55.呪縛
皇女殿下視点です。
ぷつりと、何かが切れる音がした。
「どうかされましたか、殿下?」
声をかけられてハッとする。心配そうに自分を覗き込む目の前の男性に、何でもないと、微笑みを向けた。
目の前に広がる煌びやかな世界。豪華なシャンデリアは光を放ち、白磁と金色に統一された大広間には、美しく着飾った女性のドレスが花の様に広がる。そして、流れるのは宮廷楽団が奏でる美しい旋律の舞踏曲。
なぜ、こんな状況で、糸が切れるような音を聞いたのだろう。
「お美しい殿下。どうか、私と1曲踊ってはくれませんか」
「ええ、喜んで」
差し出された手に、微笑みを添えて、手を重ねる。男性はその手を愛おしそうに見つめ、指先に口付けを落とした。
「お慕いしております、殿下」
けれども、男性の言葉は自分に響かない。だって、私が欲しいのは、
(あなたじゃないから)
ある日突然、全く違う、どこか異国の世界へ迷い込んでしまった。地味な事務員だった自分が、行方不明となっていたお姫様です、と言われた時は、嬉しかった。子供の頃に一度は夢見た世界。現実はいろいろ難しいことが多すぎて、慣れないことばかりで、上手くできない自分に泣きたくなった。そんな時、いつも優しく励ましてくれたのは、自分を護衛してくれた第1騎士団の方々だった。
(さぁ、参りましょう、姫君)
瞳を閉じれば、今でも鮮やかに思い出す彼女の麗しい姿。いつも手を差し出して、自分を導いてくれた。
綺麗で優しくて強くて、とても憧れた。彼女のようになりたかった。
けれども、ほのかに想いを寄せていた第1騎士団長に愛する人がいて、それが彼女だと知った時、納得するよりも、裏切られ、妬ましく、悔しいと思う心のほうが勝ってしまった。
「だって、この世界が私を必要としたのよ。どうして欲しいものを我慢しなければいけないの!!」
勝手に傷ついて、部屋で一人泣いた夜、自分でも驚くほど、身勝手でわがままな感情が口に出た。
そんな時、影の中から妖精が現れた。何でもありのこの世界、妖精が現れようが、魔物が現れようが、いまさら見飽きて、驚くこともなかった。
「お姫様が悲しむのは良くないよ。僕が助けてあげる」
「どうして助けてくれるの?」
「お姫様は笑顔でいなきゃ、ダメでしょ。さあ、涙をふいて。君の願いを叶えてあげる」
「私の願い……?」
「言わなくても、わかるよ。君の涙に呼ばれて、僕は来た。涙の粒が教えてくれる。だから、もう大丈夫」
そう言って、妖精はくるくると自分の周りを飛んだ。
「そうだ、これに魔術をかけてごらん。一つ目の願いは叶えたよ。お姫様は魔術が使える」
窓辺に置かれた鉢植えに腰かけて、妖精は、育って欲しいと願えばいいと、笑った。
手をかざせば、鉢植えから何かが芽吹く。
「これが育って花が咲いた時が楽しみだね」
無邪気に飛び上がって、妖精は手を叩く。そして、そっと耳打ちした。
「世界を変えてあげる。お姫様を泣かせる悪い奴はいらないよね。僕は君の味方だよ。だから、名前を教えて」
もう誰にも呼ばれない名前など、いらないでしょ、と。
名前を告げれば、妖精だったものは姿を変えた。まるで自分と同じ姿に。
「怯えないで。僕は味方だと言ったでしょ。さぁ、手を出して。僕の手に重ねて」
にたりと笑う笑顔に恐怖を感じるも、名前を呼ばれて逆らうことができない。差し出された手に両手を重ねれば、世界が反転するように視界が回った。
「目覚めた時に世界は変わっている。お姫様のための世界だ。望めば良い、欲しがれば良い。心のままに」
その言葉を最後に、気が付けば朝になっていて、夢ではない証拠に、芽吹いた鉢植えが窓辺に残されていた。
