68.零度
船に戻ると、甲板が騒然としていた。
いくら南国の海上だとはいえ、不自然な程の生暖かい風が頬を撫でた。あわせて鼻をつくような異臭がする。
アルヴァートは大剣の柄に手をかけると、船首の方へ歩き出した。ローレン大公領の屋敷を往復したが、そんなに時間は経っていないはずだ。星が見えていた空は曇り、月も見えない。明らかに異様で、すぐに屋敷へ戻れそうにない状況と判断でき、気分が悪くなった。
「何事でしょうか……?」
ラミネはハンカチーフで口元を押さえ、周りを見渡した。
「ラミネ、無事だったのか!!」
転移魔法の光に気付いたシグルが、操縦室の扉を乱暴に開けて飛び出し、駆け寄ってくるのが見えた。
「波に拐われたのかと思ったぞ。海の様子はおかしくなるし、気味が悪いし、足はちゃんとついているのか?」
甲板が騒然としていた理由の1つに、自分の捜索も含まれていたのだろう。シグルのホッとした表情を見て、ラミネは申し訳なく思った。
「連絡もせずにいなくなり、申し訳ございません。アルヴァート様に呼ばれまして……」
強引に連れて行かれたので、拐われたようなものではあるのだが、ラミネは慌てて頭を下げた。そして、シグルの言葉が気になった。
「あの……、足はちゃんとついているのか、とは一体、どういう意味なのでしょうか……?」
いろいろ出るからなー、と言っていた言葉を思い出し、恐る恐るラミネが顔を上げると、シグルは黙って視線をそらした。
無言は肯定ととっていいようだ。
「うわぁ、何か出るんですね!?部屋に戻りますッ!!」
泣きそうな声で慌てて部屋に戻っていくラミネを見送り、シグルは船首に視線を向けた。
アルヴァートが黙って暗闇を見つめている。
その姿は不機嫌極まりなく、近寄り難い。
さすがに声をかける勇気を持ち合わせておらず、シグルは操縦室へと戻った。
タイミング良く戻ってきてくれたのは好都合だが、彼が戻ってきてから、辺りに靄がかかり、徐々に視界が悪くなり始めた。おそらく、変調の原因となっている。アルヴァートの存在に、何かが反応していると思えた。
「船を止めろ」
シグルは操縦室に戻ると、船員に告げた。このまま進むのは危険に思えた。何処かへ誘い込まれてしまう恐れがある。
(いや、もう誘い込まれているのかもしれないな……)
島の明かりが見えているのに、なかなか距離が縮まらず、おかしいと気付いた時には、既に遅かった。予定では今頃、島に上陸し、うまい酒と料理に囲まれ、南国パラダイスで宴会を行っている頃だったのだ。
「退屈はしないが、今度は何が出るんだ……?」
海獣か、怨霊か、幽霊船か、とにかく化け物の類には違いない。
シグルが大きくため息をついた時、海上に無数の光が現れた。青白い灯火に息をのんだ。
「まさか……ッ!?」
ラミネの言葉を思い出す。
『――ルナティは気味の悪い人面の海竜で、海の亡者です。波間を漂うように歩き、見た者の声を奪い、息の根を止める、と言われています。海面に灯る青い炎は、喰われて海で命を落とした無念の魂の灯火と言われ、闇夜の晩に船を出してはいけないと――』
身を乗り出したシグルの瞳に、アルヴァートがゆっくりと大剣を抜く姿が映った。
***
青白い炎のような光が、灯籠のように等間隔に並ぶ。
(まるで誘導しているようだな)
アルヴァートは目を細めた。攻撃を仕掛けてくるなら、手短に一気に来ればいいものを、様子を伺っている感じがして苛立ちが募った。また、もう1つ気にかかる点があった。
海面に集まる青白い光に覚えがある。理由はわからないが、何故かその中から、リリーナの魔力を感じた。常に携えている彼女の剣と同じものだ。
腐臭が濃くなり、盛り上がった海面の中から人のようなものが現れた。海藻のような髪は腰まで伸び、顔に張り付いているため、口元しか見えない。海竜の頭に座っているのかと思いきや、腰から下が人ではなく、両腕は鱗に覆われ、鉤爪がついていた。
剣を構えたアルヴァートに向かって、叫び声を上げる。人の声ではない。不協和音のような心をえぐる騒音に、運悪く逃げ遅れた船員が次々と倒れた。
「お前は何者だ?どうしてリリーナの魔力を持っている?」
首を切り落とすことは簡単だが、アルヴァートはあえて問いかけた。魔獣と言うよりは、化け物の類だ。不可解で、不愉快だ。
人の形をする上半身がゆらりと前に傾き、目と思われる窪みに赤黒い光が見えた。おそらく中身はエネルギーの塊で、実体がない。知能などあるはずがなく、叫び声を上げ続けた。
アルヴァートは大剣を鞘に戻した。斬れば、船もろとも吹き飛ばすつもりなのだろう。あえて緩慢な動きをして誘うやり方に、付き合う気が起きなかった。
(本体は何処にいる?引きずり出してもいいが、リリーナの魔力は回収させてもらう)
アルヴァートは小さく呟いて、光の楔を八方に打ち込み、編み目のように張り巡らせた。
封印は得意だ。どういう経緯で手に入れたのかは調べる必要があるが、許可なく勝手に使用することは許さない。
抵抗するように青白い光が強くなるが、片っ端から氷の楔を打ち込み、包囲する。
動揺させるためか、ぼんやりとしていた人の形が整い始めたのを見て、アルヴァートは睨みつけると、海面からもぎ取るように切り離し、小箱のように小さく固めた。そのまま、握り潰そうかと思ったが、思い直し、ポーチの収納袋に放り込んだ。
(本体が来るか、また複製体が来るか)
静かになった海面に、再び灯籠のように等間隔に青い炎のような光が並ぶ。
今度は一度に6体現れ、叫び声を上げるものと攻撃をするものとに分かれた。
「何体、現れようと同じだ。目的は何だ?」
重なる攻撃をかわし、両手を広げて、先程と同じように空間ごと封じたアルヴァートは、暗闇を見つめて、静かに尋ねた。
自分を苛立たせるのが目的なら、もう充分だろう。腹立たしさを超えて、逆に頭が冷えていく。握り締めた手から、赤黒い粉が溢れ落ちた。冷たくも温かくもない気味の悪い感触に、吐き気がした。
気持ちを落ち着かせようと一呼吸ついた時、海の底で何かが動く気配を捉えた。
アルヴァートが冷えた視線を向けると、一点から海面が凍り始めた。追従するように術を発動すれば、氷柱が立ち上がり、まるで道標のように南の方へと伸びて行った。
(逃げたか)
目的はわからず、無駄に時間をとられた事に怒りが込み上げた。
「見覚えのある光景だなー」
どこか懐かしむように呟く声を聞いたアルヴァートが振り返ると、操縦室の扉から顔を出したシグルが困ったように頭をかいていた。
「誘いにのるか、予定地の港ヘ向うか、うーん」
「……どちらでも構いません。何かあれば連絡を下さい」
立ち込めていた靄がはれ、夜空に星の輝きが戻ってきたことを確認し、アルヴァートは光とともに姿を消した。
これ以上ここに留まると、何をするかわからない恐ろしさを自分でも感じた。
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