60.静寂
ゆるりと空間が揺れる。
明かりが落とされた部屋の床に淡い光が浮かび上がって、鎧姿のアルヴァートが現れた。
着地した際に、僅かに擦れた金属音がしたが、それ以外の音は、床に敷かれた絨毯が吸い取ってしまったかのように、しんと静まりかえっている。
アルヴァートの藍色の瞳が、帳の降りたベッドに向けられ、苦しげに伏せられた。引き結んだ唇と同じように強く手を握り締め、ゆっくりと歩を進める。
部屋に差し込む僅かな月明かりが、リリーナの姿を淡く照らしていた。大剣を抱えて胸の前で指を組み、澄んだ緑色の瞼は閉じられ、長い睫毛が顔に影を落としている。
「リリィ……」
名前を呼び、彼女が胸に抱く大剣に左手で触れたアルヴァートの髪色が、月の光が満ちるように鈍い黒から銀色ヘと変わった。右手でリリーナの頬に手を伸ばし、愛おしそうに触れる。
その肌は変わらず滑らかではあるが、まるで陶器のようにひんやりと冷たい。想いを込めてそっと重ねた唇も、同じように熱を持たず、彼の名前を呼ぶことはない。
ベッドサイドの椅子に腰をおろし、リリーナの手を包むように触れたまま、アルヴァートは黙って、彼女の顔を見つめ続けた。
何も望めないことは解っている。指先も冷たく、呼吸をしていないリリーナの体は微動だにしない。彼女は眠り続けているのではなく、術により、魂を守るために封印されているからだ。
けれども、アルヴァートは毎晩こうして訪れ、時間が許す限り、リリーナの側にいる。解っているのに、彼女の睫毛が震え、閉じられた瞳が開くことを待ち望んでしまう。
「封印は、かけられた呪咀を取り除かない限り、解くことは出来ません」
執事長がアルヴァートに告げた言葉だ。
リリーナが呼吸を止めた日、自分の腕の中でゆっくりと冷たくなっていく体を、アルヴァートは耐え難い胸の痛みを抱えて、いつまでも温め続けた。
どうして何度も失わなければならないのか。
結局、いつも間に合わない自分の不甲斐なさに嫌気がさす。救えないことに絶望を感じた時、彼女の胸元に青い光が浮かび、同じ契約印で繋がるトォーリィがその魂を引き留めていることに気が付いた。互いが持つベレンの実の魔力を通して、ほとんど残っていない魔力を共有している状態で、ホッと安心するも、どちらも非常に危うく、時間に猶予がなかった。
アルヴァートは、かつて、お守りだと術をかけた執事長のことを思い出し、荷物や馬を預け、どうしても連れていって欲しいと願う少年を連れて、皇都の屋敷へすぐに戻った。リリーナの元ヘ向かう時に転移石を準備してきてはいたが、転移魔法を使えるぐらいには、魔力が戻ってきていた。リリーナが呪咀を跳ね返せなかった原因は、魔力の大量消費で弱っていたこともあるが、タイミング悪く、大剣を持たず、アルヴァートに魔力を戻してしまったことなど、いろいろな事が重なってしまった結果だと知らされた。
「リリィ、お前に謝りたいこと、話したいことがたくさんある」
封印されているリリーナに話しかけても、全く意味がないことぐらい、アルヴァートにも解っている。それでも、声をかけずにはいられない。
「痕跡は見つけた。呪咀に使われた媒体も、おそらく間違いない……」
アルヴァートは皇都に戻り、皇女殿下の側で慎重に調べを続けている。大剣はリリーナの守り刀として彼女の傍らに残し、代わりに、リリーナがいつも携えていた剣を一緒に持ち歩いている。
今なら、何故、リリーナが何処へ行くにも大剣を背負っていたのか、眠る時も抱き締めていたのか、その気持ちがよく解る。剣を通して伝わる持ち主の魔力が、温もりを感じることは出来ずとも、とても愛おしい。同時に、彼女に辛い思いをさせていた事を知り、この痛みによく耐えていたものだと、アルヴァートは唇を噛み締めた。
アルヴァートはリリーナの髪に触れ、緩やかに滑らせて、一房、すくいとった。プラチナブロンドの髪に唇を寄せ、閉じられたままの瞼に視線を向けた。
「リリィ、俺はうまく偽れているだろうか」
アルヴァートは、恋人のように振る舞おうとする皇女殿下に、怪しまれないように注意して接している。リリーナを助けるために重要なことだ。決して愛を告げることはしないが、心にもない言葉を贈り、その結果、何とか皇女殿下を油断させていることには成功していると思う。
しかし、皇女殿下の指先に触れた時、その影に潜むものの存在に気が付いて、一度だけ、強烈な殺意を向けてしまった。警戒したのか、あれから影は尻尾を出さない。
「リリィ」
もう一度、愛おしい名前を呼ぶ。この美しい髪に、また自分が贈った花を飾ってくれる日は来るのだろうかと、アルヴァートは弱気になって、大きくため息をついた。サイドテーブルに置かれた髪留めに視線を向けた時、咲き誇る青い花の横に、見慣れない木の実が置かれていることに気が付いた。供えるように、3つ、控えめに置かれている。
「……ランカの実?」
1つ手に取ってよく見てみれば、記憶にある貴重な果実の種であることが解った。室内にトォーリィの姿は見えないが、どこかでもらい、リリーナにあげようと置いたものだろう。
「誰が、この実をトォーリィに……?」
トォーリィは相変わらず、アルヴァートの前に姿をみせない。リリーナの側によくいるようだが、世話は言葉が通じる少年に頼んでいる。そもそもアルヴァートは寄宿舎にすら戻れない生活を強いられており、外部や屋敷の情報が入ってこない。隙を見つけて転移魔法で会いに来ているが、いつも深夜と言えるほど遅く、この時間に誰かと会うこともままならない。
「トォーリィもどうしているのだろう。少しは元気になったのだろうか……」
思い出さないほうが傷付かなくて良いはずなのに、かつての姿を懐かしみ、アルヴァートはそっとランカの実を元に戻した。
扉が軽く叩かれる音がして、アルヴァートは驚いて息をのんだ。どこから入ろうと、屋敷において、この部屋に自分がいることを知っている人物は1人しか思い当たらない。
アルヴァートが椅子から立ち上がり、僅かに扉を開けば、思った通り、執事長がうやうやしく頭を下げていた。
「お帰りなさいませ、アルヴァート様」
「ああ……」
短く返事を返し、訝しげな視線を向けたアルヴァートに、顔を上げた執事長は静かに口を開いた。
「リリーナ様の事で、お話をしたいことがございます。旦那様がお呼びです。お時間をいただけますか」
「父上が……?」
こんな時間に何事だろうと不思議に思うが、リリーナが関わる事なら、何時だろうと時間など関係ないことも事実だ。
「わかった」
一度、室内を振り返ってから、アルヴァートは蒼の間の扉を閉め、廊下へと出た。大剣から離れたため、彼の髪色は銀から鈍い黒へと戻ったが、藍色の瞳は暗い色へとは変わらず、金色の光を浮かべていた。
書き始めて3ヶ月が経ちました。
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