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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアへようこそ
108/261

罪深き少女

 オレンジ色に染められる街道。

 家に戻る道中、龍樹達は足を止めていた。

「……?」

 ミレーナと手を繋いだまま、龍樹は眉を寄せる。

 原因は前方。

 一人の老人がそこに立っていた。

 杖を突いているに拘らずしっかりと立ちすくむその人物。

 身なりもシルクハットにスーツという誠実なもの。肩には鶏が乗っていた。

(あれは確か昼間の……)

 そう。

 そこにいたのは間違いなく、昼間に見た大道芸人だった。

 こんな時間まで芸を披露していたのだろうか。そう思いながら、何気なくミレーナの方を見る龍樹。

 彼女も彼女で同じ疑問でも感じているのか、眼をパチパチさせ可愛らしく不思議がっている。

 まあしかし、今は関係ない事だ。

 自分にはミレーナを家まで無事に送り届ける義務がある。

 そう思い至り、龍樹は歩みを再開させた。

「行こっか」 

 通じないと分かりながらもそう告げると、ミレーナの手を優しく引っ張り、誘導する。

 一応昼間に会ったという事もあり、近くまで寄ると軽く会釈をする。ミレーナはいまだに不思議そうにその老人を見ていた。

 そして老人を通り過ぎようかと思った、その時だった。

「まあ待ちなされ」

 老人は何か言葉を発した。

 しかしイタリア語だったので、もちろん龍樹には分からない。変わりに言葉の分かるミレーナは足を止めた。それにより龍樹も一旦足を止める形になった。

「どうしたの?」

 老人が何かを言って立ち止まったのは彼にも分かる。

 しかしその内容がなんだったのか。それが全く持って分からない。

 それでもこの子の足を止めるほどの何かを発言したのは間違いない。

 一体この老人はなんと言ったのか。

 龍樹が疑問を膨らませていくと、老人はまたミレーナに何かを言った。

 なぜかその眼は慈悲に満ちているようだった。まるで龍樹の姿が見えないかのように、ずっとミレーナを見ている。

 怖いと感じたのだろう。

 ミレーナは掴んでいる龍樹の手を更に握り締め、彼の後ろに隠れようとする。

 その行為を不思議がる龍樹。

 言葉が分からないという事がこんなにもどかしいと思ったことはない。

 とりあえず、この老人がなぜ目前に現れたのかもう一度考察してみようと、前を向きなおす。

 老人はまだミレーナを見ている。対するミレーナも警戒した様子でその老人から目を逸らさなかった。

 そして。

 老人がもう一度短く何かを言ったかと思うと。

 その肩に乗っていた鶏がミレーナへと羽ばたき、足でつつき始めた。

「な、やめろ!」

 理由が分からない云々、これには流石の龍樹も止めに入った。払いのけるように手を振りかざし、鶏を追っ払う。

 辺りに羽根を撒き散らしながらも軽快な動きでこれをかわした鶏は、また老人の肩へと戻っていく。

「なんなんだよあんた!」

 ミレーナを庇う様にしながら、怒りの疑問をぶつける。恐らくはそれに対する言葉を発しているであろう老人。

 しかし分からない。

 幼い子に鶏を襲わせた理由など、いくら考えても思いつかなかった。

 余程怖かったのだろう。

 ミレーナは頭を抱え震えている。

 それを見た龍樹は怒りが込み上げた。いきなり現れてこんな小さな子を襲うなんてどんな理由だろうと許されるものではない。

 神父を睨み付ける龍樹。

 老人に悪びれる様子はなく、ただその場に立ち尽くしこちらを観察するように見てきている。

 それがより一層神経を逆なでする。

 だが、歯噛みし、何か言ってやろうかと思った龍樹だったが、

 ミレーナの様子がおかしい事に気づく。

 いまだ頭を抱え震えるミレーナ。

 明らかにそれは感性的なものではない。

 耳を澄ませばほんの少し呻いている。頭が痛いのか、それは痛覚的な痛みに見て取れた。

「どうしたのミレーナちゃん?」

 思わず声を掛ける龍樹。

 しかしミレーナの痛みが引く様子はない。

 痛い痛いと言っているのか、イタリア語で何かを訴えかけている。

 どうすればいいのか分からず、龍樹があたふたしていると。

「龍樹!」

 前方にアテナの姿が見えた。隣にはあの神父の姿もある。

 異変に気づいたか、二人はこちらへと走り寄ってきた。すぐにしゃがみこみミレーナの様子を探る。

 龍樹はすぐさま事情を説明した。

