第18話 伏兵部隊スタンバイ
ラプラド連盟の連合軍がベルローズ領への侵攻を始めたのは、私が到着した翌々日のことだった。
私は予定どおりに三十人の兵士を率いて、敵軍の侵攻経路上にある森の中に潜んでいる。
地形は険しく、見通しが悪い。
しかしベルローズ家の領内ということもあり、兵士たちはこのあたりの地理をよく知っていた。
森に詳しいベテランの猟師を案内人として雇うことも出来たため、私たちは余裕を持って敵軍が侵攻してくるのを待ち受ける。
とはいえ、なにもかもが想定どおりというわけではない。
私にとって計算違いのひとつは、この場にキトリーとロジェがいることだ。
「二人はこんなところにまで付き合わなくていいんだよ。領主舘で待っててくれたらよかったのに」
「いえ。私たちはアルセリカ様の護衛でもありますから」
追い返そうとする私の言葉を、キトリーは頑として拒絶する。
でもなあ。二人の本来の役職は、私の侍女と従僕なんだよ。戦場にまでついてこられたら、役職手当と給料を見直さないといけなくなるじゃないか。
しかし斥候と土魔法のスキルを持つこの二人は、この状況ではものすごく役に立つ。そばにいてくれて心強いというのも事実なんだ。
そして心強いといえば、もう一組。なぜか〝暁の鷹〟の面々もここにいるのだった。
「どうしてエグルさんたちまでここにいるんです?」
「この領地の代官様に依頼されたからだな」
「大叔父様から? もしかして私の護衛ですか?」
「そういうことだ」
普段よりも重厚な鎧をつけたエグルさんが、ニヤニヤしながら私を見る。
ほかの〝暁の鷹〟メンバーも一緒だ。魔物狩りなどで森に入ることが多いせいか、彼らの表情はほかの兵士たちと比べても余裕がある。
「もともとバルダーヌの旦那が到着するまで、適当な依頼を受けて時間を潰すつもりだったんだ。だったら、嬢ちゃんやドルレアック卿に恩を売っておくのも悪くないだろ」
「いいんですか? けっこう危険ですよ、この仕事」
「傭兵の仕事なんて、そんなもんだろ」
たしかにね。
「まあ、斥候のゴーチェさんがいてくれるのは正直助かります。キトリー一人だと手が足りないと思っていたところなので。あとは罠士のリュカさんも」
「またなにかよからぬことを企んでそうだな、嬢ちゃん」
伏兵にとって重要なのは、敵軍の動きを正確に察知する情報収集能力と、初っ端に相手を混乱させる瞬間火力だ。その点、ゴーチェさんとリュカさんの能力は申し分ない。
「ところで、もしお暇だったら、これ、兵士の皆さんに配っておいてもらえますか?」
私はそう言って、キトリーに預けていた袋をエグルさんたちに渡した。
「なんだ、これは?」
「携行保存食です。領主舘の厨房にレシピを渡して、作ってもらいました」
ドライフルーツとナッツを入れて、硬く焼きしめたビスケットだ。糖蜜に浸しているので、大きさの割りに満足感があって腹持ちもいい。私の自信作である。
王都の魔法兵団に採用してもらえないかと父上に渡したこともあるのだが、こんな贅沢なものを食べさせられるか、と却下されてしまった逸品である。
「あら……美味しいわね、これ」
受け取った携行保存食をひと口かじって、ソフィーさんが感嘆の声を上げる。
「そうでしょう、そうでしょう。煮炊きができないぶん、せめてこれくらいのものは用意したほうがいいかと思いまして。喉が渇きやすいので、少しずつ食べてくださいね」
「ふふっ。わかったわ。ほかの人たちにも伝えておくわね」
よしよし。美味しいものをもらって腹を立てる人は滅多にいないからね。
伏兵の仕事というのは、攻撃の命令が下るまで、ひたすら待ち続けることである。
その間は温かい食事もできないし、ストレスも溜まる。そこでこの携行保存食だ。
これで新参者の私に対する好感度も、少しは上がるだろうというものだよ。
私がそんなことを考えて一人でほくそ笑んでいると、兵士の一人から急に声をかけられる。
「おい、あんた。ちょっといいか?」
「あ、はい」
声をかけてきたのは、小柄だが敏捷そうな雰囲気で、目つきの悪い黒髪の兵士だ。
「えーと、兵長のドナシアンさんでしたよね? どうかしましたか?」
「あ、おう。俺の名前……なんで知って……?」
出鼻をくじかれたドナシアン兵長が、戸惑った顔で私を見る。
「バルナベ大隊長から聞いてますよ。この作戦を聞いたときに、伏兵部隊に真っ先に志願してくださったと」
「そ、そうかよ」
ドナシアン兵長が、目つきをさらに悪くしながら鼻の頭をかいた。
怒っているようにしか見えないが、もしかしたら照れているのだろうか?
