第22話 亡命
「え? 亡命?」
私がその報告を聞いたのは、バロワンの領主舘でのことだった。
大叔父様が率いるベルローズ領軍が、侵攻してきたラプラド連盟の連合軍を打ち破って、逆侵攻を開始したのは先月末のこと。最初の戦闘で領主を失っていたバロワンとリトレ、グリモーの三つの騎士爵領は、さしたる抵抗もできないまま、完全にベルローズ家に接収された。わずか三日間の出来事だった。
ルブルトン卿とパスマール卿——五爵と呼ばれていたラプラド連盟の残り二人の騎士爵は、砦に引きこもって防備を固め、徹底抗戦の構えをとっていると聞いていた。
大叔父様も無理に彼らを攻めようとはしなかった。
戦力の半減したラプラド連盟はもはや脅威ではなかったし、無理に攻め取るほど旨味のある土地でもない。
二人の騎士爵に詫びを入れさせて、賠償金をぶんどって一件落着というのが、私や大叔父様の考えるこの戦争の落とし所だったのだ。
だが、今朝になって届いた報告によれば、そのルブルトン卿とパスマール卿が、昨夜のうちに家族を連れて領地から逃げ出したらしい。
それぞれの領主舘はもぬけの殻になっており、途方に暮れた家臣たちが、ベルローズ家に降伏の使者を送ってきたのだという。
「亡命ということは、行き先はシャルヴェンカですか?」
「ええ。状況からして、おそらくそれで間違いないかと」
私の質問に、レオンスさんが答える。
まあ、そうだよな。ほかに行く場所はないもんね。
なにしろ彼らは自らの利益のために、敵国である隣国シャルヴェンカの軍隊を国内に引き入れてしまったのだ。
れっきとした聖王国に対する反逆行為であり、たとえベルローズ家が許しても、王家が彼らをこのまま放っておくはずがない。運が良くてすべての私財と領地の没収。そうでなければ縛り首かな。
そうなる前に国外に逃げだそうという判断は、間違っているとは言い切れない。
だけどなあ。貴族を名乗っていても、その実体は辺境の小さな土地の領主だ。その領地すら失って亡命したら、利用価値などないに等しいだろう。シャルヴェンカに逃げ落ちた彼らの未来が明るいとはとても思えない。
いずれにしても彼らが再び、ベルローズ家に害を為すようなことはないだろう。
問題は、領主が逃亡したとしても、その土地に住んでいた領民たちはそのまま残されているということだ。
当然、誰かが彼らの面倒を見なければならない。
それが出来るのは、領地が隣接していて唯一健在な領主家だけ。つまり我がベルローズ家だけである。
「もしかして、またうちの領地が増えるんですか? バロワン、リトレとグリモーの世話だけでもいっぱいっぱいなのに、あと二つも?」
「そうなりますね」
「簡単に言ってくれるなあ」
「複雑に言っても、事態は変わりませんから」
レオンスさんの無慈悲な言葉に、私は軽く絶望する。
ベルローズ領の人口はおよそ八千人。
男爵領の平均よりもやや少ないが、北の辺境にある土地としては妥当な規模だ。
それに対してラプラド連盟の各領地の人口は、それぞれ二千人から三千人ほど。正確な数字は調べて見ないとわからないけど、たぶん五爵家全体で一万二千人といったところかな。
つまりラプラド連盟の領地をすべて併合するということは、ベルローズ領の規模がいきなり倍以上に膨れ上がるということだ。そんなことをして人手が足りるはずがない。
従来のベルローズ家の領地——旧領については、これまでどおり代官である大叔父様に面倒を見てもらう。
ベルローズ旧領は、国境防衛の最前線だからね。そこの統治をおろそかにするわけにはいかないんだ。
それにシャルヴェンカとの戦で失われた兵士の補充や、部隊再編の仕事もある。だから、軍事に詳しい大叔父様にしか任せられない。
だから新たにベルローズ家の所領となったラプラド地区に関しては、領主であるベルローズ本家の人間が直接面倒を見ることになった。
まあまあ妥当な判断だ。新しい領地の現状を把握して、統治の仕組みを考えるのは領主家の仕事だからね。
問題は、現在、領地にいるベルローズ本家の人間というのが一人だけだということだ。
そう。私、アルセリカ・ベルローズだ。
つまり私は数え年十歳にして、併合したばかりの見知らぬ領地を治めることになってしまったのだ。
ほんの半月前まで、私はここから遠く離れた王都でのんびり暮らしていたのだが。
くそう。どうしてこうなった?
