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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
知らなかった当たり前
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芽生え始めた好奇心

「よお、何やってんだよこんな所で」


 隣に並び話しかける。

 アテナは眼球だけで龍樹の方を見た。言葉には出さないが、なんだお前か、とでも言いたげにその反応は素っ気無い。


「学校はもう済んだの」


 伏目に戻り、どうでもよさそうな口調でアテナは言った。

 明らかな建前だろう。


「ああ、短縮授業でな。今はまだ授業とか本格的じゃないんだ。つっても色々としなきゃいけない事はあるから、結局はこんな時間になっちまうんだけどな」


 そう、とこれまたどうでも良さそうな返事をしたアテナ。

 彼女は歩みすら止めようとしないので帰りのルートを外れる形になるが、龍樹も仕方なくそれに付き合う。


「あれ? パートリッジはまたお使いかよ」

「ええ」

「ふーん。で、お前は?」

「……少し歩き回っているの」

「なんか探しものか?」

「いいえ」

「じゃ観光か」

「まあ……そんな所」


 訊かれた事にしか答えない状態に入ったアテナ。触れられたくない事柄になるといつもこうなる。

 それに今の間。

アテナを勘ぐるように見ながら、絶対に嘘だと龍樹は思った。


「……なんだったら案内してやろうか」


 もちろん本心からではない。

 雫が言ったように仲良くなれるきっかけになればいいと思ったし、彼女に付き添っていればそれなりに分かることもあるかもしれない、という腹積もりあってのものだ。 


「気持ちは嬉しい。でも大丈夫。ありがとう」


 だがアテナは応じなかった。

 察しの良い彼女は龍樹の腹積もりなど見透かしているのかもしれない。


「なんでだよ。観光なんだろ。この辺りは昔から知ってるから、裏名所とか案内できるぞ」


 本当は裏名所など知らないが、ここで食い下がっては駄目だと思った。 

 それを聞いた佳麗な横顔は、ほんのわずかに溜め息を吐いた。


「本当に大丈夫。もうある程度回ったから。それに、そろそろ戻ろうと考えていたところなのよ」

「……そう」


 家の方面は反対なのに、という言葉はこの時あえて口にしなかった。

 アテナに勘ぐるような視線を当てる龍樹。

 彼なりに考えを巡らせているところだ。


「なあアテナ」


 だがまどろっこしい事が嫌いな龍樹は、結局率直に訊く事にした。


「触りだけでも教えてくれないかな、父さんの事。ほら、一応俺もその、なんだ。息子なんだしさ。気にはなるから」


 アテナの反応を窺う。

 彼女は黙ったまま足を進めるのみだ。

 これもまた、聞こえていない訳ではないだろうに。


「……やっぱり駄目か?」


 空気的にそう感じ取った龍樹。それに対してのアテナの答えは、


「……いえ」


 という意外な反応だった。

 一瞬聞き間違えかと思った龍樹。

 しかしどうやらそうではないと気づく。


「本当か?」


 図らずと声が弾む。アテナは小さく頷き、


「少しだけなら」


 と言ってくれた。

 どういう心境の変化があってのものなのか無表情な彼女からは察せない。

 面倒くさいから話そうと思われたのか、可愛そうだと思われたのか。

 とはいえどこまで答えてくれる気なのかは知らないが、なんにせよこれはまたとないチャンスだ。

 早速龍樹は訊いて見る。


「それで、父さん――あの男は今どこにいるんだよ?」

「最初に言ったと思うけど、私は本当に彼の正確な居場所は知らないの。ただ言えるのは日本にはいないという事だけ」

「って事は海外か? 何してんだよそんな所で」

「これもまた色々と複雑な事情があって全ては話せないの……けど、そうね。あえて言うのなら奉仕活動をしている、と言ったところかしら」

「奉仕活動?」


 聞きなれないワードに、顔を顰める。

 なんでまた、と龍樹は思う。

 彼が知る限りの父親像は有り触れたもので、そこにそんなボランティア精神など無かったはずなのだが。

 仕事だって――と思った龍樹だったが、ここで気づく。

 そういえばあの親がどんな仕事をしていたのか分からない。

 いつの日かちらっとそんな話題が出たような気がするが忘れてしまっている。


 なんという事だろうか。 

 まさかの事実だ。父親の仕事を知らないだなんて。

 自分の無関心がここまで深刻だったとは、と龍樹は今更ながら驚いた。


(……我ながら親不孝だな)