「おい、兄さん。この嬢ちゃんはこう見えて、ここのご領主様の娘さんだぞ? ついでに言うとこの部隊の隊長でもある。口の利き方には気をつけたほうがいいんじゃないか?」
見かねたエグルさんが、やんわりとドナシアン兵長をたしなめる。
「ああッ……? んだ、てめェは?」
それに対して、殺気立った視線を向けるドナシアン兵長。
おいおい、勘弁してくれよ。このタイミングで内輪もめなんて最悪なんだが。
「えーと、私みたいな小娘の指揮下に入るのはご不満でしょうが、理由があってのことなので、今回だけは我慢してくださいね。なにか言いたいことがあるなら、話は聞きますよ?」
「いや、違う。違うんだ。文句を言いに来たわけじゃねえ」
仕方なく二人の間に割って入った私に、ドナシアン兵長が首を振る。
「俺は学がねぇから、礼儀知らずなのは勘弁してくれ。あんたみたいな人に対する口の利き方は知らなくてな。だから、その……俺はただ、あんたに礼が言いたかっただけなんだ」
「お礼、ですか?」
「ああ。親父殿を救ってくれたのは、あんただって聞いたから」
ドナシアン兵長はそう言うと、いきなり私の足元に跪いて頭を地面にこすりつけた。
おい、やめろ。私がきみをいじめてるみたいだろ。
いきなり私の前で土下座を始めたドナシアン兵長を、事情を知らないほかの兵士たちが不安そうにちらちらと眺めている。
「すまねえ。本当に助かった。親父殿が死にかけたのは、俺を庇ったせいなんだ」
「ああ、はい。その話は聞いてます。大叔父様は、有望な若者が自分よりも先に死ぬのは許さないと言ってましたよ」
「親父殿が、そんなことを……?」
ドアシアン兵長が、ガバッと顔を上げて目を見開いた。感情表現が豊かだなあ、この人。
さっきまで険悪な雰囲気だったエグルさんが苦笑してるじゃないか。
「だから、ドナシアンさんが気にすることはないんじゃないですかね。そのぶん長生きしてくれれば」
私はドナシアン兵長に手を貸して、彼を無理やり立ち上がらせる。
「親父殿のことだけじゃねえ。こいつの作り方を教えてくれたのもあんたなんだろ?」
「それは、もしかして水飴ですか?」
ドナシアンさんが取り出したのは、琥珀色の液体の入ったガラス瓶だった。
その瓶の造りには見覚えがある。ベルローズ領で製造されている水飴だ。
水飴のレシピを大叔父様に送って、領民に作らせてくれと頼んだのはもちろん私である。
だってお菓子が食べたかったんだよ。
うちみたいな貧乏男爵家にとって、国外からの輸入品である砂糖は贅沢品なんだ。
「何年か前から、うちの村でもこいつを作るようになって、まとまった金が手に入るようになったんだ。商人が高く買ってくれるからな」
「そうですか。それはよかったです」
発芽玄米で作る水飴の甘さは砂糖に比べると半分以下だが、それでも甘味に触れる機会の少ない庶民にとっては衝撃的な美味しさである。
当然、商人たちからの引き合いも多く、最近ではベルローズ領の主要な輸出品になっていると聞いている。
「これのおかげで、去年の冬に熱病が流行ったときも薬を買えたし、教会の神父を呼んでくることもできた。おかげでうちの村では死人が出なかったんだ。ただの一人もな」
「え? そうだったんですか?」
私の知らないところで、そんなことになっていたのか。
でもそれは私のおかげというわけじゃないよな。真面目に働いた皆さんの当然の報酬ですよ。
「ああ。だから、あんたのことは、俺が命に替えても守ってやる。それだけ伝えておきたかったんだ」
ドナシアン兵長が、目つきの悪い目を細めて笑う。
冗談を言っている目ではなかった。感謝されるのは悪い気はしないが、ちょっと重い。
「そんなのは気にしなくていいですよ。私もこの領地の水飴には助けられてますから。大学芋も食べられましたし」
「ダイガクイモ? なんだ、そりゃ?」
「水飴を使った芋料理です。美味しいので、この戦が終わったらみんなで食べましょう」
私がそう声をかけると、ドナシアン兵長は嬉しそうにうなずいた。
「へへっ、そいつはいいな。俺のことはドナでいい。よろしく頼むぜ、姫さん」
人懐こい大型犬みたいな人だな。
うん。こちらこそ、よろしく頼むよ。たかだか男爵家の令嬢を姫呼ばわりするのはさすがにやめて欲しいけどね。
そんなふうに私が部下の兵士と交流を深めていると、森の外が騒がしくなってきた。
偵察に出ていたゴーチェさんが、気配を消したまま戻ってくる。
どうやら本格的にベルローズ領軍とラプラド連盟と戦闘が始まったみたいだ。
私たちの出番も、そろそろかな。