手をかざして願えば、ゆるやかに葉が育つ。
部屋の扉がノックされ、掛けられた声に息をのんだ。扉を開けば、現れたのは光輝くような彼女ではなく、恋焦がれた彼が姿を見せる。銀髪ではないことに驚いたが、黒い色を持つ方が素敵に見えた。
どんな風に変わったのかは、すぐに理解できた。
彼が愛した女性は、もうこの世界に存在しない。やはり婚約者として存在していた事実は腹立たしいけれど、幼い時に落石事故で亡くなっている。その暗い過去を背負っているため、彼はとても傷ついている。
彼がその瞳に誰も映さないということは、誰にも心を寄せないということ。
心が震えた。ならば、私を愛せばいい。だって、私がそう望むから。あなたが欲しいから。
あなたのために、この姿を変えましょう。光輝いていた彼女の姿が恋しいでしょう。
私のために、邪魔なものは排除しましょう。余所見をして欲しくないのだから。
心のままに望めば、多くの男性は熱に浮かされたように自分を見つめる。ただ、どんなに愛の言葉を囁こうと、自分の心には届かないけれど。
鉢植えの植物は育って、ついには蕾をつけた。今はまだ変わらない彼も、この花が咲けば、きっと変わるのだと思える。彼の名前を呼ぶ度に、少しずつ成長していく黒い花。咲いた時が楽しみだね、と妖精が言った言葉を思い出す。ええ、本当に。
ぷつりと、また、糸が切れたような音がした。
気味が悪くて辺りを見回すも、大広間に変わりはない。
自分が発令した祭典を祝う夜会は華々しく、賑やかで、いつもと違うことといえば、護衛する彼の姿がないことぐらい。本当はそれが一番気にいらないことなのだけれど。
踊る気分になれなくて、主催者ではあるけれど、夜風にあたりたくて、大広間からバルコニーへ出た。
彼の代わりを務める護衛の騎士が動く。
「皇女殿下、ご気分でも優れませんか?」
「いいえ、夜風にあたりたいだけよ」
そういえば、と思い立ち、名前も知らない騎士を見上げて見つめる。自分に近付く貴族の男性であれば、すぐに効果が現れそうなこの表情も、彼らには通じない。気のせいか、目を背けるように視線をそらされる。第1騎士団が精鋭部隊なことは解っているけれど、それだけではない違和感を感じる。
あなたたちが副団長と呼んで慕った彼女は、この世界に存在しないのよ。なぜか副団長の席が空いたままで、誰も不思議に思わないことが腹立たしいけれど。
あなたたちは何か気付いているの、と問いたくなる。
満月の光を浴びて、プラチナブロンドの髪が輝く。どこからかため息が聞こえるけれど、私が欲しいものじゃない。
心のままに望めば、欲しいものが手に入るはずなのに、どうして、今ここに彼はいないのかしら。
緊急事態が起きたので、と言って、昨日、第1騎士団長は宰相の命を受けて皇都を出た。向かった先は詳しく教えてもらえないのでわからない。今日は朝までずっと一緒に過ごす、そうなる予定で計画していたのに、このタイミングで地方任務に出なくてもいいじゃない。
何かがおかしい。急にいろいろと上手く回らなくなってきた。
ガシャリと、何かが割れる音がした。
急に背筋が冷えた。
殿下、と訝しげな視線を向けた騎士に答えることも出来ずに、宮殿の奥にある自室へ急いで足を運ぶ。
部屋に戻れば、鉢植えが粉々に割れていた。もうすぐ咲きそうだった蕾は花開くことなく、手に取れば、脆く消え去った。
「どうして……」
「あーあ、壊れちゃったね」
自分の影がゆるりと持ち上がり、自分と同じ姿をした者が口を開いた。目の前でクスクスと笑う。睨みつければ、いい表情になったね、と口元が歪められた。
「さあ、君はどうしたい?僕は君の味方だよ」




