去る男
「さて、それじゃわしはそろそろ去るとしようかな」
シルクハットを被り直し、身支度をし始める男。あの銀色の槍は手にしていた杖にエクトプラズムを纏わせ形成されていたらしく、全てが終わったその時、元に戻った。
黒い鶏もしかり。
今はどこからどう見ても普通の鶏で、言うなればじっと立ち尽くす姿が凛々しく感じられるくらいだ。
彼らは淡々と準備を進めていった。わずか数十秒で身支度を終え去ろうとする点から窺うに、あまり馴れ合いのようなものは好まない性格なのだろう。
「ま、待ってくれ」
トラジェメリレガーナに刺されたわき腹の傷に顔を顰めながら、神父が呼び止める。心配になりアテナが声を掛けたが彼は大丈夫だとそれを制した。
どうしても訊きたい事があるらしい、そんな急き方だ。
呼びかけに男は応える。
「何かね?」
「始めから気づいていたのか? あの悪魔を祓える方法を」
まるで先生に質問をする生徒のよう。
言葉遣いは少々乱暴だが、結果的に祓えなかった者としては聞いておきたいのだろう。
それに対し男は
「馬鹿言わんでくれ」
とせせら笑った。
「お前さんが言ってるのは、初めて見た者の性格とその関係性を瞬時に見抜けと言っているのと同じだ。そんな能力は持っておらんし、同じ容れ物でぜんぜん違う中身のお前さんらならなおさら理解など出来んよ」
「奴の性質は理解していたはずだ。ならその対処法も。あなたならもっと安全に取り祓えた気がしてならない。なのに、なぜ初めにあんな齷齪な行動を取った」
「光を浴びすぎると人は失明してしまう」
逃げたわけではないのだろうが、
男は話の方向性を変えた。
「今のお前さんはまさにそれじゃな。人は難しい事を理解できる能力があるのに、それが正しいかどうかを判断する能力は乏しい。いや、そもそもそんなものは必要がないのかもしれん。結局は孤独なのじゃろう。どんなに集合体でいようと個は個。正解かどうかは優先ではなくただただ己の存在を保全しようとする本能。まあ悪いことではなんじゃろう。ただ、もう一度よく自分を見つめ直せ。お前さんは道理という悪魔以上に性質の悪い存在に憑かれている」
淡々とそう告げる男。
あまりに一方的なその対応に、神父もどうすればいいか分からず困っている様子だった。
しばらく呆けていたが、やがて話の本筋がずれていると気づき、戻そうとする。
しかしそこで傷の痛みが再燃する。
また膝を付く神父。致命傷になるほど深くはないようだが、老いた身体には堪えるだろう。
蹲りつつ、男から視線は外さない、
その執念に男も同情的だ。
「あまり動きなさんな。身体は何よりも大事にせねばならん。何せこの世のものと関わりを持てる唯一のツールなのじゃから」
あくまでも諭すような物言い。その落ち着きはどこから来るものなのか。人間の格好をした男はまるで別の視点から物事を見ているようだった。
「……最初にこの子の除霊が目的ではないと言ったわね」
やはり疑問を抱いているのは神父だけではない。
問答出来る状態にない神父に代わる形で、アテナが訊く。
「なら、あなたの言う目的とは何? ただ悪魔を狩る事が趣味だとは思えないのだけれど」
「面白い質問が続くな」
本当にそう思っているからこそなのか、男はやけに喋る。
「そもそも趣味とは君達人間のみが有する不筋な行動理念だ。真相究明や生命維持と違いその行動自体に意味のないそれをわしが持ち合わせてるわけがなかろう」
「……まるであなたが人間ではないような物言いね」
「現にそうなのだから仕方あるまい。こんな形をしているのはあくまでもカモフラージュ。つまりは他を欺くためだよ。わしが本来の姿をしていればたちまち騒ぎになろう。そうなっては色々と面倒だ。お互いにな」
それじゃもう行くよ、と言った男は今度こそ立ち去ろうと歩を進め始める。黒いアタッシュケースを手に、その肩には鶏が乗っていた。
「待って」
と、アテナはまたしても呼び止めた。それにより再び振り返る男。ため息混じりに、反応を示す。
「なんじゃ、まだ何か質問か」
「いいえそうじゃない」
それを聞いた男は訝しんだ。質問でなければなんだろうかと、耳を傾ける。対して、アテナが言った一言は極めて単純なものだ。
「ありがとう」
手を貸してくれたから、礼を言う。それはもちろん、彼女の腕の中で眠る少女を助けてくれた事に関してだろう。当たり前の行動で、差ほど驚くようなものではない。
人間ならの話だが。
