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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
女王の余暇
114/261

謁見

イギリス・バッキンガム宮殿庭園

とある日の午後一時二十分。

 

日除けの意味を持つパラソルの下で、女王は来客と向かい合い話をしていた。コーディネートは青のコートに青のスカート。花柄の模様をあしらえ、トレードマークといってもいいであろう青い帽子を被り優雅に一時を過ごしている。

側には赤いジャケットに黒いズボン。熊の毛皮で出来た帽子を被り、まるで人形のようにぴくりとも動かない彼らは、王室護衛隊(ローヤルガード)の面々だ。

「相変わらず秘密主義なんですね」

紅茶を一含み。微笑した女王は第一声にそう発した。

『何を今更』

答えたのはタブレット端末。ただしその画面には何も映っていない。

『失礼は承知ですが、何分これも必要な処置。私は存在意義に則っているという点をご理解頂ければ幸いです、女王陛下』

タブレットを持つ女とは明らかに違う男の声が、近衛兵の連中を不快にさせていく。広大な芝生に鳥のさえずり。およそ似つかない表情を浮かべながらも、何とか冷静に努める護衛達。

そんな彼らの気持ちを知ってか知らずか、口にしたティーカップを置くと、女王は悠々と話し出す。

「確かにあなた達は建前上この世に存在しない事になっている。最早法という縛りだけでは抑制が効かない世界に提示された新たな試み……すみませんね。無粋な事を述べてしまって」

『お気になさらず。誰だって抱く感情です。権力者ならなお更だ。手の届く場所にあるものに興味が惹かれるのは、いわば人の性ですから』

「……権力者、ねえ」

表面上は笑顔でも、女王はどこか浮かない声を出す。

「厄介な事になりました」

 無駄話もこの辺で、

 女王は早速本題に入る。

「すでに情報は回っていると思いますが、インドで拘束中だったアンクル=バーホンが脱獄しました。政府は躍起になって探しているそうですが、これといった手がかりもないようで依然消息は不明。報復声明はまだ出ていないですが、あの男の性格上野放しにはできません」

