↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖美なるこの世界  作者: 桂馬
知らなかった当たり前
11/261

妖美なるこの世界

 龍樹は歩む。

 うらびれた路地裏の奥へと入り込んでいく。


 抜足、差し足、忍び足。

 見付からない様にと壁に背を貼り付け慎重に進んでいく。


 隠れる場所があまり無いのは尾行する状況に取っては悪条件だったが、相手だって背中に目が付いている訳でもあるまい。

 妙な音を立てず、一定の距離を保っていれば大丈夫だろう。


 普段何も考えず行動する彼がここまで慎重な理由はただの一つ。

 謎まみれの女――アテナの素性を確認する為だ。


 一体全体日本には何をしにきたのか。

 父との仕事仲間とはどういう意味を孕んでいるのか。

 少なくとも後者の方だけは知りたかった。


 何の痕跡も残さず急にいなくなった父親。そして二年間も音沙汰なしだったところに現れ近況を知る人物という点は、偶然と片づけるには出来過ぎている。

 これをみすみす見逃すほど、彼だってお人よしではない。

 きっとこれは試練なのだ。

 憐れに思った神様とやらが作ってくれた、千載一遇のチャンス。

 そう思ってはいるものの、早速問題があった。


(……ありゃ?)


 肝心な本人がいなかった。

 路地裏に入り込んですばらく進んだが、上を見ても、下を見ても、左を見ても、右を見ても、確かにここに入って行ったはずのアテナの姿がどこにもなかった。

 あまり詳しくはないので断言はできないが店の裏口と化している路地裏は形状的に一本道だったはず。 

なのでどこか他の道を使い抜け出たとは考えにくい。

 したがって不審を覚えた龍樹は一旦足を止め考えることにした。

 腕を組み、眉を寄せる。


(う~ん。どこに行ったんだ?)


 時間的にもそんなに遠くには行っていない筈。

 そう推測し、再び彼女を探す。

 脱出したという可能性が低いとなれば、閃いた見解は次の通り。


 どこかに隠れたか。全速力で撒かれたか。


(……逃げられた可能性はあんまり考えたくないな)

 

 故に、前者に焦点をいて物事を進めていこう。

 龍樹はぐるり、と首を回して周りの現状を確認してみる。

 ビルの壁にはアメコミに出てきそうなヒーローがコミカルに描かれていた。読めないが体裁の良いアルファベットの字体がその周りを囲み、芸術と思わせるようなストリートアートがほぼ一面に描かれている。

