65.連鎖
ノーザン・イレグニス辺境伯領は、今日も粉雪がちらついている。イレグニス山脈に降り積もる雪が、風に乗って街まで運ばれてくるのだろう。日差しを浴びてキラキラと輝き、積もった雪の上に舞い降りた。
「……これは何事ですかな、大公殿下」
本邸の執務室の窓が揺れ、突然、客人が現れた。不機嫌な様子で立つローレン大公殿下に、ベルナルド辺境伯は書類から顔を上げると、驚きもせず、羽根ペンを置いた。
「恐れながら、花見にしては早すぎますぞ。まだ湖面も凍っておりますが」
「わしが季節を間違えるとでも思うたか、馬鹿者。全く、息子がお前に似なくて良かったと思うぞ。きちんと礼節をわきまえておる」
「よく似た親子だと言われておりますが……?ところで殿下は、相変わらず、扉というのものをご利用になりませんな」
ベルナルド辺境伯は立ち上がると、ローレン大公殿下を執務室にあるソファーヘ案内した。
「忍んで来るのだから、当たり前であろう」
公にされていないが、毎年、決まった時期にローレン大公殿下は本邸に現れる。その事を知る者は当主に限られているが、最近、連絡もなしにいきなり現れる事が続いた。当初は慌てたものだが、こう何度も続くと、不思議なことに驚きもしなくなった。今日来た理由は大体の予想がついている。ベルナルド辺境伯は執事に指示を与えると、向かいのソファーに腰をおろした。
「我が息子を向かわせましたが、何かお気に障る事でもございましたか」
「魔力の一部を譲渡し、調整した。ゆえに、まるごと養子に迎えても良いぞ」
「まるごと、とは、またおかしなことを。まだ諦めていらっしゃらないのですか……」
「デイン家には次期当主がおるのだから、良いではないか」
「後ろ盾は大変有り難く思いますが、ご辞退申し上げます。当家は無用の争いは好みません」
無言で睨みあう二人の前に、静かに紅茶が置かれた。
「冷めない内に、どうぞ」
ベルナルド辺境伯はローレン大公殿下に紅茶をすすめ、今日は冷えますから、と冷気を強めた瞳で微笑んだ。
「本題に入ろう。書き換えておいたが、金糸は炎で燃やしたほうが良いな。下手に触ると勘づかれ、事態をややこしくさせると判断した。炎について、既に見当がついているらしく、お前の息子を向かわせたぞ」
「お力添えくださり、心より感謝を申し上げます」
「海が荒れねば良いがな。愛娘を船旅に連れていくことは勧めない。どう判断するかは解らんが、身柄はいつでも引き受けると申し伝えておく。待っておるぞ」
老い先短いわしの楽しみを奪ってくれるな、と言うローレン大公殿下の瞳には、負けずと圧力を強めた光が浮かんでいた。
「短いという意味が解りませんな」
ベルナルド辺境伯が紅茶に手を伸ばし、僅かに口元を緩めた。
***
一方、皇都では慌ただしく、準備が進められていた。
皇都研究機関では会議が開かれ、ブルナ氏が不在の間の対応について、研究者達に指示が与えられた。今日の夕刻に出発するというシグルの予定に間に合うように、ラミネが荷造りを進める。
「これも持っていかないと……」
シグルからもらった木の実を瓶に詰め始めた時、離れた場所にある温室にまで伝わるほど、急に外が騒がしくなった。無数の足音と、何か言い争うような男女の声が近付いてくる。
「お連れすることは出来ません」
ブルナ氏の慌てる声が耳に届き、ラミネは驚いて時計を見た。予定では、まだ会議中のはずだ。会議を抜けてまで応対しなければならない客人が現れたということなのか。
「どうして?何を隠しているの?」
女性の甲高い声が響き、温室のドアが開く音がした。ぞわりと背筋が寒くなり、気味が悪くなったラミネは咄嗟に柱の影に隠れた。見える範囲で周囲を確認する。研究用に使っていたボードは片付けてある。見られて不自然に思われるものはない。
「ここにあの女がいると聞いたわ。あなたの助手は何処へ消えたの?アルと一緒に行くのでしょう?」
「いいえ、皇女殿下。彼女は今、西のモルドナー公爵領へ調査に行っております。私がこれからデイン騎士団長と一緒に向かうのは、南方のオロラム公爵領内にある孤島です」
(皇女殿下……?)
ラミネがそっと覗くと、黒髪を結い上げ、色の濃いドレスに身を包む女性の後ろ姿が見えた。ひどく気分を害しているからだと思うが、余裕のなさそうな声はきつく、ちらりと見えた横顔も険しかった。もっと柔らかい姿を想像していたラミネは驚き、抱えていたままの瓶に視線を戻すと、息をひそめた。
「私も行くわ。アルが一緒なら問題ないでしょ?」
「向かう先は無人の整備されていない島です。潮の流れもはやく、海竜も多く出るため、デイン騎士団長にご協力をお願いしました。そのような場所にお連れすることは出来ません」
「また待っているのは嫌よ。いいわ、アルにお願いするから。アルは何処にいるのよ?」
「昨夜の内に出発しております。そうお聞きになったから、こちらに確認にいらっしゃたのではないのですか」
微妙に会話がかみ合わないことに、ブルナ氏が小さくため息をついた。
「視察に行くのではございません。ご理解いただけないでしょうか。……皇女殿下、ダリウス様がお見えです。お迎えが到着しましたよ」
温室に数名の護衛騎士が駆け付け、遅れて身形が立派な青年が現れた。
「皇女殿下、父に代わり、お迎えにあがりました。宮殿にお戻りください」
返事をせず、きつい眼差しで見上げる皇女殿下にダリウスが柔らかい微笑みを向けた。
「ご希望がお有りなら、陛下に直接お話しになってはいかがでしょうか」
しばらく沈黙が続いたが、そうね、と呟いて、皇女殿下は差し出された手を取った。来た時と同じように、慌ただしく去っていく。
「少々、厄介な事になりましたね……」
温室のドアが閉まる音がして、見送っていたブルナ氏が下げていた頭を上げて呟いた。柱の影に隠れていたラミネも、恐る恐る様子を伺い、元いた場所に戻った。
「申し訳ございません。驚いて、隠れてしまいました……」
「いいのですよ。あれがまさしく、突撃というものなのでしょう。随分お怒りで、ご自身を見失っておられましたが、落ち着かれたからといって、あまり変わるように思えません。ダリウス様がどこまで引き留めてくださるか……」
ブルナ氏が考え込むように口を閉じたが、直ぐに顔を上げると、小さくうなだれていたラミネに声をかけた。
「ラミネ、早々に出立しましょう。準備はどこまで進みましたか」
「はい、荷物はこの瓶を入れて完了します」
「では、先にシグル様の滞在先に立ち寄り、状況を説明してください。私は一度、会議室に戻りますが、私たちだけでも先に出ましょう」
「わかりました」
ラミネは急いで瓶の蓋を閉め、荷物に放り込んだ。外套を羽織り、いつも背負っている本の留め具を締めると、温室を後にした。準備をしていた馬に荷物を追加で括り付け、連れていく。すぐそこの距離ではあるが、馬を走らせた。
「皇女殿下が、何だと……!?」
約束していた時間より早くに来たラミネに驚きつつも、シグルは対応してくれた。しかし、話を聞くなり、どんどん機嫌が悪くなり、ついに机を叩いた。まさかと思うが、髪が乱れているので、寝起きだろうか。
「……申し訳ありません」
条件反射的に、ラミネは小さく謝った。




