第20話 伝説の始まり
「……あれ?」
私は夕陽が射しこんでくる部屋で目を覚ました。
見覚えのない部屋だ。
「お目覚めになられましたか、アルセリカ様」
「キトリー……?」
ベッドの上の私に尋ねてきたのは、侍女服に着替えたキトリーだ。
そんな彼女の姿を見て思い出す。そうだった。私は、戦場で血の臭いに当てられて気絶してしまったのだ。
「ここは?」
キトリーが差し出してきたお水を受け取りながら、私は訊く。うむ、水が美味しい。
「ベルローズ領の領主舘です」
「そっか。いちおう訊いておくけど、日付が変わったりはしてないよね?」
「はい。アルセリカ様が気絶していたのは、三刻ほどになります」
太陽の傾きを見ても、だいたいそれくらいだろうな。
「いちおう戦には勝ったってことでいいのかな?」
「はい。アルセリカ様のおかげで大勝利だといわれています」
「私のおかげってことはないでしょ」
苦笑する私をじっと見て、キトリーは真顔で首を横に振った。
え? マジで私のおかげってことになってるの?
「ここにいても状況がわからないな。とりあえず、大叔父様に会いに行こうか」
「お身体はもうよろしいのですか?」
「平気だよ。もともと血の臭いで気分が悪くなっただけだからね」
私はキトリーに手伝ってもらって、服を着替える。
ずっと旅装で、そのあとすぐに戦場に出たから、貴族令嬢らしい恰好をするのは久しぶりだ。
寝ている間にキトリーが身体を拭いてくれたのか、全身が妙にこざっぱりしているのが嬉しい。
私の寝ていた部屋の前には、従僕であるロジェが待機していた。ずっと警戒してくれていたらしい。
「アルセリカ様、お加減は?」
「大丈夫だよ。ロジェも戦場から帰ってきたばかりで疲れていただろうに、ありがとうね」
「いえ、アルセリカ様がご無事でなによりでした」
弟の言葉に、当然です、と表情も変えずにうなずく姉。相変わらず私に対する愛が重いな、この姉弟。
そんな美形姉弟を従えて、私は領主舘の執務室に向かう。
しかしそこには代官である大叔父様の姿はなく、いたのは書類に埋もれたレオンスさんだけだった。
「こんにちは、レオンスさん」
「アルセリカ様。お倒れになったと聞いたのですが、もうよろしいのですか?」
「ご心配をおかけしてすみません。大叔父様に会いに来たのですが——」
私が大叔父様の姿を探して室内を見回すと、レオンスさんは少し疲れた顔で溜息をついた。
「ドルレアック卿でしたら、今は砦のほうにいるはずです。遠征の準備があるとのことで」
「遠征? 今からですか?」
大叔父様、三日前まで死にかけていたんだが。
戦争が終わったばかりだというのに、いったいどこに攻めこむ気だよ。
「今日の戦で撃退したラプラド連盟の五爵のうち、三名が命を落としたそうです」
「え? そうなの?」
ラプラド連盟は五つの騎士爵領の連合体だ。
その五家の当主のうち、三人が戦死。侵攻してきたラプラド連盟側はもちろんだが、勝利したベルローズ家としても想定外の事態ではないだろうか。
「その三名を討ち取ったのは、アルセリカ様だと聞いていますが……」
「は……⁉︎」
私は驚愕に思わず咳きこんだ。なんだそれ。どういうことだよ。聞いてないぞ。
「なにそれ? 本当なの、ロジェ?」
「事実です」
ロジェはどこか満足そうに笑って首肯する。
「アルセリカ様が率いていた伏兵部隊の投石攻撃でバロワン騎士爵領の当主とリトレ騎士爵領の当主が、リュカ殿の火薬壺の攻撃でグリモー騎士爵領の当主が、それぞれ命を落としたということです」
「あー……」
そう言えば、騎乗した指揮官っぽい人物が馬ごと吹き飛ばされるのを見た気がするな。