 改めて思うことだが、此処は本当に治安が悪い様だ。

 土地の持ち主が汚れなどを気にしない性格なのか廃れ気味の路地裏は、不良達に取っては恰好の場所なのだろう。

 しかし店の裏口があるから人が来ない事も無いと思うのだが、何も気にしていないのだろうかと不思議に思う。

 それとも怖くて言えないのだろうか。

 何にしても、その不良とやらがどこからか急に現れる可能性も無くは無いので、龍樹としてもあまり長居はしたくない。

 だから探し方もやや雑だ。

 辺りをきょろきょろと見回しながら、早足で歩む。

 これでは細かいところは見れていないのかもしれないが、どうしたって怖いものは怖いのだ。

 おまけに誰かに見つかって色々聞かれても面倒だ。

 それにネズミの様な小動物を探している訳ではない。

 道幅だってそこまで広くは無いし、人っ子一人隠れられるスペースなんてものは限られてくる。

 龍樹がそう思いながら奥へと進んでいると、やがて少し広い道に出た。

 広いといっても、そこは路地裏。

 ワゴン車一台がようやく通れる様な程だ。

 恐らくは空きテナントであろうビルの裏手が見える。

 道の隅のほうにはゴミ等が散乱しており、身近にあるゴミ箱をあざ笑うようにも見えるそこから放たれる汚臭が鼻に付く。


「……」


 ふと、龍樹はなぜかそのゴミ箱が気になった。


 不潔な環境によりへばりついたであろう汚れの奥に覗く本来の青色が何とも痛々しい、蓋付きのゴミ箱。

 それをしばらくの間じーっと眺める。


 そして、まさかとは思うものの、試すだけならタダだしな、と結論付けた。


 ここか? と怪訝な表情のまま、龍樹はゴミ箱を捜索し始める。

 中を隠す蓋を開け、覗き込む。

 当然いない。

 やっぱりな、と本来ならここで終わりだろう。むしろ、ここまでする人は珍しいくらいだ。

 それでも彼はその上をいく。

 腕を捲くり、意を決するように息を吐く。

 それは相手が普通の一般人では無いと見越しての行動だ。

 龍樹は中身を確認する気だった。

 手先をやはり、汚物に思い切って突っ込む勇気はない。変わりに近くにあった棒の様な物で内部を掻き分けていく。乱された事により深層に存在を潜めていた一段上の汚臭達が表へと溢れ出てきて、自然、顔が顰まる。

 鼻を押さえたいのを堪えつつ、捜索活動は進んでいく。


 しかし彼にだって一般常識ぐらいはある。

 しばらくすると、自分が何をしているのかを思い直し、その捜索の手を止めた。


(……何やってんだ俺は)


 自分で自分を笑ってしまう。

 そう、いくら彼女が風変わりとはいえ、常識的に考えている訳がないじゃないか。

 よく見てみろ。こんな腰ぐらいの位置の高さに、ましてや中にゴミが詰め込まれているんだぞ。全く、少し考えれば――


「何をしているの?」 

「!?」


 完全に不意を付かれた。

 心臓が口から飛び出そうになる。

 後方から掛けられた声には聞き覚えがあったし、ほぼ間違いないと思った。

 声のした方を恐々振り向く龍樹。

 そこには予想通りの女がいた。

 ゴミを漁ってる最中に気付かれるというあまりにお粗末な結果に、思わずしどろもどろになってしまう。


「よ、よぉ。奇遇だな、こんな所で会うなんて。な、何してんだよ」

「……それは私が訊いているの」


 ごもっともな返答に、精一杯で作っていた偽物の笑みすらも消えていった。

 アテナは相変わらずの無表情を貫いている。

 その碧眼が自分を射抜く感じは気の所為ではないと、龍樹はほんの少し尻込みしてしまう。


 間抜けな事に見付かった際の事を考えていなかった。

 何か言い訳を探さなければならないのは分かっているが、どうも要領の悪い脳は良いアイデアを生み出せない。


 龍樹がそうやってちょっとしたパニックを起こしていると。

 ぎょろりと、アテナの眼球が横に動いた。

 眼の焦点を移動させたのだろう。


 外見からの判断だと、それは現在彼が右手に持っているゴミ箱の蓋に移っている。

 アテナの視線を追いそれに気付いた龍樹。

 すでに手遅れだが、身体の後ろにゴミ箱の蓋を隠す。

 あはは、と最早なんの笑いかも分からない笑いを龍樹がすると、アテナは目を細め小さく息を吐いた。


「いけない子ね」


 表参道の雑音が届かない空間に声が響く。

 な、なにがだよ、と本当は分かっているくせに、龍樹は一応訊いてみた。

 アテナからは予想通りの言葉が返ってくる。


「尾行だなんて、あまり良い趣味とは思えないわ。私も一応人間でね。付け回られるのは好きじゃないの」


 どうやら全てお見通しのようだ。

 となると、その思惑に気付かれ、逆に龍樹はここに誘い込まれたのかも知れない。


 アテナは機嫌が悪そうだった。

 当然だろう。誰だってこんな事をされれば、少なくとも良い気分ではない。

 龍樹としてもその点に関しては謝りたい。

 だが事父親の話になると別だ。

 いくら秘密にせねばならないとはいえ。

 開示された情報が、いくらなんでも少な過ぎる。


「……悪かったよ。こそこそ後を付けたのは謝る。でも、やっぱり納得がいかないんだよ。お前に取っちゃただの一介の家庭の事情にしか過ぎないんだろうけどさ。俺らに取っちゃ、大事な家族の事だから」


