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白銀の蒼華姫  作者: 菅野 かおり
第3章 守護獣
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47.月下

アルヴァート視点です。

 月夜の晩は特に眠れない。

 差し込む光が眩しすぎて、その光が届かない場所を探して、アルヴァートは息を吐く。

 月明かりが差し込む窓辺を、自室の奥の暗がりから、じっと見つめる。この距離がちょうどいい。

 白銀に輝く光を避けながら、それでも、その光から目をそらすことができない自分に呆れる。

 光から思い描く彼女の姿に、アルヴァートはその名前を呼んだ。


「リリィ……」


 君を失ったあの日から、何かが、抜け落ちた。

 君のいない世界で、どうして生きていけよう。

 毎年会いに行くという約束すらも、守れなくなった。

 この体に魂が宿り続ける限り、君の元へいけないというのであれば、


「リリィ、俺を――」


 アルヴァートは言葉を飲み込む。うなだれた顔に影が落ちる。

 優しく愛おしい彼女に願うことではない。


 やがて、そのまま夜が明ける。少しずつ世界が明るくなっていくが、自分の心は沈んでいく月を追いかける。また同じような1日が始まる。


 アルヴァートは朝礼を始めるため、仕度をして、自室から出た。そして今日も、誰も使用していない部屋の扉の前で足が止まる。どうしていつも、その扉が内側から開くのを待ってしまうのだろう。誰がいるというのだ。何度も中を確認しただろう。愚かなことだ、と呟いて目を伏せる。


 ため息をついて、アルヴァートは朝礼の場になる食堂へ足を運んだ。事務的に団員たちに予定を伝え、何も食べずに、宮殿へと向かう。

 眠らない、食べない、そんな状態でよく動いているものだと、自分でも不思議に思う。


 今日の皇女殿下のご予定は、午前中は講義、午後から城下への外出となっている。殿下が何に興味を持たれようが自分には関係がない。勅命により任命された護衛の任務を堅実にこなす。ただ、それだけのこと。


「おはようございます、殿下」


 アルヴァートは皇女殿下の部屋の扉を軽く叩いて、声をかけた。扉を開けた殿下が、何故か恥じらう様子を見せ、渡したいものがあるから、と自分を部屋に招き入れた。


「あなたの光になりたいの」


 黙って従った自分に倒れ込み、殿下はその腕を自分の腰に回した。殿下が躓かれたわけではないことぐらい、自分にも解る。朝から何を勘違いされているのだろうか。ご覧になった夢の続きでも見ているのではないかと疑いたくなる。答えるのも億劫で、アルヴァートは黙って視線をそらした。

 光などいらない。失った光に代わる者などいない。


 無表情で受け止めたアルヴァードは、そのまま黙って、彼女が体勢を戻すまで、待ち続けた。

 肩にも触れず、背にも回されることがないというのに、殿下は何を期待されているのだろう。

 しばらくして、自分を見上げた殿下が、口を開いた。


「お名前をお呼びしても?」


 名前など呼び捨てにすればいいだろう、としか思えない。

 しかし、続けて呼ばれた自分の愛称に、嫌悪感を覚えた。何かが透過するのが解る。


「恐れながら、その呼び方はお止めください。周囲に誤解を与えます」


 アルヴァートは横を向く。

 透過するのは物理攻撃だけではない。状態異常を起こす魅了の魔法も透過する。今の自分に魔力がないからといって、かかるわけでもない。もともと魅了と幻惑の耐性が高い一族の人間に対し、この方は何をされているのか。


「ご気分が優れないようであれば、本日のご予定を取りやめにされたほうがよろしいかと」


 あくまで事務的に応えるアルヴァートに、皇女殿下はうつむくと、体を離し、背を向けた。


「いえ、予定通り、出掛けます」


「かしこまりました」


 皇女殿下が何か呟くのが聞こえたが、アルヴァートはそのまま部屋の外へ出る。こんな任務がいつまで続くのだろうか、とため息をつく。


(リリィ……)