『ええ。分からないのはなぜいちいち拘束などという手段を取ったのか。テロの標的にされ被害だって出ているはずだ。敏感な連中にしてはらしくない』

「何か思惑があったのでしょう。ただ頭を叩けば収まるものでもないですし私は評価しますよ」

『随分と冷静ですね。何か情報を掴んでいるのですか?』

「私だって諸国の元首。それなりの情報網は持っているつもりです」

『流石です』

 おだやかな表情を崩さず、含みを持たせる女王。秘密を持つのはお互い様。それを示す事で、取引材料の存在を匂わせておく。

『ではそれに対しての世界の見解もご存知でしょう。時は一刻の猶予を許さない。既に裏世界では全団一致で可決。常任理事でも過半数は取れ、条件は整った』

「……結局武力に頼らなければならないと言うことですか」

 ここにきて初めて女王の表情に陰りが見える。

 いけないと分かっていてもその手段を取らざるを得ない。それはつまり、現段階における人類の限界を意味する。

『内容はお伝え出来ませんが、すでに我々は動き始めています。事が事だけに今回は長丁場になりそうですが、どうかご安心を』

「すみませんね。いつもいつも汚れ仕事をさせてしまって」

『汚れるのが仕事のようなものですから。それにあなたが謝る必要もない』

「いやね。時々自分が嫌になるんですよ。私も昔は争いが正しいと思っていた時期があった。他者などただの敵でしか無く、目に見えるものが本当の平和だと」

『今は違うと?』

「平和というものは然るべき処遇を受けられる環境の事を言うと私は思うんですよ。誰彼に優しいのでは無く、過ちを犯した者にはそれを償う機会を」

『ハハ……傲慢ですね、陛下は』

 恐らくは鼻で笑い、そんな事を男は言った。

 侮蔑と取られても仕方がない。

 わずかに眉を寄せる王室護衛隊の面々。だが感情的にならないのはさすがと言えよう。

 あくまでも女王の盾であり、矛である。

 その心情を、彼らは決して蔑ろにはしない。

 しかし護衛隊の中で一際若いであろう青年だけは、感情を隠そうとはしなかった

「貴様。陛下に向かって何たる口を」

 ブラックアウトする画面に飛ぶ、鋭い眼光。煮えきれない思いの丈は、タブレットを持つ女性へも注がれる。

「構いませんよ」

 女王はあくまでも冷静だ。柔和な表情を崩さず紅茶を口に含み、何事もなかったかのよう振舞う。

 いや、女王だけではない。感情が表面ににじみ出ようが先の青年以外の王室護衛隊はぴくりとも動かない。

 それは主君である女王がどういう人物が分かっているからこそ出来る行動。

 長年の信頼が、連邦国の元首に取っては核シェルターよりも心強い。

「さて団長さん」

 一見してこれまでと同じ声音。しかし聞くものが聞けば明らかに話のニュアンスが変わった。

 ティーカップをソーサーに置くと、女王はこう言った。

「そろそろ本題に入りましょうか」

 後ろ盾に屈強な男たちを従え、女王は悠然と構える。

 対して、タブレットを持つ女性は一人。あまりにも不利な現状に、苦笑いをせずにはいられない。

 それなのに。

 タブレットの向こう側の人物は態度を改めない。

『というと?』

 煮えきれない対応を取る男。

 タブレットのカメラからこちらの様子は窺えている。その上でそんな事を言うのだから、現場に出向いている女性はこっちの身にもなれよと内心で毒づく。

「わざわざ現状報告のため私と話をしにきたのではない事ぐらい察しが付きます」

 女王は言葉を返す。

「世間との関わりを極端に嫌うあなた達の事。大方何か企みがあってこその謁見でしょう」

『流石は陛下。話が早い』

 弾んだ声でそう言うと、タブレットの向こう側の人物は続けざまに、 

『アリシア。例のモノを』

 真剣みを帯びたその声に、タブレットを持つ女性――アリシアが応える。足元からパーティーバックを取り出し、中から数枚の紙を手にする。

 目的のもので合っているかどうかを確認し文面を揃えると、それを女王へと見やすいよう差し出す。

 受け取ると、女王は神妙な面持ちで紙に眼を通す。

 手渡されたそれぞれの紙には異なる人間の情報が載っている。移民として申請し受理され発行されたビザ。特殊シールなどが見受けられるという事はコピーでもなく本物だ。

「これをどこで?」

 あれほど柔和だった女王の表情がここで曇る。どこから入手したのかは分からないが、これを見過ごすわけにはいかなかった。英国は移民問題を抱えている。付随するようにそれ関連の黒い噂は絶えない。

 非合法な移民申請の手引きや闇労働としての匿いが裏で横行している現状。

 おいそれと自国のシステムに介入されているという事になれば、その長としても気が気ではない。

『そんなに怖い顔をしないでくださいよ。単純に本人の家にあったものをくすねただけのものです』

 嘘か真か、それを知るのには時間が掛かる。そう思った女王はその問題をとりあえずは脇に置く。

「……で、私にどうしろと」

『こいつらの素性を探ってもらいたい』

 タブレットの向こう側にいる男はそう言った。

 女王は疑問を投げかけるように、視線をタブレットへと向ける。

「それはどちらかというとあなた達の方が得意分野なのでは」

『お恥ずかしい話、我々にも限界はある。そこを何とか陛下の顔で埋めてもらいたいのですよ。あなたの情報網に比べれば、我々などパパラッチに毛が生えた程度のもの』

 などと、そんな可笑しな事を言うタブレットの向こう側の人物。女王は表情を崩さず、無言だ。それは腹を割って話せという暗喩。

 経緯がどうあれ、他人のビザを手に入れられる術を持つ連中。発行日付も近いという事は容易に手に入れられた事を意味する。 

 それほどの技量を持つ彼らが、一人の人間の素性を洗えないという可能性は低い。

 女王の推測通り。

 やはりお見通しかと、タブレットの向こう側の人物は本心を口にする。

『いやね。別にやろうと思えば出来るのですが、どうしても時間がネックになってしまう。こいつらは着せ替えのように月単位で戸籍を変えてるという情報もあります。言ったでしょう、一刻の猶予も許さないと。正規と非正規な方法では明らかに前者の方が早い。それに余計な荒波を立てるのも反感を買ってしまう。他国の人間の情報だなんて、それこそあなたが危惧している政府のシステムとやらに介入しなければならない』