 大事な家族。

 恥ずかしい言葉だが、その気持ちに嘘はない。二年も音沙汰が無かったので、正直もう会う事もないんじゃないかと本気で思い始めたのは随分と前だ。

 そんな中父の情報を持つ女が現れた。

 訊くなと言う方が無理である。


「団内に関係する人間に関する情報は口外してはいけない決まりになっているの」


 しかし女にそんな事情は関係ない。

 伏し目がちで放たれたそれにきょとんとする龍樹。

 そんな彼を他所に、アテナは続けざまに言う。


「私が所属する団体にはそれこそ世界中から様々な事情を抱えた人間が集まってくる。行く当てが無くやってきた流浪人や、普通では手に入らない情報を得たいお金持ち。更には自分の才能を役立てたいなんて物好きな人間もいる。その大半が表の世界では別の顔を持っていて、中には知る人ぞ知る人物だっている」


 いつもは伏目で全く相手にしないアテナも、この時ばかりは龍樹の眼を見据えていた。

 その瞳は芯を持っていた。

 まるで重要な事を伝えるかのように。

 分かってくれと言いたそうに。

 

「つまりその内容は言えないの」


 話は更に進んでいく。


「おいそれと情報を口外し、表の世界に支障をきたす訳にはいかない。いつしか確立されたルールは団体に力を貸す代わりに極力その者の意志を尊重するよう配慮され出来上がったものでね。そしてそれはあなたのお父さんにも当て嵌まる。だから彼が今どこで何をしているのかは知らないし、例え知っていても教えられない。そして事のついでに言うと、秘密案件であるところのあの男関連についても、本来なら一切口外はできないという訳」

「……」


 一方的に事情を述べる圧に、押し黙ってしまう龍樹。

 それは何だかんだではぐらかそうとしていたこれまでとは訳が違う。

 事と次第によっては何を仕出かすか分からないという、明確な威嚇。


「……嫌だ」


 しかし我で跳ね返す。

 不貞腐れた表情で譲る気なんて全くなかった。

 あれこれと難しい事なんて考えていても無意味。

 言い包める話術もなければ、代わりに提示できる条件もない。

 それでも知りたい。

 となると龍樹に残された術は、食らいつくという事だけなのだ。


 もちろん、アテナもおいそれと挫けてはくれない。


「何が嫌なの?」


 声のトーンに変わりは無い。

 怒っているのか、驚いているのか、また別の感情を抱いているのか。

 その無表情からは読み取れない。


「決まってるだろ。このまま退くのが嫌だって言ってるんだよ」


 父は今どこで何をしているのか。

 安全の度合いは。

 家に連絡もよこせない理由はなんなのか。


 アテナさえその気になれば、きっとこれらの疑問は簡単に解消できるはずだ。


「……言わなかったかしら?」


 威圧感を更に増し、女は確認する。


「情報と言うものは時と場合によっては危険物資にもなりうる。だからあまり何でもかんでも知りたがらない方がいいって、確かに昨日伝えたはず」

「……ああ」


 初めて会った日の夜、外出しようとする彼女を気遣った時にそんな事を言っていたなと、龍樹は思いだす。


「それがどうしたんだよ。まさかこれがその情報だってのか? 馬鹿言うな。俺は何も国家機密を知りたいと言っている訳じゃないんだ。ただ父親の事を知りたい。そう言ってるだけ――」


 だ、という言葉尻を言い放つ前に、アテナがふいに龍樹へと急接近した。

 これに身体は反応し後退、後ろにあったゴミ箱に躓き、バランスを失った龍樹は尻餅をつく。

 中身がぶちまけられ、生モノの熟された汚臭が辺りに漂った。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 やがて意識が追いつき、状況を把握する。


「い、いきなり何するん」

「あなたの中での情報の定義というものは何?」


 見下すような視線を当ててきて、また言葉を被せたアテナ。その内容も相変わらず龍樹には分かりにくい。

 尻餅を付いたままの少年。ゴミ箱から漂う汚臭。壁に描かれたストリートアート。

 それら一切を気にしない様子で、質問をしたくせにその答えを待たずアテナは話を続けた。


「情報はただのあるがままではないの。その者に取ってはがらくたでも、他の者に取ってはとても有益なものになる事だってある。どこでどう転ぶか分からない。だから怖いの。あなたに取ってはたかだか父親の情報だとしても、他の者がその活動内容を知る事によって目的と場所を割り出し先手を打つ事だって可能になる」

