62.魔石
しばらく沈黙が続く。
普段あまり表情を変えないベルナルド辺境伯の眉間に皺が寄っているところを見ると、事態がかなり深刻であることが伺い知れた。
「……質問よろしいでしょうか?」
ブルナ氏の静かな声が室内に響いた。
「なんだ?」
「この文字は水に入れると変容する部分がございます。書き写した文字を書類に記してまいりました。ご提示いたしますので、正しく、意味をご教授いただけるでしょうか?」
「いいだろう」
ベルナルド辺境伯は深いため息をつく。ちらりと執事長に視線を向け、お前はどうみる、と短く尋ねた。
「すぐに本邸にいる姉に連絡を入れる必要がございます。レーヴ様のお言葉通りでございます」
執事長は頭を下げると、応接室から退出した。夜明けを待たず、すぐに動かなければならないほどの事態なのだろう。扉の側に避難していたシグルは、一瞬、一緒に外に出る考えが頭を過ぎったが、思いなおし、頭痛と吐き気に耐えることにした。
「まさか、これを目にする日が来るとはな……。しかも、これは金糸が混じっている」
ベルナルド辺境伯が示す文字には、絡みつくように、金色の細い筋がみえた。
「ええ、明かりがある場所では見えにくいため、落としていただきました。つい先日、夕暮れに発見したところです。お気付きくださり、安堵しました」
「……閉まってくれ。この屋敷には我が娘がいる。影響を与えたくない」
「わかりました」
ベルナルド辺境伯はもう一度背もたれに身を預けると、指を組んで目を閉じた。ブルナ氏は魔石を保管ケースに閉まい、再度、厳重に留め具をかける。部屋に戻ってきた執事長が明かりをつけ、シグルが席に戻っても、誰も口を開く者はいなかった。ブルナ氏が書類を用意する音だけが響いた。
「こちらです」
ブルナ氏から書類を受け取ったベルナルド辺境伯は、黙って目を通した後、それを隣のアルヴァートに渡した。
執事長が冷めた紅茶を入れ直し、それぞれの席に配膳していく。
「鎖は一度壊れ、結び直されたようだな。新たな魔力を得て、さらに強固に。これを解きほぐす鍵が、アイシャの炎にあると考えているのか」
「はい」
強い眼差しで問いかけるベルナルド辺境伯に、ブルナ氏は短いがはっきりと答えた。心臓を鷲掴みにされているような気分のシグルは、席に戻らなければ良かったと後悔する。
「文字についてだが、あれは文章ではない。読めずとも、心に感じるそのままの意味だ。我が一族に対する怨念、引き離されている事に対する怨嗟の声といったところか」
ベルナルド辺境伯の回答を、ブルナ氏は手元に用意した書類に書き込んだ。
「変容している文字は炎を意味する。水に沈めると浮かび上がるあたり、あなた方が推測している封じについて、間違いはないだろう」
「なるほど、ご教授いただきありがとうございます」
ブルナ氏が走らせる羽根ペンの動きを見ながら、ベルナルド辺境伯は大きく息を吐いた。
「我が一族はもう何百年もゼノルティと対峙している。あやつが改変する世界にいちいち付き合っていられないため、影響を回避するため、その魔力を取り込んで継承してきた。この髪色と目の色がそうだ。我が息子は、愛する者を守るために体を放棄したため、大きく影響を受けてしまったが、それでもなぜ、我が娘がそのまま影響を受けずに存在していたのか不可解な部分があったのだ。あやつの一部である核を所持していたからこそ、なのだろう」
「フラム様は、自分の墓石の前で目覚めたと以前、お話ししてくださいました。確か、墓石に刻まれた命日だったそうです」
書類に目を通していたアルヴァートが、急に顔を上げて、ブルナ氏を見た。毎年、訪れていた命日に、アルヴァートは初めて行くことができなかった。あの日、いつものように訪れていれば、出会い方も違っていたのだろう。偽ることなく、過ごせる時間があったのだ。
「亡き者に出来ず、接点として、その地で目覚めたのだろう。よくぞ、その場所から、皇都ヘ戻ったものだ」
「フラム様が皇都に戻った理由は責任感もあるようですが、デイン騎士団長、あなたの無事を確認したかったようです。運良く、動植物園でお会いすることになり、結果として引き留める事が出来ましたが、あの方がどこを目指し、どこへ行こうとしていたのかは解りません。温室にある泉の前に立ち、水面に映る景色を見つめている姿を、よくお見かけしました」
アルヴァートは書類を揃えて横に置くと、執事長が入れてくれた紅茶に手を伸ばした。
澄んだ琥珀色の水面に、室内の明かりが映り込む。リリーナは水鏡に映る世界を、どんな思いで見つめ続けたのだろう。
「あやつの望みは解放だ。絶望に染めた魂を喰らう機会を狙っている。その体から1つ核を失ったことにより、改変に歪みが生じ、焦りが出ているようだが……。先程の魔石の鎖を解き、破壊したところで、呪咀が解かれるとは限らん。このまま我が娘の魂を封じ――」
ガシャリと茶器が割れる音がして、アルヴァートの震える手から、破片と液体が溢れ落ちた。表情と顔色をなくしたまま、影が濃くなる姿を見て、ベルナルド辺境伯は目を伏せた。
「当主として、判断を誤るわけにはいかない」
「解っております」
とても静かだが、冷えた声に、シグルは見ていられず、顔を歪めると視線をそらした。
「アルヴァート」
「はい」
名前を口にするベルナルド辺境伯に、アルヴァートは目を伏せたまま答える。
当主の命令は絶対だ。封印を解けば、呪咀に組み込まれた通り、リリーナの魂はゼノルティに取り込まれてしまう。このまま、リリーナの魂を封印したまま一族が継承していくのであれば、アルヴァートは従うしかない。皇女殿下を絶望させないために、演じ続けることを求められるのであれば、自身の感情を殺せばいいだけのこと。解っていながら、ゼノルティの望み通りに動く必要はないのだ。
「当主の名において命ずる」
アルヴァートは唇を噛み締めた。
続く言葉を聞きたくなくて、たまらず立ち上がろうとしたシグルを、ブルナ氏が手を伸ばして、制した。シグルは泣きそうな顔でブルナ氏を見るが、強い目で黙って首を左右にふった。何もするな、ということだ。
他家が口を挟むことではない。助けたいという思いでここに来た。まるで違う方向へ話が進んでしまっていることにいたたまれず、シグルは、膝の上で手を強く握り締めた。
ひと呼吸おいて、ベルナルド辺境伯が口を開く。
「明朝、ローレン大公領へ向かい、大公殿下に謁見を求めよ」
想定外の言葉に、アルヴァートの手が緩み、砕けた茶器がテーブルに落ちて、音を立てた。
アルヴァート様、と小さく声を掛けて、執事長が片付けに入る。どういうことなのかと、ブルナ氏もシグルも驚いて、ベルナルド辺境伯を見上げた。
「今のお前なら、意味は解るな?」
ベルナルド辺境伯は強い眼差しでアルヴァートの目を見て告げたあと、殿下はかなりお怒りだ、と小さく呟いた。