「私に雑用を押し付けるのですか?」

『適正の問題です。その男の前籍でも、あなたの権力が圧倒的な意味を持っている』

「何だか気乗りしませんね。せめて理由だけでも聞かせてもらえれば心置きなく手を貸せるのですが」

『ご勘弁を。私的には全然構わないのですが、何分絶対遵守のルールが邪魔をしてしまって』

 よどみの無い返答。国の王にこれだけ臆せず物言いが出来るのだから、この男の心臓も大したものだ。

 女王は悩む。裏世界と総称される彼らの存在意義は彼女にだって分かっている。ではこの行為が何を意味するのかも。しかしどうしても躊躇ってしまうのだ。それは人が良すぎるという性格も大いに関係しているのだろう。正規か非正規かはさて置き、面識が無いとはいえ現状自国の市民として存在している人物。彼らの情報を本人の許可無しに提供するという事は、いかに女王といえど許される行為ではない。

 何よりも長として己を信じてくれる仲間を売り渡すようで、心が痛む。 

 それを見透かしたのだろう。

 追い討ちをかけるように、タブレットの向こう側の人物は言葉を付け加えた。

『背徳感に見舞われているのであればご安心を。その者たちのビザは不正のルートを辿って通ったものです。調べていけば自ずとそれは分かりましょう。そこで何ら問題がなければ断るという方法を取ってもらっても結構です』

「……仮に今断る、と言えばどうなってしまうのですか?」

 率直な疑問。最早それが些細な抵抗である事ぐらい女王自身も理解している。

 タブレットの向こう側の男はこう返答した。

『構いませんよ。まあその時は先ほど言った手段を取らざるを得ないかもしれませんが。我々と違い、あなたには世界の為に生きる権利がある。嫌な事から逃げると言うのも、立派な選択肢でしょう』

「大した脅し文句です」

『事実を述べただけです』

 平常心を保つ為か、女王はまた紅茶を口に含む。そしてふぅ、と溜息。今しがたの背徳感に、踏ん切りを付ける。

「いいでしょう」

 女王は短くそう言った。

「具体的な日付は述べれませんが、出来るだけ迅速に調べます。資料が整えばどのように連絡を?」

『二日後の同じ時間にまた来ます。その時彼女に渡して貰えればと』

 具体的な日付は分からないと言ったばかりなのにその条件。この男は言葉こそ丁寧に見繕っているが、内心では上位に立っているつもりなのかもしれない。

 首を縦に振ってしまう以上、この場に限ってはそうなのかもしれないが。

 女王は渋々と言った具合に、

「分かりました。では二日後までには用意しておきます。彼らの生い立ちと現在の居場所。それくらいで構いませんね」

『充分です。すみません。色々と忙しいでしょうに』

「お互い様でしょう。この時期になると妙な輩も多いですから」

 ティーカップに早くも三杯目の紅茶を淹れ、砂糖を掻き混ぜる。広大な庭ではいまだに小鳥がじゃれ合い、まさかこんな所で世相の行方を左右する話をしているなど夢にも思っていないだろう。

『私からは以上です』

 タブレットの向こう側の男は言った。 

『陛下の方から何かご質問はありますか?』

 己の用事が済めば早々と切り上げようだなんて都合のいい奴だと思う人間もいるだろうが、これには理由がある。

 表世界と裏世界は馴れ合わないのが信条だ。そもそもこうして密談している事自体がその根幹を揺るがす行為になるので、取り決めでも禁止はされている。存在しない存在として扱われているのにそういった癒着があったのでは結局のところ権力下での行政機関と見なされても文句は言えないからだ。