「でも、それって部隊の兵士さんやリュカさんの手柄では……?」
「アルセリカ様が立てた作戦で、アルセリカ様が率いている部隊が上げた戦果ですから、こういう場合はアルセリカ様の功績ということになるんですよ。もちろん敵将を討った兵士には褒美が別に出ますがね」
レオンスさんが笑いながら私に説明した。
まあ、その理屈はわからなくはない。そうでないと、軍の指揮官や参謀は常に功績がゼロってことになっちゃうからね。
「ということは、ラプラド連盟の五つの領地のうち、三つが当主不在という状況になってるってこと?」
「はい。ですのでドルレアック卿は、この機に乗じてその三つを攻め落とすつもりでいるようです」
おかげで書類がこの有様ですよ、とレオンスさんは虚ろな瞳で力なく笑った。
攻め落とすなどと気楽に言うが、軍を動かすにはお金や人の手配が大変なんだよね。どうやら我がベルローズ領では、その手の仕事はすべてレオンスさんが一人で切り盛りしているらしい。そりゃ死んだ魚みたいな目になるわけだよ。
「とはいえ、必要な遠征ではあります。当主不在の領地は不安定化して様々な問題の温床になりますし、残る二名の騎士爵がそれらを占領して余計な力をつけるのを見過ごすわけにもいきませんからね」
なるほど、そういう名目で出兵するわけか。
大叔父様が倒れたときのベルローズ領に対してやろうとしたことが、そのまま自分たちに返ってきたことになる。
「どのみち今のラプラド連盟に組織だった抵抗は不可能ですし、大きな戦になることはないでしょう。一週間もかからずに領地の併合は終わるはずです。そのあとの事務手続きを考えると、目眩がしますがね」
レオンスさんが自虐的な笑みを浮かべて首を振る。うーん、大変だな、この人も。
大叔父様ももう少し文官を増やしてあげればいいのに。
「それにしても大変な活躍でしたね、アルセリカ様。王都からやってきて、わずか三日で三人の敵将を討ち取って、騎士爵領三つぶんもの領地を奪い取るなんて」
「え……⁉︎」
レオンスさんの発言に、私は頰を引き攣らせた。
たしかに結果だけみれば、そういう評価になってしまうのか。なんだかそれでは、まるで私が血に餓えたバーサーカーみたいじゃないか。いや、〝バーサーカーの聖女〟なんだけどさ。
「領都の住人たちは、アルセリカ様の話題で持ちきりのようですよ。英雄といわれたドルレアック卿が、自分以上の将器だと認めたとか。そのうち、王都にもアルセリカ様の評判が届くかもしれませんね」
「え、なんですか、それ。やめてくださいよ……!」
大叔父様も余計なことを言うんじゃない。ただでさえ私は王都では凶悪なハズレ聖女だと思われているのだ。
「私にやめろと言われても難しいですね。噂を流しているのは、アルセリカ様の部下たちですから」
「私の部下……って、伏兵部隊の参加者のことですか?」
「ええ。特にドナシアンあたりは、率先してアルセリカ様のご活躍を広めてますよ。攻めてきた一千の軍勢に対して部下は三十人いれば充分だと豪語して、菓子を食べながら笑って突っこんでいったとか。逃げ出した敵兵を、あんな連中は自分が追うまでもない、魔物にでも喰わせておけといって、血に餓えた魔物たちをけしかけたとか」
ドナさぁぁぁぁん!
変な脚色を加えるんじゃない。やめてくれよ。いや、もしかしたら脚色したわけじゃなくて、あのときのドナさんには私の言動はそんなふうに見えていたということか。
ドナさんたちが広めた噂は、やがて到着するラシーヌ商会の人々を経由して思いがけない速さで王都にも届くことになるのだが——
そのときの私はまだ、それを知らずにいたのだった。




