とあるマフィアの事情
イタリアの南西部。とあるバーの地下室
午後二時五十分。
ネオン灯により生み出される明かりは、昼間だというのに薄暗い。室内には葉巻とタバコにより発生した煙が充満し、ここに健康を気にする人間をぶち込めば一瞬にして泡を吹いてしまいそうな、そんな環境。
スーツを着込んだ屈強な男達が十人程度、何やら思いつめた顔をしている。
彼らの視線の先には一際大きなソファーに踏ん反り返っている男がいた。
着込んでいる他の連中とは違い、ワイシャツの上にウェストコート。立派に蓄えた髭には今しがた吸った葉巻の煙が留まり、まるで火事になったのではないかと心配になる。
イタリアンマフィアのボス、カッサロー二は苛立っていた。
好物であるはずの葉巻を乱暴に灰皿へ置くと、脚を組み貧乏揺すり。髭を弄りながら踏ん反り返る姿はまさにお山の大将だ。
「まだ見つけられねーのか!!」
癇癪を引き起こしたかのように、急に怒鳴る。苛立ちの収まらないボスを近くにいたナンバー2の男は宥める。
「もう少しお待ちを。今全力で捜索していますので」
「じゃあ今目の前で突っ立ってるボンクラ達は何だ!!」
机の上に置いてあったコップを手に取ると、カッサロー二は中に入っていた水を男に投げつけた。
それによりずぶ濡れになる男。
動揺する周囲など気にも留めない様子で、カッサロー二は罵声を浴びせていく。
「分かっているのか! あいつを野放しにしておくと後々面倒な事になる。下手すりゃ俺は一生牢獄でまずい飯を食わなきゃならなくなるんだぞ!!」
自分本位な物言い。一般ならああそうですかそれはお気の毒にで終わるかもしれないが、マフィアともなるとそうはいかない。
血の掟などという言葉もある、マフィアでは。
男は手で顔を滴る水を拭った。不満が無い訳ではないだろうが、そんなものはおくびにも出さない様子で接する。
「……すみませんボス。ですが必ず見つけ出して始末します。どうか気をお沈めてください」
「ファミリーの存続に関わる問題だぞ。これが落ち着いてられるか。他の連中に知れたら俺の命だって危ない。大体分かってるのか、元はといえばお前らがのろのろとやっているからこんな事になっているんだぞ!」
唾を存分に飛ばしながら、ぎゃーぎゃーとがなりたてたカッサロー二。その剣幕に場は凍り付いていた。
機嫌一つで拳銃をも発砲しかねない短気なボス。部下としては扱いがとても大変だ。
どうすればボスの機嫌を直せるだろうかと、誰もが第一に考える。
と、その時だった。
静寂な空間を叩くように、机の上にある電話が鳴った。
辺り一帯がざわめき、あれほど騒いでいたカッサロー二の背筋にも緊張が走る。落ち着かせる為に深呼吸した後、
分かっているなとナンバー2の男に目配せで伝えると、切れる前にカッサロー二は受話器を取った。
「カッサローニだ」
あれほど感性豊かだったのが一変、慎重な走り出しだった。
『ボス。俺だ』
聞くからに切迫した声。
間違いない。
現在探している男だ。
例えるなら餌に食いついた魚。感ずかれてはいけないと、カッサロー二は不気味すぎるほどの優しさで接する。
「おお、ミゲル、無事だったか!」
心の底から喜んでいるかのような反応。
カッサロー二もかなりの役者だ。しかし連絡がついたという事実が今の彼にとっては本当に喜ばしい事なので、その気持ちがより演技にも反映されているのだろう。
「驚いたよ。お前の事が気になって今朝仲間を向かわせたら家が荒れていて本人がいないってんだ。俺はもう心配で心配で」
今にも泣き出しそうな表情で、心にも思っていない事を喋るカッサロー二。その名演技がことさら可笑しかったのだろう。
目の前にいた部下の一人が、ぷ、っと吹き出してしまった。
何とか手の甲で隠そうとしたようだが手遅れだったようで。
カッサロー二含め部下全員が彼の方を注視する。
