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白銀の蒼華姫  作者: 菅野 かおり
第3章 守護獣
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51.出立

「リリーナ・フラム・デイン」


 リリーナは身分証に表記された、新しい家名を見つめる。

 もともと婚約者であり、デイン家に迎え入れることは決定事項であるため、異論は認めない、と言われてしまえば、ありがたく従うしかない。生家はもうなく、逃げられないのだよ、と言われた時には、何故だろう、表情は穏やかなのに、身がすくむ思いがした。また、今多くの事を話しても、無用の混乱を招くことになるので、日を改めたいと言われた。


「我が息子に会うと面倒なことになるので、このまま出発したほうが良い」


 静かに告げるベルナンド辺境伯の隣りで執事長が頷いた。やはり、変わらないか、とベルナンド辺境伯が尋ねれば、執事長は全く、と短く答える。ベルナンド辺境伯は深くため息をつくと、リリーナの手をとり、髪に触れた。


「我が娘よ、私はもう少し探りたいことがある。そのための提案だ。許して欲しい」


「わかりました」


 何か深い考えがあることは表情からみてとれる。それこそ異論を唱えることはない。

 今はただ、感謝の思いを伝えたかった。


「私に帰る場所を作ってくださり、ありがとうございます。お父様」


 リリーナが続けて呼べば、ベルナンド辺境伯は苦しげな表情を緩めて微笑んだ。


 送り出されたリリーナは、調査に必要なものだけを持って出るため、温室に立ち寄った。管理棟の研究室に入り、書類やメモを収納袋に投げ込んで、渡すことを忘れていた紙包みに気付く。


(この世界の私が、アンナに頼んで彼に渡そうと託したもの……)


 どうして、今まで忘れていたのだろう。移動用に使うポーチに入れたままにしており、開く機会がなかったからとはいえ、申し訳なく思う。移動中に失くしても困るので、リリーナは紙包みを取り出すと、片付けた書物の上に置いた。これなら、戻ってきた時に目に入るし、忘れずに渡すことができる。


(あとは……)


 何か忘れ物がないか、ぐるりと部屋を一通り見渡して、リリーナは部屋の鍵を閉めた。

 温室の広間にブルナ氏の姿が見えたため、リリーナは慌てて駆け寄ると、鍵と一緒に、1通の手紙を託した。


「ブルナ様、お待たせして申し訳ありません。こちらをお願いします」


 会うことはできないが、手紙を残してもいいか、とベルナンド辺境伯に尋ねれば、そうしてやってほしい、と言われたため、急いで書いたものだ。短いが、気持ちは込めておいた。もし、彼がまた温室に現れることがあったら渡して欲しかった。


