63.薄氷
アルヴァート視点です。
あのね、夢を見たの。
とっても、とっても怖い夢。
どこか暗い洞窟の中で、不思議な色をした石が宝石のようにピカピカと輝いたの。
少し明るくなったけれど、何かが近付く音がして、ズルリ、ズルリと音がするのよ。
お話していたら、思い出して、急に怖くなっちゃった。
小さな手が袖口をキュッと掴む。澄んだ瞳がゆるりと潤み、唇がきつく結ばれた。
おいで、と両手を広げれば、プラチナブロンドをゆるく巻いた髪が揺れ、ポスリと胸に飛び込んできた。
ふわりと花のような甘い香りがする。
「ねぇ、アル。とっても怖いわ。夢の中でも守ってくれる?」
「もちろんだよ」
リリィの小さな頭を優しくなでて、小刻みに震える体が落ち着くまで、包み込んだ。
「今度はいつ会えるの?」
「次のお休みになるから、また3ヶ月後くらいかな」
背に回された小さな手が少しだけ強まって、可愛いらしく、額が擦り寄せられた。リリィの髪に結ばれたリボンが揺れるのを見て、次は何を贈ろうかと考える。
「私も12歳になったら、皇都の学校に行きたいわ。そうしたら、アルと毎日、会える?怖い夢を見た時、一緒にいてくれる?こうして抱き締めてくれる?」
可愛いらしい事を言う僕のお姫様。大切な僕の婚約者。まだまだ10歳の子供で、もしかすると、自分のことを兄のように慕ってくれているだけなのかもしれないけれど、こうして甘えてくれるのは嬉しい。
「そうだね。僕の可愛いお姫様が、他の誰かの瞳に映るのは嫌だけれど、一緒に過ごせる時間が増えるのは嬉しいな」
リリィが12歳になって、皇都の学校に通うのであれば、自分も今いる寄宿舎から出て、同じ屋敷から通えばいい。彼女が学校を卒業する頃には、自分も成人して、騎士団に所属しているだろうから、きちんと式を挙げられる。迎え入れる時、彼女に相応しく守れる存在でありたい。
「あと2年……?長いわ。早く大きくなりたいわ。大きくなったら、お嫁さんにしてね、アル。大好きよ」
顔を上げて、ふわりと微笑むリリィに、胸が痛んだ。
理由も解らず、込み上げるように、涙が溢れた。
「どうしたの、アル?」
つられて涙を浮かべるリリィを抱き締めて、腕の中の小さな温もりを忘れないように、心に刻んだ。
そんな日は永遠に来なかった。この日を最後に、彼女とは会えなくなってしまったのだから。
意識が浮上していくのが解る。
これは夢だ。思い出とも言える夢。リリィに買ってあげた時に、おいしいから食べて、と口に入れられ、ほろりと溶けた甘い砂糖菓子のよう――。
***
アルヴァートを目を開けると、大きく息を吐いて、うなだれた。
いつの間に眠ってしまったのだろう。眠ることなど、ほとんどなかったはずなのに、今日は珍しく夢まで見てしまったようだ。
(改変された世界で過ごした思い出は、作られた記憶なのだろうか……)
2つの時間があり、よくわからなくなってしまう。
ゼノルティの影響を受けたこの世界の自分には、幼い頃からリリーナを婚約者とし、大切にしていた記憶がある。10歳で亡くなったリリィは確かに存在していて、共に過ごしていた時間があった。
アルヴァートは顔を上げると、リリーナの綺麗な横顔を見つめた。
ローレン大公領にあるデイン家の別邸へ、昨夜のうちに転移ゲートを使い、リリーナを運んできた。転移魔法は着地点を設定しないと、危なくて使えないため、かつてのように、ここから一度、馬で移動することになる。ローレン大公邸であるリュド・ヴァレン城に設定し、この部屋を往復するぐらいなら、大剣を所持しなくても大丈夫だろう。その間、リリーナを屋敷に残して行くことは心配だが、トォーリィが一緒に付いてきている気配があった。