まずいと思ったのだろう。吹き出してしまった部下はより一層真剣な面持ちになり、何事も無かったかのように姿勢を正す。
『もしもし? どうしたんだボス』
急に黙り込んだカッサロー二に、電話の向こう側の人物は不安感を覚えたようだ。
おっといけないと、カッサロー二はすぐさま返事をする。
「あ、ああ。いや何でもない。それよりもお前は今どこにいるんだ?」
本当はもっと足回りから固めた方がいいのかもしれないが、はやる気持ちを抑えられない。
しかし相手にも無駄な話をしている余裕なかったのが幸いしてか、電話の向こう側の人物は怪しむことなく答えてくれた。
『今はペトロセッリ通りにいる』
「そうか。それじゃ俺の家に来い」
『家? いや、あんたの家がどこにあるのか俺は知らされていない。おまけに今は持ち合わせが無いんだ。慌てて財布を置いてきてしまって……どうすればいい?』
「あ、ああそうだったな。よし分かった。それじゃあ今から俺の言う場所まで来てくれ。そこに仲間を向かわせる」
『なあボス。やっぱりまずかったんだよ。奴らに手を貸すなんて間違っていたんだ。他の連中は皆やられた。きっと俺を殺しにきた人間も他のファミリーの連中に違いない』
「落ち着けミゲル。そこは人通りが多い。誰かに聞かれたらどうするんだ。話は落ち合ってから聞く。とにかく今から言う場所へ即座に向かってくれ」
『……ああ分かった』
よほど動揺しているのか。
先ほどから鼻息が荒く、ノイズもひどい。きっと辺りをきょろきょろと見回りながら一般にまぎれて歩いているのだろう。
それでは逆に目立ってしまうというのに全く持って使えない奴だと、カッサロー二は内心で毒づく。
「ティベリーナ島の西側橋前で落ち合おう。そこに車を回す。いいな? 自然体でいろ。不審な動きは極力取るな。周りに悟られちまったら後々面倒になる」
『分かってる。それじゃあすぐに向かう。ここからだと十分程度で着くと思う』
「よし、それじゃあまた後でな相棒」
言い終えると、カッサロー二は受話器を戻し通信を切った。
ふう、ととりあえずは一息。一時期はどうなる事かと思った。広大なヨーロッパを雲隠れされた日には見つけるのに相当な労力と時間が掛かる。それをわざわざ向こうから出向いてくれるのだから、これ以上の僥倖は滅多に無い。
それはナンバー2の男も同じだ。
「すぐに向かいます」
アンダーボスとしての役割を任されている彼としても名誉挽回の大チャンス。逆に言えばこれを逃すとその立場が危うくなるのだから、失敗は絶対に許されない。
「……分かってるな」
レトロ好きなカッサロー二は自ら選んだダイヤル式の受話器から手を離さない。俯きながら握り締めるその姿は、どれほど心労していたのかが窺える。
やがて受話器から手を離し、ソファーに背を預ける。その際机に置いてあった拳銃に手を伸ばすと――カッサローニは迷うことなく、その引き金を引いた。
撃たれたのは先ほど吹き出してしまった男。彼の額に、銃弾はものの見事に命中した。
呻く事さえ許されず絶命された人生。何の抵抗も出来ず地面に転がった様は、人間の一生というもののあっけなさを如実に示していた。
「変わりはいくらでもいるんだ」
振り返り顔を青ざめるナンバー2の男に、カッサロー二はそう告げる。
「失敗すればお前の命も無いと思え」
「……」
長年の付き合い。間近で尽くしてきた間柄など、その男には関係ない。使えるのなら生かし、使えないのなら用は無い。
ひどく分かりやすく、ひどく理不尽なこの世界。
「承知しています」
身体全体から汗が出る。男は大丈夫だと自分に言い聞かす。これまで幾度と無くやってきた事。人間一人をこの世から抹殺するなど簡単な事だ。
だからこそ自分がそうならないように。
もう一度、強く念じる。
失敗は絶対に許されない。




