結局は不安なのよ。解決策は二の次で、本当は誰かと心配を共有したい。そういうのは話すだけで随分と楽になるって、聞いた事があるわ」
「そうか」
と表面上は同意したもの、それは違うんじゃないかと、龍樹は思う。
これは体験した自身だから言える事だが、アテナなら――目前にいるこの女ならどうにかしてくれるんじゃないかと、何の根拠もないのに思えてしまう。
しかしそこはやはり何度も助けられた身だからこそ行き着く見解であり、普通に考えればミシェルがアテナに相談したのは、やっぱり誰かに喋って心を落ち着かせたいだけだったのかもしれない。
(……いやいや)
いかんいかん、と龍樹は自分を律する。
抜け目の無いアテナにどこか依存している。まるで信仰者みたいだと、考えすぎな事を思ってしまう。
「でも実際はどうなんだろうな。死に掛けたってダニエルさんも言ってたし……やっぱり危険なんだろうな。そう考えると、止めたほうが……いや、でもこの世にせっかく生を授かった命でもあるし……」
腕を組み真剣に悩む龍樹。そんな彼を、無表情ながらもアテナは興味深そうに見ている。
「優しいのねあなたって」
「?」
突如放たれた褒め言葉らしきものに、龍樹は眉を顰める。
「何がだよ」
「いえ、他人の為にそこまで悩むだなんて不思議だなと思って」
「……嫌味か?」
「そうじゃないわよ。別にあなたに限った考えじゃないけど、それらを統括した上で、本当に凄いと思う。自分にできない事をやってのける人間に感心を抱くのは当然の事でしょ。それは私には無いものだから」
「? おかしな事言うんだな。お前が此処にいるのだってそうだろ」
まあ正確に言えば今現在は違うのだが、しかしアテナがわざわざイタリアにまで付いてきてくれて便宜を図ってくれなければ、ここまで早く悪魔祓いは出来なかっただろう。
ましてやあの悪夢を契機に、それこそ取り返しの付かない事態へと事は進んでいたのかもしれない。
「違うわ」
だがアテナはそう言った。望みもしない評価を受けた事に対し、嫌悪感すら抱いているようだ。
「昨日の元神父が言っていた言葉がずっと引っかかっていて、今やっと理解できたかも……あなたも薄々気づいているんじゃない。私が論理的にしか物事を判断できない人間だって」
「論理的にって……よく分かんないけどさ。でも、何であれ俺の為にイタリアに来てくれた。さっきお前も言ってたじゃんか。結果だけ見てればいいって」
「それは客観的に物事を捉えた場合。私が此処にいるのはやっぱりついでなの。誰かの為か自分の為、つまりは理由が欲しいだけ。人間は目的のない生活には慣れていないから」
「……そんなものなのか?」
「少なくとも私わね。だから世界を裏から支えるだなんて不得要領なものに身を置いている。どうあがいたって平和にならないだなんて思っている、私がね」
「お前がそれ言っちゃ駄目だろ」
「そうね。でも、恐らく裏世界にいる大半の人間は抱いている思想。世界の現状を知れば知るほど正義の心は摩れていく。それでも人は最後の最後までその希望を胸に秘めてしまう哀れな生き物」
何やら意味深な事を喋り始めたアテナに、この辺りからついていけなくなった。
その意図が読めない龍樹は目を瞬かせる。だが恐らくは自分に問いかけているだろうから何とか努力して理解を示そうとする。
示そうとしている間に、アテナは龍樹の眼を見てこう言った。
「だから、まだ摩れていないあなたがとても輝いて見えたの」
「……」
輝いて見える。俺が、と龍樹は困惑すらする。こんな何の取り柄もない人間に、暗躍で名を馳せる凄腕中の凄腕である女に羨ましがられるなんて、一体何の冗談だと。
とはいえ、気持ちは分からなくもない。
よくある話だと龍樹は勝手に解釈する。
殺しや裏切りが跋扈する世界の人間が日常で平凡に暮らす人間を羨ましがるなんて。
「ごめんなさい」
龍樹から視線を外し、前方を見据えるアテナはなぜか謝った。
「また妙な話をしてしまったわね。我ながら悪い癖。年寄りはよく喋る」
「……いや、別にいいけど」
彼女は時たま、自分を責める。別段珍しい事ではないのだろうし、現に龍樹だって何の取り柄もない自分が嫌になる時だってある。
しかしそこには決定的な違いがあった。
駄目だと思い込むだけの自分とは違い、アテナという女は常に何かしらの答えを探している気がして、龍樹はならなかった。
