5、冷たい手
坊ちゃんの傍らにあるサイドテーブルには、小さな瓶と、飲み干されたティーカップ。
彼は今朝の乱れなどなかったように、丁寧に髪を整え、お気に入りの白い服を着て、微かに微笑んでいた。
――嘘だ。
◇
『でも坊ちゃん、毎回、殿下を見つけられないフリをしてますよね』
私が指摘すると、リュート坊ちゃんは少しの間、沈黙した。
そして、困ったように呟く。
『……早く見つけると、早く終わっちゃうだろう?』
意外な言葉に、私は首を傾げる。
『早く終わらせたくないんですか?』
坊ちゃんは答えなかった。ただ、殿下が消えた百合の奥をじっと見つめ、風に紛れるような声でこぼした。
『……一緒にいると、楽しいから』
私は一瞬だけ言葉を失い、フフフと笑った。
『……“首ったけ”、って言うらしいです、そういうの』
『え? どういう意味?』
『教えません』
そう言ってスカートの土を払い、走り出す。
『絶対見つからないように隠れますから、殿下を見つけた後に、二人で私を探してくださいね!』
リュート坊ちゃんの頬が、西日に透けて赤くなるのが分かった。
私は王子が消えた方とは別の方向へ背の高い白い蕾の群れへと、深く、深く突き進んだ。
◇
震える私の手。
坊ちゃんの唇の端から、細い血が一筋だけ流れている。
そんなはずはない。
こんな、綺麗な顔で。こんな、いつも通り、みたいに座っていて。
何が起こったのか、理解したくなかった。
「……なんなの」
自分の声が、一瞬で年老いた気がした。
頭の中でこれ以上近づくなと叫ぶのに、足が勝手に近づいていく。
見たくない
嫌だ
それでも
「なんで片付けなんてしてるのよ!!!」
次の瞬間、喉が焼けるように叫んでいた。
「なんで!なんでそんな顔してるの!!!」
彼は答えない。当然だ。
わかっているのに、私は駆け寄って彼の肩を掴み揺さぶった。
軽い、軽い、軽い。
「坊ちゃん!起きて!ねえ!冗談でしょ!?」
返事はない。
呼吸の音も、衣擦れの音も、何も。
息ができない。吸っているのか吐いているのか、頭の中が真っ白になった。
足の力が抜け、坊ちゃんの足元に尻もちをついた。それでも縋るように坊ちゃんの手を握る。
――冷たい。
違う、違う、違う。
こんな冷たいはずがない。今朝、あんなに怒鳴っていたんだから。
「毒なんて、どこで……!」
言葉がちぎれ、視界が滲む。何も見えない。
「誰か! 誰か来て!!」
声がひび割れる。
「……なんで」
自分の目からボロボロと雫が落ちた。
小さな声が、喉の奥から漏れる。
「なんでよ……」
坊ちゃんの左手が、ずるりと肘掛けから滑り落ちた。
握った手は、どれだけ強く握っても、もう握り返してこない。
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