「なんかよく分からないんだけど、急に痛がり出して。あの老人も何言ってるか分からないしよぉ」

 不安げに語る龍樹。

 神父はミレーナの状態を違った観点から調べているようで、彼女の動きを目で確認している。

 そしてその結果を口にした。

 神父のそれを、狼狽する龍樹にアテナは伝える。

「とりあえずは大丈夫みたい」

 何がどう大丈夫なのか理解できない龍樹としては、ほっとしていいのかどうか分からない。

 だがとりあえず二人が来たのでそちらに任せればいいと気が楽にはなった。

 その二人はというと、苦しむミレーナから老人へと視線を移していた。

 老人はいまだ佇んだままだ。不気味なほどに動きらしい動きを見せず、ただただじっとこちらを眺めている。

「……あれは昨日の」

 呟くアテナ。彼女も気づいたようだ。

「ああ、昨日の大道芸人だよ。あの老人がいきなり現れたかと思ったら、鶏でミレーナちゃんを攻撃したんだ。理由を聞こうにも言葉が通じなくてさ」

「……」

 今脳内で状況を整理しているのだろう。

 しばらくの間アテナは黙り込んでいた。

 老人に探るような、または警戒するような視線を当てたまま動かない。

 やがて立ち上がり、老人へと向き合うとイタリア語で問い掛け始めた。

 なぜ彼女を狙ったのか。なぜ自分たちの前に現れたのか。もしかしたら例の飴玉の件についても言及しているのかもしれない。

 アテナの問い掛けに対し老人は一つ一つ答えているらしかった。

 それが素直に応じているものなのか渋っているものなのか。

 はやる気持ちを押し殺し、静かに会話が終わるのを待つ龍樹。

 すると今度は神父がアテナに何かを言った。それを聞いたアテナは驚いたような表情をする。

 そして今度は神父がアテナに話し込み始め―― 

 といった具合に、飛び交うイタリア語。

 事態は進んでいるのか、いないのか。

 そもそも今どういう状況なのか。

 それすら分からない龍樹。

 話合っている様子を窺うに、下手な割り込みは避けたほうがよさそうだ。

 とりあえず何かしらの区切りがつくまで待とう。

 そう思い至り、とりあえず腕の中で震えるミレーナを気遣う。

 更にしんどそうにしていた。頬が赤くなり、息も荒い。眼を瞑り完全に身体を預けてくるそれは立つのも辛いようだ。

「無理もないわね」

 ふいに近くで声がした。

 そちらを振り向く。

 話が終わったのか、アテナがこちらを見ていた。居候させてもらっている家の子供に異変が起きているというのに、彼女は涼しい顔でそれを眺めながら言う。

「こんな寒空に毎晩繰り出していたんじゃ、いくら防寒対策をしていようと体調を崩すわよ。おまけにニーナの件。心身ともに相当浪費していたんだと思う」

 アテナは空の様子を眼で窺う。

 今の発言を聞くに、確かにこの症状は熱とも見て取れる。

 しかしこんなにいきなりくるものなのだろうか。

 昼はあんなに元気だったのに、と龍樹の疑問も完全には払拭されない。

「安心したんじゃない」

 彼の疑問に対し、アテナはこんな見解を述べる。

「ずっと一人だったでしょうから。こうやって周りに知られた事によって後はどうにかしてくれると思ったのかもしれない」

「知られたって……なんだよ。結局ニーナの件は解消されたのかよ」

「いや……それは今からね」

 どこか歯切れが悪そうに答えたアテナ。

 その原因はしばらくして明らかになる。

 龍樹の手の中で息を荒げるミレーナ。

 彼女の身体から、煙が発生し始めた。

 体温による湯気とは明らかに違う。いつぞやどこかで見た蒸気のような煙。

「な、これって……」

 記憶を辿り震撼する龍樹。

 とそこへ。

 アテナの後ろから、とことこと歩いてきた影があった。

 目が垂れて落ち着いている雰囲気。四足歩行で毛並みには所々癖がある。

 ニーナだった。

 家畜殺しの犯人だと思っている龍樹はドキッとしたが、その在り方を見るに昼間のニーナと同じなのでほんの少し安心する。

 ニーナはミレーナに歩み寄った。鼻先で彼女をつつき、自分の存在を知らせる。

 それに反応したミレーナはどうにか目を開け、その姿を確認する。

「ニーナ……」

 今にも消えそうなか細い声。

「やっぱりニーナじゃなかったんだね」

 愛犬のいつも通りな姿を見て安心したように笑みを浮かべるミレーナ。それがより一層安堵をもたらしたのか、今度は深々と目を瞑った。

 それもつかの間。

「ねえミレーナ。いくつか訊きたい事があるのだけれど」

 アテナが彼女に話しかける。

 それによりまた瞼を開けるミレーナ。