何かあったら嫌でも知らせてくるはずだ。トォーリィが突然いなくなって、世話係の少年は驚くだろうな、と気の毒に思った。
「リリィ、行ってくる」
ベッドサイドの椅子から立ち上がり、アルヴァートはリリーナの髪に触れ、屋敷のどこかにいるトォーリィに、頼むぞ、と小さく声をかけた。
***
ベルナルド辺境伯が呟いた通り、ローレン大公殿下は、かなりお怒りの様子であった。人払いをされ、謁見の間に1人残されたアルヴァートは、片膝を付いて顔を伏せる。
「なにゆえ、直ぐに来なかったのか」
告げられる言葉に、周囲の空気が揺れる。微かに感じる肌の痛みから、アルヴァートは刺すような強い眼差しで見下ろされていることを感じた。
「……申し訳ございません」
「誓約はすでに発動しておる。カルバイン嬢が窮地に陥った時、念の為、譲渡しておいたわしの魔力が開花したようだが、それにより、いろいろと絡みあってしまったことは、素直に詫びよう」
何の説明をせずとも事情を知っているのは、皇族だからなのか、とアルヴァートは訝しんだ。それとも先代の蒼華姫との交流があったからなのか。
(譲渡……?)
気にかかる点があったが、アルヴァートに発言を許すこともせず、ローレン大公殿下は言葉を続けた。
「生家を失ったカルバイン嬢を養女として迎え入れることも考えたのだ。待っている間にデイン家に先手を打たれてしまったがな。強行に身柄を確保すべきであったと、悔やんでいる」
「……申し訳ございません」
シレッと、とんでもないことをローレン大公殿下が口にするが、謝罪の言葉で返すことしか出来ず、アルヴァートは目を伏せた。リリーナが大公殿下の養女になってしまったら、身分差があり過ぎて全く近付けないどころか、騒動が起きるところだった。
「皇族の魔力の介入があるそうだな。利用されるとは何とも嘆かわしいことだ。皇族の魔力は皇族でしか書き換えられず、わしの前では小娘など取るに足らないが……?」
アルヴァートの言葉を待つように、ローレン大公殿下は口を閉じた。
「恐れながら、お力添えいただきたく存じます」
「デイン騎士団長」
「ハッ」
「今からでも遅くはない。カルバイン嬢の身柄を引き受けたい」
その申し出に、アルヴァートの動きが止まった。抑えきれない感情が込み上げ、音をたてて部屋が凍りつく。大公殿下の御前で制御ができないことに焦りを感じながら、何とか息を吐いて、口を開いた。
「それが条件であると仰せでしょうか。持ち帰り、当主に報告した上で……」
「冗談だ」
(……ッ!?)
アルヴァートは混乱した。ローレン大公殿下は冗談を言う方ではなかったはずだ。冷や汗がたれる。未だに魔力の制御ができない。もはや、不敬罪で拘束されることは確実だと思えた。
「面をあげよ」
人を呼ばれるのかと覚悟を決めたアルヴァートに、ローレン大公殿下が声をかけた。恐る恐る顔を上げると、不満そうな表情で見下ろされていた。
「魔力の大半が別にあるため、その程度になってしまうのか。面白くない」
ローレン大公殿下がおもむろに立ち上がり、アルヴァートに近付いた。見上げるアルヴァートの額に片手を伸ばし、藍色の瞳を覗き込む。何か流れ込むものがあり、制御出来ない魔力が更に暴走した。謁見の間に氷塊が渦巻き、床に走り、冗談ではすまされない規模に拡大し、アルヴァートは顔を歪めた。
「最低限これぐらいはないとな、ふむ」
ローレン大公殿下が手を離すと、ぴたりと暴走が止まった。凍りついた謁見の間も、何もなかったように元に戻る。
「混乱させたことは詫びよう。わしも老い先が短いから許せ。調整をかけさせてもらった。それで、カルバイン嬢は何処におる?」
案内せよ、と金色の瞳が細まった。