 ちょっとした罪悪感に駆られる龍樹。

 だが後悔していても始まらない。

 彼だって父親に関心が全く無い訳ではない。

 昔から探検家に憧れていたらしく遊びに行くとなればアスレチックやキャンプなどの古典的なアウトドアだったが、それなりに楽しかった。

 女の子である崇子はそこが唯一嫌な所だと言っていたが、龍樹は、今思えばそんな事はなかった。

 手本として子供にとっては難易度の高いアスレチックを悠々熟す様は見ていてカッコいいと思ったし、暗くて寒い夜道を三時間近く運転するその姿を見て父がいなければ自分たちは生きていけないとさえ感じたのを覚えている。

 つまるところそれは憧れのようなものに近くて、だから何の仕事をしているのかが気にならなかったのかもしれない。

 つまりは父という存在そのものに興味があり、彼が社会としてどう在ったのかなど、どうでも良いのだ。

 とりあえず。

 その話題は後回し。


「それで、その活動内容はなんなんだよ」


 奉仕活動といえば社会に身を削って貢献したり、貧困層に対して物資提供やらが一般的だが、やはりその限りではない。

 それに対してのアテナの答えはいかに。


「ごめんなさい」


 先に謝られた。


「微細な内容は言えない決まりになっているの」

「決まりって……」


 まさか開示される情報がこんなに少ないとは思わなかった。

 開始早々の躓きにたじろぐ龍樹。

 対するアテナはまた前を見据え、無言。

 少しくらい答えたのだから満足なさいという事なのだろうか。

 だとすればあまりにもナメられたものだと龍樹は険しい顔をする。

 そしてここ引き下がっては駄目だと思った龍樹は、父親がある団体に所属しているという言葉を思い出し、それで話の流れを繋ぎとめようとする。


「ところで、団体ってなんなんだよ」

「……秘密結社と言えば分かるかしら」


 秘密結社。

 あの有名なアクションヒーローの全身黒タイツの敵がそんな組織だったような気がする。

 それをアテナに伝えたところ、


「何それ?」


 と返された。

 まあそうなるだろう。

 国民的ヒーローも海を越えるのは中々に難しいようだ。

 なによりも女だし、そういったサブカルチャー的なものに精通する風でもない。

 そうやって脳内で勝手に結論付けた龍樹を他所に、アテナは続けた。


「名前からも分かるように、その存在すら秘匿されている集団。それが先に言った団体の概要よ」

「そうなんだ……秘密結社って、何かヤバそうな響きだな。大丈夫なのか、その団体」

「何を基準にするかによるわね。まあ、それを差し引いても怪しいのには変わりないのだけれど……本当はその秘密結社だという概要も口外してはならないの。でも今回は特別。居座らせてもらっているのに何も教えないんじゃ、あなたも納得はいかないでしょうから」


 と一見して譲歩しましたと言いたげだが、実際は肝心な部分を隠している。

 龍樹は論点のすり替えに気付きつつ、それを指摘する度胸も無ければ話術もない。

 何よりあまりガツガツいけば彼女の機嫌が悪くなってしまう可能性もあるので、慎重に接しなければなるまい。

 そう考えた龍樹はとりあえず、今の言葉だけで得られた情報を整理する。


「なるほどね。じゃその秘密結社に父さんが所属して、なにかしらの業務を任されている訳だ」

 

 漠然と放たれたそれに、そういう事、とアテナは素っ気ない調子で言ってのけた。

 確かに、彼女にとっては一介の家族の事情などどうでもいい事なのかもしれない。

 今こうして話してくれたのも居候させてもらっている礼に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないはず。

 だから彼女に怒りを覚えるのは間違っているのだろうし、こうして問いただすのも、本来は控えるべきなのかもしれない。

 ただ、その息子としてはどうしても納得のいかない部分もある。


「ってことは何か。あの男が家族を置いてけぼりにしたのは、奉仕活動を優先したかったからなのか」


 思い至った推測。

 今の話から察するに父が家を飛びだしたのはその奉仕活動をするためで、家族にそれを話せば引き留められると考え、それならいっその事黙って出ていこうという結論に至ったのかもしれない。