 もちろん、現在においてそんなものは建前上の意味合いでしかなくなってしまっている。

 彼らに限らず他の団体もどこかしらの国と癒着があるのは間違いなく、問題はそこをどう隠すかという事。

 本当に誰もが幸せになれる社会を築こうとしている人間など極わずかであり。

 表も裏も誰彼も世界の平和など二の次で自分達の身の回りを保守したいというのが本音。

 そういった事情があり、タブレットの向こう側の男が話を切り上げようとするのはお互いの為でもある。

 例えこの場にいるのが信頼できる人間達だとしても。

 世の中に絶対なんて言葉はないのだから。

 男の質問に女王は考える間を空けていた。今はこうして話し合いの席を設けているが、もちろんそれは心を許しているという訳ではない。いくら相手が天下のイギリス女王とはいえ、そんなもの男には関係ないだろう。

 今しがた女王の脳内で浮かんでいるその全てが、恐らくは質問したところで答えられないと返ってくるはずだ。  

『何もなければ私はこれで失礼しますが』

 念押しの一言。別に質問をしてほしい訳ではない。曲がりなりにもお願いを聞いてくれる者に対しての、彼なりの礼儀。

 えてして、女王はタブレットの奥に向けていた視線を、それを持つ女性に変えた。

 眼が合った女性はどうしたのだろうかと瞼を瞬かせる。そんな彼女に構う様子を見せない女王は、やがて口を開く。

「……他でもこういった手法を?」

『はい?』

 ぽつりと放たれた言葉に、タブレットの向こう側の男が眉を顰めているであろう事は声で分かった。

 どうやら伝わらなかったようだと感じ取ると、女王は補足する。

「敵地に女性を一人で送り込むだなんて危険な真似、あまり賛同は出来ません。私だったからいいものを。他の連中ならこううまくはいきませんよ」

 表面上はこれまで道り穏やかだが、その口ぶりを聞くにどうやら怒っているようだ。

 それには女王なりの事情がある訳なのだが。

『お言葉ですが陛下。これでも私はあなたを高く評価しています』

 タブレットの向こう側にいる男の返答はこうだった。

『確かに道は定められたものだったかもしれない。しかしその長く険しい道を歩いたのは紛れもなくあなただ。最早晩年と呼んでいい現在も諸国の王を務め各地の催しにも精力的に参加をなさっている。到底常人に出来る事ではない。その様なお方が場を設けると快諾してくださったのです。構えて謁見というのも失礼な話でしょう』

 最後の一文は、鼻で笑った男。それに言葉のチョイスも良くはない。あなたや晩年だなんて、女王でなくとも失礼な言い方に当たるのは間違いないだろう。

 これには王護衛隊も黙ってはいない。

「貴様、馬鹿にするのもいい加減にしろ」

 剣を素早く抜くと、威嚇のつもりかその切っ先をタブレットへと向ける。

 しかし感情的になったのは先ほどの青年だけで、他の面々はこの期に及んでも冷静だった。

 前に乗り出さんとする血気盛んな彼が持つ刃を手で下ろさせると、隊長である男は静かに首を振った。

 その行為が青年には理解できない。

「しかしこれ以上の侮辱は」

「なりませぬ」

 低く唸ったような声。

 未だ腕で制する隊長は、青臭い行動に出た彼に言い聞かす。

「感情的になってはなりません。尊重すべきは陛下の意思。我々は盾以外の何者でもない。どうかお静まりを」

 言葉少なにそう告げられた青年は、不満そうだった。だが隊長に、いわば上司に逆らう訳にもいかない。歯噛みし、自分の感情を押さえつける。それでも鋭く好戦的な眼差しは、いまだタブレットに向けられている。