「……」


 なにやら真剣な話をするアテナ。流すように対応していた今までと違い、それはむしろ彼女の方から訴えかけていた。

 それでも、龍樹には理解できなかった。

 父親が何をしているのかを知りたいだけなのに、なぜこんなにも難色を示しているのか。

 確かに彼女の言う事には一定の根拠がある。それは単なる意地悪ではないのだろう。


 だがまだ若い龍樹に取っては、どうしても頭が固すぎるとしか思えなかった。

 その気持ちが思わず言葉に変換される。


「だ、誰にも言わなければ済む話だろ」


 口調が弱々しかったのは根幹は小心な性格によるものだろう。

 龍樹の安直な意見にアテナは呆れたように目を細める。


「駄目なものは駄目なの」


 だが龍樹も負けない。 


「何でだよ。いいだろちょっとぐらい」

「駄目」

「絶対に他には言わない。それは約束するから」

「……しつこい」

「何とでも言え。教えてくれるまで退かないからな」


 噛み付くように龍樹がそう言うと、


「あまり聞き分けの無い事言わないで頂戴」


 アテナの声がより一層の険を帯びた。


「私だって役に立ってあげたいのは山々よ。父親がある日突然いなくなって不安を覚えるのも当然の事。その点に関してはあなたの気持ちも汲んでいるつもり。ただ、これは別件なの。考える余地もない絶対的な決まり」


 それは自分の意思など関係がないという意味。

 あらかじめ決められた事項。

 彼女が生きる世界での大原則。


「あなたが遊び半分で知りたがっていない事は分かっているつもり。ただ、究明と強欲を履き違えないで。あなたが知った所でどうこうなるものでもない。世の中には知らない方が良い事は絶対にある」


 そしてこれは知らない方が良い事、と、アテナは最後にそう締め括った。

 その言葉に龍樹はムッとする。


「……違う」


 話が噛み合っていないと首を振り、彼は言う。


「違うんだよ。俺が言ってるのは真相なんかじゃなくて、あくまでもお前の予想だ。それなら当たっていようと当たっていまいと、そのルールとやらには触れてないだろ」

「悪い冗談。そんなに簡単なものではないのよ」

「じゃどういうものなんだよ。自分の考えも述べちゃならないような場所って」


 どうやらアテナはあまりこういう言い合いに慣れていない様だ。そこまで駆け引きのうまくない龍樹でも、それなりに主導権は握れた。

 龍樹はアテナへと差し迫り、さらに畳みかけようとする。


「あんた最初に言ったよな。彼は元気にしている、だから心配しなくてもいいって。それって知ってないと言えない事だろ。全く知らない赤の他人だったなら、わざわざそんな事伝えないはずだ」

「……」


 アテナは何も答えなかった。光沢すら纏う綺麗な瞳で観察するように龍樹を見て、その言葉を聞くのみだ。


「内容も分からない意味不明な団体に所属していて、モラルだなんだで話せない。『大丈夫』だからって簡単な言葉だけで片付けられて、そんなので安心なんて出来る訳がないだろ。秘密にするって事は後ろめたい何かがあるに決まっている。昨日の事だってそうだ。あんな常人離れした事をやってのけるお前らってなんなんだよ」