 だとすれば業腹だ。

 そりゃ日本に家族を置いて海外で奉仕活動をすると言い出した日には、いくら善行だとはいえ引き留めようとするだろう。

 ただ、だからといって黙って出ていくのは違うと思う。

 自分達だってそれなりに年端はいっている。

 素直に納得はいかないかもしれないが、その熱意が並みならぬものなら折れたかもしれない。

 例え納得のいかない事でも、愛する者の為ならばとあれこれ話し合っていく。


 それも一つの家族というものの形ではなかろうか。

 何も言わず居なくなるなんて。

 やっぱり勝手過ぎる。


 納得がいかずふてくされる龍樹。

 考えれば考えるほど理不尽な父に対する怒りが、更に込み上げてくる。


「……大丈夫?」


 意気消沈し俯く龍樹を横目で見て、アテナが窺う。

 気持ちが落ちているのか。

 龍樹の声にもやや張りが無い。


「いや……なんだかなあ。そりゃ人に尽くすのは良いことなんだろうけどさ。それよりも先に守るものがあるんじゃないかな、と思って」


 考えるのが馬鹿らしくなり、天を仰ぐ。空はオレンジ色に霞み始めている。こんな時に限って今日は雲も少なく、快晴だ。


「まあ、こんな事お前に言ってもしょうがないんだけどな」


 そう言って無理に自分の中で踏ん切りをつけようと、龍樹は苦笑いを浮かべた。

 それを聞いたアテナは相変わらずの無表情だった。

 伏目で歩み続け、何かを発する様子もない。

 一体全体何を考えているのやらと思いながら、今度は龍樹が彼女を横目で観察した。


「それで、お前は一体どこに行こうとしてるんだよ」


 もっと他に適切な質問があったかもしれないが、そこは短絡的な龍樹の事。

 まどろっこしい事は嫌いだから。

 思った事を口にした。


「帰るってのは嘘だろ。さっきからなんか変な所ばっかり歩いてるしさ。何よりこっちは家とは逆の方角だ」


 辺りを見渡し、間違いないと龍樹は思っていた。

 アテナの歩むルートはどこか不規則なのだ。

 向かう道は違えど、いくつかの十字路が入り組むその辺り一帯を、ぐるぐると回っているだけ。

 推測でしかないが、ある一定の場所から離れたくないのだろう。


「やっぱり何か探してんだろ。パートリッジのお使いだってそれか?」

「……」


 アテナは何も答えない。

 図星なのだろうか。

 押し黙っているのをいい事に龍樹は言葉を続ける。


「それで、今日も夜に出て行くのか」

「……少しだけ」


 やっぱりな、と龍樹は内心で息を吐く。


「こんな事訊くのはあんたにとっては迷惑なんだろうけどさ。今色々と動き回ってるのって、前のあの男関連なんだろ?」

「……そうね」


 渋々と言った具合に、アテナは言った。

 出来る事ならあまり話したくないのは明白だった。

 それでも居座らせてもらっているからなのか、父の話題の時のように秘匿する気はなさそうだった。


「で、あれは犯罪者か何かか? ローブみたいなのを纏ってたけど……あ、もしかしてお前たちの秘密結社のライバルみたいな連中か? 本当にいるんだなああいうのって。びっくりしたよあの時は。食パン加えた女の子ならまだしも、スキンヘッドの大男だなんて……」


 わざとらしい独り言。

 ちらっとアテナの反応を窺う龍樹。

 彼女は無反応の体を崩さない。


「あの男はなんなんだよ」


 思い切って訊いてみた。

 父親の事と関係が無いとも言い切れない。

 遠路はるばる日本へとやってきて、父の紹介と称して家に居坐っている。

 これが無関係であるはずがない。

 なぜ本人が日本に帰ってこないのかなどの疑問はまだまだ解消されないが、恐らく、同じ団体に所属している以上、遠からず父が置かれている境遇はアテナと一緒だろう。

 同時に先刻の雫の言葉も蘇る。

 もしかしたら行方不明の父親の情報を掴み、取り入ろうとしているのでは――


 かくしてアテナは、至極言いにくそうに口を開く。


「あの男は……危ない男よ」

「だろうな。地面を砕いて自販機を引っくり返すくらいなんだからそれくらいは分かる。俺が訊いてんのは何者なんだって事だよ。見たところ日本人じゃ無かったよな? ……もう何がなんだか」

「ごめんなさい」


 話の途中で、アテナがまた謝った。その声音も彼女にしては珍しくやや張っていた。

 割と饒舌だった流れを止められ、龍樹も気を衒われる。

 何事かと龍樹が問う前に、アテナは先を述べた。


「あの男は現在、表――つまりはメディアや行政にすら秘匿されるべき存在なの。だから、こんな言い方は癪に障るだろうけど、あなたのような民間人に情報を漏らす訳にはいかないの」