そこが出来る人間と出来ない人間の差、と言えばそこまでの話だろう。
だが、違うのだ。例えば身近にいる千石雫という女はアテナ同様、失敗を次に繋げる、あるいは失敗を回避する能力を持っている類の人間だ。
好奇心旺盛といえば違うのかもしれないが、自分が以下に人生というものを謳歌しようとしているかが窺えるし、彼女自身、龍樹にそうこぼした事もある。
しかしアテナはと言うと、確固たる自信を持って振る舞う千石雫と違い、どこか悩まし気に
動いているように、龍樹は思えていた。
他者から見て明らかに正解であると思えるような答えにも納得が言っていないような、例えるならそんなところだろうか。
具体的に言葉で表現できないが、こう、何というのだろう。
――まるで自分の存在に疑問を抱いているような。
「今は何時かしら?」
突如放たれた質問。
アテナを考察していた龍樹は、その言葉にハッとする。
「え、ああ、今か。ちょっと待ってくれ」
ごそごそとポッケを漁り始める。時刻が表示されている携帯を取り出すためだ。
というか時計ぐらい自分で持っていて欲しいと龍樹は思う。
まあ本人曰く、ああいう重量物を腕に嵌めると枷になるらしいが。
「えーと、午後三時十分。丁度昼過ぎだな」
龍樹のどうでもいい情報はさておき、その時刻を聞いたアテナは、
「そろそろ行くわ」
と言った。
どこに行くんだよ、とは最早訊かない。アテナと出会って早一週間。その辺りの判断が出来るほどには、彼も彼女を理解している。
「鍵、渡して置く。暇になったら勝手に戻ってていいって」
「……いいのにそんな」
と言いつつ、一応は受け取る龍樹。まあ絶対に使わないだろうけどなと、謎の自信を持っている。
渡すだけ渡すともう用はないと言った具合に、
「それじゃあまた後で」
アテナは二人に背を向けると、どこかへと去っていった。
アルファーノ家の玄関先。そこには龍樹と雀だけになってしまった。
(また後で、か)
感慨に浸る龍樹。恥ずかしながら、良い言葉だなと思ってしまう。
「不思議だよな。アテナって」
誰に言った訳でもないが、思わず本音がポロリ。それほどまでに彼女は龍樹にとって不思議な存在なのだ。
「心中が読めないですよね」
傍にいる雀が龍樹に話しかける。
「やっぱお前もそう思う?」
久々に意見があった。いや、意見も糞も、丸いものを丸いと感じるように、そこには特殊な感性は全く持って関係ないのかもしれないが。
「別に珍しい人間ではないんですけどね。ただ、やっぱり接しにくいですよね」
「へえー……お前でも接しにくいとかあるんだ」
「そりゃありますよ。こう見えて私って人見知りなんですよ。アテナさんに話し掛ける時なんかはいつも緊張しちゃって」
言われ龍樹は気付く。そういえば、雀が直接アテナに話しかけているのはあまり見ていない。ハイジャックされた飛行機で状況確認の為会話しているのは見たが、それ以外、雀はアテナに自分から近づこうとはしていなかった。
「もっと分かりやすければ手も打てるのに……」
「え、何?」
「あ、いえ、すいません、独り言です」
何かを小声で呟いた雀に不審そうな顔をする龍樹。内容は分からなかったが、その反応を見るに聞かれたくない小言だったのだろう。
「……」
龍樹は先程アテナが言った言葉を思い返していた。
――あの子も裏世界の住人だから気をつけなさい
「お前らって仲悪いの?」
「はい?」
抽象的な質問に、流石の雀も首を捻った。おっとそうかと龍樹は改める。
「いやほら、所属している団体が違うんだろ。だからやっぱりいざこざとかそういうのあるのかなーって」
「まさか。私達は共同体みたいなものです。世界が平和でありますようにという同じ目標を掲げた同志ですから、仲が悪いだなんてそんな」
「……だよな」
と表面上は同意したが、嘘だろうなと龍樹は思った。
目前の雀は何食わぬ笑顔だ。それが返って不審に見える。それだけじゃない。思い返してみれば日本での行き倒れだって不自然だ。ハイジャックの時にあれだけの行動力があった彼女が、あんな道端で意識を失うだなんておかしいと、龍樹は今さらながら気づく。
とはいえ、正直な所それもこれも薄々と感じてはいた。ただ、だからどうしたと等閑視していた部分もある。
