57.満願
皇女殿下視点です。
君はどうしたい、と尋ねられたあの夜、
「私の欲しいものは変わらないわ」
望みをそのまま伝えれば、自分と同じ姿をした者は言った。優しい声で、とても愛おしそうに。
「次はうまくいく。要領はわかったでしょ。さあ、その鉢植えを拾って。なおしてあげる」
砕けた鉢植えに手を伸ばせば、鋭い破片で指を傷つけた。ぽたりと血が流れ、土に染み込む。
「君は本当によくわかっている。欲望に純粋で、そして、とても……」
その後の言葉を飲み込んで、影から生まれた者はにたりと笑った。ゆっくりと両手を伸ばし、自分の瞳を覗き込む。
赤い点滅を繰り返すその瞳は気味が悪いはずなのに、視線を外すことができない。まるで渦に引き込まれるように、意識が飲み込まれる。
「楽しみだね。君の望みが叶うよ。僕はずっと君の味方だ」
その後、どう動いていたのかわからない。ぼんやりとした頭のまま、夜会の場に戻り、きちんと主催者としての務めを果たしただろうか。
そして、あれから何日経ったのだろう。時間の感覚がよくわからない。
ただ、目覚めた朝に、鉢植えは窓辺にあり、黒い花を2輪、咲かせていた。
自然と笑みがこぼれる。花が咲いたということは、あの女は呪われた、と。
(あの女……?)
誰のことを言っているのだろう。自分でもよくわからない。けれども、朝の仕度のため、侍女が持ってきた姿見に映った自分の姿にぞっとした。黒と言うには鈍い色をした長い髪。そして血のような赤い瞳。にたりと笑う姿は、まるで……。
悲鳴をあげて目を背ければ、侍女は驚き、護衛騎士が部屋に飛び込んで来た。
「どうされましたか、殿下」
「あれは誰……!?あれは私じゃないわ!!」
姿見を指さして顔を背けるも、お気を確かに、という言葉しか返ってこない。
「どういうことなの!?私の姿が変わっているなんて!」
「いいえ、殿下。何も変わってなど」
「おだまり!私に意見をするなんて何様なの!?」
侍女の口答えが腹立たしくて、背にそえる手を振り払い、髪をかきむしった。
私の髪は、美しいプラチナブロンドの髪色だったし、瞳も皇族としての証拠である金色の輝きを持ち、澄んだ緑色をしていた。あんなおぞましい姿を望んでいない。
(いいや、君が望んだ姿だ。さあ、よく見るがいい)
自分の内側から聞こえる声に誘われ、姿見に視線を向ける。そこに映るのは、これまでの見慣れた姿。
けれども、とても不愉快で、気分が悪い。
(呪われた女の姿など、するものじゃない)
「ええ、そうね……」
瞬けば、姿見に映る姿が元に戻る。
赤い瞳がゆらりと潤み、頭がぼんやりと霞む。
どうして、あの姿が良いと思っていたのだろう。今の方が、とても素敵じゃない。だって、この髪色は、愛おしい騎士団長の彼と同じ色。この髪色に飾る色は、鮮やかなほど、きっと美しく映えるはず。
それなのに、侍女が用意したドレスの色が気にいらない。どうしてこんなにぼやけた色なのかしら。
「他にないのかしら。もっと鮮やかな色がいいわ。なければ作ってちょうだい」
差し出されたドレスを跳ね除ければ、侍女はおろおろと怯んだ。何を考えているのかしら、と気分が悪くなる。こんな、たくさんのフリルがついたデザインなど、子供じみて着る気がしない。
「殿下、本日はご公務があり、あまり鮮やかな色はお控えいただいた方が良いかと」
「嫌よ」
どうして執事まで口出しするのかしら。気にいらなくて、睨みつける。
せいぜい、怯えなさい。怯んだ瞳を見ると気分がいいわ。
口角が上がって、室内に高笑いが起きる。使えないものなどいらない。欲しいものだけでいい。
「アルヴァートはいつ戻ってくるの?」
「申し訳ありません。まだ何の連絡も受けておりません」
「早く戻って来るように伝えてちょうだい」
出掛けてから本当に何日経ったのかしら。どこへ行ったのかはわからないけれど、姿が見えないのが気に入らない。
まだ着替えが済んでいないけれど、不意に扉を叩く音がした。どうしてこんなにイライラさせるのかしら。腹立たしい気持ちで唇を噛めば、外から届いた声に、心が踊る。
入室を許可すれば、望んでいた姿が現れた。
「御前を離れて申し訳ございません、殿下。ただ今、戻りました」
涼やかな声で、愛おしい第1騎士団長が膝をつく。自分と同じ髪色が嬉しい。見上げた瞳は藍色で、どこか金色の輝きを持つ。こんな瞳だったかしら、と一瞬、不思議に思ったけれど、彼が浮かべる微笑みにそんなことはどうでも良くなった。
「遅いじゃない。何をしていたの」
「申し訳ございません」
手を差し出せば、彼は指先に、触れるか触れないかの軽い口付けを落とした。
「殿下のご機嫌を損ねてしまった私をお許しいただけますか」
「ええ、もちろんよ」
「麗しい殿下。そのお姿のまま、私を困らせないでください。どうかお支度を」
「仕方がないわね」
微笑みを浮かべる愛おしい貴方のお願いなら、聞いてあげる。今日のところは、このドレスで我慢しましょう。
部屋の外で待ちます、という彼の姿を鏡越しに見送れば、帯刀している剣が違うことに気が付いた。
もう少し大きかったような気がしたが、あんな感じだったかしら。すぐに扉が閉まってしまい、よく思い出せない。けれども、そんなことより、彼は微笑みを向けてくれた。自分を見る瞳がいつもと違う。自分に掛ける言葉も優しい。
(麗しい殿下……)
彼が触れた指先を見つめ、窓辺の黒い花に視線を向けた。黒い花は咲き誇り、その姿は美しい。甘い芳香がうっとりと良い気分にさせる。
(ねえ、願いは叶ったのよね。だって、花は咲いたのよ。アルヴァートは戻ってきたわ。私の元に)
内なる影に語りかける。
けれども、何も答えてくれない。静かすぎるけれど、もともと影から生まれたものだ。こんな日の光が差し込む部屋に現れるわけがない、そう思うことにした。
先程とは違う笑みがもれる。あの女は呪われた、もう邪魔するものはいない。
(あの女……誰だったかしら)
胸を刺すようなかすかな痛みを感じる。
それはまるで、あの夜、指先を傷つけた時のよう。
気にすることはない、と思い直す。
だってそれは、自分にとって、必要のないものだから。




