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白銀の蒼華姫  作者: 菅野 かおり
第3章 守護獣
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49.横顔

 第1騎士団長アルヴァートが現れた。

 アルヴァートは黙ってこちらを見ている。


 リリーナの頭の中で、可能な限りの選択肢が提示される。思いつくまま、順番に考えるしかない状況だ。


(逃げる……?)


 逃げれば、彼は間違いなく追ってくる。たぶん、何か危険なスイッチが入ってしまう。逃げれば逃げるほど、逆効果だ。捕まったらどうなるか、簡単に想像ができてしまい、得策ではない。


(戦う……?)


 ブルナ氏から聞いた話では、確か、彼は物理攻撃も魔法攻撃も透過してしまう。それはつまり、残念なことに、状態異常にできないということだ。混乱も麻痺も幻惑も使わせないとは、恐るべし、騎士団長。無敵すぎる。敵に回したくない相手だ。


(では、見なかったことにする……?)


 沈黙が続いて見つめあっている状態で、今更、無視もそしらぬ振りもできないではないか。相手は完全に自分をとらえている。次に思い付く選択肢は、


(微笑む……?)


 ハードルが高すぎる。すでに大混乱中の自分には非常に困難な技だ。笑ってごまかそうにも、逆に不自然すぎて、どう会話を繋げていいのか、わからない。


 アルヴァートが濡れた前髪をかきあげた。

 よく見れば、騎士団服も濡れている。


(どうしてそんな状態に……!?)


 リリーナは閃くと、ポーチからタオルを取り出し、慌てて、アルヴァートに駆け寄った。水溜りを踏んで、パシャリと水が跳ねる音が響く。


「申し訳ございません、第1騎士団長様。私、驚いてしまって、ご無礼をお許しください」


 悩んでいた時間はおそらく瞬き5回分。


 何とか自分を取り戻したリリーナは、態度が不自然にならないように注意して、タオルを差し出した。アルヴァートが少し屈んだので、失礼します、と断ってから、濡れた髪を拭くため、腕を伸ばす。タオル越しに触れた彼の髪は、濡れているためか、宵闇のような暗い色が強く見えた。


「いつから温室にいらっしゃたのでしょうか。こんな風になるまで気付かず、申し訳ございません」


 リリーナは不思議に思う。何故、彼は草木と同じように散水の影響を受けたのだろう。透過するのであれば、本来、水を被ったりはしない。透過するのは悪意や敵意など、何か意思や思考を持つものだけが対象なのだろうか。


「……すまない、自分でもよくわからない」


 耳元近くで聞こえた声に、リリーナの胸がドキリとした。声が同じだ。けれども、目の前の彼は、俯いたまま、おとなしい。危険なほど近付き過ぎているけれど、腕が回されず、触れることがない。


「俺が勝手に入っただけだ。君がそんなに謝る必要はない」


 アルヴァートの手が握り締められているのを見て、リリーナがそっと触れてみれば、とても冷たかった。温室が寒いはずがないのに、熱を奪われるほど体が冷えてしまったのではないか、と心配になる。風邪をひかれては困る。


「第1騎士団長様、ご無礼をお許しください」


 リリーナはアルヴァートに謝罪すると、彼の背に腕を回し、自分に抱き寄せた。小さく呟いて、生活魔術の一つである乾燥を使う。優しい光とともに、ふわりと風と温もりに包まれた。透過せずに、きちんと魔術がかかって、リリーナはホッとする。