 言葉の内容を知りえない龍樹はこんな時に起こさなくても、と思うが。

 必要な事意外はしないアテナの事。

 きっとこれは必要な事なのだろう。

 呼ぶだけ呼ぶと、そこからは神父の出番だった。

 アテナより前に出てミレーナをまじまじと眺める。

 なぜか険しい表情だ。

 ミレーナの表情もそれに対して怯えているように見えた。その心情に反応するように、煙の量が増していく。

 そして神父はアテナへと何かを告げたようだ。

「なるほどね」

 やがて放たれた日本語。つまりそれは意図的に龍樹へと伝えたのだろう。餌に食いつく魚のように、龍樹はすかさず訊く。

「何か分かったのか?」

「ええ。やっぱりこの子、悪魔と契約している」

 まさかの答えに、驚きを隠せない龍樹。いやそれを象徴する煙が出ている時点で気づいていたのだが、改めてそう突きつけられるとにわかに信じがたい。

 それにやっぱりとはどういう意味なのだろうか。

 まるでこうなっている事を知っていたみたいではないか。

「ドッグマーカーの反応を追ったでしょ」

 龍樹の疑問にアテナは答える。

「その反応が示す場所に行ってみたら予想通りニーナがいた。ただし。神父いわく、もうニーナはこの世に存在しない在り方をしているらしいの。何か強力な力で魂を繋ぎ止められ、死ぬにも死ねない状態」

「強力な力って……何だよそれ」

「さあ。イデア……のようなものかしら。正直私にもよく分からない。ただ、物理学的には説明できない、いわゆる霊的な何か。それが今ニーナをこの世に留めている要因になっているらしいの」

 そしてその霊的な何かはミレーナによって引き起こされ、更にそれは悪魔と契約したが為の産物であり、しかしミレーナ本人は覚えがないと言う。

「恐らくあなたの時と似た状況だったんじゃない。言葉巧みに騙されて、契約を結ばれてしまった」

「そんな……こんなに小さな子にまで」

 とはいえ悪魔に良心なんてものは存在すると思う方が愚かというものだが。

 同情の眼差しでミレーナを見る龍樹。  

 対照的にアテナは相変わらず感情を表に出さず、冷たい眼差しをミレーナに当てていた。

「同情するのは……筋違いかもしれないわね。隠していたという事は、彼女もそれがいけないという事には気づいていたでしょうから」

「……それってつまりミレーナちゃんが自ら悪魔の力を欲したって事なのかよ」

 理解力の無い龍樹でもそれは分かった。しかしその理由はいまいち分かっていなかった。

 だからアテナはそれを説明する。

「あながち間違ってはいないかもね。この子は願ってしまったのよ。現実の世界から目を逸らし、異端な者に希望を抱いてしまった」

「現実から目を逸らしたって……なんだよその現実って」

 ニーナの死よ、とアテナは言った。

 ニーナ。それはこの犬の事だろうかと、反射的にそちらを見る龍樹。

 どうやらそれは当たりのようで。

 同じくニーナに視線を当てているアテナは続きを述べる。

 とはいえ、もう答えは出ているようなものだが。

「言葉のままよ。さっきも言ったでしょ。ニーナはもうこの世のものではない。それをこの子は目の当たりにして、悲しみを覚えた。その『負』を感じ取って悪魔が引き寄せられ、囁きかけたんでしょうね」

 要約するに。

 ニーナが死んでしまって、それを受け入れられない少女。そんな彼女の前に悪魔が現れて契約を勧めた。

 無知な少女はなんの疑問を抱くこともなく、いやいけないとは思いつつもそれを押し退ける意思がなく契約させられたと、そういう事なのだろうか。

「じゃやっぱりあの家畜殺しはミレーナちゃんが……」

「その辺りは私よりも専門職の人間に聞いた方が早いわ」

 言うと、アテナは前方を向いた。

 後方にいる神父の方でなく、前方にいる老人の方を。

「あの人……一体何者なんだ」

 龍樹のその質問にアテナは少し間を空けてから、

「彼もエクソシストだそうよ」

 と言った。

「まあ正式には元らしいけど。罪を犯し業界を追放された高位の神父。あの男なら、今回の事件について何か知っているのかも」

 確かに。

 それほどの経歴を持つ者なら、何かを知っている可能性は高い。

 むしろその発生源である可能性も。

 それについて話を進めているのだろう。

 神父は男性と話しをしていた。距離のあるせいなのか神父の声はやや張っている。男性のほうは聞こえる最低限くらいの声で、やけに落ち着いていた。

 そんなやりとりにアテナは耳を傾けている様子だった。

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