「わかりました。やはり、貴女はその装いのほうがよく似合いますね」


 第1騎士団の外套を羽織り、鎧姿で帯刀したリリーナを見て、ブルナ氏は微笑んだ。

 その肩にめずらしく動物をのせていることに気付く。


「今日は貴女に会わせたかった人がもう一人おります。間に合ってよかった。彼はなかなか気まぐれですからね」


「まさか……そんな……」


 リリーナが見つめる前で、ブルナ氏の肩にのっている茶色いサルはウキッとないて、果実をかじった。

 いろいろ思い出したリリーナは思わず両手で口を覆った。


「シグル様、そのお姿では、大好きなお酒が飲めないではありませんか」


「んな訳ねーだろッ!!」


 温室に声が響く。

 笑いをこらえるブルナ氏を見て、リリーナが声をする方を振り返れば、黒髪によく日に焼けた肌の見知った男性が現れた。よお、とぶっきらぼうに言って手を上げる。


「あんたは、また大剣背負ってんのか?だいぶ剣の本数が足りない気がするが……相変わらず、大変なことになってるみてーだな」


 言葉を失い、驚いたように自分を見つめるリリーナに、シグルは、あー、その何だ、と横を向いて、頭をかいた。


「眼鏡氏に、会えばわかる、と言われた意味がわかったよ。あんたにはいろいろ世話になってるしな。また会えて、嬉しいよ」


 思わず泣き出したリリーナを見て、シグルはぎょっとする。慌てて周囲を確認したが、何かを思い出し、気まずそうに視線を下げると、ため息をついた。


「そうだったな……帰ってきたら、また一緒に飲もうぜ」


「私はお酒は飲めません」


「まあ、それでも付き合え」


 リリーナが黙って頷くのを見て、シグルはホッとしたように手を腰にあてた。


「ルナティのことは俺が協力してやるから、安心して行って来い」


「おやまあ」


 シグルの言葉にブルナ氏が驚いた声を上げる。何かおかしいか、と睨めば、ブルナ氏は肩をすくめてみせた。


「世話になった分はきっちり返さねーとな」


「ブルナ様、シグル様、ありがとうございます」


 リリーナは2人に頭を下げる。

 失ったものが少しずつ戻ってくる。たくさんの人に助けられている。本当にありがたい。私はまた頑張れる。

 リリーナは涙をふいて顔を上げた。


「行って参ります」


 リリーナは温室を後にする。その後ろ姿を見送りながら、シグルは困ったように呟いた。


「相変わらず、あの細い体にいろいろ抱えてんだな。何かおかしなことになってるな」


「ええ、本当に。今回、あなたが皇都に呼ばれたのも、皇女殿下の要請でしょう?」


「ま、そうだな。面倒だが、仕方ないだろ。違和感の正体がやっとわかったっつーか、……あの騎士団長さんは危険だろ」


 シグルはここを訪れる前に、宮殿の廊下で見かけたアルヴァートの姿を思い出した。

 影が濃い。今ならわかる。あの姿は異質だ。


「不満、というか爆発寸前なぐらい危うい」


「まぁ、彼女のこの手紙が、救いとなってくれるでしょう」


 リリーナに託された手紙をみて、ブルナ氏は微笑む。その様子を見て、シグルはやれやれとため息をついた。


「眼鏡氏も結構、面倒見が良いよな」


「彼女は特別ですからね」


「いろいろと問題発言のように聞こえるが、聞かなかったことにする」


 俺は誰にも殺されたくねーし、と大げさに言うシグルを見て、ブルナ氏は笑うと、木々の隙間から見える宮殿の方に視線を向けた。

 確かに、彼女の手紙を渡すのは早いほうが良い、と思う。

 ブルナ氏は、肩に乗るサルをシグルに強引に渡した。



 ***



 皇女殿下が発令された祭典は、皇国に伝わる神話の一節を題材にしている。いずれ女帝となられる方だ。政策の一つとして任せられているのは、おそらく力量を試されている部分が多いにあるからだろう。

 日夜、取り組まれている姿を間近で見ているため、成功して欲しいと思う。きちんと経済効果も出ているようだ。けれども……。


 机に広げた書類の上で、ついに眠ってしまった皇女殿下を見て、アルヴァートは小さくため息をついた。


(またか……)


 声をかけても目覚めない。殿下が肩に羽織っているガウンで包み込むようにして、アルヴァートは仕方なく、横抱きにして、寝室まで運んだ。


 まだ、昼間だ。

 最近、この状態が続いている。殿下には、決められた時間に、きちんと睡眠をとって欲しいと言いたい。侍女に頼まれて、一度、運んだ事が、いけなかったのだろうか。


 アルヴァートは侍女に後を頼んで、寝室の外へ出る。

 この頃、何かが這い上がり、絡み取られそうな感覚も強くなっている。頭に黒いモヤがかかる状況が進むと、自分も他の人間と同じように、何か熱に浮かされたような状態になってしまうのだろうか。


(疲れているのだろうか)


 ほぼ、日昼夜ずっと皇女殿下の側にいることが多い。

 殿下が何者かに命を狙われていると思わせる事件が起こったことが多いに影響している。何よりも殿下を優先する皇帝陛下の勅命により、殿下の近くに部屋を用意され、寄宿舎にすら戻れない。当然、宮殿の外に出ることも出来ず、リリィに会えない辛さが積もってきている。


「ねえ、アルヴァート。その日、貴方は私と一緒に過ごしてね」


 2、3日前に、皇女殿下に言われた言葉が蘇る。

 この姿の女性が好みなんでしょう、と意味深に微笑んで、殿下は自分に倒れ込むと、頬に手を伸ばし、瞳を覗き込んだ。

 プラチナブロンドの髪、金色の輝きを持った緑の瞳は、確かにリリィの特徴だ。肩口まで大きく開いたドレスを見にまとい、魅惑的な視線を送ってくるが、嫌悪感しか感じられないことに、いい加減に気付いて欲しい。


 基本的に女性が肌を見せることを好まない。

 温室で会うリリィは、長袖の白衣の下に、ノースリーブではあるが、首元まで隠されたインナーを着ている。温室にいるから薄着なのだろう。それもあって、女性らしい曲線美と、薄い衣服を通して伝わる彼女の柔らかさと温もりは官能的だ。乾いた心が癒やされ、救われる。全く違うのだ。


 抱き寄せるだけで、それ以上、求めたくても触れられないのは、お互いが、その瞳に誰かを重ねて見ているから。

 リリィは自分を通して、誰を見ているのだろう。いつかは自分を愛してくれるのだろうか。


 痛む頭に少しふらつけば、壁に寄りかかる前に、そっと支える手に助けられた。


「大丈夫ですか、デイン騎士団長」


「ブルナ様……?今日はご予定が……」


 ブルナ氏は自分の口元に人差し指を当ててから、そのまま、眼鏡に手をおいて、位置を直す。


「貴方に渡したいものがあって来ました。どうか、お部屋でご覧ください。この鍵は貴方に預けます。それでは」


 渡されたものは手紙と鍵。あっという間にブルナ氏は姿を消す。幻でも見たような気分になり、アルヴァートはもう一度、手に残る物を見つめた。

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