 そして、気付く。自分から手を伸ばし、何をしてしまったのか。恥ずかしさが込み上げ、リリーナの頬に熱が上がった。


「これで大丈夫ですね。ところで、第1騎士団長様は、何故、こちらに……?」


 リリーナはすぐに離れると後ろに下がった。胸の前でタオルを握り締める。


「君がここにいると聞いた。君はここで何を……?」


 横を向いて、呟くように言われたアルヴァートの声からは、何か探しているような、戸惑いが感じられた。


「調べたい事があります。事情があって、この温室を研究室としてお借りしております」


「調査……」


 うまく答えられているだろうかと、リリーナは不安にさいなまれた。同時に、彼を役職名で呼ぶことが、苦しくなってきた。立場の違いを思い知らされて、悲しくなる。


 アルヴァートは研究用に使っているボードに書かれた文字に気付いて、息をのんだ。


「これは……今は使われていない古い言葉だ。何故、これを……」


 リリーナは目を瞬く。魔石と平行して、守護獣のことも調べてみようと考えた。

 ブルナ氏に相談したところ、守護獣のことは、ルナティのように各地に残る伝承を紐解くしかない、と教えてもらった。これまでに解った情報を纏めた書類を渡され、持っていて欲しいと言われた。トォーリィのことは載っていないが、アイシャについての記述があった。


「気になった部分があるので、書き出してみたものの……読めなくて」


 リリーナは困ったように笑う。文字というより、これは模様にしか見えない。何かを現しているような気がしたけれど、どこから手を付けたらいいのか、これから計画をたてるつもりだった。


「その単語は炎だ。その右は果実。次は、茜……?おそらく、色だな。俺の一族は領地の封印を継承していくため、必ずこの言葉を学ぶ。君の助けになるなら、教えても良い」


「でも……」


「調査を続けるなら必要だろう?この言葉を正しく知る者は、俺の一族か皇族の一部の方々でしかないはずだ。仮にどこかに知る者がいても、公の意味と真の意味が違う」


 それでは、さすがのブルナ氏も行き詰まるわけだ。


「君の力になりたい。君を助けたい」


 強い眼差しで懇願するように言われてしまえば、リリーナは頷くしかなかった。アルヴァートは嬉しそうに笑う。向けられた表情に、リリーナの胸が痛んだ。強い輪郭のような彼は、やはり、見せる表情や、仕草、動き方などが重なる部分が多い。


 重なる部分を見付ければ嬉しくなり、やはり別人なのだと気付かされば悲しくなる。その繰り返しに、リリーナは、いろいろとわからなくなってきた。ただ、言葉を教えてくれるやり取りは、彼の配下として、ずっと一緒に過ごしてきた日々を思い出し、楽しかった。


 帰り際、また来るというので、リリーナは自動的に散水される時刻を教えておいた。

 それなのに、非番の度に訪れるようになったアルヴァートは、毎回、わざと狙ってきているとしか思えない現れ方をする。


「君がこうして乾かしてくれれば、問題ない」


 いつのまにか、乾燥の魔術をかける時、アルヴァートは当然のように、リリーナを抱き寄せるようになった。

 あの時は、包み込むようにすれば透過しないのでは、という考えがあった。きちんとかかるのであれば、おそらく手をかざすだけで、発動する。


 けれども、自分のわがままだから、とお願いされ、つい絆されて、リリーナはその方法を続けている。互いの存在と温もりを感じられる、唯一の時間だった。


 そして、今日も、アルヴァートは散水される霧雨の時間に現れる。

 佇み、黙って、上を向く彼の横顔を、リリーナは声をかけずに見つめた。


 彼の暗い瞳は、何を見つめているのだろう。

 いつも握り締めているその手は、何を抱えているのだろう。


 姿形は同じでも、この世界で歩いてきた時間が違う。共有する思い出がない。わからない事が、多い。


(わざと雨に打たれるのは、何のため……?)


 理由を聞ければ、こんなにも気にはならない。けれども、彼も自分と同じで、何か抱えている。過去の思い出なのか、秘密なのか。


 一度その姿を見かけてから、散水が止まるまで、リリーナは見守る事が多くなった。静かな彼の時間を、邪魔できない、と思えた。

 見つめすぎたのだろうか。それとも距離が近すぎたのだろうか、アルヴァートがこちらに気付いて視線を向けた。


(リリィ……)


 寂しそうに笑う。そんな彼に、何と言葉をかけていいのか、わからない。


 彼は決して、ピオニーという名前を口にしない。

 自分に呼びかける時は、声に出さずに、名前を呼ぶ。

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