67.船旅
波が穏やかだったのは最初の2日間だけだった。
特に荒れることなく順調だな、とシグルは安心したが、その気持ちを裏切るように、目印としている大岩を確認した辺りから、雲行きが怪しくなった。
波が高くなり、強い風が吹き始める。海の底から影が近付き、海竜が飛び上がった。
「なかなかの揺れですねぇ」
客室として用意された船室で、ブルナ氏が自分で入れた紅茶を優雅に飲んだ。こぼさないところがどうなっているのか不思議ではあるが、恐怖で頭を抱えたラミネは、くつろぐ姿を涙目で見つめた。
甲板では慌ただしく怒声が響き、海獣の唸り声と爆発音がする。その度に、船が大きく揺れ、強い振動に生きた心地がしない。
「大丈夫か!?」
波を被り、ずぶ濡れ状態のシグルが心配して客室に現れた。くつろいでいるブルナ氏と、恐怖で震えているラミネを見比べて、何とも言えない表情をした。
開け放たれた扉から、とてつもない爆撃音と、海獣の断末魔が聞こえた。ラミネが小さく悲鳴を上げる。酔っている暇もなかった。
「すまん」
シグルは慌てて客室に入ると、扉を閉めた。
「随分、寝ぼけてる海獣が多くてな、騎士団長様が暴れているところだ。船より大きいのは厄介だから、道を空けてもらっている。そのうち抜けるから、もうしばらくの我慢だ。なんなら見るか?音だけ届くから恐怖が募るのだろう。言っておくが、海獣より恐ろしいのは、銀髪の騎士団長様の方だからな」
ラミネは目を瞬く。銀髪のアルヴァートが戦っている姿を遠目に見たことはある。久し振りに会った姿も、どこか苦しそうな表情で悲しそうな印象しかない。暴れているというか、海獣より恐ろしいとはどういうことか。ぽかんとするラミネを見て、シグルがため息をついた。
「荒れているのは海より騎士団長様の方だ。いいから来いッ!!」
「ええーッ!?」
シグルにがしりと腕をつかまれ、引きずられるようにラミネは連れていかれる。
「後学のために見ておいで」
ラミネは助けを求めたが、またしてもブルナ氏から綺麗な微笑みを向けられ、優しい瞳と言葉で見送られた。
「恐怖もなくなるでしょう」
扉が閉まる時にそう聞こえたが、そんなことはないと思う。
甲板ではなく、操縦室に連れていかれたラミネは、船の進行方向で海が盛り上がり、現れた海獣の大きさに悲鳴を上げた。
しかし、次の瞬間、無数の稲妻が走り、波間に消えてしまう。続けてアルヴァートが剣をなぎ払えば、取り囲んでいた小型の海竜が姿を消した。
「……え?」
次々と頭を出すが、瞬きをする間に消え去り、ラミネは驚く。ゆらりとアルヴァートの姿が青く光るのを見て、隣に立っていたシグルが慌てた。
「まずいッ!!転覆しないように気をつけろ」
舵をとる船員に声を上げ、甲板にいる船員に退避を命ずる。
「間に合うない者はどこかにつかまれッ!!」
さすがに我慢の限界か、と呟き、庇うようにシグルがラミネの頭をおさえて、片膝をついた。
目を閉じていても閃光が届き、耳を覆いたくなるような音が響き渡った後、強烈な冷気に包まれた。
「寒ッ……やり過ぎだろ」
恐る恐る立ち上がって海面を見れば、一面、海が凍っている。凍らせてどう進むつもりだ、とため息をついた時、氷の表面に炎が走り、一気に爆撃した。
「やっぱりかー」
大爆発により、一段と船が揺れた。その後、急に海面は静かになったが、強い雨が降りそそいだ。アルヴァートが大剣をおさめたところをみると、一区切りついたのだろう。おもむろに足元に魔法陣の光が見え、転移魔法で姿が消えた。
「時間か……?」
ぐったりと椅子によりかかって、シグルは操縦室の時計を見上げた。アルヴァートは定刻になると、リリーナの元へ戻る。仕事はきっちり済ませていくので、おそらく、しばらくは船の安全は守られているのだろう。