ではなぜこんな事を今になって疑問に思ったのかというと、もちろん、アテナが先ほど言った言葉の精だ。
仲が良いかどうかなんて聞くまでもない。本当に仲がいいのであれば、アテナはあんな事を言わないはず。
「あ、靴左右反対に履いてた」
「……」
まあ、天然なのは間違いなさそうだが。
よくよく考えれば行き倒れなんて古典的ともいえない方法、龍樹以外ならまず引っかからない。
ようは思いつけど実行までは踏み切れない。それを意図も簡単にやってのける雀はやっぱり抜けているのかもしれないが、彼女の目的が何であれ、きっと事はうまく運んでいたので問題はないのだろう。
唯一の難点はアテナも裏の住人だったということ。
彼女のあの言葉がなければ、龍樹は雀に懐疑を抱く事もなかったはず。
そんなアテナをもってしても、本来の目的なんてものは分かっていないようだが。
「で、お前もどっか用事?」
朝聞いた話だとそうらしい。アテナ達が用事があると言った時に自分もあると、雀は主張していた。
「はい、そうなんです」
雀は左右逆に履いていた靴を正しく履き直しながら、
「だから今日は龍樹さんの面倒は見て上げられないんですよ。すみません」
「大丈夫だよ。元からお呼びじゃねーから」
本当に申し訳なさそうな顔をする雀に、そう告げる龍樹。この辺りは彼女のスキンシップの取り方なのだろうが、いかんせん面倒くさい。
「お前の用事ってのも裏世界関連なのかよ」
アテナの時と違い、何の躊躇いもなく龍樹はそう訊いた。対して雀は少しだけ警戒心があるように接してくる。
「ええまあ。やっぱり事細かな内容は言えませんが、おおまかに言えばそんな感じです。どちらかというと裏世界全体というより、部族単体の用事みたいなものですけどね」
はにかみながらそんな事を言うと、さて、と雀は帽子のつばを整え直す。
「それじゃあ私もそろそろ行きますけど、本当に大丈夫ですか、龍樹さん」
「だから大丈夫だって言ってんだろ。お前まで俺を子供扱いするのかよ」
ふてくされる龍樹。頭が悪かろうがなんだろうが、彼だってもう良い歳だ。一人にならまだしも、全員からそう扱われては立つ瀬がない。
「じゃあまた後で」
そんなこんなで、雀もその場を後にする。
「ああまたな」
手を上げそれに応える龍樹。よほどの急ぎなのか、雀は走ってどこかへと向かう。その際ちょっと転びそうになっていて、果たして心配なのはどちらなのだろうかと疑問にも思う。
(……それにしても)
龍樹は考える。
ミシェルの家に滞在するという段取りを踏んでいるアテナと違い、雀は言うなれば行き当たりばったりで此処まで来ているような気がする。
日本で携帯を忘れた件が本当だとして、果たして彼女は所属する組織に連絡を入れているのだろうか。初めに聞いた話だと保護の対象者を静観するのが目的だとか言っていていた気もするが、それも今となっては過去の話。裏世界とやらがどれほど厳格なものなのかは知らないないが、少なくとも対象者本人――この場合は十與になる――が構わないと言えばその規約が破棄されるくらいには融通が利く。
とはいえそれはあくまでも施しのようなものだから、合理的な主義を持つであろう裏世界としては好都合なのも関係しているのかもしれないが。
しかし何かが引っかかる。
静観が無効になった現在、雀は別に連れ添わなくてもいいはずだ。人懐っこい性格ではあるようだが、腐っても裏世界の住人。彼女も暇ではないはずだ。
考えれば考えるほど粗が出てくる。
そういった事情も相まって、龍樹の疑問は更にふくらむ。
雀の用事とは、一体何だろう。
(……もしかしてあいつ)
これかな、というものを閃いたが、龍樹はその推測をあまり考えないようにした。別段平和主義という訳ではないが、彼女を疑い過ぎるのも良くないと思ったのだ。
まあ本当の事を言ってしまえば、考えても仕方がないという、いつもの癖が出ただけなのだが。
今後どうするのかを考える必要ある。大丈夫だと見栄を張ったは良いが、もちろん具体的な案がある訳ではない。言葉が通じなくてお金が無い以上、出来るのは精々散歩ぐらいだろうなと、大まかな方針で過ごすつもりだ。
(まあ何とかなるだろ)
彼らしい決断。こういう所が駄目なんだろうなと思いつつ、思うだけの龍樹はとりあえず街へと繰り出す事にする。




