4、返事のない扉
坊ちゃんにあてがわれた屋敷の西別棟に戻ると、そこは妙に静まり返っていた。
今朝まであんなに響いていた破壊音が、今は嘘のように消えている。
胸の奥が冷たくなるのを感じながら、私は重たい扉の前に立ち、いつものように、ノックをした。だが、朝のような拒絶の声すら返ってこない。
◇
9歳のあの日、庭の百合の蕾はまだ固かった。
西棟の裏庭は屋敷の中でも特に人が寄り付かない場所で、だからこそ子供にとっては格好の遊び場だ。当時の私は膝をつき、風に揺れる高い百合の間から、周囲を警戒して覗き込む。
◇
『ローズ』
背後から少年時代にだけ許される清らかな声が自分を呼んだ。
振り返ると、そこにはリュート坊ちゃんが立っている。今よりずっと幼く、天使のようなその瞳は不機嫌そうで、それでも驚くほど澄んでいた。
『なにしてるの?』
『留守の坊ちゃんの代わりに私がカール殿下の遊び相手をしてたんです』
『カール、来てるんだ。……何の遊び?』
『隠れん坊です』
『丸見えだ』
『坊ちゃんも隠れます?』
『……ここに隠れたい』
『なんですって』
言い合っていると、少し離れた場所から声がした。
『もーいーかーい』
◇
扉を押し開けると、室内は驚くほど整然としていた。
散乱していたはずの調度品も、割れた鏡の破片もすべて片付けられ、むせ返るような百合の香気すら消え失せている。
そして、部屋の中央。
安楽椅子に深く腰掛けた坊ちゃんの背中が見えた。
「……坊ちゃん?」
返事はない。私は吸い寄せられるように、そっと歩み寄る。
◇
木陰の向こうから、王子が顔を出した。まだ少年だった彼は、整った顔に無邪気な笑みを浮かべている。
『見つけた!あれ?リュート、帰って来てたんだね』
そう言って駆け寄ってくる。
『ずるいですよ、カール殿下、今のはノーカウントです!』
『どうしてだ?』
『だって坊ちゃんが――』
言いかけたところで、リュート坊ちゃんが私の袖を強く引いた。
『次は、僕が探すよ』
小さな声でそう言って、そっぽを向く。その声音には、いつもの不機嫌さとは違う、どこか楽しげな響きがあった。
『わかった。じゃあ次はリュートが鬼だ』
殿下はそう笑って、再び百合の群生へと消えていく。
風が吹き、白い蕾が揺れる。私はその後ろ姿を見送りながら、ぽつりと呟いた。
『カール殿下も、隠れるのが下手ですよね』
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