第24話 猫耳とお団子
翌朝、再びバロワンの領主舘を訪れたバルダーヌさんは、一人の女性を連れていた。
女性というよりも、まだ少女という表現の似合う若い娘だ。
モサモサとした黒髪で、痩せている。色白というよりもシンプルに顔色が悪い。
伏し目がちな瞳は周囲を落ち着きなく見回して、ひどく怯えているように見えた。
「アルセリカ様。こちらが昨日お話しした文官の候補者になります。ほら、ゼリエ。挨拶をなさい」
バルダーヌさんが、そう言って黒髪の少女を前に出す。
少女は不安そうに両手を震わせながら、挨拶のために帽子を取った。
「ゼリエ……です。アリデイから……来ました」
少女は、今にも消え入りそうな声でボソボソと名乗った。
そんな彼女の頭部には、大きな獣の耳が生えている。フサフサとした黒い毛に覆われた猫耳だ。
「獣人……ですか?」
「はい。獣人です」
私の呟きに、バルダーヌさんが答える。
なるほど。ゼリエさんが怯えているのは、それが理由か。
獣人というのは、主に北大陸の山地に住んでいる少数民族だ。
聖王国で彼らを見かけることはあまり多くない。
国によっては汎人種族と深刻な対立を抱えていたりするらしいが、聖王国ではそんなことはない。
それでも物珍しさから好奇の視線を向けられることはあるだろうし、獣人を露骨に蔑む人もいる。
「彼女のご両親は、アリデイで商家を営んでいるんです。少しですが我々とも商売上の付き合いがありまして、そのご縁でラシーヌ商会が、彼女を預かることになったのです」
「もしかして、借金の担保ということですか?」
「ええ、まあ。そういう意味合いが皆無ということはありません。表向きはあくまでも、商人としての修行という形になっていますが」
バルダーヌさんが、正直に事情を打ち明ける。
私は思わずジトッとした視線をバルダーヌさんに向けた。
聖王国には、犯罪奴隷以外の奴隷はいちおう存在しないことになっている。だが、人身売買そのものが完全に禁止されているわけではない。要するに彼女は返済できなかった借金のカタとして、ラシーヌ商会に売られたわけだ。
「そのような事情で、ここに来る途中、アリデイに立ち寄ったときに彼女を引き取ってきたのです。ただ、預かってはみたものの、少々扱いに困っておりまして」
「ああ……」
バルダーヌさんの説明に、うちの文官のレオンスさんが理解を示す。
あんたがそこで納得しちゃダメだろ。気持ちはよくわかるけど。
ゼリエさんの器量は悪くないと思うんだけど、いくらなんでも痩せすぎている。
これでは力仕事は不可能だし、そもそも行商人として旅が出来るかどうかも怪しい。
だからといって、客商売に向いているとも思えない。見るからにオドオドとした気弱な性格だし、獣人ということを差し引いても、まずはこの不健康そうな見た目をどうにかしなければ雇ってくれる店はないだろう。
「それでうちに紹介することにしたんですね?」
「読み書きと計算ができればいい、とアルセリカ様が仰ってましたので」
うん。たしかにそう言ったね。
なるほど。ゼリエさんは商家の娘さんだから、読み書きと計算は教わっているのか。
「うーん、ゼリエさんにも質問していいかな?」
「は、はひっ!」
緊張するゼリエさんが思いきり言葉を噛む。
しかし私は構わず質問を続けた。
「三百九十八足す三百七十九は、わかる?」
「な、七百七十七……です」
「四十八掛ける二十五は?」
「千二百……です」
「百公斤の鉛と百公斤のお酒、重いのはどっち?」
「お……重さは一緒です。ですが、運ぶとき、お酒は樽か瓶に詰めますから、そのぶんだけ重さが増えてしまいます」
声を上擦らせながらも、ゼリエさんは淀みなく私の質問に答えた。
それを見たレオンスさんが、ほう、と感心したように眉を上げ、バルダーヌさんまでもが驚きに目を丸くする。
どうやら彼女をここに連れてきたバルダーヌさんも、ゼリエさんの能力を完全に把握していたわけではなかったらしい。これは思いがけない掘り出し物かもしれないな。
バルダーヌさんが語ったゼリエさんの出自が事実なら、彼女は、ほかの貴族家とはなんのつながりもない平民だ。
ラシーヌ商会のスパイという可能性もたぶんない。このタイミングで、ベルローズ家がラプラド地方をすべて併合して文官が不足するなんて、バルダーヌさんにも予測不可能だったからだ。
「私はゼリエさんを雇いたいと思ってるけど、ゼリエさんの意思はどうなのかな? ベルローズ家で文官をするつもりはある?」
「あ……」
私に訊かれて、ゼリエさんが固まる。
まあ、いきなりそんなこと言われても悩むよね。借金のカタに親に売られて、連れてこられた先が数日前まで隣国と戦争をしていた北の辺境だもんね。おまえに雇い主は年下の小娘で、しかも〝バーサーカーの聖女〟だ。
