2、枕元にいた少年を救いたい。――それが、不敬でも
七歳の私は、サイズの合わない古いドレスを引きずり、本邸の広間に立っていた。子爵家出身の、落ちぶれ令嬢、ローズ・フィルナー。
値踏みするような、露骨な視線が注がれる。
『まあ……あの一族の?』
扇子の陰で囁かれる、隠す気もない棘。
『召し使いにするより、どこかへ売り飛ばした方が利口かしら』
せせら笑いながらそう言ったのは、リュート坊ちゃんの継母だったか。隣にいた伯爵は、わずかに眉を顰めて口を開いた。
『この娘は国王陛下から預かった身だ。教育費も出ている。勝手な真似は許されん』
その一言で、私の処遇は決まった。
使用人として働くことに異論はなかったが、連れて行かれたのは華やかな本邸ではなく、人の気配を失った西棟だった。
『……誰?』
薄暗い廊下の奥から現れた少年は、今よりもずっと細く、折れてしまいそうなほど無機質な表情をしていた。
(うわぁ、綺麗。この人、……精霊か何かかしら)
それが、私とリュート坊ちゃんの出会いだった。
同行していた執事が
『今日から坊ちゃんの小間使いです』
と事務的に告げる。それを聞いた少年は私に興味を失ったように視線を外した。
『……適当に好きな部屋、使いなよ。どうせ、ここには僕しかいないんだから』
そう言って自室に戻る頼りない小さな背中。
後から知った。彼もまた、新しくやってきた継母と異母弟のために、西棟へ追いやられたのだと。
実の父親は、彼のために一言も抗議しなかったらしい。
そんな冷え切った親子関係を知り、私はこの西棟で、彼と二人で生きていく覚悟を決めた。だが、幼い体は思うように動いてはくれなかった。私は熱を出して寝込んでしまったのだ。
子供の使用人が病に倒れたところで、屋敷の人間には関係のないことだ。
だから私が目を覚ました時、枕元に、坊ちゃんがいた事には心底驚いた。
膝の上に本を広げたまま、椅子の上で舟を漕いでいる。読み聞かせでもしようとしていた様子だ。薄い肩が、寝息に合わせてかすかに上下している。
彼を起こさないように私は息を潜めて、その天使のような顔を眺めていた。やがて目を覚ました坊ちゃんは、私が見つめている事に気が付くと気まずそうに呟いた。
『……咳の音、うるさい』
嘘が下手な人だ、と思った。咳なんかしていなかったから。
『……坊ちゃんが風邪を引いたら私が看病します』
そう言ったら、彼は本でそっと顔を隠した。
お互い家族から捨てられた私たち。同じ孤独を瞳に宿して支えあった日々。
だからこそ、坊ちゃんが第一王子であるカール殿下の「婚約者」に選ばれたとき、私は心の底から祝福したのだ。
この国では、同性同士でも婚姻は当たり前の光景で、魔道具を使えば出産さえ珍しくない。いずれ大人になったら坊ちゃんは愛する人との子供を抱いているのかもしれない。
――そんな未来。
馬の速度を上げる。逆風が強く頬を叩き、結い上げた髪が乱れるが、構うものか。
彼は今、心も、未来も、絶望で塗り潰されようとしている。
そして、その痛みに寄り添う家族は、あの広い屋敷のどこにもいない。
(希望を繋がなくては。坊ちゃんにいつまでも、凍えたままの顔をさせてはおけない)
それが、拾われた私の矜持だ。
門の向こうに広がる石畳の先、見慣れた学園の景色が見えてくる。
朝の穏やかな空気。学生たちの呑気な笑い声。平和を絵に描いたような日常。
そのど真ん中に、私の坊ちゃんを崖っぷちへ追い込んでいる「婚約者様」が立っている。
……笑わせないで。
婚約破棄の噂。ご立派な次期婚約者候補の影。
もし、あの王子が本気で坊ちゃんを捨てるつもりなら。
あの百合の香りがする部屋で、震える坊ちゃんを、土足で踏みにじるつもりなら。
私の胸の炎が激しく燃え上がる。
馬に鞭を入れると、蹄の音が石畳に高く響き「不敬の塊」となって馬車用の校門を突破し正面へと乗り付ける。
生徒たちはギョッとしたように振り返るが、私は気にせず、スカートを翻して馬から飛び降り、馬番に手綱を渡して厩へ結わえておくように命じた。
私は校舎の大階段を駆け上り、午前の授業をすっぽかして、王子殿下が生徒会の仕事を終えて移動するはずの、あの場所で待ち伏せた。
午後の時間になって、狙い通り、生徒会室から一人で出てきたカール王子を捕まえる。
彼の貴重な休息時間? 知ったことか。
どんな罰でも受けてやる。打ち首にでも何にでもすればいい。
最高に不敵な笑みを浮かべて私は声をかけた。
「ねえ。確認させて」
私に気付いた王子の足が止まる。
周囲が静まり返る中、私は一歩、彼との距離を詰め、その涼やかな顔を睨みつけた。
「ねえ、殿下? うちのリュート坊ちゃん、明日の卒業パーティーで貴方に婚約破棄されるって噂。……これ、マジなの?」
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