とはいえ、私一人で統治するのはさすがに無理だと、大叔父様も判断したのだろう。
大叔父様の腹心である文官のレオンスさんを、無期限でレンタルしてくれることになった。
これは正直すごく助かった。皮肉っぽいのが玉に瑕だが、レオンスさんは優秀だからね。
「だとしても人手不足なのは、早めになんとかしないといけませんね」
「できればそう願いたいものですね。我々二人だけで、領地五つぶんの面倒をこのまま見続けるのはさすがに無理がありますからね」
そうだよねえ。あらためて他人の口から聞くと、酷い状況だなとしみじみ実感する。
「こういう場合って、もともとこの土地にいた文官をそのまま雇い続けるものだと思っていたんですが」
「規模の大きな領地では、そういうこともあるでしょうね」
レオンスさんが他人事みたいな口調で言った。
領主が代わったからといって、領民たちの暮らしは基本的にはあまり変わらない。それは領主に仕える文官たちも同じだ。それに地元のことをよく知っているのは、元からそこに住んでいた人間だ。
だから、新しく訪れた領主は、元からその土地で働いていた人間を雇う。
もちろん信用できないヤツはクビにするし、こんな領主の下で働きたくないと思った文官は辞めてしまうだろうが、その領地にいた文官がいきなりゼロになるなんてことはあり得ない。
「ただ、騎士爵領くらいの規模だと、そもそも文官なんて雇ってないことのほうが多いんですよ。領主の仕事なんて徴税と、住民同士が揉めたときの仲裁くらいしかないですからね」
「え、そうなの? 魔物対策とか治水とか、領主の仕事なんていくらでもあると思うんだけど」
「……アルセリカ様は、どなたからそのような知識を学んだのですか?」
「どなたからと言われても……えーと、王都で読んだ本で?」
本当は聖遺物の黒水晶で見た異世界の動画で知ったんだけどね。教育番組とか〝どらま〟とか。
「もしかして、男爵閣下にそのようなことを進言されましたか?」
「あー……たまにそういう話はしたかもしれません」
内政は、サボると民が反乱を起こしたりするから怖いんだ。そのことにビビった私は父上に、うちの領地の現状を確認した記憶がある。そして領民たちに優しい政策をするように、父上にしつこく頼んだのだ。
「なるほど。男爵閣下から妙な指示が急に増えたとドルレアック卿が不思議がっていたのですが、アルセリカ様が原因でしたか」
「もしかして、大叔父様に迷惑をかけてました?」
「迷惑ということはありませんがね。前にも言いましたが、農作物の収穫量が増えたり、新しい特産物が出来たりしたことで、領民の暮らしが楽になりましたし。まあ、そのせいで、五爵からはだいぶ恨まれていたみたいですが」
「恨まれた? なんでです?」
「ベルローズ領だけが豊かになったせいで、ラプラド連盟の領地から逃げ出す領民が増えたんですよ」
うわあ、それは恨まれるかもな。
もちろんどう考えても悪いのは、自分たちの領民になにもしなかった五爵のほうだけど。向こうにしてみれば、これまではそれで上手くいってたのに余計なことをしやがって、と思ったんだろうな。
するとつまり、彼らがベルローズ領に攻めこんできたのは、実は私のせいだったってことか……
「そういう事情ですからこのあたりの領地では、わざわざ文官を雇わなくても、領主の家族や親族だけでだいたい事足りていたのですよ」
「そうなんですね。たしかに領民が二千人かそこらなら、何人もの文官を抱える余裕はないのかもしれませんが」
「はい。ちなみにそういう元領主の家族や親族は、先日の戦で死ぬか、逃げるかしたみたいですね。〝バーサーカーの聖女〟の噂が広まって、酷く怯えていたみたいで」
「あー……」
レオンスさんに説明されて、私は軽く落ちこんだ。