『噂道りのわんぱく王子ですな』

 タブレットの向こう側からはせせら笑う声がした。それを聞いた青年も黙ってはいない。

「いい度胸だ。女王のみならずこの俺をも馬鹿にするとは。遠い所にいれば安心か? 堂々と目の前に現れ同じ台詞をはければ大したものだがな」

『出来ればそうしたいんですがねえ。何分これもルール。若い王子にはまだご経験の無い事かもしれませんが、世の中には己の意思よりも優先せねばならない事もあるのですよ』

「……この俺が青いというのか」

『おや? 自分でお気づきになっていませんでしたか。これは失敬。しかし間違いを正す一大人として教えてさしあげましょう。あなたは自分がどれほど重要な人物かを分かっちゃいない。己の信念かどうかは知らないが、今立っている場所が本当に正しいかどうかもう一度考えてみてはどうですか?』

「ちょ、ちょっと団長」

 思わず、タブレットを手にする女性は口を挟んだ。見えやすいようにと両手でタブレットを立てたままなのは感心するが、表情は明らかに困惑している。

 それはそうだろう。相手はそんじょそこらの重要人物ではない。

 国のトップ達に物言いなど、その火の粉が真っ先に降りかかるのは現場にいる彼女なのだろうから。

 懸念通り。

「この俺に指図など」

 聞き捨てなら無い言葉に、今度こそ前のめりになる青年。

 そういう所が青いと言われる所以なのだろうが、存外本人は気づきにくい。また他の連中に宥められる青年。それでも怒りが収まらないのか、青年は更に歯を噛み締めタブレットを睨み続けている。

「おやめなさいジョージ」

 鶴の一声に、青年の動きはぴたりと止まる。静けさの中に威厳を纏わせたそれは、続けざまに言葉を発した。

「誰が剣を抜いて良いと言いました。客人の前でそのような無礼。ローヤルガードの品位を下げてどうするのですか」

 幾分も真剣な面持ちになった女王の一言で、青年の怒りは完全に押さえつけられる。

 込み上がった感情が、見る見るうちに萎んでいくのが分かった。

 自分の中で納得をした部分もあるのだろう。

 剣を鞘に収め、目を瞑り精神統一すると、青年は一変して落ち着きを取り戻す。

「申し訳ありませんでした」

 一連の不始末を詫びる。タブレットの向こう側の男と女王に頭を下げると、青年は何事も無かったかのように隊の序列へと戻っていった。

 ほっと胸を撫で下ろしたのはタブレットを持つ女性だ。

 このタブレットの向こう側の男が相手を馬鹿にするのは毎度の事だが、流石に今日はやめてほしいというのが本音だ。

「すみませんね。部下が粗相を」

「あ、いえ。こちらこそすみません。気を逆撫でるような事をして」

 女王の言葉に、笑顔を覗かせ軽く会釈。

 条件反射とはいえ、彼女としては当たり前の事をしたまでだ。

 しかしタブレットの向こう側にいる男はその行為すら良しとしない。

『おいアリシア。勝手に口を挟むんじゃない。俺が必要な時だけ喋れと言ったはずだぞ』

「……分かりましたよ」

 笑顔から一転、不満そうな顔をするアリシア。

 今のやりとりを聞いて女王は驚きだ。目を瞬かせ、アリシアと顔を見合わせる。

 するとどうだろう。まるで言いなり人形のように、アリシアは口を噤むんでいる。今しがた見せた笑顔が噓かのように、表情も真剣だ。

 全てを察すると、女王はまた柔和な笑みを浮かべた。

「あらあら。どうやらよほど厳格な方らしいですね。団長さんとやらは」

『いやお恥ずかしい。これも教育の一環でして……それはさて置き、特にご質問も無いようですので私はここで失礼します』

「本当に素っ気無い人ですね。わざわざ公務を割いたというのに……せっかく空いた時間。私としてはくだらない話の一つや二つぐらい交えたいものなんですがね」

『申し訳ありません。そういった活動は行っていませんので』

「あら残念。ではこちらの女性とお話しするのも駄目なのかしら?」

『出来れば控えていただきたいですね。あなたは聡明なお方だ。何気ない一言が命取りになる可能性だってある』

「別に素性を探ろうだなんて魂胆は持っていませんよ。本当に暇なんです。午後のレセプションまでにはまだ時間がある。たまには他愛のない話でもしてストレスを発散させないと。それにあまり私の機嫌を損ねると、先の件にも身が入らないかもしれませんよ」