「後、目的地までどれくらいなのでしょうか」
涙目のまま、ラミネが立ち上がり、シグルに問いかけた。
「今夜の内に、拠点とする島に着くぞ。騎士団長様が戻るまでは安全だから、それまで休むと良い。毎度、無茶苦茶だ。ラミネは瞳が潤んで愛らしいと言われる副団長様が戦っている姿を見たことがあるのか?あの規模で愛らしいのだから、まあ当然なんだろうな」
「モルドナー公爵領で、お二人が一緒に戦う姿を遠目から拝見しました。速すぎてよく解りませんが、雪が降りました」
「それは怖い目にあったなー」
同情されるように頭を撫でられ、ラミネは子供扱いされていることを感じながらも、諦めた。
「さて、もうひと頑張りするか」
大きく伸びをした後、肩を回したシグルに頭を下げて、ラミネは操縦室を後にした。
***
その後、何事もなく、船は進んだ。拠点としてしばらく滞在する島の明かりが、ぼんやりと見えて来る。
食後に甲板に出て、ラミネが夜空を見上げると、月はまだ半分程しか満ちていなかった。目的地の無人島は月が満ちる前後3日しか上陸できないとされている。それを待っている間に、強い執着を見せていた皇女殿下が追いかけてくるのではないか、とふと心配になった。
不意に甲板の一点に光が満ち、アルヴァートが戻ってきた。大剣を携えたままの姿で、着地の際に、銀髪の髪が揺れる。
「アルヴァート様……?」
ラミネが声をかけると、藍色の瞳が向けられた。様子がおかしい。夜に戻ってくるのは珍しく、何かあったのだろうかと不思議に思う。
「ラミネか。お前の力を借りたい」
「ええーッ!?」
いきなり腕をつかまれ、ラミネはまたしても強制的に連行された。
潮の香が花の香りに代わり、景色が夜の暗闇から、少しだけ明かりが落とされた室内に変わった。
目が馴れてくると、天蓋付きのベッドが目に入った。そこに眠っているリリーナが肌色も良く、麗しい姿にホッとするものの、特別な部屋に連れてこられてしまったラミネは恥ずかしくなった。ここはいわゆる夫婦の寝室というところではないか、と。
「これはどういう状況だ?何故、反応がない?」
そんなラミネの恥らいには気付かず、アルヴァートはリリーナの足元に丸くうずくまる白い塊を指した。
うさぎの姿を保ったまま、半目を開けたトォーリィがじっとしている。
力を借りたいと言った理由を理解し、ラミネは久し振りに会うトォーリィの姿を見つめた。何とかうさぎになれたようで嬉しかった。
「これは……寝ています」
口にすることが申し訳なく思えたが、ラミネは正確に伝えた。
「寝ている?」
「はい、半目を開けたまま寝るのは野生のうさぎの特性です。警戒心が強いですから、いつでも逃げられるようにしています。ただ、トォーリィは基本的に昼行性で、姿保持も兼ねて頑張っていたようですが、疲れて完全に寝入っています」
それを聞いて、アルヴァートが安心したように息をはいた。
「逃げもせず、全く反応がなくて、心配したのだが、ただ寝ているだけなら良かった」
「正確には、何やら食いしん坊な夢を見ています」
「そうか」
いつも固い表情のアルヴァートが笑うのを見て、昼間見た時と全く違う姿に、ラミネは驚いた。そういえば、とラミネは持ち歩いていた木の実をトォーリィの前に置いた。鼻がピクピクと動いたが、目を覚ます様子はなかった。
「半目を開けている意味がありませんね」
「構わない」
優しい表情でしばらく見つめた後、アルヴァートはすまなかったな、とラミネに頭を下げた。ラミネは慌てて首を左右に降った。
「黙って連れてきてしまったから、今頃、探しているかもしれない。戻ろう」
「お願いします」
ラミネが頭を下げると、また足元が輝いて光に包まれた。