そうだよなあ。この辺りの領主を討ち取ったのは私だし、そんな私に仕えろといわれても困るよな。文官不足も私のせいか。へこむな。
「それに文官になるためには、最低でも読み書きと計算が出来なければなりませんからね。こんな辺境でそのような知識を持っているのは、それこそ領主の身内くらいです」
そっか。そっちの問題もあったね。
「あれ? じゃあレオンスさんはどこで文官の知識を学んだの?」
「私は王都の出身なんですよ。ただ、王宮に勤めていたころに、人間関係で少し先輩方と揉めてしまいましてね」
それはなんとなく想像できるな。若くて有能で皮肉っぽい性格って、王宮のような場所では疎まれそうだ。
「それを知ったベルローズ男爵が私を拾ってくれたんです」
「へえ……それはベルローズ領としてはいい拾いものでしたね」
「そう言ってもらえるのは悪い気分じゃないですね」
レオンスさんが、満更でもない様子でニヤリと笑う。
「レオンスさんの当時の同僚や友人で、誰かベルローズ領に来てくれそうな人に心当たりはありませんか?」
「手紙を書くくらいはやってみますが、あまり期待しないでください。王都でそれなりの役職に就いてる人間が、わざわざこんな辺境に来たがる理由はありませんからね」
だよねえ。しかも勤務先が王都を追放されたハズレ聖女の部下だしね。
「ベルローズ男爵に手配していただくわけにはいかないので?」
「いちおうお願いしてみますけど、うちは武家ですからね……」
軍関係の人材には強いんだけど、文官の知り合いが多いとは思えない。敵対してるわけではないけれど、なにかと利害が対立する関係だからね。
「アルセリカ様ご自身の伝手というのは……?」
「見てのとおり成人前の子供ですよ。伝手といわれても……」
成人前の貴族令嬢は屋敷から滅多に出ないのだ。
たまに同じ派閥の貴族家のお茶会にお呼ばれするくらいで、ほかに知り合いといえるのは、家庭教師と出入りの商人くらいのものだろう。
ん、そうか、商人か。あるな、伝手。
「ロジェ、バルダーヌさんに伝言をお願い。私が会いたがってるから、手の空いたときに領主舘に会いに来てって伝えてきて」
王都に本拠を置くラシーヌ商会の商隊は、予定より少し遅れてベルローズ領に到着した。
商隊長であるバルダーヌさんも、今ならまだベルローズ領にいるはずだ。
「かしこまりました」
私の命令を聞いたロジェがすぐに部屋から出て行った。
「それでは、お客様をお迎えする準備をしますね」
「え? 来るのは手の空いたときでいいって言ったおいたから、そんなに急いで準備することはないと思うよ?」
応接室の掃除を始めようとしたキトリーを、私は止める。
バロワン地区からベルローズ本領までは、馬を飛ばしても往復で二刻はかかる。
呼ばれたからといって、すぐに来られるような距離ではない。下手すると帰りは真夜中になってしまう。
だから、バルダーヌさんが来るとしても明日のお昼過ぎかな。今から応接室の掃除をしてたら二度手間だ。
「いえ。アルセリカ様が会いたがっていると言われたら、バルダーヌ氏は真夜中でもやって来ると思いますよ」
「いやいや、それはないでしょ。魔物が出るってば」
夜の山道は、魔物が活性化していて危ないのだ。
経験豊富な商人であるバルダーヌさんが、そんな危険を冒すはずがない。
しかしキトリーとレオンスさんは、二人揃ってきっぱりと首を振った。
「魔物よりももっと恐ろしい人がいますからね」
レオンスさんの淡々とした呟きに、私は小さく首を傾げた。
へえ、誰だろう。って、私かよ⁉︎
そしてレオンスさんの予言どおり、私がロジェを送り出してからきっかり二刻後、護衛を引き連れたバルダーヌさんが、バロワンの領主舘を訪れたのだった。




