73.鈴音
歌声が聞こえる。
鈴を鳴らしたような凛とした声で、白い空間に光をもたらす。寄せては返す波のような旋律が、薄布を重ねた帳をそよ風のように揺らし、道を作った。
ふわりと金色の羽根が舞い上がって、緩やかに風に乗って軌跡を描いた。
膝を抱えて丸くなっていたリリーナは、自分をすくい上げる腕の中で、目を覚ました。まぶたが重く、目を開くことは出来ないが、聞こえる歌声に耳をすました。
呼びかけに応えて欲しい。愛おしい方
あなたを護る剣と なりましょう。
どうか 応えて欲しい。愛おしい方
あなたを護る盾と なりましょう。
この身がたとえ あなたの元へ帰れずとも
私の心は あなたの側で生きましょう。
たとえ 生まれ変わることが出来ずとも
どうか 夢見ることで出会わせて欲しい。
永遠に 私の心を 捧げましょう。
愛しています。 私の 蒼華姫。
わからなかった古い言葉の意味が伝わり、リリーナの胸に想いが込み上げた。
蒼華姫、そう呼んで、愛してくれた人がいた。
もう、失ってしまった世界の、愛おしい人。
大好きだった。愛していると気付くには遅すぎて、想いを返そうにも、もう会えなくなってしまった。
(リリィ)
名前を呼ぶ声が耳に届き、長いまつ毛が震えた。僅かに開かれた隙間から、溢れた涙が流れ落ち、頬に添えられた熱で優しく拭われた。
「リリィ」
はっきりと耳元で聞こえた声が愛おしくて、胸が詰まった。
目を開けるのが怖い。
目覚めてしまえば、期待して、また失うことになるのだろう。傷付いて、我慢して、強がって、報われなくても、あなたの中にあなたを探し求めてしまう。
「リリィ」
何度も名前を呼ばないで欲しい。
抱き締める腕が強まって、乞い願うように唇を重ねられれば、伝わる熱と息苦しさで、身体が震えてしまう。
顎を引き、僅かに唇をずらしても、逃さないように重ねられ、優しく頬を撫でられる。
「愛している、リリィ」
それでも、目を開けるのが怖い。
瞳に姿を映せば、また望んでしまう。
ひどくわがままに、自分だけを愛して欲しいと願ってしまう。
寄せられた想いを疑ったことはないけれど、いつかあなたが他の人を選ぶ姿を見たくない。
「どうか、目覚めて」
苦しげに呟かれ、聞いたことがない震える声に、リリーナはゆっくりと目を開けた。
自分のわがままで、愛おしい人を悲しませることのほうが、つらく思えた。涙を流す姿のほうが、もっと見たくなかった。
はらはらと涙がこぼれて、顔にかかる銀髪が、ぼんやりとリリーナの目に映った。
息遣いを感じる距離で、藍色の瞳が心配そうに覗き込んでいる。
どうしてだろう。先程までいろいろ考えていたことが、何故かすっかり消え失せてしまい、意識も記憶も、霞がかって、ひどくぼんやりとした。
しばらく見つめていたが、瞬くことに疲れてリリーナがまた目を閉じかけた時、目尻に唇を寄せられた。
「リリィ」
答えるように、リリーナが首を傾げると、頭の後ろに手を差し入れられ、胸に抱き込まれた。
「……俺のことがわかるか?」
伝わる動悸が速く、声も震えているが、この温もりは覚えている。腕の重さも空間も、自分の居場所のように馴染んで、穏やかに眠りに誘われてしまう。
すうっと長い息をはいて目を閉じれば、また身体を離され、口付けられた。
とても眠い。指先を動かすことが出来たので、ゆっくりと腕を持ちあげた。自分の頬に触れる手の甲に重ねると、するりと返され、指を絡ませて包み込まれた。
「アル……?」
声がかすれてうまく紡げないけれど、浮かんだ名前を呼べば、泣きそうな笑顔を向けられた。見つめ返し、確認するように瞬きを繰り返す。
「アル……」
首元にかかる銀髪が少し伸びている。藍色の瞳は金色の光を浮かべ、記憶の中の姿と重なった。霞がかっていた記憶が少しずつはっきりとして、リリーナは大きく目を見開いた。
「ここは……?」