 ようは心配なのだ。例え家族を放っておく最低な肉親だろうと、その人間が生死に関わる場所に身を置いていると言うのなら、状況ぐらいは把握しておきたい。

 龍樹は負けじとアテナの眼を見返す。

 外人特有と言うべきなのか、磨き上げた宝石を連想させる瞳は実に綺麗で吸い込まれそうな錯覚に陥る。

 それでも目は離さない。絶対にここで退いては駄目なんだと、強く自分に言い聞かせる。


 しばらくの間視線が交錯する。

 路地裏の中間点である今の場所では表参道の喧騒も最早聞こえない。 

 誰もいない場所で二人きり。

 なにか特別な存在にでもなったような感覚に陥り、場は静かにその成り行きを見届ける。


「……あなたはお父さんが本当に好きなのね」


 ぽつり、と。

 突如零れた雨粒のように、アテナは急にそんな事を言い出した。


 これには龍樹も虚を突かれた顔を取る。

 全く別方面からの言葉。

 それによりちょっと恥ずかしくなった。

 いきなり何言い出すんだよ、と小声で言って顔を逸らした彼に、アテナはしんみりとした様子で口を開く。


「顔を見ていれば大体分かるわ。それは本気で心配している時の顔。迷いの無い、それでいて弱々しくて儚い、哀愁の目」

「……」


 自分は今そんな顔をしているのだろうか、と意識してみる龍樹。

 していないとは思うのだが、とちょっと反論したくなったが、まあ彼女が言う以上、そうなってしまっているのだろうとそこは認める。

 自分の事は自分では分かりにくい。


 父親の件だってそうだ。


 勝手だのもう放っておけばいいと腹を括っていたものの。

 結局、心のどこかでは心配だったのだ。


「……いいわ」


 何を思ったのか。


 アテナはゆっくりと口を開けると、


「そんなに知りたいのなら教えてあげる。あなたのお父さんがいる世界。様々な誘惑で人々を翻弄する、その世界」


静かな空間でなければ聞き取れなかったであろうかそけき声。

 しかしその内容を彼なりに解釈すると、どうやら話してくれる気になったようだ


 あまりに急な展開。


 その為かすぐに喜びには繋げられなかった。喉元に小骨が刺さったかのような妙な感覚。今悲願を成し遂げたという実感がいまいち沸かない。


 座り込んだ状態の目前にはミニスカから伸びる意図していないであろう色めきを纏った太ももがあった。

 いや、もしかして結構狙っていたりするのかな、と若干どうでもいい事を考えるが、そこまできてようやく気持ちが緩む。


 どういう心境の変化があったのかは知らないが、アテナは喋ってくれるらしい。

 もしかしたら先の話で共感を得られたのかもしれない。父を想う気持ちが伝わり同情されたのかもしれない。

 なんにせよ良かった、と龍樹は人知れず胸をなでおろす。

 アテナはようやく喋ってくれる気になったようだ。


「……そうね」


 やがてなにかを納得したように、アテナは呟いた。

 彼女は次に辺りをきょろきょろと見渡し始める。


 当然ながら龍樹にはその行動が何を意味するのかが分からない。それを問いかけようかと思った所で、アテナは先を告げる。


「例えるのなら、ここが私達の住む世界だとしましょう。そして人が込み合う表参道があなた達の住む世界」

「……?」


 一体、何を言っているのだろう。

 ここがアテナ達の世界で、向こうが龍樹達の住む世界。

 分かるような分からないような。


 いや、分からない。


 くどいようだが知りたいのは父親の情報だ。

 なのにアテナときたら、どこで間違ったか全く関係のない話をし始めた。

 もしかしたらこのままはぐらかそうという魂胆なのかもしれない。

 だとすればまずい。

 話の筋を戻さねばと、龍樹は口を挟むことにした。


「……なあ、それで父さんの件はどうなってんだよ」


 あくまでも慎重に。

 彼女の機嫌を損ねてはならない。

 だから少し申し訳無さそうに尋ねもした。

 不器用な男が考えた、不器用なりの判断。


 かくしてアテナはというと、


 ――笑った。


 薄っすらと、本当に注意して見ないと分からないが、確かにその口角がややつり上がった。


 初めて見せた笑顔ともいえなくない笑顔。

 それは小悪魔のような妖艶な笑み。常が不愛想というギャップと、元の素材が良いのという事も相まって、龍樹はほんの少しだけ胸を撃たれ、見惚れてしまっていた。


 その時、生暖かい、不自然な隙間風が吹いた。

 

 それに気付いたと同時。

 龍樹の頭上を、何かが通過した。


 重い衝撃が空間を震わせる。

 まるで重機が壁を砕く際に発生するような耳をつんざく轟音。


 とても人間が生み出したとは思えないそれが、二人だけの路地裏に響き渡った。


 何を思ったのか。


 アテナが龍樹の頭上を経由し、壁に蹴りを減り込ませていた。

 恐らくはまともに喰らえば只では済まない。そんな威力を秘めた必殺。


 蹴りを放った事により何か喜ばしいものが見えている。

 だが今はそれどころではない。


 震撼する龍樹。

 今何が起きたのかを確認しようとする。


 事実が明らかになればなるほどに身体の底から得体の知れない何かが湧き上がってきて、喉の気道を絞めつけてくる。


「どう、死ぬと思えたかしら?」


 平坦に放たれた声は、だからこそ不安を煽る。

 何を言い出すんだと龍樹は思った。

 その問いに正直に答えるとすれば――YESだ。

 

 なにせ彼女が放った一撃は、コンクリート構造であろう建物の壁を抉り取ったのだ。


 褐色の男と鉢合わせになった時に地面を砕いた光景がフラッシュバックする。


 当たっていれば間違いなくただで済むはずがない。


 一体こいつらは――何なんだ!


