69.疑念
優しく包み込むように、温もりが伝わる。
頬に、身体に触れる、穏やかで柔らかな光。
誰かが呼ぶ声に目を開ければ、降り積もる羽根が見えた。
金色の羽根が、ふわりと舞う。
ゆるゆると手を伸ばせば、羽根は触れたところから、染み込むように消えていく。
とても白い世界。真っ白で何も見えない。
静かに音もなく、金色の羽根が降り積もる。
ぼんやりと眺めた後、また瞳を閉じた。
とても眠い。膝を抱えて、丸くなる。
誰かに優しく撫でられ、気持ちが安らいだ。
伝わる温もりに、緩やかに穏やかに身をよせていたい。
今はただ、眠りたい――。
***
眠るリリーナの体を抱き寄せて、アルヴァートは瞳を閉じた。彼女の陶器のように冷たかった肌は、血が通い、温かい。規則正しく呼吸を繰り返し、鼓動も伝わる。
しかし、力なく横たわる身体は、自分の腕の中から決して逃げたりはしないが、目覚めることがなく、とても、もどかしい。背に回される腕もなければ、可愛らしく身じろぐことがない。応えてくれる姿を知っているからこそ、更にまた、多くを望んでしまっている。その感情が厚かましく思え、アルヴァートはため息をついた。
リリーナに会いたい。早く目覚めて欲しい。そのために出来ることを進めたい。それなのに、先刻、波間に出現した化け物は、どう見ても鳥の姿ではなかった。
(違うのか……?)
彼女に絡みついていた呪咀の根源といえる魔石を、アイシャが持つ炎に投じれば、金糸が燃え、リリーナが目覚めると教えられた。
(アイシャは海に封じられているのではないのか……?)
その可能性が高いように思えた。リリーナの魔力を有した本体は、最後まで隠れたまま姿を見せなかったが、海中を高速で移動していた動きを考えると、とても鳥だとは思えなかった。あれは海竜の動きだ。
期待していただけに、気持ちが落ち込む。見つけた糸口が失われたような気がして、抱き寄せる腕が強まった。
ふと、リリーナの身体が輝き、光を感じたアルヴァートは目を開けた。
(リリィ……?)
腕を緩め、覗き込む。青い色の淡い光がリリーナを包み込み、染み込むように消えた。その後、その身体に失った魔力が流れ込んでいくのを感じた。
(トォーリィか……)
今はベレンの木のうろの巣穴にいると思われるリスの姿を思い描いた。トォーリィは食べて得た魔力を、同じ契約印で繋がっているリリーナに送り続けている。おそらく、大好物であるベレンの実を食べたのだろう。
また、ふわりとリリーナの身体が淡く光った。今度はオレンジ色の光に包まれる。
(オレンジ?ランカの実なのか……?)
アルヴァートが部屋に戻ってきた時、トォーリィの姿はなかった。世話係が鼻先に置いていったランカの実は回収され、食べた形跡もなかったので、おそらく巣穴に持ち帰ったのだと思えた。それを今、トォーリィがかじっていたのだとすれば、色が違う。かつてルナティを祀っていた神殿の神木とされたランカの実の種は、青緑の光のはずだ。
(ランカの木……)
『――シグル様が見つけてくれた土地に、もしもアイシャが封じられているのであれば、必ず反応を示すはずです。そこへ、フラム様と一緒に訪れてはいただけないでしょうか――』
ブルナ氏が言うように、アイシャはそこにいるのだろうか。姿を見せなかった化け物の本体は、目的地とする島がある南へ姿を消した。追従の魔術をかけたままなので、痕跡を辿れば、どこへ逃げようと居場所はわかる。もし、その島へ向かったとすれば、潮の流れが速く、月が満ちる前後3日間しか近付けない。しかし、ローレン大公殿下は自分に、その島へすぐに向かうように命じた。
(それはつまり、月が満ちるのを待つ必要はない、ということか――?)