『……』

 ここにきてタブレットの向こう側の男が始めて黙り込んだ。

 天下の女王がまるで子供のような事を言い出したのだ。当然といえば当然かもしれない。しかし丸っきりの噓とは思えなかった。女王の色々と突飛な言動は世間にも知られるところ。その中にも有り得ないと言って良い理由で突っぱねた案件もある。

 そう考えると、今しがたの話も無くは無い。

 そもそもこちらには後ろ盾など全く無いのだから。

『いいでしょう』

 少し考える間を空けてから、タブレットの向こう側の男はそう判断した。

『アリシア。陛下の話し相手をさせてもらいなさい。分かっているとは思うが失礼のないようにな』

「はあ……分かりました」

 勝手に進む妙な展開に曖昧な返事をすると、タブレットの通信が一方的に途切れた。

 文字通り取り残されたアリシア。目の前には相変わらずの柔和な表情を浮かべる女王の姿があった。その後ろには面を被ったかのように表情を変えない屈強な男達。

 話すとはいえ、アリシアには具体的にどうすればいいのかが分からない。

 そんな彼女の気を汲んだのだろう。紅茶を優雅に啜る女王は自ら語りかける。

「今年は山の環境が良くていい茶葉が多くてね。美味しくて美しい最高の紅茶をいれる事が出来るの。それが温暖化の影響じゃないかって一部では言われていて、立場上素直に喜べないのが残念だけど――アリシアさんは紅茶は好きかしら?」

「いえ私は……嫌いではないですけど、あまり馴染みがないというか」

「あらそう? 残念ね。あなたの母親はとても好きだったのに……ではどうでしょう。これを機会に好きになってみては」

「えっとそれは……じゃあ頂いちゃおうかな」

 愛想笑いで、そう言ったアリシア。別段喉も乾いていないので本当は断りたいところだが、女王に妙な気を使わせてはならないと、彼女の場合は人一倍強く感じることだろう。

 言葉を受けると、女王は紅茶を淹れていく。天下の女王陛下が客人の為に自ら労働なさるとは、その客人側とすれば何とも贅沢な気持ちにもなる。

「ところでご両親は元気になさってらっしゃるの?」

「はい。今日も陛下にその旨を伝えるよう受け賜っております」

「そうですか。それは良かった。しかし驚きましたよ。遠かりし日に会ったきりのあなたから尋ねたいという一報を受けた時は何事かと思いましたが、まさか裏世界と繋がりがあっただなんて」

「その件に関しては本当に申し訳ありませんでした」

 座りながらも深々と頭を下げ、詫びるアリシア。直属の団長もいなくなった今、これには先ほどの一件等も含まれている。

「構いませんよ。久しぶりに心躍る展開でもありましたから」

 寛容な女王はその程度では気にも留めない。むしろいい刺激だと、笑ってさえいた。

 その心意気にアリシアは顔を上げる。だが何やら様子がおかしい。団長がいなくなった事で緊張の糸が解けた件とはまた別の理由があるように、表情がやけに焦っていた。

 原因はすぐに分かった。

 冷や汗をかき苦笑いを浮かべるアリシアは、恐る恐る女王に訊いてみる。

「それと、陛下にご相談があるのですが……」

「分かっていますとも」

 どうやら全てお見通しのようで。

 女王は注いだ紅茶を差し出しながら、不安に駆られる彼女にこう告げた。

「父君と母君、ひいてはこの場にいる者以外に、あなたが裏世界と繋がりがある事は公開しません」

「陛下……」

 感動して言葉が出ない。噓を吐いただけでは飽き足らず、面倒ごとを引き受けてもらったというのに紹介した人物が失礼に当たる行為を仕出かし、更にはその事実を黙っていてくれという都合のいい話。