 自分がそう呼べば、記憶の中の彼女は、いつも微笑んで、名前を呼び返してくれる。優しく愛おしい声で。

 君に触れたい。君に会いたい。叶わない願いと解っていても、願わずにはいられない。



 ***



 どんなに気乗りしなくても、定められた予定通り、時刻になれば殿下に付き添い、移動する。殿下を馬車にお連れし、扉を閉めて、馬を走らせる。何も考える必要はない。ただ黙って職務としてお守りすればいい。

 研究施設に近付けば、玄関の外で、白衣を着た研究者たちが並んで迎えに出ているのが見えた。

 いつもと変わらない光景だ。それなのに、体が震えるほど、胸が騒いだ。この感覚には覚えがある。


(そんな馬鹿な……)


 手綱を持つ手が震えた。落ち着かせようと強く握りしめる。どんな姿形をしていようと、彼女のことは魂が間違えない。

 馬から降りて、施設の者に手綱を渡すと、胸騒ぎを感じたまま、皇女殿下の馬車の扉を開けた。


「ようこそ、お越しくださいました、姫君」


 施設長を務めるブルナ・シメルジュ公爵令息がにこやかに笑い、皇女殿下を姫君と呼び、手を差し出した。彼の後ろで、美しく頭を下げる白衣の女性の姿を捉えて、息をのんだ。

 亜麻色の髪を肩口で綺麗に切りそろえ、殿下が通り過ぎた後に顔をあげた彼女は、フレームが細い眼鏡をかけていた。瞳の色は薄紫で、かけた眼鏡がその知性を高め、より魅力的にみせていた。すらりと伸びた手足がつま先までしなやかに美しく、きちんと教育を受けた令嬢のように、立ち振る舞いが美しい。そして剣士のように隙がない。何とも極めて異質な研究者だ。


 通された応接室にて、皇女殿下の前に、彼女は紅茶を差し出した。


「こちらの方は……?」


 皇女殿下の問い掛けに、ブルナ氏は少し困ったような顔をして、後ろに下がった彼女を見上げた。彼女の指先が震えているのを見つけて、その手をとりたい衝動にかられるが、どうにか抑え込んで、アルヴァートは自分の手を強く握り締める。


「私の遠縁の者です。今日から助手を務めていただいております。そうですね……、今後、よくお会いすることになるでしょうから、ご挨拶をしておきましょう。彼女はピオニーと申します」


 ピオニーと呼ばれた彼女は前に少し進み出て、綺麗に頭を下げる。


「はじめまして、皇女殿下。お会いできて光栄でございます」


 控えめに言われたものの、胸に染み渡る声に、アルヴァートは口元を引き結んだ。

 声を変装することを忘れたのか、と衝撃が走る。

 間違いない。どういう理由でここに存在しているのかはわからないが、彼女はリリィだ。相変わらず、少し詰めが甘くて、愛らしい。リリィは10歳で亡くなっており、成人した姿を知るはずがないのに、何故か、覚えているという言葉がこの感情に当てはまる。


(リリィ)


 声に出さずに呼びかければ、ピオニーという名前のはずなのに、彼女がこちらを向いた。でもなぜだろう、目の前のリリィの瞳は怯えており、すぐに目をそらされた。彼女は紅茶を乗せていたトレイを胸に抱き締め、部屋から出ていった。


 ズキリと胸が痛む。失ったと思っていた感情が自分に戻ってきているのがわかる。もしかして、よみがえったのかもしれないリリィは自分のことを覚えていないのか。何か事情があるのは間違いないようだが、逃げないで欲しい。


 このまま会えなくなるのでは、と気落ちしたが、リリィは助手という立場を遂行するためか、すぐに戻ってきた。おかげで、よく観察できる。

 不躾な視線を送るためか、居心地悪そうにしているが、仕方がないと許して欲しい。


(リリィ)


 声に出さずに呼びかければ、やはり、リリィはこちらに視線を向ける。もしも届くのであれば、伝わって欲しいと願いを込めて、彼女を想う。


(君を愛している。今も変わらず、君だけを。君に会えて嬉しい)


 リリィは大きく目を見開いた。ふわりとその瞳が答えるように優しくなり、少しではあるが、見つめ返してくれた。


 気持ちが震える。夢でなければ、それでいい。ここに来れば会えるなら、会いにこよう。

 君と話がしたい。君の声で、名前を呼んで欲しい。

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