 だから、ごめんなさい。

 アテナはもう一度そう言った。


「……ああ、そうなの」


 納得はしたくなかったが、これまで幾度となく聞かされてきた言葉に、龍樹はうんざりする。

 ただでさえ愛想の無い顔を歪め、その不服を隠そうともしない。


 あれも駄目これも駄目、ごめんなさい。

 いい加減にしてくれと言うのが、彼の本音だった。


 今の一連も相まって、それからしばらく無言が続いた。

 まるで倦怠期でも迎えているかのような異様な距離感。

 人とすれ違う際の足音や車の排気音が彼らの横を通り過ぎていき、夕刻時を知らせる音楽が公共のスピーカーから流れている。

 そんな状況が数分続いて。


「……そんじゃ、俺は先に帰るよ」


 ふいに龍樹はそう言った。

 足を止め疲れたといわんばかりに目を瞑る。

 アテナも足を止め、彼に振り向いた。

 それを確認した龍樹は、


「もうすぐ暗くなるだろうからさ、お前も早く帰って来いよ。基本的に家はみんなで食事を食べる慣わしみたいなのがあるからさ。と言ってもあの親はマイペースだから、飯はまだかもしれないけど」

「ええ……分かったわ」


 眠たそうな眼が龍樹に当てられる。その瞳にはなにやら芯が通っていた。全てを見透かすような、芯が。


「じゃあな」


 踵を返し、龍樹はその場を後にする。

 歩んできた道を戻る。すぐに十字路に差し当たり、そこを右折。

 その姿は見えなくなった。


「……」


 カラスの鳴き声がよく響く空間に、佇むアテナ。

 龍樹の姿が見えなくなってもしばらくの間はそちらを眺めていた。その碧眼には黄昏時の夕陽が映り、美しい世界に華を添えている。


 やがて踏ん切りがついたのか。

 前を向きなおし、アテナは歩みを再開させた。


 閑静な住宅が立ち並ぶ路側帯を進んでいく。

 先に行くとまた十字路が現れた。

 そこを左折。するとまた商店街へと戻る。

 商店街は路側帯の道と比べると人が多かった。

 彼女が行く先も例外ではない。

 車を通す為に中央は空いているが、それも手伝い店先には主婦達が群がり、どうにも身動きが取りにくそうだ。


 だが不思議な事にアテナにはそれが当て嵌まっていなかった。

 人が入り混じるその流れを全て把握しているかのように足を進める事で、それらを全く障害にしない様子で速度を落さずに歩みを進めていく。


 そして商店街のある一角で足を止めた。

 彼女が見据える視線の先には幅三メートル程の道が広がっていた。

 店と店の間に立地するその道は裏手に繋がっている。


 通路と呼んでいいものかと迷うような薄汚れたそこは世間では裏路地と言われている場所。

 その先を値踏みするように眺める。


 そして自身の中で何か引っ掛かるものがあったのだろう。

 アテナは賑わう参道からそんな路地裏に、吸い寄せられるように入っていった。


 それを。

 

 少し距離を置いた場所から、確かに見届けた龍樹。

 道の端にある電柱に背を預け、まるでスパイのように顔を覗かせる。


 帰ってなどいなかった。

 それは相手を油断させるために一度離れるという、彼女の素性を知るために立てた策。

 帰るフリをして影から尾行するだなんて幼稚な発想だが、彼に取っては大まじめだ。


(さて、どうするか)


 龍樹は先ほど雫が言った『嗅ぎ回る』という方法がずっと頭の中にあった。


 雫は興味本位で探るのはやめておいた方が良いとか何とか言っていたが、これは興味本位じゃないから良いよな、と勝手に結論付ける。


そう、これは使命。

空野家に関わる大事な事柄なのだ。

 そこに興味本位など、微塵もない。


(……多分だけどな)


 ぽりぽりと頭を掻いた後、人混みを掻き分け、龍樹は路地裏へと向かう。彼女に見付かってしまえばそこで終わりだ。

 そうならないように気をつけないと、と歩みながら内心で律する。


 そして辿り付いた路地裏前。


 いつもは気に掛けないし、近寄ろうともしなかった――不良たちがたまに溜まっているからだ――危険地帯。


改めてまじまじと見ると、やはり近寄りがたかった。

 まだ結構な明かるさだというのに左右にそびえ立つビルの所為で奥の方がぼんやりとしか窺えない。


 一定の距離の向こう側に見える壁の落書きが不法地帯の証に見える。

 何が待ち受けているのかなんて分からないし、どんな光景が広がっているのかも分からないそんな未知なる領域。

 ただ、分かる事だってある。


「よし」


 そんな場所に、あの女が入っていったという事。

 龍樹は拳を握り締め意を決した。

 彼女に意図があるのかなんて事は――いや、きっとなんらかの目的はあるはずだ。

 でなければ、こんな場所に女が一人で入り込むとは思えない。

 基本的に熱くならない男、空野龍樹は珍しく燃えていた。

 徐々にアテナという女を解析していき、導き出してみせる。

 二年前から姿を眩ました、父親の真相を。

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