 それらを目の前にいるお方は全て享受なさってくれた。

 正直無理難題なものだと思っていた。女王を騙して謁見。しかも曲事の手引きを持ちかけるなど、それこそ罪に問われても文句は言えない。

「ありがとうございます」

 感謝の気持ちが治まらず、椅子から立ち上がり身を乗り出すと、思わず跪くアリシア。膝を突いた際パーティードレスから太ももがはだけ様が構う気などない。その程度の敬意を表した所で、このご恩は購えない。

「陛下の温情、無恥ながら頂戴いたします。本当に何と礼を申し上げていいのやら」

 下げた頭を一向に上げようとしないアリシア。何も言わなければいつまでもその体勢を維持し続けそうな勢いだ。

「顔を上げなさいアリシア」

 母性すら感じさせる優しい声で、女王はそう命令した。

 それによりアリシアはやっと顔を上げる。しかし膝を突く体勢は変わらなかった。美貌に不釣合いな力強い目は、確かに女王を崇めている。

 恩義ある相手にはとことん尽くす。こういう所は母親譲りだなと思いつつ、女王はアリシアに席へと戻るよう促す。

 そこでようやく、元の位置関係へと戻った。

 パーティードレスに付いた芝を払い、はだけた裾を正すと、アリシアは着席する。

 落ち着いたのか乱れた髪を束ねなおす彼女のしぐさを見計らい、女王は早速言葉を投げ掛けた。

「それにしても。それほどかしこまるあなたがこの様な行為。相当な事情があるとお見受けしますが」

「いえ……こんな事を言えば失礼かもしれませんが、そこまで大それた理由ではありません。その、なんというか。昔助けられた恩があって」

「そうですか。なら良かったです。あなたが団長と呼ぶその人物。会話をしてみてあまり良い印象を受けませんでしたから。私はてっきり弱みでも握られているのかと」

「そ、そんな事は絶対ありません」

 女王の言葉に、アリシアはひどく反発した。誤解されては困ると切羽詰った様子の彼女に、女王はおろか王室護衛隊の面々を眼を丸くする。

 数秒後その光景を見て我に返ると、アリシアは心底恥ずかしそうな顔をした。

「すみません。急に大きな声を出してしまって……でも、その可能性は本当に無いですから。確かに口が悪くて失礼な態度ばかり取っていましたけど、根はまじめなんです。実は今日の件も全部私の提案で、彼は心配さえしてくれて、きっといつもよりきつい口調だったのも気を使ってくれたのかなー、て、自分では思ったりなんかもして」

 あははははと明らかな作り笑いをするアリシア。意味も無く目の前にあったスコーンを口に運ぶ。眼も泳ぎ焦点が定まらない。もしかすると彼女は今自分がどんな行動を取っているのかもよく分かっていないかもしれない。

 人生経験豊富な女王はすぐにぴんと来た。

「……彼の役に立ちたいと」

 女王はざっくりと切り込む。

「え? あ、いえ、恩返しというか、何というかその……まあ、彼のやろうとしている事に興味があるというのが一番大きな要因ですかね。興味本位というか、何か人を惹きつけるような魅力を持っている人なんです」

 照れ笑いし、頬を掻くアリシア。

 落ち着く為か紅茶を一飲み。頬を赤らめながらおいしいですねこの紅茶、と話を逸らす彼女の顔は、いわゆる女の顔だ。

 彼女と団長と呼ばれる男の間で何があったのかは分からない。しかしどこか幸せそうなアリシアの顔を見ると、やはり強いられての行動ではないようだと、女王もひとまずは胸を撫で下ろす。