 今自身に降りかかった災難と彼女の発言に頭を混乱させる龍樹。


 無表情に戻ったアテナはこの行為の意を放つ。


「コンクリートをも破壊する威力。まともに食らえばまず生きてられないでしょうね。実際だとあなたは死んでいた。誰にも知られず、目撃された時には肉の塊になっていて、無残な最期を迎えていた……裏の世界にはね。表では尊重され守られている人権というものが存在しないの。それは私達が存在しない存在(・・・・・・・)として仮定されているから」 


 ようするに。

 アテナはそう言いズリュッ、と減り込む自分の足を壁から引き剥がした。それにより龍樹の頭上にクレーターの破片が降る。


「裏の世界に関わるという事はその庇護からも外れるという事。目的の為ならば厭わない不道徳な世界。今しがたの攻撃。表なら周囲が気付き、どうにかなったかもしれない。けど裏では違う。現に、その行為に気付いているのは私とあなただけ」

「……」


 なぜこんな状況になっているのだろう? 理解力の無さに定評がある龍樹は、もうこの際率直にそう問いたかった。


 だが訊けない。


 言葉を放てば、女の考えに少しでも支障をきたせば、殺される。

 

 そんな気がした。


「裏に身を置けるのは死ぬ覚悟を持てる者。言うなれば私達は命を預け合っているの。一時の感情で情報を漏らし取り返しのつかない事になればそれは加害者と同じ。あなたのお父さんだってきっとあなた達の事は秘密にしておきたかったはずよ。それでも組織の為ならと口外した。だから私はそれに敬意を払う必要があるの」

「……」


 この期に及んでも、まだ龍樹は納得できなかった。

 おかしいとしか思えない。

 何が秘密だ。何が敬意だ

 こちらの気持ちも知らずに勝手に話を進めるだなんてあんまりではないか。

 だが同時に、彼女の言わんとしている事も何となくは理解でき始めていた。


「中途半端に情報を漏らし、『機密』を知った第三者はそこで想いを断ち切れると思う?」 


 それに対しての返答を探す龍樹。

  

 だがアテナのタイムアップの方が早い。


「少なくとも、いま私に食い下がってきているあなたじゃ無理でしょうね。疑問が疑問を呼び、やがて知ってはいけない事を知るというその危うさが何を意味するのか。知ると言う事は関わるという事。つまりその情報を得ることによって表から隔離され、日常には戻れなくなるという可能性だってある。妖美なるこの世界は欲で人を惑わし、その者を破滅へと導いていく」


 本当に危ういものだと伝えたいのか。

 言葉に似合った、強調する様なニュアンス。

 当然、返事なんてものはできなかったし、そんな暇を彼女は与えてなどくれない。


「ここまで言ったついでだから教えてあげる。世の中には、あなたが予想だにしないような事が常に起こっているの。紛争や謀略、領土問題。日々耳にするそんなものを遥かに凌駕するような事象や謀がね。そしてそれは今に始まった事ではない。ずっと昔から、それこそ表立って争いを繰り広げていた時代から、その潮流は続いている。分かるかしら? あなたが思っている以上に、世界はずっと不安定なの。それでもなんとか平穏を保ってきた。私達のような人間が暗々裏に動くことでね」

「……」


 始めに言ったように微細な事は述べなかったが、なんとなく概要を話してくれたのは分かる。

 ここまでくれば、いくら察しの悪い龍樹でも理解している。

 ようするにアテナは、裏世界にどんな形であれ関わっている父の情報を話す事によって、彼と、その家族に危険が及ぶ可能性を危惧しているのだろう。


「もういいかしら」


 投げかけられた言葉。


 力尽くで納得させない辺りが優しいと不覚にも思ってしまう。


 返事は出来なかった。

 それは内心では諦めが付かないからだ。

 