船で向かえば、潮の流れの影響を受ける。飛翔魔法が使えれば、上空から鳥のように行けたかもしれない。では、化け物の本体を追従させた時のように海面だけを凍らせれば、関係なくその上を渡ることができるのだろうか。
(試してみる価値はあるか……)
夜が明けたら、すぐに向かおう。島に渡ることができれば、次は転移できるかどうか試す必要がある。
(明日には、目覚めてくれるのだろうか)
願わくば、見つめ返して欲しい。閉じられた瞳に願いを込めて、アルヴァートは瞼にそっと口付けを落とした。
***
「うーむ。南国の海に氷山が見えるのだが……」
シグルは海上を眺め、どうしたものかと頭をかいた。
昨晩は結局、そのまま船を停泊させる事になった。アルヴァートが姿を消した後、視界も良好となり、拠点とする最寄りの島の明かりも確認できたのだが、どうにも動かない。船の操作が不能となり、原因が特定できないため、仕方なく夜が明けるのを待つことにしたのだ。
ところが、明るくなって周囲を確認すれば、氷に囲まれているという、異様な風景が広がっていた。
氷から推測されるのは、間違いなくアルヴァートだ。
呼び出して氷を解除してもらわないと、真面目に動けないじゃないか、とシグルはため息をついた。
「わぁ、凄いですね」
操縦室の望遠鏡を覗いて、嬉しそうに声を上げるラミネはのんきなものだ。
「残念なのは、寒い海に生息する生き物が確認出来ないことです」
「もともと珊瑚礁が広がる温かい海だからな。しかし、騎士団長様のせいで、生態系が壊れたんじゃないのか?大丈夫なのか?」
今後の交易品について影響が出ると困るシグルは頭を悩ませるが、ラミネは全く気にせず、おそらく動物であろう名前を挙げていた。この辺りではどれも馴染みがなく、初めて耳にするものばかりだ。どんな生物なのか想像もつかない。
「僕はラッコが見てみたいです」
「ラッコ……2回言ってたな。うまいのか?」
「何でも食料として考えないでください。かの有名な冒険家が描いたスケッチは、それは愛くるしい姿で、海面に浮かんでお昼寝をしていました」
「ふーん」
「密度の高い毛皮が高値で取引されるため、乱獲されてしまい――」
「高値!?」
聞き流していたシグルだが、その部分に興味を示し、組んでいた腕を外した時、突如として船が大きく揺れた。
「何だッ!?」
目の前で氷山が破壊され、波しぶきをあげて沈んでいく。大きく軋む音が響いて、凍った海面が割れ始めた。
「海底からの襲撃か!?」
「いえ……あの、アルヴァート様の姿が見えます」
望遠鏡を覗いていたラミネの呟きに耳を疑い、シグルは時計を見た。アルヴァートは時間に正確だ。さすが宮廷務めと言える。だが、いつも現れる時間より2刻も早い。
「まだ早すぎるだろ?」
揺れる船に翻弄されながら、代わってくれ、とラミネに声をかけ、シグルは望遠鏡を覗いた。
「うわー」
バランスを崩して尻餅をついたラミネと同じように、シグルは声を上げた。
「朝から騎士団長様が荒れている……」
氷山に大穴があいて、凍った海の上を一直線に駆け抜けていく姿が見えた。
全体に青白い光を放ちながら、障害物を次々に破壊していく後ろ姿は、いつにも増して不機嫌極まりない。アルヴァートの通った周囲が瞬間的に凍っていくところから判断すると、どうも絶対に近付いてはいけない危険エリアがあるように思えた。
「まさかと思うが……」
望遠鏡を少し上に上げて、霞む島影を眺める。気候も潮の流れも一切無視して、アルヴァートが目的の島に向かっているように見えた。
「無茶苦茶だな、強行突破か」
何とも言えない気分になり、シグルが大きく息をはいた時、不意にアルヴァートの姿が視界から消えた。
「うわぁ」
ラミネが大声を上げた先に、ゆらりと転移魔法でアルヴァートが現れた。昨夜、目撃した化け物よりも、はるかに彼の姿のほうが恐ろしい。何か背負っていないか、と思える程に不機嫌なオーラが濃く見えた。
「こっちに近付いてきますー」
アルヴァートは何か用事があって船首からただ歩いてくるだけだと思うのだが、シグルも緊張して、身構えた。
何故だろう。死の宣告を受けるような気分にさせられる。
扉が叩かれた後、静かに開かれる様子を、2人は息をのんで見続けた。