「それなら結構です。でももし何か悩み事が出来たのなら遠慮せずに言って頂戴。力不足かもしれないけど、私も出来る限りは相談に乗りますから」

「ありがたいお言葉です。ですが、やはり陛下ほどのお方になってくると、あまり馴れ馴れしくするのは失礼にあたってしまうので」

「構いませんよ。あなたは物事の裁量が分かる人間。それに面識が少ないとはいえ親戚なのですから、本当に気兼ねなく訪ねてもらって結構です」

「ありがとうございます」

「その代わりと言っては何ですが、王家にまつわるような重要な事柄を秘密裏に漏洩したり、敵に回るような真似だけはしないでください。女王というのは色々と背負わなければならないものもあってね。嫌ですよ。可愛いはとこを罰せなきゃいけない境遇に立たされるのは」

「理解しています。私も王室にどれほどの尊厳と歴史があるのかは聞かされていますから」

「よろしい。では私から言うべき事はもう無いですね」

 安心したのか。紅茶の入ったティーカップに口をつける女王。釣られるように、アリシアも紅茶を口に含む。芳しい香りと甘みが口いっぱいに広がり、それは飲み物というよりもデザートの感覚に近かった。味を楽しむというよりかは香りを楽しむ。昔から様々な食育を受けてきたアリシアにも初めての体験だったが、高貴な味なのは何となく分かる。ベジタリアンな彼女としては血糖値が気になるところだが、せっかく女王が淹れてくだすったので残す訳にもいくまい。

「ところで団長さんとはどこまでの間柄になったのかしら」

 まさかの質問に、失礼ながら含んだ紅茶を吐き出しそうになるアリシア。何とか阻止しようと口を目いっぱい噤むが、むせ返る度に唇の端から紅茶が溢れ出てしまう。

 息苦しさから涙目になりつつ、それでも何とか大失態だけは回避できたアリシア。

 盛大に息を切らしながら、女王の方を見る。

「い、いきなり何を言い出すのですか」

「あらごめんなさい。まさかそんなに動揺するとは思っていなかったので――いや、ただ気になってね。天性の美貌でメディアを賑やかすあなたの恋愛事情というものに」

「ですからそういう事実はありません。私はただ恩義を返しているまでです」

「好きなんでしょ、彼の事」

「……陛下」

「何を隠す必要があるのですか。なるほど。あれだけ付け回されていてスキャンダルが無いのはそういう事情があったのね。結構ではないですか。身内を悪く言うのは忍びないけれど、近頃は自覚の無い面々が多くて純白さを欠いていましたから。まあ一つ難儀な所は、彼がそんじょそこらの人格者では無というところかしら」

 慌てふためくアリシアとは対照的に、紅茶を優雅に嗜む女王。

 お茶目というか悪戯好きというか、まさかここまで下世話な話をする人間だとは思ってもみなかった。

 そういえばストレスを発散させたいだとか言っていた。ひょっとして女王はその捌け口としてアリシアを選んでいるのかもしれない。

「さて、次の公務まで後二時間はある」

 アンティークな懐中時計に眼をやりながらそう呟く女王。後方のローヤルガードは相変わらず立ち尽くすのみで、その存在意義に徹している。

 女王は落ち着かない様子のアリシアに視線を移すと、また柔和な笑みを浮かべた。

「それじゃあお付き合い願えますか、アリシア」

「ええ……もちろん」

 と苦笑いで答えるアリシア。もちろん本意ではない。その柔和な笑みだって彼女にしてみれば含みのある笑いにさえ見えてしまう。今しがたの言動で分かったと思うが、女王は意地が悪い。これから行われるいわゆる談笑も、少なからず流れに沿ったものなのだろう。

 そう思うとアリシアは何だか憂鬱な気分になった。 

 しかし断りをいれる訳にはいかず、結局は全て受け入れなければならないのが辛いところ。

 準備が整ったといわんばかりに紅茶を飲み干した女王。透き通った瞳はくすむ事なく、年齢の割りに少ない顔の皺も適度にストレスを発散してきた賜物なのだろうか。

 なにわともあれ、長い時間が始まりそうだ。

 楽しみにしてくださる女王陛下には申し訳ないが。

 帰りたいというのが、アリシアの本音だった。

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