「今あなたが座っているその場が中間」


 固まっている龍樹に――正確にはその地点を指差したであろうアテナ。


 釣られるように龍樹はその指先を注視する。

 するとアテナは表参道であろう方角に指の矛先を変え、


「戻りなさい。本来いるべきその場所へ」 


 立ち入り禁止区域に入らんとする子供を追い返すように、そう告げた。


「……」


 龍樹は座り込んだまま、アテナの顔を見上げる。


 彼女は一向に表情を崩ない。


 確かに放たれる威圧感は凄まじい。だがその中には慈悲も混じっているように思えた。


 危険なものには近づくな。そんな感じの親切心。


 恐らく自分を気遣ってのものだろう、と龍樹は何となくそう感じた。

 アテナはやがて疲れたのか目を瞑り、   


「知らない方がいい。そんな世界、知らなくても生きていける」


 それが答えだといわんばかりに、裏路地の奥へと足を運び始めた。


 足音なんてものは常人の耳では捉えるのは難しいのだろうが、彼女の場合は何かが違った。

 妙な違和感。

 確かに其処に存在するのに、存在していないかのようだった。


 覇気のようなものが全く感じ取れず、遠い世界に居るような感覚のそれは、まるでテレビの画面越しに見る風景。


 手を伸ばしたところで届かず、触れられず、踏み込めない。

 確かに踏み込めるのに――踏み込めない。


「……」


 いまだ座り込んだまま、龍樹はその背に視線を送る。

 夕日が演出する薄い闇に向かう背はどこか寂しい。

 歩み一つとっても全てが儚げで、不思議とそれだけでこの女は自分と歩んできた道が違うと感じてしまう。

 これがきっと目の前の事すら見えていない人間と、世界の真実を見てきた人間の温度差なのだろう。


「龍樹」

 

 そして彼女が裏へと繋がる曲がり角に差し掛かった時だった。


 その声は囁くように優しい。

 騒音の少ない路地裏だからこそ聞き取れた言葉。


 アテナは初めて少年の名を呼んだ。

 名を呼ばれた事に、龍樹は少しばかり肩をすぼめる。

 そんな彼を、首を軽く捻り見るアテナ。

 龍樹が話を聞いている、と認識したのか、最後に小さく、だが確かにはっきりとこう言った。


「あなたはこっちに来てはダメ」


 言い終えると、無表情にいたわりを混ぜたその女はその身を薄暗い奥へと溶け込ませていった。


 陽が沈みかけ、暗がりに支配されかかっている路地裏に取り残された少年。


 色々とありすぎて、龍樹の思考はしばらく使い物にならなかった。

 それでもなんとか整理を試みる。

 

 立ち上がり、尻に付いた泥を払う。

 それから後ろを見れば、ハンマーで思いっきり砕き割ったかのような皹(ひび)と欠け。


 立派な器物破損だが、裏世界の人間には関係が無いという事なのかもしれない。

 

 きっとアテナは『怖いから関わりたくない』と思わせる為にあんな行動に出たのだろう。


 正当だ。あれだけの高圧を掛ければ大抵の者は怯む。

 現に、龍樹だってそれによりしばらくは口を挟めなかった。

 今も心臓の動悸が収まらず、手だって少しだけ震えている。

 

 その緊張を落ち着けるために、ふぅ、と軽く息を吐く。


 事の難しさにやるせない気持ちにもなる。父親の所存を知りたいだけなのになぜここまで苦労せねばならないのかと、至極まっとうな事を考える。

 それからもう一度アテナが進んでいった方角へ視線を向けてみる。

  

 妖美なる世界、と彼女は形容した。

 欲で人を惑わし、その者を破滅へと導いていくと。


 それはどんな世界なのだろう。

 彼女が秘匿し、父親が家族を放ってまで没頭する、その世界は。


 空は赤みを増していき、もうすぐ夜の気配が漂う。路地裏にも影が降り始め、場の気味悪さをより増幅させていく。


 そんな中で一人佇む少年。

 その顔は険しかった。その立ち振る舞いは堂々としていた。


 確かにあんな威圧はもう受けたくはない。だがそんな気持ちを凌駕するほどの決意が、そこにはある。

 心の中で芽生えた大きな何かを実感する龍樹は、今一度見えなくなった女の影を目で追う。

 そして改めて宣戦布告するかのように、力強く呟く。


「絶対に聞きだしてやる」


 この程度では、諦めない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。