私だったら絶対にそんなことろで働きたくない。
しかしゼリエさんは怯えながらも顔を上げ、小声ながらしっかりと返事をした。
「あ、あります。ぜひアルセリカ様の下で働かせてください」
「え? いいの?」
「はい。ぜひお願いします」
そう言って黒髪猫耳少女は、深々と私に頭を下げた。
おっと、これは嬉しい誤算だ。即戦力の新人が手に入ったということでいいのだろうか。
「レオンスさんも、それでいい?」
「もちろんです。助かりますね。戦力が一・五倍になるわけですから」
「一・五倍? え?」
ゼリエさんが困惑の表情で、私たちの顔を見比べる。
書類仕事ができるのは、私とレオンスさんの二人だけだったからね。それが三人になれば、戦力は間違いなく一・五倍だ。
とんでもない職場に来たと思っているかもしれないが、後悔してももう遅い。せっかく来てくれた新人を、ここで手放すわけにはいかないのだ。
「バルダーヌさんも、ありがとうございます。これでひとまず急場は凌げそうです。仲介料はあとでしっかり請求してくださいね」
「いえいえ。ベルローズ男爵家にはもう充分に稼がせていただいておりますので」
バルダーヌさんもホッとしたような表情を浮かべている。
借金のカタに引き取った娘が無事に捌けて、男爵家に恩を着せることもできたのだ。彼にとっても、悪い取り引きではなかったに違いない。いくら人身売買が合法とはいえ、娼館などと取り引きすればやっぱり悪い噂は立つしね。ラシーヌ商会のような大店では、そういうことはやりづらいもんね。
「ところで、アルセリカ様。少しお耳に入れたいことがあるのですが」
「え? なに? なにかよくない話?」
私は笑顔を崩さないように気をつけながら、バルダーヌさんを見た。
ただでさえこっちは領地の併合直後で忙しいんだから、面倒を持ちこむのはやめて欲しいな。
「いえ。貴家に直接関わりのある話ではありません。ですが、場合によっては影響がないとは言い切れないかと。アリデイとザーズの話です」
「アリデイ……?」
私はちらりとゼリエさんを見た。
アリデイ出身のゼリエさんは、なにも知らない、というふうに慌てて首を振る。
王都からの街道沿いにあるアリデイとザーズは、ベルローズ領にとっても縁の深い街だ。
ザーズは人口八万人ほどの子爵領。アリデイは伯爵領で、人口はおそらく二十万を超える。
どちらも、こないだまで人口八千人だったベルローズ家とは比較にならないほどの大領である。
「アリデイとザーズになにかあったんですか? あの二家は、仲は悪くなかったですよね? ザーズの領主の奥様は、アリデイ伯爵の娘さんだったはずですし」
そう。実はザーズ子爵は、アリデイ伯爵の義理の息子なのだ。
たぶん政略結婚だけどね。
隣り合う領地同士の為政者というのは、なにかとギスギスしがちだからね。それを避けるために婚姻で両家の関係を親密にするというのは、ありがちだけど有効な手段なんだ。
アリデイとザーズもその例に洩れず、縁を結んだというわけだ。
まあ、近隣の領地の関係が安定しているのは、ベルローズ家にとっても悪いことじゃない。
そんなふうに思っていたのだけど、少し風向きが変わってきたみたいだ。
「どうやら戦になりそうです」
「へ? 戦? 戦争ですか? 小競り合いとかではなく?」
バルダーヌさんの報告に、私は思わず目を剥いた。どうしていきなりそんな話になるんだ。やめてくれよ。
なにがまずいかというと、ベルローズ家がラプラド連盟の領地を接収した直後だということだ。
これまでベルローズ領は、ザーズとしか領地を接していなかった。
しかしラプラド地方を併合したことで、ベルローズ領はアリデイとも隣り合わせになってしまったのだ。
いがみ合う大領に挟まれた小領地。絶対にろくなことにならない予感がある。
バルダーヌさん、なにがうちには関係ない話だよ。関係ありまくりじゃないか。
「もちろん、今すぐに戦争が始まるということはないでしょう。これから小麦の作付け時期ですからね。ですが、それが終われば本格的に戦支度が始まるのではないかと思います」
「あと、ひと月かふた月というところですか」
「それまでに戦争の原因を調べておくつもりですが、そのような動きがあるということはご記憶ください」
「はい。ありがとうございます。よく知らせてくれました」
私は頰を引き攣らせながらも、笑顔でバルダーヌさんに礼を言った。
うーん、なにやら厄介なことになってしまったな。
この件の対応については大叔父様に相談するとして、バルダーヌさんにはなにか礼をしなければいけないな。
とりあえず、完成したばかりのお団子でも渡しておくか。
こうして我がベルローズ家は新たな文官の猫耳少女を手に入れ、バルダーヌさんは大量のみたらし団子を抱えたまま、商隊の野営地へと戻っていったのだった。