自称人間で無いという男は言葉を受け少し驚いていた。
だがすぐさま元のすかした面持ちに戻り、
「他のために礼を言う。本当によく分からんな人間は……後学の為に聞かせてくれ。君達はなぜそこまで無意味なものに意味を持たせようとする」
「それは……分からないわ。なぜでしょうね」
言われて気付いたと言わんばかりに、言葉を濁すアテナ。しかし当然、当事者としてはそんな疑問などさして問題ではない。
流すように彼女は言った。
「やっぱり、それも本能のようなものじゃないかしら。先人たちが築き上げてきた道徳でもある訳でしょうし。それに、別に人間に限った事ではないと思うけれど」
「その様だな。わしも幾度か目撃をした事はある。じゃが、少なくとも我々は持ち合わせていない類のものだ。人間に限らずこの世のモノは不可解な行動が多い。もしかすれば、それが我々に足らぬものなのかもしれないな」
「……何を悩んでいるのかはよく分からないけれど。でも、あなたはミレーナとニーナの繋がりに心が動かされた。それはきっと他を思いやる気持ちからくるものよ」
「そんな大層なものではない。ただ単に回収できなかっただけじゃ」
男は堂々と言い切った。
ミレーナとニーナの絆は予想以上に強かった。その強さが糧となるのでもっと強力な力を帯びた状態で手中に収められると思っていたが、まさかの事態にそれは頓挫した。
だから、あの悪魔を祓えたのはあくまでもニーナの主人に対する愛であって。
男に礼を言われる筋合いはないのだ。
だが、勉強になったという事か。
「近々大きな争いが起きる」
唐突に男はこんな情報をくれてやる。
「その争いで多くの犠牲者が出る事になるだろう。まあ表面上はこれまで起きてきたものと変わらん単なる争いに見えるかもしれん。じゃが、本当の試練はその先にある。その争いを契機に、人は大きな転換期を迎えるじゃろう。これまで数千年に渡り地上の頂点に君臨してきた真価を問われる。今後も頂点に君臨すべき器なのか、それとも世代交代すべきなのか。いずれにせよこの眼で見させてもらおう」
やはり微細な事は言わなかったが、根幹になるべき部分には触れていた。
単なる出来心か、計画的か。
最後まで喰えない態度の男はこう告げる。
「精々抗え、人間よ」
前を向き直し、霧に紛れるように背中が遠のいていった。その後はただの一度も振り返らず、男の姿は見えなくなる。
あの男は何者だったのか。
そんな事を考えているかのように、アテナはその影を眼で追う。
しばらくすると。
他に優先すべき事柄に手を出し始める。
アテナは膝をつく神父に歩み寄った。
「大丈夫?」
「ああ、なんのこれしき。私よりもその子の方は?」
傷口を押さえ痛みに苦笑いを浮かべながらも、神父は少女を気遣った。
促され少女の容態を探るアテナ。眼を瞑っているが、息はちゃんとしている。
「大丈夫よ。負担がかなりあったみたいで一応気は失っているけど、呼吸を聞いた感じでは命に別状はないと思う」
「そうか。それは良かった」
ほっとすると、神父は起き上がろうとする。しかし痛みは全くない訳ではない。立ち上がり、わき腹に負担が掛かった途端、無視できない痛みが彼を襲う。
悶えながらも座ろうとはせず抗う神父に、龍樹が慌てて駆け寄り肩を貸す。
なんとか緩和できたようで、神父は大きく息を吐いた。
「ありがとう。ついでで悪いが、このまま教会まで送ってくれないか。どうも身体にガタがきているみたいで、まともに歩けん」
「それはいいでしょうけど……手当てとか受けなくて大丈夫?」
「ああ。本当に傷はそこまで深くない。ただ、痛みに耐性が無くてね。この年になると中々そういう経験をしないものだから」
運動しなくてはな、と神父は言った。彼にしては割かし軽口だ。なら、本当に大丈夫なのだろう。
「神父さん、何だって?」
肩を貸す龍樹がアテナに訊いた。彼もそこまで大事だと思っていないようで切迫感がある訳でもないが、一応状況は把握しておきたいのだろう。
アテナは神父の言葉を訳し、龍樹に伝えた。
「ああ、いいぜ」
承諾した龍樹。やっと役に立てると、ちょっとだけ張り切る。
方向性が決まると、早速動いた方がいいだろう。現状で人はいないとはいえ、悪魔が祓われる際に放った咆哮は誰かしら聞いていたかもしれないので警察などが来ると厄介だ。
時刻は午前二時。気温は益々下がり、今がピークだろう。
アテナはミレーナを、龍樹は神父を介抱しながら、とりあえずその場を後にした。