体を起こそうと身じろぐと、背中に腕を回され、ゆっくりと抱き起こされた。けれども、くらりと目眩を感じて、支えるアルヴァートの胸に倒れ込む。
「あまり無理をするな。ロビ・メイジャ領内にあるシトラス島だ」
頭を支えるように抱き込まれて、髪に口付けを落とされた。
「どうして……」
聞き覚えのない島にいて、頭も身体も重く、体力も魔力も低下しているのだろう。
温もりが愛おしくて、同時に悲しくて、涙が流れ落ちた。
「泣かないでくれ、リリィ」
眠っている間、何度も自分の髪を撫でてくれたのは、彼だったのだと気付く。
「ずっと、側にいてくれたの……?」
「いられる間はずっと」
ちょうど膝の真上あたりの布から、木の実が転がり落ちて、リリーナの指先に当たって止まった。
「ベレンの実……?」
「ああ、トォーリィの捧げ物だろう。いつも昼間はずっと側にいて、お前が目覚めるのを待っていた」
「トォーリィ……」
「あ、ちょっと待てッ!こらッ!!」
リリーナが名前を呼んだ時、白くて丸い弾丸が飛び込んできて、部屋の扉あたりでドサドサと床に倒れる音がした。
「まあ、トォーリィ。あなた、うさぎさんになってしまったの?」
膝の上に乗り、愛くるしい姿で見上げられ、リリーナは涙を拭いて微笑んだ。抱き上げる力はないけれど、そろそろと腕を動かし、柔らかい体を撫でた。
「可愛いわ、トォーリィ」
体を擦り寄せる白いうさぎの温もりに癒やされ、リリーナが見つめていると、もういいだろう、と不機嫌な声がして、トォーリィの体がつままれ、扉に向かって放り投げられた。
「アル……?」
強引に上を向かされ、唇を重ねられて、長い口付けを交わす。
「全く……」
アルヴァートがベッドから降り、不機嫌そうに扉に近付くと、4人と2羽が扉の側で様子を伺っていた。ラミネが飛んできたトォーリィを受け止めて倒れており、その目元を、覆いかぶさる形でシグルが両手で隠していた。
「……よお」
苦笑いを浮かべて笑うシグルの顔は引きつっている。
「シグル様、見えません。身の危険を感じます。早急に逃げたいです」
「無理だ、諦めろ」
「やあ!」
倒れたシグルの身体の上に、あぐらをかくように少年が座っていて、アルヴァートに天使のような微笑みを向けて、手をあげた。
「久し振りだね、団長さん!何か楽しそうなことをしているから、僕も参加してみたんだよ」
「いきなり現れて、背中に乗るとは、ルシアン様は本当に自由な方ですね」
ブルナ氏が苦笑して、申し訳なさそうに、アルヴァートに頭を下げた。その肩にとまっていたアイシャが飛び降りると、羽根を広げて頭を下げ、そのまま悠然とリリーナの方へ歩いていく。それを見ていたトォーリィが暴れて、ラミネの拘束から逃れると、猛然とダッシュして追いかけた。
「あ、トォーリィ!!」
「また行きやがった、あのうさぎ。本当に、こんがり肉になっちまうぞ」
外野が騒がしいのは一先ず置いておいて、ここにいるはずのないルシアンの姿に驚いて、アルヴァートは少し警戒した。
「ルシアン様……?」
従うつもりはないが、帰還命令を受けている。皇都からの迎えであれば、対応を考えなければいけない。
訝しむアルヴァートの視線に気付いて、ルシアンは面白くなさそうに、口を尖らせた。
「ひどいな、僕は回し者じゃないよ。どちらかといえばね、僕は怒っているんだよ。酷いじゃないか。仲間外れにするなんてさ。確かに、ちょっと探し物があって皇都を出ていたけれど、声をかけて欲しかったな。一緒に洞窟に行った仲じゃないか。あの事を、忘れるはずがないだろう」
「そういう訳らしいですよ」
ブルナ氏が面白そうに眼鏡のフレームに手をかけて、珍しく腕を組んだ。
「探し物がようやく見つかったんだ。副団長さんのお目覚めのお祝いに、みんなで食べようよ!」
ゴソゴソと収納袋から取り出した果実を掲げたルシアンの提案に、その場にいた全員が目を瞬いた。
「肉料理と合うらしいよ?」
その言葉を聞いて、シグルは合掌した。




